コルネリウス・ア・ラピデ

創世記 第十一章


目次


第十一章の概要

第一に、バベルの塔が建てられる。第二に、第7節において、言語が分かたれ、諸国民が散らされる。第三に、第10節において、セムの系図がアブラハムに至るまで辿られ、アブラハムはカルデアのウルからハランおよびカナンへ移住する。


ウルガタ本文:創世記11章1–32節

1. さて全地は一つの言葉、同じ言語であった。2. 彼らが東方から出発したとき、シンアルの地に平野を見出し、そこに住んだ。3. そして互いに言い合った、「さあ、煉瓦を作り、火で焼こう」と。こうして彼らは石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりに瀝青を用いた。4. そして彼らは言った、「さあ、われらのために都と、頂が天に届く塔とを造り、全地に散らされる前にわれらの名を揚げよう」と。5. すると主は、アダムの子らが建てている都と塔を見るために降りてこられた。6. そして仰せになった、「見よ、民は一つであり、すべての者が一つの言葉を持っている。彼らはこのことを始め、その企てを実行に移すまで止めないであろう。7. さあ、われら降りてゆき、彼らの言葉をそこで混乱させよう。誰もその隣人の声を聞き分けられないように」と。8. かくして主は彼らをその場所からあらゆる地へ分散させ、彼らは都を建てることをやめた。9. それゆえその名はバベルと呼ばれた。そこで全地の言葉が混乱させられたからである。そこから主は彼らをあらゆる地域の面に散らされた。10. これらはセムの系図である。セムは百歳のとき、洪水の二年後にアルパクシャドを生んだ。11. セムはアルパクシャドを生んだ後、五百年生き、息子たちと娘たちを生んだ。12. アルパクシャドは三十五歳でシェラを生んだ。13. アルパクシャドはシェラを生んだ後、三百三年生き、息子たちと娘たちを生んだ。14. シェラもまた三十歳でエベルを生んだ。15. シェラはエベルを生んだ後、四百三年生き、息子たちと娘たちを生んだ。16. エベルは三十四歳でペレグを生んだ。17. エベルはペレグを生んだ後、四百三十年生き、息子たちと娘たちを生んだ。18. ペレグもまた三十歳でレウを生んだ。19. ペレグはレウを生んだ後、二百九年生き、息子たちと娘たちを生んだ。20. レウは三十二歳でセルグを生んだ。21. レウはセルグを生んだ後、二百七年生き、息子たちと娘たちを生んだ。22. セルグは三十歳でナホルを生んだ。23. セルグはナホルを生んだ後、二百年生き、息子たちと娘たちを生んだ。24. ナホルは二十九歳でテラを生んだ。25. ナホルはテラを生んだ後、百十九年生き、息子たちと娘たちを生んだ。26. テラは七十歳に達し、アブラム、ナホル、ハランを生んだ。27. これらはテラの系図である。テラはアブラム、ナホル、ハランを生んだ。ハランはロトを生んだ。28. ハランはその父テラに先立って、その生まれの地、カルデアのウルで死んだ。29. アブラムとナホルは妻を娶った。アブラムの妻の名はサライ、ナホルの妻の名はミルカといい、ハランの娘であった。ハランはミルカの父にしてイスカの父であった。30. サライは不妊で、子がなかった。31. そこでテラはその子アブラムと、ハランの子である孫ロトと、その子アブラムの妻である嫁サライとを連れ、カルデアのウルから出てカナンの地に行こうとした。そしてハランまで来て、そこに住んだ。32. テラの日数は二百五年であり、ハランで死んだ。


第1節:地はすべて一つの言葉であった

すなわち一つの言語、つまりヘブライ語のことであり、これは換喩である。ヘブライ語が最初の、すべての人間に共通の言語であり、洪水の前もその後もバベルの塔の建設に至るまでそうであったことは、アダム、エバ、カイン、セト、バベル、ペレグ、アブラハム、イサク、ヤコブその他の名の語源と意味から明らかである。これらの名を聖書自身が創世記の中に記しているが、その起源と意味はヘブライ語以外のいかなる言語からも引き出すことができないのである。これは聖アウグスティヌスの『神の国』第十六巻第十一章、オリゲネス、聖ヨハネ・クリソストモス、ディオドロス、聖ヒエロニムス、その他の見解であり、唯一テオドレトスだけが例外として、最初の言語は自らのシリア語であったと誤って考えた(テオドレトスはシリア人であり、シリアのアンティオキアに生まれ、後にシリアのキュロスの司教となった者であるからである)。しかしヘブライ語は後に始まり、最初にモーセに神から与えられたという彼の説は誤りである。というのも、学識者の間ではシリア語はヘブライ語の方言であり、その腐敗から生じたものであることが確立しているからである。ちょうどフランス語、イタリア語、スペイン語が腐敗したラテン語から派生しているのと同様である。

ゴロピウス・ベカヌスは世界最初の言語はキンブリ語、すなわちフラマン語であったと主張し、これから聖書のすべての名前、すなわちアダム、エバ、カイン、メトシェラ等を導出している。彼によればアダムとはいわばハド・ダム、すなわち堤防への憎しみを意味する。したがってアダムとは、嫉妬の波に対抗して築かれた堤防のことである。エバとはいわばエウ・ファト、すなわち時代の器を意味し、エバにおいてすべての時代の始まりが宿されたからである。アベルとはいわばハト・ベルグ、すなわち戦争への憎しみを意味し、兄弟カインから加えられた戦いのことである。カインとはいわばカエト・エンデ、すなわち悪しき終わりを意味する。メトシェラとはマエト・ウ・サーリヒ、すなわち「汝自身を救え」を意味し、迫り来る洪水からの救いのことである。エノクとはいわばエート・ノッホ、すなわち(神と人との間の)誓いが「なお」続いていることを意味する、等々。しかしながら、これらは聖書が与える語源に対応していない。聖書の語源はまったく異なる意味と起源を示しているからである。それゆえ、フラマン語からかくも苦心して導き出されたこれらの語源において、ゴロピウスは自らの知性の鋭さを示しているに過ぎず、その知性がもっと堅実で有用な事柄に用いられていたならよかったと思わずにいられない。ゆえにある学者はこの著作を単なる知の遊戯にして戯れにすぎないと評したのである。


第2節:彼らが東から出発したとき

バビロンの東方に位置するアルメニアから出発したのである。洪水が止んだとき箱舟はそこに留まっていた。したがって、洪水の直後にノアはその家族とともにそこに留まったと思われる。聖エピファニウスはその著作『異端について』の冒頭で、またペレリウスその他もそのように述べている。

ノアに続いてその孫たちと子孫たちがやって来た。ヨセフスとプラトンが『法律』第三巻で指摘しているように、洪水を恐れて彼らはまず山に住み、やがて恐れが次第に去るにつれて谷や平野へ下りてきたのである。

