コルネリウス・ア・ラピデ(イエズス会)

聖書への序文と賛辞

(Prooemium et Encomium Sacrae Scripturae)


第一部

聖書の起源、尊厳、対象、必要性、実り、広がり、難解さ、範例、方法、および構成について。

かの有名なエジプトの神学者、モーセとほぼ同時代の人物であるメルクリウス――異教徒の評価によりトリスメギストス(三重に偉大なる者)と呼ばれた人物――は、いかなる方法によってこの宇宙を最もふさわしく描写しうるかを長く自ら熟考した末に、ついにこう発した。「宇宙とは神性の書物であり、この薄暮の世は神なるものの鏡である」と。まことに、彼はこの書物から長き瞑想を通じて自らの神学を学んだのである。「天は神の栄光を物語り、大空はその御手の業を告げ知らせる」と。また、「被造物の美しさと偉大さから、その造り主を見ることができ、その永遠にして目に見えぬ力と神性をも見ることができる」と。かくして天の大いなる書板において、元素の頁において、時の巻物において、洞察力ある目をもって、神の教えの教義をいわば公然と読むことができるのである。すなわち、世界の始まりそのものから、無からの創造の営みから、その造り主の全能なる力と働きを量り知り、かくも多様にして不協和でありながら美しく調和する被造物の和合から、その恵み深き深淵を量り、あの広大なる一切の霊、物体、運動、時間の包含から、造り主の永遠と無限を推し量り、ある程度これを見通すのである。かくしてそれらの重さ、数、度量から、この偉大なる建築家の最も知恵ある摂理と、その中にあるあらゆる自然の数多くの驚くべき調和と理念を讃嘆し仰ぎ見ることができるのであって、その調和と理念は初めからこの宇宙の各部分を固定された不動の度量によって、自らにおいても他のいかなる対応する部分に対しても最も友好的に結び合わせ、この友好の絆を絶えざる影響力によって不断に保ち守り、それらが確固たる信をもって調和しつつ交代するようにしたのである。永遠の知恵自らがこれを公に宣言して、箴言八章二十二節にこう語っている。「天を整えたもうたとき、わたしはそこにいた。深淵を確かなる法と円をもって囲いたもうたとき、上方に大空を堅く据え、水の源を量りたもうたとき、海にその境界を置き、水がその限界を越えぬように法を定めたもうたとき、大地の基を据えたもうたとき、わたしは御傍にあって万事を整えていた」と。あたかもこの構成の中に自らの確かなしるしを刻みつけたことを示すかのように。

2. しかしまことに、この美しき小宇宙が、その造り主によって形作られた原型――すなわち聖なる神の力と、至高なる神性の被造ならざる天球――を開示し、目の前に置くとはいえ、この書物は多くの点で不完全であり、ただ初歩的な要素を、すなわち、爪からして獅子を見分けるがごとき痕跡を提供するに過ぎず、その著者の明瞭にして完全なる描写を示すものではない。さらに、自然の文字のみで書かれているため、自然の境界を超えるもの――すなわち、聖三位一体の天と、生死を通じて全力をもって追い求めるわれわれの永遠の善へと導くもの――については何も述べていないのである。

3. そこで、神の無限なる善性は――すなわち最も知恵ある書記が、速やかにそして驚くべき謙遜をもって書きつつ――別の筆を用い、われわれの前に別の書板を置き、まったく異なる自らの文字を描くことをよしとされた。それは何らかの無言の似像ではなく、目に向けてはっきりとした言葉を、耳には音を、心には意味を、そして神なるものの生ける像を植えつけるものであって、それによって自らと天の知性と一切の被造物と、善く幸いに生きるためにわれわれを手引きするすべてを、慈愛深くかつ知恵深く、このうえなく明瞭に描かれたのである。これに驚嘆したわれらのモーセは、イスラエルに神の律法を授けんとして、申命記四章七節にこう叫んでいる。「見よ、知恵ある聡明なる民、偉大なる国よ。神々がこれほど近くにおられる国がほかにあろうか。いったいどの国がこれほど名高く、祭儀と正しき裁きと、今日わたしがあなたがたの目の前に示す律法の全体を持っているであろうか」と。

まことに、聖書の聖なる書物を――すなわち、神からわれわれに宛てて書かれたまさにその書簡を、神の意志の疑いなき証人を――常に手元に持ち、繰り返し読み、幾度も繰り返し開くことは、なんと驚くべきことであろうか。三脚台の上のアポロンではなく、古き契約の箱とケルビムからよりもはるかに明瞭に、はるかに確実に語りたもう神御自身の声を聞くことのできる家庭の神託が与えられていることは、なんと甘美であり、なんと敬虔であり、なんと救いに満ちたことであろうか。

聖カルロ・ボッロメオが聖書を、あたかも神の神託であるかのように、頭を覆わず、膝を屈めて、敬虔に読む習わしであったのは、まさにこのことを思ってのことであった。

このゆえに、かつて教会には二つの聖所が後陣の右側と左側に設けられていた。その一方には聖体が保管され、他方には聖書の聖なる書巻が置かれていた。そこで聖パウリヌスは(彼自身がセウェルスへの第四十二書簡で証言するように)自らが建てたノラの教会において、右側に次の詩句を刻むよう命じた。