シンアルの地に平野を見出した。注意すべきことに、当時存在していたすべての人間は(カエタヌスはこれを否定するが)、アルメニアを出てシンアル、すなわちバビロンに来たと思われる。より良質で豊かな土地への期待と、その位置のより便利さのゆえであり、そこからはあらゆる方角にたやすく分散することができ、四方において互いに近く隣り合って留まることができたからである。それゆえアブレンシスは正しくも、当時なお存命であったノアがバベルの塔の建設に立ち会い、おそらくこれを手助けすらしたと考えている。というのも、ある者は善き目的で、他の、はるかに多くの者は悪しき目的でこれを建てていたからである。当時すべての人間がバベルにいたのであり、そこですべての者の言語が混乱させられ分かたれたのである。ペレリウス、デルリオその他も同様に考えている。

注意すべきことに、この場所は当時ではなく後にその住民によってシンアルと呼ばれた。バベルと同様、出来事にちなんで名づけられたのである。シンアルとはヘブライ語で「歯を揺すり出すこと」と同義である。歯のある者、すなわち高慢な者たちがバベルを建てていたが、そこで彼らはその歯、すなわちその言語を奪われたのである、とルペルトゥスは述べ、聖グレゴリウスは悔悟詩篇第四篇の末尾近くの節について書いている。「主よ、シオンに御恵みをもって善くしたまえ」。そしてさらに転義的意味を加えている。「シンアルには歯ある者が住む。彼らは中傷の噛みつきによって隣人を引き裂く者である。神はその歯を打ち砕く、その行いと言葉をともに混乱させるとき。これについてこう記されている、『汝は罪人の歯を打ち砕いた』。そしてまた、『主は彼らの歯をその口の中で砕かれる』。」


第3節:石の代わりに煉瓦を用いた

テオドレトスが伝えるところによれば、バビロンでは石が甚だしく不足していたからである。ある者たちは、火の洪水を恐れてそうしたのだとも付け加えている。世界がいつか再び焼き尽くされることを彼らは知っていたというのである。煉瓦は十分に焼かれると火に対して極めてよく耐えるが、石は火によって石灰に溶かされてしまうからである。もし彼らがそのように考えたのであれば、それは愚かな考えであった。水の洪水に抗し得たものが何もなかったのと同様に、世界の終わりにおける火の洪水は遥かに強力であり、何ものもこれに抗し得ないからである。


第4節:頂が天に届く塔

極めて高い塔のことであり、これは誇張法である。この塔の高さについて、聖ヒエロニムスはイザヤ書第十四章の註解において驚くべきことを述べている。すなわちその高さは四千パッスス、一大マイルすなわちドイツ・マイルに相当するという。ヨセフスは、ニムロドの徒がこの塔をかほどの高さに建てようとしたのは、もし洪水が再来しても届かないようにするためであったと付け加えている。人間の愚かさを見よ。この塔の遺構は聖ヒエロニムスとテオドレトスの時代まで残存しており、彼ら自身がそれを証言している。

この塔はバベルの都の中にあったのであり、ヘブライ語本文が第9節において示す通りである。ただし、塔がバベルではなく隣接するカランネの都にあったと考える者もいる。

第二に、この建造物の創始者は当時なお存命であったノアではなく、ニムロドであった。ヨセフス、聖アウグスティヌスその他がそう述べている。

われらの名を揚げよう。アブレンシスはこのバベルの建設者たちを罪から弁護し、大罪のみならず小罪からすらも免責している。第一に、彼らがこの塔を建てたのは物見の塔としてのみであり、能動的にも受動的にも、すなわち遠くから周囲に住むすべての者に見えるようにし、定められた時にそれぞれがバベルに戻り集まって私事も公事も共同の事柄も処理できるようにするためであったからである。このために塔が建てられることは今日でも同様である。第二に、仮にこの塔によって自らの名を挙げようとしたとしても、それは悪いことではなかった。名声と栄光を求めることは許されているのであり、栄光を求める対象が悪いものではなく善いものであり、神の栄誉を損なわない限りにおいてである。さらに、これらの建設者の中にはノアという聖なる人がおり、すべての者の長であり父であった。彼は悪しき目的のためにこの塔が建てられることを許さなかったであろう。アブレンシスはそのように述べている。

しかし聖アウグスティヌス、聖ヨハネ・クリソストモス、ヨセフスその他は、これらの建設者が虚栄と高慢によって罪を犯したと、より正しく判断している。天にまで届くかの高くも狂気じみた塔が、そしてその建造が——死や離散によって妨げられ阻まれないうちにと急がれたことが——虚栄と高慢以外の何を意味するであろうか。

第二に、彼らが「われらの名を揚げよう」と言うとき、この邪悪な努力と労苦の目的と狙いが、自らの名を永遠ならしめんとする野心的な欲望であったこと以外の何を示しているであろうか。第三に、この工事が神にとって不快であり憎むべきものであったことは、神御自身がこれを妨げ、建設者たちを言語の不協和と多様さをもって罰し、互いにもはや理解し合えないようになさったことから明らかである。聖アウグスティヌスは第四の点として『神の国』第十六巻第四章において、ニムロドがバベルを建てたのは自らの暴虐と不敬の砦とするためであったと加えている。ゆえにこの建造から、天に戦いを挑む巨人たちの伝説が生まれたのであり、これについては第六章第4節で述べた通り、アルキムス・アウィトゥスが教え、巫女シビュラが第三巻において示している。

ノアはこの建造に立ち会ったが、指揮はしなかった。これを阻止することができなかったからである。ニムロドとその従者たちが力において勝っていたのである。もしノアがこれを手助けしたとすれば、善き目的のため、そしてより大きな悪を避けるためにそうしたのである。

ただし注意すべきことに、神がこの罪を、そしてこの塔の建設をある時まで、ある高さまで許されたのは、この機会を用いて大いなる善を成し遂げようとなさったからである。すなわち人間をすべての地方に散らし、全世界が人間によって満たされ耕されるようにすることであり、これは全世界にとって大いなる装飾であるとともに恵みでもあった。

道徳的意味として、聖ヨハネ・クリソストモスはここで説教第三十番において、壮麗な邸宅、浴場、回廊を建てて自らの名を永遠ならしめようとする者たちは、このバベルの建設者たちに似ていると述べている。そして加えている。「しかし汝がまことに永遠の記憶を愛するならば、われはその道を示そう。すなわち、石と壮麗な建造物、別荘と浴場を捨てて、この金銭を貧しき者の手に分け与えることである。この記憶こそ不滅であり、この記憶こそ汝に数え切れぬ宝をもたらし、この記憶こそ汝を罪の重荷から解き放ち、この記憶こそ汝に神の御前での大いなる確信を与えるのである。」これを詩篇第百十一篇をもって証している。「彼は惜しみなく与え、貧しき者に施した。その義(すなわちその施し)は世々限りなく続く。すべての時代に及ぶ記憶を見たであろうか。」

われらが散らされる前に。七十人訳もまた同様に訳す。ヘブライ語のペン・ナフーツ「われらが散らされないために」を意味し、すなわち、われらの名と栄光の記念がまだ何も遺されていないうちに、と理解される。彼らは間もなく散らされることを知っていたのであり、それゆえこの自らの記念碑を先んじて急ぎ、この建造が死や離散によって妨げられ完成を阻まれないようにしたのである。


第5節:主が降りてこられた

場所を変えることによってではなく(神はあらゆる所におられるからである)、近くで検分し、妨げ、罰することによってであると、カエタヌスは述べている。聖書は神について擬人的に語っているのであり、すなわち、神はこの塔と、これを建てている人間のかの狂気じみた耐え難い高慢とを、正確に、真剣に、緩やかに、慎重に検分し考察して、これを妨げ罰されたのであり、あたかも天からシンアルの地に降りてこられたかのようであった。ちょうど人間や裁判を行う天使がそうするように。聖アウグスティヌスがそのように述べている。

ゆえにデルリオはフィロンと聖ヨハネ・クリソストモスに従って正しく指摘している。聖書が、神が裁きと罰に向かって緩やかな歩みで進まれることを示そうとするとき、神が降りてこられる、すなわちわれらに近づいてこられると言うのであり、それは事の全体をより明瞭に知り、その後に慎重に罪ある者を罰するためである。このように神はソドムに降りられ(創世記18章21節)、またユダの地に降りられた(ミカ書1章3節)。

アダムの子らが建てていた——アダマ、すなわち土から出た者たちであり、地から生まれた者でありながら、今やその建造をもって傲慢にも天に昇ろうと企てているのである。


第6節:言葉

言語のことであり、第1節で述べた通りである。


第7節:さあ、われら降りてゆき、彼らの言葉を混乱させよう

これは神の言葉であり、いわば熟慮し、人間の狂気じみた企みと高慢を嫌悪される神の言葉である。ある者たちは、神がここで天使たちに語りかけていると考える。天使たちがこの言語の混乱に協力したからである。聖アウグスティヌス(『神の国』第十六巻第九章)、フィロン、カエタヌス、ペレリウスがそう述べている。しかしより正しくは、神なる父がここで語りかけているのは、背教者ユリアヌスが反論したような別の神に対してではなく、御子と聖霊に対してである。ちょうど第一章26節および第三章18節においてもそうされたのと同様である。なぜなら、そこにおいて創造は天使の業ではなく、神のみの業であったのと同様に、ここでの言語の混乱もまた神の業であったからである。すなわち各民族の守護天使がその民にその言語を植え付けたのではなく(オリゲネスが『民数記注解』第十一章で主張するように)、神ご自身がそうされたのである。神のみがその全能により心に入り込むことがおできになるのと同様に、神のみが知識と言語の習性を心に植え付けることがおできになるのである。聖ヨハネ・クリソストモス、プロコピウス、ラバヌス、ルペルトゥス、その他の学者たちが概ねそう述べている。

したがって、悪魔が一部の再洗礼派の者たちに――それまで無学で無知であった者たちに――杯を飲み再洗礼の象徴を受けた際に示唆する聖書の知識、あるいはヘブライ語やギリシア語の知識は、習慣的で恒久的なものではなく、一種の示唆・霊感としての現実的なもの(actuale)に過ぎない。なぜなら悪魔が彼らに付き添い、これらすべてを示唆するのであって、それはちょうど、公に演説する者にわれわれが密かに詩句や演説すべき事柄を教え込むのと同様である。いやむしろ、しばしば彼ら自身が語るのではなく、悪魔が彼らを通じて語るのであり、したがって彼らは悪魔に憑かれた者であるかのように見えるだけでなく、まさに真に悪魔に憑かれた者なのである。これが事実であることは、彼らが異端から健全な信仰と正気に立ち返るやいなや、悪魔に見捨てられ、直ちにそのような知識をすべて失うことから明らかである。

「混乱させよう」。ここで「混乱させる」(confundere)とは辱めるという意味ではなく、混ぜ合わせるという意味である。ちょうど葡萄酒に水が混ぜられると葡萄酒が「混乱させられる」(confunditur)のと同様であり、また夜鳴鶯(ナイチンゲール)の声にカササギやコクマルガラスの耳障りな声が混ぜ合わさると夜鳴鶯の声が「混乱させられる」のと同様である。これがヘブライ語のバラル(balal)が意味するところであり、これが語中音省略(クラシス)によりバル(bal)となり、さらに擬音法により文字ベートを重ねてバベル(babel)となる。ここからわれわれドイツ人は自国語のbabbelenを、またフランス人はbabillerを得たように思われる。

このようにして神はここで言語を混ぜ合わされた。すなわち、すべての人が知っていた一つのヘブライ語に代えて、各集団にそれぞれ固有の異なる言語を植え付けられたのである。こうして人々が会話すると、一人はギリシア語で、別の一人はラテン語で、第三の者はドイツ語で、第四の者はスラヴ語で語るということが起こった。これはまさに言語と声の大いなる混合・混乱であり、このことについては第9節で再び述べることとする。

第一に注意すべきは、この混乱において神は母語のみを創造し、それを人間に植え付けられたということである。他のすべての言語は後にこれらの母語から派生したのである。このようにヘブライ語はシリア語、カルデア語、アラビア語の母にして親であり、ラテン語はイタリア語、ワラキア語、フランス語、スペイン語の母であり、ギリシア語はドーリア方言、イオニア方言、アイオリス方言、アッティカ方言の母であり、スラヴ語はポーランド語、ボヘミア語、モスクワ語の母であり、ゲルマン語はスイス語、ザクセン語、英語、スコットランド語の母であり、タタール語はトルコ語、サルマティア語の母であり、アビシニア語はエチオピア語、サバ語等の母である、とジェネブラルドゥスは述べている。

第二に注意すべきは、神の前に人間の思いがいかに空しいかということである。この建設者たちは誰にも妨げられることはないと考えていた。神はこの愚かな思い上がりを笑い、実際にこう仰せになる。「軽い息吹でこの仕事を散らそう。攻城兵器は用いまい。ただ建設者たちの言語を混乱させるだけでよい。一人が煉瓦を求めれば、別の者が漆喰を差し出し、一人が鏝を求めれば、別の者が籠を手渡す。こうしてすべてを混乱で満たし、互いに嘲笑し合い、互いに怒り合って彼らが離散し、言語において混乱したように、心においても混乱し恥じて立ち去り、各自おのおのの地方に散らされるようにしよう」と。マリウス・ウィクトルが『創世記について』第三十巻においてこれを美しく描写している。

「聞くことのないようにしよう」――すなわち互いに理解し合えないようにするということであるが、個々の人間がそうなるのではなく(そうであれば人間の社会は一切成り立たなかったであろう)、個々の親族集団がそうなるのである。なぜなら言語は家族あるいは親族の数と同じだけ、すなわち55存在したのであり、私が第十章32節で述べた通りである。神はこのようにして彼らを分離し、全世界に散らそうと望まれたのである。