ここは畏るべき宝庫にして、ここに
聖なる奉仕の豊かなる荘厳が安置される。

そして左側にはこの詩句を刻ませた。

律法を黙想する聖なる望みに捉えられし者あらば、
ここに座して聖なる書物に心を向けよ。

かくして今日もなおユダヤ人たちは会堂において、モーセの律法を神託として、われわれが聖体を安置するのと同様に、幕屋の中に荘厳に納め、公に示している。彼らは手を洗わずに聖書に触れぬよう注意し、聖書を開閉するたびにこれに口づけし、聖書が置かれている長椅子には座らず、もし聖書が地に落ちれば丸一日断食する。この事実はキリスト教徒の一部がこれらのことをより無頓着に扱っていることを一層驚くべきものとするのである。

聖グレゴリウスは第四巻書簡八十四において、医師であるにもかかわらず聖書を怠慢に読んでいたテオドロスを叱責している。「天の皇帝、天使と人間の主は、あなたの命のためにその書簡をあなたに送られた。しかるにあなたはそれを熱心に読むことを怠っている。聖書とは、全能なる神がその被造物に宛てた一種の書簡にほかならぬではないか」と。そこでわたしは聖なる文書について、第一にその卓越性、必要性、実りについて、第二にその素材と広がりについて、第三にその難解さについて、いくぶん詳しく論じ、第四にこの問題についての教父たちの見解と範例を引き、第五にいかなる心の準備といかなる努力をもってこの学問に取り組むべきかを示すこととする。


第一章:聖書の卓越性、必要性、および実り

一、哲学者たちは、論証と学問の諸原理を、それらの学問と論証そのものに先立って知っておかねばならぬと教えている。なぜなら学問には、他のあらゆる事物と同様に、秩序があるからである。あらゆる真理は、第一の真理であって万人に明白であるか、あるいは第一の真理からある確かな水路を通じて流れ出るかのいずれかであって、もしこの水路を断ち切れば、泉の水路を切断するがごとく、そこから生じるすべての真理の細流を絶やすこととなる。さて聖書は神学のすべての始まりを包含している。神学とは、信仰によって確実な諸原理から導かれる結論の学にほかならず、したがってすべての学問の中で最も荘厳であり、最も確実でもある。しかるに信仰の諸原理と信仰そのものは聖書の中に含まれている。ゆえに聖書が神学の基礎を据えていることは明白であり、神学者はそこから理性の推論によって、母が子を産むがごとく、新たな論証を生み出し、もたらすのである。したがって、聖書から離れてスコラ神学を真摯な注解によって分離しうると考える者は、母なき子、基礎なき家、そして宙に浮いた大地を想像しているに等しい。

これを見抜いたのがかの神的なるディオニュシオスであった。古代全体が彼を神学者の頂点にして「天の鳥」(πετεινὸν τοῦ οὐρανοῦ)と仰いだ人物であり、神と天上の事柄について論じるにあたり、あらゆる箇所で聖書を原理かつ輝かしい松明として、これに支えられて歩む旨を表明している。すべてを代表する一例として、『神名論』の冒頭、第一章において、彼はおよそ次のように序言を述べている。「いかなる理由によっても、超実体的にして最も秘められたる神性について、聖なる神託がわれわれに伝えたもの以外のことを語り、あるいは考えることは許されない。なぜなら、かの無知(すなわち神の秘義)の至高にして神的なる認識は神性そのものに帰せらるべきであり、神の言葉の光が自らを浸透させることを良しとされる限りにおいてのみ、より高きものへと向かうことが許されるのであって、他のものは言い難きものとして清き沈黙をもって敬うべきである。たとえば、根源的にして泉なる神性は御父であり、御子と聖霊は、いわば実り豊かなる神性から神的に植えられた芽であり、超実体的なる光にして花であることを、われわれは聖書から受け取ったのである。かの精神はすべての実体にとって近づきがたいものであるが、そこから、御旨のままに手を差し伸べて、聖なる文書によってわれわれはかの至高の輝きを汲むべく高く引き上げられ、そこから神の賛歌へと導かれ、聖なる頌栄へと形作られるのである」と。さらに『神秘神学』において、象徴を用いず否定によって被造物すべてを超越して超実体的なる隠されたもの、神の暗闇に至る霊的・神秘的神学は狭く圧縮されて、ついには沈黙に至ると教えている。しかし象徴的神学は、聖書においてわれわれの言葉にまで降りてこられた神が、感覚的な像をわれわれに示すものであって、ふさわしい広がりへと拡張される。この理由から聖バルトロマイは、神学はこの上なく大きくもあり、この上なく小さくもあると、また福音は広大にして偉大であり、また簡潔であると語るのを常としたのである。すなわち神秘的に、上昇することによれば小にして簡潔であり、象徴的に、下降することによれば大にして広大であると。