注意すべきは、建設者たちの高慢が言語の分裂を招いたのに対し、使徒たちの謙遜がペンテコステにおける言語の統一を得たことである。聖グレゴリウスが『福音書講話』第三十講話でそう述べている。

「われら降りてゆき」。こう問うであろう。すでに第5節で神は降りておられた。したがってここで再び降りるのは無意味ではないか、と。聖アウグスティヌスとペレリウスは、この節は要約(recapitulatio)であり、この節は第6節の前に置かれるべきであると答えている。しかし「それゆえ」(igitur)という語はこの解釈を支持しない。なぜならこの語は要約する者のものではなく、推論し議論を続ける者のものだからである。したがって私はこう答える。第5節で神は降りられたが、それは端緒的かつ部分的にのみであり、天からこの塔を遠くからご覧になるためであった。それゆえモーセはこう述べている。「主は都と塔とを見ようとして降りて来られた」と。しかしここで神はさらに先へ、シンアルの地まで降りられたのであり、すなわちその新たなご業により、そこで言語を混乱させるためであった。なぜなら神はこう仰せになるからである。「さあ、われら降りてゆこう」――見るためにではなく(塔はすでに見ておられたから)、「彼らの言葉を混乱させるために」、と。


第8節:かくして彼らを分けられた

互いに理解し合えないことを悟った彼らは退き、各集団がおのおのの地方に散らされたのであり、すでに述べた通りである。したがって罪に対するこの罰は人類にとって有益であった。プロスペルは『諸国民の召命について』第二巻第四章でこう述べている。「悪しき集まりの時宜を得た分散が、住むべき世界に住民を与えたのである」と。またカシアヌスは『講話』第四の第十二章でこう述べている。「高慢が正しく断罪されたことをわれわれが記憶するためである」と。聖アウグスティヌスは『神の国』第十六巻第四章でこう述べている。「人間に命ずる人間が理解されなくなったのは、命じたもう神に従い理解しようとしなかったためである」と。


第9節:その名はバベルと呼ばれた、全地の言葉がそこで混乱させられたゆえに

すなわち全人類の言語のことである。転義的解釈として、聖アウグスティヌスは『箴言集』第221において次のように述べている。「二つの愛が全世界に二つの都を造る。神への愛がエルサレムを造り、世俗への愛がバビロンを造る。それゆえ各人は自らを省み、いずれの都の市民であるかを見出すがよい。」

「その」――すなわち塔のではなく、都市の名であり、ヘブライ語本文と七十人訳から明らかである。したがって、建設者たちが言語の分裂によって混乱させられたその塔の建設にちなんで、都市全体がバベルと呼ばれ、その都市にちなんで全地方がバビロニア、すなわち「混乱」と呼ばれた。それゆえバベルはバビロンにおける最初の王にして神であったベルスからではなく、語根バラル(balal)、すなわち「彼は混乱させた」から名を得たのである。それゆえ七十人訳は「その名はシュンキュシス(synchysis)と呼ばれた、すなわち混乱」と訳している。この都市は(上述の通り)四百年後にセミラミスが驚嘆すべき規模と壮麗さで復興した。ただし彼女は塔をさらに高くすることはせず、美しく飾ってベルスの神殿の中に囲い込んだのである。

「そこで言葉が混乱させられたゆえに」――すなわちバベルの建設者たちがそこで互いにもはや理解し合えなくなり、恥辱により混乱させられたからである、とペレリウスは述べている。しかしヘブライ語のバラル(Balal)、すなわち「混乱させる」は、辱めるという意味ではなく、混ぜ合わせるという意味である。

第二に、フィロンは『言語の混乱について』という書において次のように説明している。すなわち、悪徳と不敬虔な者たちの結合体が、バベルにおいて神により混乱させられた。すなわち分裂によって引き裂かれたのであり、それが密集したまま徳と善き道徳を覆すことのないようにするためであった。なぜなら言語は「混乱した」とは言えず、完全に「分裂した」というべきだからである。フィロンはこう述べている。「モーセは神秘的に教えている。諸徳の調和が神によって培われるように、言語の混乱とは、悪徳と不敬虔な者たちの密集した楔形陣が分割され、すべての悪徳が唖で聾にされることであり、語ることによっても互いに同意することによっても害を及ぼさないようにするためである。」しかしこれは神秘的な意味であり、フィロンはこの解釈によって字義的意味を覆そうとしているように見える。

第三に、フィラストリウスは『異端について』の書の第百六章において、バベルで混乱・分裂させられたのは言語そのものではなく、言語の理解であったと考えている。なぜなら彼はバベルの塔の建設以前にすでに人間の言語は分裂していたと考えているからであり、私が第十章31節で述べた通りである。

しかし私はこう答える。「神は混乱させた」、ヘブライ語でバラル(Balal)、すなわち人間の言語を混ぜ合わされたのである――すなわち、すべての人間の一つの言語をさまざまな言語に分割し、それらを相互に、また人々の間で混ぜ合わされた。その結果、複数の者が同時に語ると、一つの声と言語ではなく、多くの者の多様で混乱した声と言語が聞こえるようになったのであり、それは私が第7節で述べた仕方においてである。

これに加えて次のことがある。原初の言語の要素、すなわち文字は、すべての民族とすべての言語において同一のまま残ったが、異なる仕方で組み合わされ配置が変えられた。これが混乱させ混ぜ合わせるということである。同様に多くの音節、いや語そのものも同一のまま残ったが、この言語ではある意味を、あの言語では別の意味を持つようになった。たとえばsusはラテン人にとっては豚を、ヘブライ人にとっては馬を、フランドル人にとっては沈黙を意味する。それゆえこれを説明してモーセは第7節でこう付け加えている。「聞くことのないように」、すなわち理解しないように、「おのおのその隣人の声を」と。さらに、他の言語には多くのヘブライ語の語句が混ぜ込まれている。たとえばsacすなわちsaccus(袋)、kerenすなわちcornu(角)はヘブライ人から借用されたものであり、ほとんどの民族と言語が今なおこれを保持し使用している。ポステッルスとアヴェナリウスはこのような例を非常に多く収集した。後者はそのヘブライ語辞典においてギリシア語のほぼすべての単語を、ある種の文字の転置・交換・混合を通じて、ヘブライ語から派生させている。同様にアドリアヌス・スクリエキウスは『起源論』および『蘇るヨーロッパ』において、ケルト語すなわちベルギー語の多くの語がヘブライ語から派生し、その語根すなわち語幹文字において一致していることを巧妙かつ精緻に示そうと努めている。そしてヨーロッパにおけるほぼすべての国民の固有名詞のベルギー語語源から、ケルト語すなわちベルギー語がヘブライ語の一方言に過ぎず、バベルにおいてヤフェトの子孫に最初に与えられたものであり、したがって古代のギリシア人、イタリア人、スペイン人(ここから彼らはケルティベリア人と呼ばれる、と彼は言う)、ガリア人、ブリトン人、およびすべてのヨーロッパ人がこれを用いたと証明しようとしている。しかしこれは信じがたく、証明することはさらに困難である。特にギリシア語とラテン語はきわめて優れ、洗練され、精巧であり、同時にきわめて古いことは、ギリシア語とラテン語の著作から明らかであり、したがってこれらの言語は言語の混乱の際に、ケルト語と同様に、ヤフェトのある子孫たちに神によって与えられたと思われる。しかしいかなる子孫にか、と問えば、ギリシアとラティウムに住んだ者たちにほかならない。したがって彼らはケルト語ではなく、ギリシア語とラテン語を話したのである。私はベルギー語がきわめて古く、バベルにおいて神により与えられた最初期の言語の一つであると信じる。さらにそれがヘブライ語から派生した、あるいはヘブライ語と類似・近似の語を少なからず有していることも認めよう。しかしそれがヘブライ語と方言においてのみ異なるに過ぎないと、両言語の不調和と相違を検討した者の誰が自らを納得させられようか。なぜならベルギー語がヘブライ語から隔たっているのは、ラテン語がギリシア語やヘブライ語から隔たっているのと同程度かそれ以上であるように思われるからである。

聖アウグスティヌスは(『神の国』第十八巻第三十九章)、オリゲネス、聖ヒエロニムス、トスタトゥス、カエタヌス、オレアステル、ジェネブラルドゥスその他の学者たちとともに、ヘベルとその子孫においてのみ、真の信仰・宗教・敬虔とともに原初のヘブライ語が保たれたと記している。他のすべての者においては、神はヘブライ語の獲得された習性を消し去られた(人間には、ヘブライ語を忘れたというよりもむしろ、かつてそれについて何も知らず聞いたこともなかったかのように、ヘブライ語のすべての記憶を失ったかのように思えた)。そして神は各国民にそれぞれ異なる固有の新しい言語の、すなわち別個の固有の言語の、新たできわめて即座に使える習性を植え付けられた。アブレンシス、ペレリウスその他がそう述べている。

ここから第二に、聖エピファニウスは『異端反駁論』の冒頭で、またスイダスは「セルグ」の項目で、このバベルの建設者たちがギリシア語でメロペス(meropes)、すなわち「声を分けられた者」と呼ばれたと考えている。なぜならメリゾー(merizo)は「私は分ける」と同義であり、オプス(ops)は「声」と同義だからである。ここから詩人たちによって、ユピテルを天から落とそうと試みた巨人族の一人もメロプスと名付けられ、コス島もそれにちなんでメロピスと呼ばれたと考えられている。もっともホメロスの注釈者は、人間がメロペスと呼ばれるのは明瞭で分節的な発話を用いるからであるとしている。あるいは他の者が言うように、各人が顔と同様にそれぞれ他のすべての人と異なる声を持つからであり、プリニウスはこの二つを人間における驚嘆すべき事柄としている。

最後に、これらの出来事は洪水後約百七十年頃に起こったのであり、私が第十章25節で述べた通りである。聖エピファニウスとシビュラ、またアビュデヌス(ヨセフスとエウセビウスの『福音の準備』第九巻最終章に引用されている)はさらに、神がこの塔を嵐と暴風で打ち倒し、建設者たち自身をその廃墟で押し潰されたと伝えている。


第10節:これらはセムの系図である

モーセはセムの系図のみを辿っており、しかもアブラハムに至る直系のみを辿っている。それは、ノアの他の子孫たちが、ノアの抵抗にもかかわらず、神から偶像に転じたからであり、またアブラハムからユダヤ人(モーセが本書をユダヤ人のために記しているのである)およびキリストが生まれたからである。

「セムは百歳であった。」したがってセムはノアの五百年目ではなく、五百二年目に生まれたのであり、私が第十章21節で述べた通りである。なぜなら、ここで正確な数字が明示されているからである。すなわち洪水の二年後にセムが百歳であったということであり、これは第五章32節では明示されていない。それゆえモーセは第五章よりもここにおいてセムの年数を精確に記録しているように思われる。


第12節:アルパクシャドはシェラを生んだ(カイナン問題)

ここでも歴代誌上1章18節および24節でも、ヘブライ語本文とカルデア語本文はそう読んでいる。しかし七十人訳はここでもそこでもカイナンを挿入している。すなわちこう読んでいる。「アルパクシャドはカイナンを生み、カイナンはシェラを生んだ。」聖ルカは七十人訳に従っており、その福音書第三章36節でそのようにしている。ここからリポマヌス、メルキオル・カヌス、デルリオその他の者たちは、このカイナンを必ず挿入すべきであり、他の者たちと同様にシェラを生む前に三十年を与えるべきであり、したがってこの三十年を年代記に挿入すべきであると考えている。

問われるであろう、ここではカイナンを省くモーセに従うべきか、それともカイナンを挿入する七十人訳に従うべきか、と。私は、モーセに原典の自筆写本として従うべきであると答える。なぜならモーセはここで世界の年代記と歴史との双方を辿っているからである。したがってモーセは七十人訳に従えばカイナンに与えるべき三十年を省略してはいなかったのである。なぜならそれは年代記における、いや歴史における重大な欠陥であり誤りであるからである。したがって、モーセがここで切り詰められていると言うことは、ルカがカイナンに関して余計であると言うことと、ほぼ同等の危険を伴う。あるいは聖書の本文がここで切断されていると言うことは、ルカにおいてカイナンに関して冗長であると言うことと同等の危険を伴う。なぜならいずれの場合も歴史と年代記の双方が等しく腐食され、偽りとなるからである。

第二に、ヘブライ語、カルデア語、およびラテン語の聖書は一貫して、ここでも歴代誌上第一章でも、カイナンを省いているからである。第三に、ヘブライ人、フィロン、ヨセフス、その他の古代の著者たちがカイナンを省いているからである。第四に、聖アウグスティヌスの『神の国』第十五巻第三章の原則が述べるところによれば、「翻訳が原典と一致しない場合、そこから翻訳がなされたその言語をより信頼すべきである」とある。したがってヘブライ語のモーセを七十人訳よりも信頼すべきである。

第五に、ここで七十人訳に誤りが紛れ込んだことは明らかである。第一に、ここで数字の明白な誤りが七十人訳に紛れ込んでおり、しかもこのカイナンそのものに関してである。なぜなら七十人訳はカイナンがシェラを生んだとき百三十歳であったとしているが、カイナンを認める者の中でさえ、彼に三十年以上を与える者は誰もいないからである。第二に、ローマで校訂され教皇シクストゥス五世の権威により出版された七十人訳の版は、歴代誌上第一章においてカイナンを抹消しているからである。なぜなら同書はアルパクシャドからアブラハムまでの系図の連鎖を次のように辿っている。「アルパクシャド、シェラ、エベル、ペレグ、レウ、セルグ、ナホル、テラ、アブラハム。」ここで彼らはウルガタ・ラテン語版の24節と明らかに一致している。もし歴代誌の書において、系図の連鎖においてローマの校訂に従って七十人訳からカイナンが抹消されるべきであるならば、同様に創世記第十一章においても七十人訳から抹消されるべきである。なぜなら同一の系図の連鎖が両箇所に記されているからである。この推論はまことに有力であり、創世記において七十人訳にカイナンが挿入されたのではないかという大きな疑いを抱かせる。