まことに、もし象徴的なるものを奪われ、聖なる書物の中に神が自らと自らの属性の像をまったく与えられなかったとしたら、われわれの神学はいかに言葉を失い、いかに沈黙したことであろうか。もし聖書が聖三位一体――唯一にして同じ一性と本質――について沈黙していたならば、関係、起源、生成、発出、標識、位格、御言葉、像、愛、賜物、能力、および標識的行為、その他すべてについて、かくも広大なる主題に関して、スコラ学者たちの間に深くして永久なる沈黙が支配しなかったであろうか。もし神の神託がわれわれの至福を神の直観に置かなかったとしたら、神学者の誰が、これを望むことはおろか、遠くからその香りを嗅ぐことすらできたであろうか。もし聖なる預言者たちと新約の著者たちが、信仰、希望、宗教、殉教、童貞、および自然を超える神的な徳の連鎖のすべてを秘め隠していたならば、誰がこれらを才知によって、誰が望みと意志によって追い求めたであろうか。まことに、これらのことは古の賢者たちには隠されていたのであって、彼らは驚異的にして奇跡にも近い崇高なる知性の力を備えていたにもかかわらず、知り得なかった。プラトンの学園はこれらを知らず、ここにおいてピタゴラスの学派はすべて沈黙し、ここにおいてソクラテス、ピマンデル、アナクサゴラス、タレス、アリストテレスは幼子にすぎない。わたしは、神の文書が自然に近しき諸徳について、理性を備えた限りでの人間にふさわしき法と義務について、それに対立する悪徳について、そして道徳哲学の全領域について、いかなる倫理学よりも明瞭にかつ確実に論じていることを省略する。ゆえに哲学、あるいは倫理学に対するキケロの賞讃はただ聖書にのみ最もふさわしく当てはまり、聖書こそまさに「生の光、道徳の師、魂の薬、善き生の規範、正義の養い親、宗教の松明」と呼ばれるにふさわしいのである。

聖ユスティヌス哲学者・殉教者は、これを学び、自らの大いなる益となるまでに体験した。彼自身がトリュフォンとの対話の冒頭で証言するように、哲学と、神へと導くまことの知恵に渇望して、諸哲学派のうちより著名なるものを、過ちのオデュッセイアとでもいうべき驚くべき巡歴をもって虚しく彷徨い歩き、ついに聖なる文書のキリスト教倫理において、唯一の堅固なる地として安息を見いだしたのである。まず彼はあるストア派の人物に弟子入りしたが、そこでは神について何も聞けなかったため、逍遙学派の師を選んだ。しかしその者が知恵を金銭で売買しているのを軽蔑して、ピタゴラス派に転じた。しかし天文学も幾何学も修めていなかったため(その師はこれらの学問を至福の生の前提として要求した)、ここからプラトン派へと転落し、すべてから空虚にして儚い知恵の望みに欺かれた。ついに思いがけず、ある神的なる哲学者に――それが人間であったか天使であったかは定かでないが――出会い、その人物は直ちに、一切の循環的学問を捨ててて預言者たちの書を読むよう勧めた。預言者たちの権威はいかなる論証よりも大きく、その知恵はこの上なく有益であるから、この書物に知識への全き渇望を注ぎ込むべきであると。かの人物は去り、それ以後二度と姿を見せなかったが、この聖なる学問と神の書物を読むことへの燃えるような望みがユスティヌスの内に注ぎ込まれたため、彼は直ちに他のすべての学問に別れを告げ、ただこの一つのみを最も熱心に追い求め、最も堅固に従ったのであって、その実りはかくも豊かにして、それがわれわれにユスティヌスをキリスト者として、哲学者として、殉教者として生み出したのである。もしわれわれが神と敬虔のまことの意味を、キリスト教的道徳を、聖なる生活の霊を汲み取り、吸収することを切に望むならば、この神的なる哲学者の同じ忠告に従うことは大いに価値あることである。

なぜなら、聖なる文書は自分のためではなく、ただ他者のために学ぶべきもの、すなわち教師や説教者として振る舞うためのものにすぎないという意見は、多くの人々の精神の鋭さを眩ませる欺瞞的なものだからである。すなわち、他者のために求める善から自分自身を欺き、雇い人のごとくかくも高貴なる宝を自分のためではなく他者のために掘り出し、あるいは採掘するというのである。しかし神の言葉そのものはそのようには考えない。「われわれには」と、福者ペトロは第一書簡一章十九節で言う、「いっそう確かなる預言の言葉がある。あなたがたはこれに、暗き所に輝く灯火のように注意を向けてよい。やがて夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るまで」と。ゆえにまずあなた自身がこの松明に向かい、これに従うことがふさわしいのであって、そうすればあなたの心の中に昇った明けの明星が、次いで他の人々を照らすこととなるのである。

王なる詩篇作者は、神の言葉を他者に注ぎ出す者ではなく、その律法を昼も夜も黙想する者を幸いと呼んでいる。このような者は水の流れのほとりに植えられた木のように、時が来れば実を結ぶと言う。神がこの目的のために、とりわけ聖なる書物をわれわれのために書かれることを望み、その言葉をわれわれの足の灯火とし、われわれの道を照らす光として差し出されたのは、われわれがこの最も輝かしい喜びの園――アルキノオスの園にも勝る――の中を歩みつつ、天上の実りの最も楽しき眺めに養われ、その味わいを楽しむためである。そしてまことに、楽園において、木や花の緑なす若枝の間、あるいは林檎の輝く表面の間を通り過ぎる者が、少なくともその香りと色によって癒されずにはいられないように、また日の光の中を、たとい散策のためであっても歩く者が、やがて暖まり赤みを帯びるのを見るように、神の文書を敬虔に、たゆまず読み、聞き、学ぶ者たちの心、感覚、思慮、望み、品性は、いわば神性のある色合いに染められ、聖なる情動によって燃え上がらずにはいられないのである。

なぜなら、主の言葉が貞潔であり、火で精錬された銀のごとくであるのを聞き、これほど多くの賛辞をもって讃え、かくも大いなる報いをもって勧めているとき、誰が心の清き純潔を纏わずにいられようか。愛に燃えるパウロが至る所で神の愛の炎の火を放つのを聞くとき、愛徳によって温まらぬほど冷たき心があろうか。聖書の中に天上の善を読むとき、この地上の卑しき善を蔑み厭わずにいられるほどの心があろうか。天の住人のこの希望をもって、人間の身体にありながら天上の生を模倣し、人間にして天使として生きることを望まぬ者があろうか。かくも甘美にかつ力強く剛毅と堅忍を響かせるこれら聖なるラッパの音を、耳と心を澄まして受け取るとき、信仰と敬虔のために、たとい最も激しき不幸の大波に対しても、雄々しく胸を固め、傷を通じて美しき死を求めぬ者があろうか。まさにかくのごとく、マカバイの人々は、マカバイ記上十二章九節において、聖なる書物のみを慰めとして持ちながら、征服されぬ徳をもって、すべての敵に不可侵であると誇っている。そして使徒は、あらゆる苦難と試練に信徒を武装させて、ローマ書十五章四節にこう言っている。「かつて書かれたことは、すべてわたしたちの教えのために書かれたのであり、聖書の忍耐と慰めとによって、わたしたちが希望を持つためである」と。まことに、神の言葉が隠れた力をもって読む者に吹き込む、いかなる生命の霊があるのか、わたしには計り知れない。もしこれを最も学識深く最も聖なる人々の、いかに情熱的な著作と比べたとしても、人間の著作は死んだもの、神の言葉は生きたもの、命を吹き込むものと判ずるであろう。

福音のただ一つの声が――「もし完全になりたいのであれば、行って、持ち物をすべて売り払い、貧しい人々に施しなさい」――かの偉大なるアントニオスを、当時まだ若く、高貴さと富で名高き人物を、福音的清貧へのかくも大いなる愛で燃え上がらせることができたのであって、彼は直ちに、盲目なる人間たちがかくも貪欲に求めるあらゆる財産を脱ぎ捨て、修道の誓願によって地上にあって天上の生を抱いたのである。聖アタナシウスがその伝記に記すとおりである。聖書は、当時市中の傲慢なる修辞学者であったヴィクトリヌスを、異教的迷信と高慢からキリスト教の信仰と謙遜へと転向させることができた。パウロの書簡を読むことは、異端者アウグスティヌスを正統派に加えるのみならず、日々の汚らわしき肉欲の深淵から引き上げ、節制と貞潔へ――婚姻のそれではなく、修道の、完全に独身にして清浄なるそれへと――駆り立て、導くことができたのである。『告白』第八巻十一章、第七巻二十一章を見よ。福音のただ一つの朗読が――「心の貧しき者は幸いである、天の国はその人たちのものである。悲しむ者は幸いである、その人たちは慰められる」――柱頭行者シメオンをたちまち回心させ、かくも遠くにまで進ませることができた。すなわち、八十年の間絶え間なく柱の上に片足で立ち続け、昼も夜も祈りに専心し、ほとんど食物も眠りもなく生き、世界の驚異となり、人間というよりも肉体に降りた天使とさえ見えたのである。では、なぜわれわれは聖書をかくもしばしば読みながら、このような熱情を、このような生の変容を感じないのかと問うであろう。それは、われわれが聖書をうわべだけ欠伸をしながら読んでいるからであって、テオドレトスの『フィロテオス』に登場する聖マルキアヌスの言葉をもっともなこととして引用できるのである。司教たちから救いの言葉を語るよう求められたとき、彼はこう答えた。「神は日ごとに被造物を通じて、また聖書を通じてわれわれに語りかけておられる。しかるにわれわれはこれからわずかの益しか得ていない。ならばわたしが語ってどうしてあなたがたの益となろう。わたしも他の者とともにこの益を逸しているのだから」と。