この疑いは次の事実によってさらに強まる。すなわち七十人訳の創世記において、カイナンに与えられている出産時の年齢と寿命の数字はシェラに与えられている数字とまったく同一であるが、他のすべての者においてはそれらは常に異なっている。したがってそれらの数字は七十人訳によってシェラのみに与えられたものであり、カイナンを挿入した何者かによって繰り返されたもののように思われる。

第三に、聖エピファニウスは『異端論駁』第五十三で、七十人訳に従ってアブラハムからセムに至る系図の連鎖を列挙しつつ、カイナンを省いている。したがってその当時の七十人訳にはカイナンは存在せず、後に紛れ込んだのである。同じことは聖ヒエロニムスの『創世記問題集』からも明らかであり、そこでは彼は絶対的にカイナンを省いている。すなわちこう読んでいる。「アルパクシャドはシェラを生み、シェラはエベルを生んだ。」しかし七十人訳がその当時カイナンを含んでいたなら、聖ヒエロニムスはそれを黙殺しなかったはずである。なぜなら彼はそこでもまた他の箇所でも、七十人訳がヘブライ語本文と異なるすべての点を入念に記しているからである。したがって聖ヒエロニムスと聖エピファニウスの時代には、カイナンはまだ七十人訳のより正確な写本には紛れ込んでいなかったのである。

問われるであろう、では誰がカイナンを七十人訳と聖ルカに挿入したのか、と。答えて言う。おそらくあるギリシア人の七十人訳の読者が、聖ルカにおいてカイナンを読み(ルカはヘブライ民族の記録文書からこれを取ったように思われる)、それを創世記に見出さなかったため、創世記にカイナンを書き加えたのであろう。そしてその後、他の写字生たちも同じことをしたのである。ペレリウスその他がそう述べている。これらは蓋然的でかつ広く共有された見解である。

聖アウグスティヌス(『神の国』第十五巻)、聖ヒエロニムス、トスタトゥス、カエタヌス、オレアステル、ジェネブラルドゥスその他は、ルカにおけるカイナンもまた真正であるかどうか疑わしく、おそらく何者かが創世記でカイナンを見出した後に、ルカにも書き加えたのであろうと教えている。

要するに私は、ここでの年代記はヘブライ語本文に準拠して確立されるべきであると考える。なぜなら七十人訳にあちこちでいくつかの誤りが紛れ込んだことはきわめて蓋然的であるにしても、歴史的・年代記的事項において七十人訳の権威を軽んじるべきではないというのは教会の恒常的かつ古い慣行だからである。

特に、ここではより大きな論拠がそれを強い、ほぼ必然的にそうさせるからである。なぜなら第一に、モーセはここでアルパクシャドがその年齢の三十五年目にシェラを生んだと明確かつ精確に述べている。しかし七十人訳からカイナンを挿入するならば、これは絶対に偽りとなる。なぜなら七十人訳によれば、カイナンがまさにアルパクシャドのその三十五年目に生まれたのだからである。しかしシェラはその三十年後にカイナンから生まれたのであり、アルパクシャドから生まれたのではない。なぜなら、シェラがアルパクシャドの三十五年目に、アルパクシャド自身においてではなくその父カイナンにおいて生まれたと一部の者が答えるのは、こじつけであり無理があり、年代記における虚偽と思われるからである。

第二に、モーセは慎重かつ専念して、そして彼のみが、ここで世界の歴史、系図、および年代記を記している。したがってモーセがカイナンの生涯の三十年を省略したとは信じがたいのである。なぜならその三十年は年代記全体を攪乱し損なうからである。モーセが年代記を三十年にわたって切り詰め、その結果として年代記を腐食させたと誰があえて言うであろうか。

第三に、モーセがカイナンを省略した蓋然的な理由を何一つ挙げることができない。なぜなら一部の者が持ち出す理由――すなわちモーセは洪水の前後の世代を二組の十にまとめようと望んだ――という理由は、ペレリウスが正しく述べるように、証明もできず、軽薄で無益であり、またモーセがそのためにあえて年代記を攪乱し混乱させるほどの重みを持つものでもないからである。

したがって、モーセの、また歴代誌およびウルガタ版の信頼性・完全性・年代記を擁護しようとするならば、たとえ不本意であっても、七十人訳にカイナンが紛れ込んだのだと主張せざるを得ない、と彼らは言う。なぜならこの誤りを、最も賢明な人々であった七十人訳者自身に帰するよりも、写字生と筆写者に帰する方がより穏当であり、危険と問題が少ないからである。それは聖アウグスティヌスが『神の国』第十五巻第十三章で、ここの七十人訳の数字に見られる誤りを同じ写字生たちに帰しているのと同様であり、そこで彼はまた、これが古い腐食であり、最も古い最初の筆写者たちによって犯されたものであるため、その後のすべての七十人訳の写本に浸透し、それらから直ちに聖ルカのすべての写本にも浸透したのだと述べている。

この見解にはペレリウスが誰よりも傾いている。同様にベダも(控えめにではあるが)、またアドも、イシドルス、アブレンシス、ルキドゥス、エウグビヌス、ジェネブラルドゥス、ヤンセニウス、カエタヌスもカイナンを省いている。実に、ルカ第三章36節のほとんどの注解者たちも事実上同意している。なぜなら彼らはシェラに関するかの箇所「それはカイナンの子であった」を次のように説明しているからである。「それは〔の子〕であった」とは、ルカにおける他の者たちのように実子ではなく、兄弟か、法律上の息子か、あるいはまさにその「カイナン」自身であったと。これらの説明は無理があるため、実際にはわれわれの見解を強化している。なぜならそれ以外に、思慮ある者を満足させるような堅固な説明や調停を与えることができないからであり、事実上カイナンを系図と年代記の連鎖から除いているのであって、それこそがわれわれがここで主張し要求している唯一の点だからである。なぜならわれわれにとっては、神聖にして神的な歴史家・年代記者としてのモーセの歴史と世界の年数の連鎖が完全かつ無傷に保たれることで十分だからであり、それ以外の年代記をわれわれは持たないのである。

こう言われるであろう。「したがってカイナンは七十人訳と聖ルカの本文から抹消されるべきであり、異端者たちが抹消しているように、カイナンは七十人訳者によって捏造されたと言うべきである」と。答えて言う。結論は否定する。第一に、ギリシア語とラテン語の写本はあらゆる箇所でカイナンを含んでいるからであり、したがってその抹消は多くの人を憤慨させるであろう。この理由からシクストゥス五世とクレメンス八世の命によりウルガタ版を校訂したローマの学者たちは、序文でこう述べている。「この広く流布した読みにおいて、あるものは故意に変更されたが、変更されるべきと思われた他のものは、民の感情を害することを避けるため故意にそのまま残された。聖ヒエロニムスはこのことを再三勧告した」等と。したがって学識ある人々が自らの注解においてこれらの事柄を注記するのがより良く、かつ十分なのである。また第二に、おそらくここには何か別の秘められた神的神秘が隠されており、神は人間がそれを知らないことを望まれたのかもしれないとベダが示唆しているからである。

注意すべきは、私が第五章でアダムからノアまでの系図について述べたように、七十人訳の数字は腐食されているのであり、同様にここでも腐食されているということである。なぜならここで七十人訳はアルパクシャドにも他の者たちにもそれぞれ百年を付加しているが、ヘブライ語本文とわれわれの版にはそれがないからである。したがって七十人訳のこのように腐食された数字に従えば、洪水からアブラムまでに千百七十二年が経過したことになるが、ヘブライ語の真実に従えばわずか二百九十二年が経過したに過ぎない。


第13節:アルパクシャドは三百三年生きた

ラテン語、ローマ版、王立版の聖書、およびカラッファ版によるギリシア語七十人訳はそう読んでいる。しかしヘブライ語本文、カルデア語本文、コンプルテンシス版と王立版の双方による七十人訳、および多くの古いラテン語聖書は四百三年と読んでおり、これはその時代の寿命とよりよく一致する。なぜならアルパクシャドの子孫であったシェラとエベルは四百年以上生きたからである。

注意すべきは、洪水の前には人間は九百年を生きたが、洪水の直後にはわずか四百年、そしてすぐに三百年しか生きなくなったということである。ここから明らかであるのは、先の人々のこのように長い寿命、すなわち九百年までの寿命は、自然の力や自然的原因によって彼らに訪れたのではなく、むしろ神の賜物によるのだということである。なぜなら最初の世代あるいは第二の世代において直ちに、人間の寿命が自然に五百年や六百年にまで減少することはあり得なかったからである。


第20節:セルグ

聖エピファニウスとスイダスは、彼を偶像、すなわち君主その他の著名な人々を表象し崇敬し崇拝するための絵画や彫像を造る技法の発明者としている。いわば偶像崇拝はその時に始まったかのように述べている。しかし偶像崇拝の創始者はニムロドすなわちベルスであったと私は先に述べた。したがってセルグはその創始者ではなく、自身の彫刻と絵画を通じてそれを広めた伝播者であった。スイダスはまたここで、セルグをヤフェトの子孫の中に位置づけるという誤りを犯している。


第26節:テラは七十歳に達し、アブラム、ナホル、ハランを生んだ

注意すべきは、テラの長子はハランであり、次男はナホル、三男はアブラムであるということである。したがってアブラムは末子であった。このことは明白である。なぜならアブラムはサラを妻としたが、彼女はハランの娘であり、アブラムよりわずか十歳年長であったにすぎない。しかしハランがサラを生んだとき、少なくとも二十歳であった。ゆえにハランはアブラムより少なくとも十歳年長であった。しかしながらアブラムは年少であるにもかかわらず兄弟たちより先に置かれている。なぜならモーセは以後、彼のみの系譜・信仰・業績を追おうとしているからである。

したがって意味はこうである。テラは七十歳まで生き、その時までにすでにハランとナホルを生んでいた。しかしアブラム自身はまさに七十歳の年に生んだのである。ペレリウスらもそう述べている。ゆえに、アブラムがテラの七十歳ではなく百三十歳の年に生まれたと考える者たちは誤りである。その論拠については第12章第4節で解決するであろう。なぜならここでは明示的な言葉で、テラが七十歳であったときにアブラムを生んだと述べられているからである。こうしてモーセはこのテラの七十歳を通じて年代学を継続しているのであり、もしアブラムが七十歳ではなく百三十歳の年に生まれていたとすれば、年代学は不確実かつ疑わしい、いや虚偽のものとなっていたであろう。

第二に注意すべきは、アブラムは洪水後二百九十二年に生まれたということである。そしてノアは洪水後三百五十年間生きたのであるから、ノアはアブラムの五十八歳の年に死んだことになる。したがってアブラムはノアに遡る九人の祖先すべてを目にしたのである。すなわち彼はテラ、ナホル、セルグ、レウ、ペレグ、エベル、シェラ、アルパクシャド、セム、そしてノアを見たのである。


第28節:カルデアのウル

そして彼らをカルデアのウルから導き出した。「ウル」はカルデアの都市であり、別名カミリネとも呼ばれた。エウセビオスの『福音の準備』第9巻第4章に引用されたエウポレモスの証言による。さて、カルデア人はヘブライ語およびカルデア語のカスディムに由来し、文字「s」が「l」に変化したものである。ちょうどオデュッセウスからウリュッセスが形成されたのと同様である。複数形のカスディムは単数形でカッサドとなるが、一部のヘブライ人たちはこれがアルパクシャドの短縮形であると考えている。なぜなら両方の名の最後の三文字は同一であり、ヘブライ人は母音を数えないからである。ゆえに彼らはカルデア人がセムの子アルパクシャドから出て、その名にちなんで呼ばれたと判断している。他方、カルデア人はアブラムの兄弟ナホルの子ケセドから出てその名を得たと考える者たちもいる。これについては第22章第21節を参照せよ。しかしこのケセドはより後の時代の人物であった。

注意すべきことがある。ウルはここでは「火」を意味する。ゆえにこの都市がウルと呼ばれたのは、聖なる火がそこで保持され崇拝されていたためであると思われる。なぜならペルシア人もまた聖なる火を神として崇拝しており、歴史家プロコピオスがその『ペルシア戦記』においてそうした場所をピュレイア(「拝火殿」)と呼んでいるからである。同様に、聖ヒエロニムスもカルデア人が火を崇拝していたと伝えている。したがってウルは火の崇拝にちなんで名づけられたと思われるのであり、ちょうどヘリオポリスが太陽の崇拝にちなんで名づけられたのと同様である。おそらくウルはプリニウスが『博物誌』第7巻第24章でユーフラテス川の近くに置いているウラムと同一であろう。

ここからまた、われわれの翻訳者はエズラ記下(ネヘミヤ記)第9章第7節において、ヘブライ語にあるウルを「火」と訳している。すなわちこう訳しているのである。「アブラハムを選び、カルデアの火(ヘブライ語ではウル)から導き出した神よ。」ここで注目すべきは、エズラが明らかにこの創世記の箇所に言及しているように見えることである。すなわち、ヘブライ語でウル、つまり「火」と呼ばれるカルデア人の都市からアブラムを導き出した神よ、と言っているかのようである。

ここから第二に、エズラにおける「火」は比喩的に受け取ることができ、苦難を意味するものとされうる。なぜなら聖書において火はその象徴であり、詩篇第16篇第3節、詩篇第65篇第12節から明らかである。ヨセフス、聖アウグスティヌス(『神の国』第16巻第13章)、その他の人々は、アブラムが火の崇拝を拒んだゆえにカルデア人から多くの苦難を受けたと教えている。