かつて、すべての預言者の中で最も神秘的なるエゼキエルは、主の家の敷居の下から流れ出る大いなる川を見たが、それを渡ることができなかった。「なぜなら深き急流の水が膨れ上がり」と彼は言う、「徒渉することができなかったからである。わたしが向き直ると、見よ、急流の両岸にはおびただしく多くの木があった」と。これらの木は何であったか。すべての聖人たちにほかならない。旧約の聖人も新約の聖人も、律法の聖人も福音の聖人も、福音書記者たち、使徒たち、預言者たちの流れのほとりに座して、最も美しき木々のように常に緑を保ち、あらゆる種類の実りの快く甘美なる豊かさに溢れているのである。なぜなら同じ川が両岸を養い潤すからである。同じ、すなわち聖霊、聖書の著者が、異なる時代を通じて向かう唯一にして同じ聖書を織り上げ、新約においても旧約においても、すべての敬虔なる者に生命の樹液を注ぎ込まれたのであって、われわれがそれを汲み取ろうとしさえすればよいのである。


第二章:聖書の対象と広がり

二、さて、これらの問題をより高き原理から取り上げるために、聖書の主題が何であり、いかに大いなるものであるか、その素材は何であるかを見よう。一言で述べれば、聖書はその対象として認識しうるすべてのものを有し、すべての学問と知りうるすべてのものをその懐に包含する。ゆえに聖書はいわば諸学問の総合体であり、すべての学問を形相的にか、あるいは卓越的に含んでいるのである。オリゲネスは聖ヨハネ第一章の注解において、こう述べている。「聖書は叡知的世界であり、四つの部分――四つの元素のごとく――から構成される。その大地は中心のごとく、すなわち歴史である。この歴史のまわりに、水の類似によって、道徳的理解の深淵が注がれる。歴史と倫理というこの世界の二つの部分のまわりに、自然科学の空気が旋回する。しかしすべての外にそしてすべての上に、至高天のあの天上的にして火のごとき熱情、すなわち神学と名づけられる神の本性の高き観想が、球をなして取り巻いている。」これがオリゲネスの言である。ここから再び、歴史的意味を大地に、転義的意味を水に適合させるように、寓意的意味を空気に、神秘的意味を火と天空に正しく適合させることができる。

しかしわたしはさらに主張する。聖書は、神秘的意味のみならず、第一の位置を占め何よりも追求されるべき字義的意味においてのみでも、すべての学問と認識しうるすべてのものを包含すると。

これを論証するために、わたしは事物の三重の秩序を設定する。哲学者と神学者はすべての事物をこの秩序に帰する。第一は自然の秩序、すなわち自然的事物の秩序であり、第二は超自然的なるものと恩寵の秩序であり、第三は神の本質とその属性――本質的属性と標識的属性――の秩序である。第一の自然の秩序は物理学と他の自然哲学の諸学科が探究する。第二と第三は、この世においては信仰と神学に属する啓示された教理が、来世においては聖人と天使を至福ならしめる神性の直観が探究する。さて、聖書が自然的事物の第一の秩序をも論じていることを、聖トマスは『神学大全』のまさに冒頭で教えている。第一問題第一項において、哲学的諸学科のほかに別の教えが必要であるか否かを問い、二重の結論をもって答えている。前者は、「哲学的諸学科のほかに、神により啓示されたある教えが人間の救いのために必要である」というもので、すなわち人間の知性と自然の力を超える事柄を認識するためである。後者は、「同じ啓示された教えは、自然の光によって哲学を通じて探究しうる事柄においてもまた必要である」と。その理由として彼はこう付け加える。この真理は哲学を通じては少数の者によって、長い時間をかけて、しかも多くの誤謬の混入を伴って獲得されるからであり、したがって啓示された教えが必要であって、それが哲学を導き、正し、容易に確実にすべての人々に伝えるのであると。

輝かしき範例を示すのが、哲学者たちの頂点であるプラトンとアリストテレスである。彼らは卓越した才能によって多くのことを達成したが、また多くのことをかくも曖昧に、かくも晦渋に残したため、ギリシア、ラテン、アラブの注釈者たちの勤勉が、これを解明するために何世紀にもわたって苦闘したのである。わたしは誤謬と虚構については省略する。「されどあなたの律法はそうではない」。この真にして堅固なる知恵は「カナンにおいて聞かれたこともなく、テマンにおいて見られたこともない」とバルク三章二十二節は言う。「地の知恵を求めるハガルの子らも、メッラとテマンの商人たちも、物語を語る者たちも、知恵と理解を追い求める者たちも、知恵の道を知らず、その道筋を記憶していなかった。しかし、すべてを知りたもう方はこれを知りたもう。永遠の時の中に地を備え、光を遣わされるとそれは進み行く方、この方こそわれらの神である。この方はすべての学問の道を見いだし、それをその僕ヤコブに、その愛するイスラエルに与えたもうた。その後」すなわちこの学問を余すところなく教えるために、「地上に姿を現し、人々と交わられた」のである。

それでは物理学、倫理学、形而上学が聖書のどこで教えられているかと問うであろう。物理学は、原初的な形態においてその起源から、創世記において、コヘレトの書において、ヨブ記において伝えられていると答える。倫理学は、箴言、知恵の書、シラ書において最も簡潔な格言と箴言をもって教えられている。形而上学は、特にヨブ記と詩篇において、賛歌を通じて神の力、知恵、無限が、さらにその業――すなわち天使たちやその他のあらゆるもの――が讃えられている。歴史学と年代学は、世界のまさに始まりからキリストの時代近くまで、創世記、出エジプト記、ヨシュア記、士師記、列王記、エズラ記、マカバイ記からよりも確実で、楽しく、多彩なものを、他のどこにも求めることはできない。聖書が詭弁を非難し、堅実な論証と論理学を用いていることを、聖アウグスティヌスは『キリスト教教養論』第二巻三十一章で教えている。数から得られる数学について、同じ著者が『キリスト教教養論』第三巻三十五章で教えている。幾何学は、幕屋と神殿の――ソロモンの神殿およびエゼキエルにおけるあのかくも驚くべき寸法で計られた神殿の――建築に明らかである。ゆえに聖アウグスティヌスが『キリスト教教養論』第二巻の末尾で次のように述べたのは、まことに正当であった。「ヘブライの民がエジプトから持ち出した金銀と衣服の量が、後にエルサレムにおいて、とりわけソロモンのもとで獲得した富に比べて小さいのと同様に、異教徒の書物から集められたすべての学問は、たとい有用なものであっても、聖書の学問と比較すれば取るに足りない。なぜなら、人が他所で学んだものが有害であるならば、そこで(聖書において)それは断罪されるからであり、他所で有益に学んだすべてのものをそこに見いだすとき、他のどこにもまったく存在せず、ただそれらの聖書の驚くべき高さと驚くべき謙遜においてのみ学ばれるものを、はるかに豊かにそこに見いだすであろう」と。

なぜなら、すべての自由学芸、すべての言語、すべての学問と技術は――それぞれ一定の限界の中に収められているが――聖書に、女主人にして女王に対するがごとく仕えているからである。しかるにこの聖なる学問はすべてを包含し、全実在を抱擁し、すべてのものの使用を正当な権利として自らに帰する。ゆえに、いわばすべてのものの中で最も完全なるもの、すべてのものの目的と目標として、学びの順序においては最後に来るべきものである。

かくして聖書は、事物の第一の秩序、すなわち自然の秩序を――特に神と神の属性、魂の不死と自由、罰と報い、そしてすべての被造物に関わる限りにおいて――自然科学よりも確実にかつ堅固に論じ、それらの科学がどこで道を誤ろうとも、正道に引き戻すのである。

まことに、プラトンの最も粗雑なる誤謬は八つある。すなわち、プラトンが教えるところによれば、神は有体的であること、神は世界の魂であってその大いなる身体に混じり合っていること、ある神々はより若くより小さいこと、魂は身体に先立って存在し、身体の中にあたかも牢獄の中にいるかのごとく前世の罪を償っていること、われわれの知識は単なる想起にすぎないこと、国家においては妻は共有されるべきこと、虚偽はときに薬草のごとく用いられるべきこと、人間、動物、時代、すべての事物の回帰があり、一万年後にはまさに同じ人々がここに学生として、教師として、聴講者として座するであろうということ、すなわち魂の帰還と再生があるということである。
「千年の輪を巡り終えたとき、
ふたたび肉体に戻ることを望みはじめる。」

のみならず、同じ源泉からピタゴラスが考えたように、魂は身体から身体へと、あるときは人間の、あるときは獣の身体へと移り住むのである。ゆえに彼は自分自身についてこう語るのが常であった。「わたし自身は、わたしは覚えている」――誰が信じないであろうか。αὐτὸς ἔφα(彼自身がそう言ったのだ)。見物人として入場を許された者たちよ、笑いをこらえられようか――。
「わたし自身は、わたしは覚えている、トロイア戦争の時代に、
パントイデスの子エウフォルボスであった。その胸にかつて
アトレウスの年少の子の重き槍が突き刺さったのである。」

ここにおいて、かの有名なヘブライのことわざは最も真実ではないか。すなわち、ascher ric core lemore lo omen lebore――「安易に軽率に教師を信ずる者は、造物主を信じない者である」と。

しかしアリストテレスは――その才知において自然はおのが力の極限を示したと、アヴェロエスは言う――第一動者を東方に固定し、第一動者は運命と自然的必然によって動くと主張する。この世界は永遠であると。将来の偶然的なことがらに確定した真理はないと。神はそれらを確定的に知りたまわぬと。魂の不死、人間と月下の事物に対する神の摂理、将来の罰と報いについては、全面的に否定するか、あるいは墨魚が自らの巻きひげに包まれるがごとく晦渋にして、認識することも解き明かすこともできぬようにする。このゆえに彼はその故意の晦渋のゆえに、多くの人々から知性の屠殺者と呼ばれ、そう見なされたのである。