第二に、エズラにおける「火」は文字どおりに受け取ることもできる。なぜならヘブライ人の伝承によれば、アブラムはまさにこの理由のゆえに、エズラが述べているとおり、カルデア人によって文字どおり火の中に投げ込まれたが、神によって奇跡的にそこから救い出されたからである。聖ヒエロニムスはこの伝承を最初は批判しているものの、後にはこれを承認しており、教会もまた同様であるように見える。教会は臨終の者のために、神がアブラハムをウルすなわちカルデアの火から救い出したもうたように、死の苦悶と地獄の火からの解放を祈っているからである。

聖書もまた同じことを示唆している。聖書がアブラムのカルデアのウルからのこの導出と解放を、偉大にして驚くべきこととして讃えているからである。ヨセフス、フィロン、パウロ(ヘブライ人への手紙第11章)がこれに言及していないのも不思議ではない(ペレリウスが反論として挙げているが)。なぜなら彼らは聖書に記されていることのみをほぼ伝えているのであり、ヨセフスが自身について頻繁にそう述べているとおりである。モーセもまたこのことを沈黙のうちに過ごしたのは、アブラムの召命に至るまでの、アダムその他すべての者の業績を簡潔に要約しているからである。なぜなら洪水以前の千六百五十六年間におけるアダム、セト、エノシュ、メトシェラその他の者たちの行為について、創世記に何が記されているであろうか。しかしながら、この伝承にはヘブライ人によっていくつかの虚構的な付随事情が混入されていることに注意すべきである。たとえば、アブラハムの兄弟ハランが同じ火に投げ込まれてそれに焼き尽くされたとするもの――アブラムほどの大きな信仰を持たなかったゆえに――がそうであるが、モーセは第28節でハランが自然死したことを十分に示している。また、ニムロドが偶像崇拝者であったアブラハムの父テラの強い勧めによってアブラハムを火に投じたとするものもある。しかしニムロド、すなわちベルスはアブラムより先に死んでいる。なぜならアブラムは、父ベルスの死後にその後を継いだニヌスの治世第四十三年に生まれたのであり、第10章で述べたとおりである。

第三に、「ウルから」とは、すなわちカルデア人の(誤謬と偶像崇拝の)「教え」からと訳すこともできる。なぜならわれわれの翻訳者は出エジプト記第28章第31節その他の箇所でウリムを「教え」と訳しているからである。


第29節:ハランの娘ミルカ、ミルカの父にしてイスカの父

アブレンシスおよび他の大多数の者たちは、このイスカがサラであると考えている。なぜなら、ハランの長女すなわちミルカがその叔父ナホルに嫁いだように、次女すなわちイスカあるいはサラもまたその叔父アブラムに嫁いだからである。モーセはこの節でそれを暗示しており、さらに明瞭には第20章第12節において、アブラムがサラを自分の姉妹、すなわち兄弟ハランを通じての姪と呼んでいる。サラがアブラハムの兄弟ナホルを通じての姪ではなかったことは、モーセがここでアブラムとナホルが同時に妻を娶ったと記していることから十分に示されている。

この章から世界の年代学が導き出される。すなわち洪水の終わりからアブラムまで二百九十二年が経過したということである。これは明白である。なぜなら洪水後二年にしてセムがアルパクシャドを生み、アルパクシャドは三十五歳のときにシェラを生み、シェラは三十歳でエベルを生み、エベルは三十四歳でペレグを生み、ペレグは三十歳でレウを生み、レウは三十二歳でセルグを生み、セルグは三十歳でナホルを生み、ナホルは二十九歳でテラを生み、テラは七十歳でアブラムを生んだからである。合計は二百九十二年である。したがってアブラムは洪水後二百九十二年に生まれたのであり、それは世界の千九百四十九年目であった。


第31節:テラはその子アブラムを連れて

すなわち、アブラムが次の章の第1節において神によってカルデアのウルから召された後のことである。したがってここには先取法すなわち予述がある。なぜならモーセはアブラムの業績を述べ始める前に、その父テラがまだ存命中にアブラムが行ったことも含めて、テラの生涯と死をここでまとめて織り上げようとしたからである。

注意すべきは、ある者たちは聖ヨハネ・クリソストモスとともに、テラはカルデアにおいて当初偶像を崇拝していたが、その子アブラムによって回心させられ、偶像を捨てて真の神を崇拝するようになったと考えていることである。彼らはこれをユディト記第5章第8節から証明しようとする。しかしその箇所はむしろ反対のことを主張しており、すなわちテラが父祖伝来の偶像を崇拝することを拒んだと述べている。彼らはさらにヨシュア記第24章第2節からも同じことを証明しようとする。

この箇所から、アブラムもまた当初、神に召される前には偶像を崇拝していたと推論する者たちがいる。フィロンの著書『アブラハムについて』、ヘブライ人たち、ジェネブラルドゥス、およびヨシュア記第24章の注釈を記したアンドレアス・マシウスがそうである。しかしより正しい見解は、第一に、アブラムは決して偶像を崇拝しなかったということである。第一の理由は、ヨシュア記第24章第2節において、アブラムではなくテラとナホルのみが異なる神々に仕えたと述べられているからである。第二に、アブラムは聖書においてわれわれに信仰者の父また信仰の模範として示されているからであり、したがって彼は決して不信仰ではなかったのである。第三に、ヨセフス、スイダス、ペレリウス、デルリオ、その他極めて多くの者たちがそう考えているからである。

第二に、より正しい見解は、テラはカルデアにおいて偶像を崇拝せず、アブラムとともに真の神を崇拝していたということである。そしてカルデア人から迫害を受けた際、アブラムの勧告と召しに従って、そこを去ってカナンに移住したのである。しかしテラはすでに疲労と老齢によって衰弱していたため、旅の途中で力尽きて立ち止まった。すなわちメソポタミアの都市ハラン、一般にカルラエと呼ばれる場所においてであり、そこではローマの将軍マルクス・クラッススがパルティア人によって敗北を喫した。

第三に、より正しい見解は、テラはメソポタミアにおいて、すなわちハランにおいて偶像崇拝に陥ったということである。それはその民族の慣習によるものか、あるいはカルデアから来たその子ナホル(偶像崇拝者)の到来によるものか、あるいはアブラム自身がハランからカナンへ旅立った際のその離別と不在によるものであった。このことはヨシュア記第24章第2節から明らかであり、そこにはこう述べられている。「汝らの父祖たちは昔からかの河の向こうに住んでいた。すなわちアブラハムの父テラとナホルであり、彼らは異なる神々に仕えた。」かの河の向こうとは、メソポタミアにおけるユーフラテス川の向こうであり、カルデアにおいてではない。聖アウグスティヌスとトスタトゥスに基づくペレリウスもそう述べている。