自然の光のこれらの暗闇を見抜いて、デモクリトスとエンペドクレスは率直に、われわれには何一つ真に知ることはできないと告白した。ソクラテスは、自分はただ何も知らないということだけを知っていると言い慣れた。アルケシラオスは、そのことすら知ることはできないと言った。アナクサゴラスはその一派とともに、われわれのすべての知識は単なる意見にすぎず、ただそう見えているだけであると主張した。まことに、雪が白いかどうかさえ確実には知り得ず、ただそう見えるだけであると。なぜならすべての感覚は欺かれうるからであり、すべてのうちで最も確実な視覚でさえ、鳩の首が光線の屈折によって天上の色彩で彩られて見えるとき欺かれるのであって、実際にはそのような色は鳩には存在しないのである。

このわれわれの曇りし視力の夜の中で、この大海と深淵の中で、啓示された教えの灯火が、いわば灯台として必要である。「あなたの言葉はわが足の灯火」と王なる詩篇作者は詩篇百十八篇百五節で言う、「わが道の光。不義なる者たちはわたしに虚構を語った。されどあなたの律法はそうではない」と。

8. 恩寵の第二の秩序と、神性の第三の秩序については、これらが哲学者たちに知られていなかったことは(自然の光を超えるものであるから)、また神の啓示なくして、神の言葉なくしては知りえないものであることは、聖トマスとともに誰の目にも明らかである。さればこそ聖書がいかにすべての事物の秩序を包含し、すべてに浸透し、知恵の太陽のごとくすべての真理の光線をおのれから放射しているかがわかるのである。

アリストテレスは、あるいはその著者が誰であれ、『宇宙論』において、神とは何かと問うて、こう述べている。「神はこの世界において、船における舵取り、馬車における御者、合唱隊における指揮者、国家における法律、軍隊における将軍にあたるものである」と。ただし、それらにおいては支配は労苦に満ち、煩雑にして不安であるが、神においてはこの上なく容易であり、この上なく自由であり、この上なく秩序正しい。

聖書についても同じことが言える。聖書は他のすべての学問に対する導き手であり、法であり、長であり、調停者である。まことに、エンペドクレスは神とは何かと問われて、こう答えた。「神とは不可解なる球体であり、その中心は至る所にあり、その円周はどこにもない」と。かくして、聖書とは何かと問う者に、正しくこう答えることができる。「聖書は不可解なる学問の球体であり、その中心は至る所にあり、円周はどこにもない」と。なぜなら聖書は神の言葉だからである。したがって、われわれの心の言葉が心そのものとそのすべての思念を映すように、聖書は、神の心の言葉として、それ自体において唯一であり、神の知性と認識にいわば等しく(神はこの言葉によって、自らと、自然的・超自然的すべての事物を、心の一瞬のうちに見通したもう)、多くの多様なる事柄を表現するのである。それは、あの唯一にして無限に広大なる実在を把握しえぬわれわれの心の狭隘さに、全体をではあるが、いわば幼子に対するかのように断片的に、さまざまな命題、範例、比喩を通じて、次第に注ぎ込むためである。

そしてこの大海からいわば、スコラ学者たちは神学的結論の流れを引き出すのである。スコラ神学から聖書を取り去れば、神学ではなく哲学を与えることになり、神学者ではなく哲学者となる。両者を互いに結び合わせて結合すれば、神学者としても哲学者としてもすべての点を満たすであろう。

9. かくして、『神学大全』第一部において神の本質と属性、予定、天使、人間、六日間の業(そのすべてが明らかに創世記第一章から取られたものである)について聖トマスとスコラ学者たちが論じている事柄は、すべて聖書の啓示によってわれわれが学んだ事柄から汲み取られ、導き出されたものである。ゆえに聖ディオニュシオスは、源泉を指し示しつつ、その『天上位階論』をこう始めている。「聖書を理解することに向かって、教父たちから受け継いだように観想されるべきものを前にして、力の限り進もう。そして教父たちがしるしによって、あるいはより聖なる理解の奥義によってわれわれに伝えた天上の霊たちの区分と階級を、われわれの能力の限り観想しよう」と。なぜなら、もし聖書がわれわれのために天使を描かなかったならば、いかなるアペレスが、いかなる目が、いかなる鋭敏さが、その輪郭を探究して描き得たであろうか。

同じ見解は、福者ペトロの伴侶にして弟子であった聖クレメンスの第五書簡におけるものでもある。

『神学大全』第三部において受肉について問われていることは、すべてキリストの生涯を物語る四つの福音書から引き出されたものである。旧き秘跡についてはレビ記から、新しい律法の秘跡については新約聖書の諸箇所から取られている。第一の二において至福、人間的行為、自由、任意、情念、原罪、小罪、大罪、恩寵、功績、罪過について論じられていることは、問おう、神の啓示によるのでなければどこに由来するのか。第二の二において信仰、希望、愛徳について論じられていることは、聖書にかくも全面的に依拠しているがゆえに、それらの全理解はこの三つに帰せられると、聖アウグスティヌスは『キリスト教教養論』第二巻四十章で述べている。「掟の目的は、清き心と善き良心と偽りなき信仰とから出る愛である」と使徒は言う。「偽りなき信仰」――ここに純粋なる信仰がある。「善き良心」――ここに希望がある。なぜなら善き良心は希望し、悪しき良心は絶望するからである。「清き心からの愛」――ここに愛徳がある。

神学者たちが正義、剛毅、賢明、節制、およびこれに付随する諸徳について教えていることは、モーセもまた出エジプト記と申命記において裁判的規定をもって――それによって各人に正義を与える――包含しており、ソロモンもまた箴言、コヘレトの書、知恵の書において、そしてシラ書もまたこれらの主題を網羅している。ゆえにシラ書はπανάρετος(パナレトス)と呼ばれたのであって、いわば「すべての徳」という意味である。

なぜなら聖書は聖霊によってかくも調和的に織り上げられており、すべての場所、時代、人物、困難、危険、疾病に、悪を駆逐し善を招き寄せ、誤謬を打ち砕き教義を確立し、徳を植えつけ悪徳を退けることに、自らを適応させるからである。ゆえに聖バシリウスは聖書を、あらゆる種類の薬をあらゆる病に供給する最も充実した薬局にたとえたのは正当であった。すなわち聖書から教会は、殉教者の時代にはその堅忍と剛毅を汲み出し、教父たちの時代には知恵の光と雄弁の流れを汲み出し、異端者の時代には信仰の砦と誤謬の打倒を汲み出した。繁栄の時には謙遜と節度を、逆境の時には寛大さを、怠惰の時には熱意と勤勉を学んだ。そして最後に、かくも多くの流れ行く年月の中で老い、汚れ、瑕疵によって損なわれたときには、この源泉から失われた道徳の回復と、かつての尊厳と状態への復帰を得たのである。

かくして聖ベルナルドゥスは、キリストのかの言葉、「もし完全になりたいのであれば、行って、持ち物をすべて売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば天に宝を得るであろう」についてこう述べている。「これは、全世界において世の侮りと自発的清貧とを説き勧めた言葉である。これは修道者のために修道院を満たし、隠修者のために荒野を満たした言葉である」と。

かくしてトリエント公会議は、教会の刷新を聖書から始め、刷新に関する第一の教令の全体において、聖書の朗読があらゆる場所で設立されるか、あるいは復活されるよう、慎重にかつ詳細に規定しているのである。

10. 自分一人のためだけではなく、その生の一部を他者の益のために分かち与える人々にとって――とりわけ聖なる教壇を占める人々にとって――この聖書の学問がいかに有用であり、まことに必要であるかは、わたしが沈黙していても事実そのものが語り、すべての教会人の共通の慣行がこれを確認する。しかもこれは最近のことではない。古代の人々を見る者は、かの初代の時代にはるかに充実した聖なる言葉の知識が存在したことを見いだし、それはかくも豊かであったゆえに、しばしば彼らの言説全体が、聖書を散りばめたというよりも、優雅なる鎖によって聖書で編み上げられたかのように見える。またオリゲネス、アントニオス、ヴィンケンティウスが神託、神殿、契約の箱と呼ばれたことを読んでも、驚くには当たらない。

聖グレゴリウスは、『道徳論』第十八巻第十四章において、ヨブ記の「銀にはその鉱脈の始まりがある」という箇所を見事に説明している。「銀とは」と彼は言う、「言説あるいは知恵の輝きである。鉱脈とは聖書である。あたかもこう明言するかのようである。まことの説教の言葉に備える者は、聖なる頁から自らの論拠の源泉を汲むことが必要である。そうして語るすべてのことを神の権威の基盤に帰し、その上に自らの言説の建物を堅く建てるのである」と。

そして聖アウグスティヌスはウォルシアヌスへの書簡でこう述べている。「ここにおいて歪める精神は有益に矯正され、小さき精神は養われ、偉大なる精神は楽しませられる。この教えに敵対する魂とは、誤りによってそれが最も有益であることを知らないか、あるいは病みつつ薬を憎む魂である」と。

ゆえに、われわれの時代においてもなお、聖ヒエロニムスが「甲冑の序文」においてその同時代の人々を非難していることが嘆かれるべきは、まことに正当なのである。すなわち、他のすべての技術においては人々は教える前に学ぶのが常であるのに、聖書においてはほとんどの人々が学んだこともないことを教えようとするということである。「聖書の技術のみは」と彼は言う、「至る所で万人が自分のものとして主張し、洗練された弁舌で民衆の耳を喜ばせると、何を語ろうとも、それを神の律法と見なす。預言者や使徒が何を意味したかを知ることを潔しとせず、自分の考えに不適切な証言を当てはめる――あたかも偉大なることであり、教えの最も悪しき方法ではないかのように、意味を歪め、抗う聖書を自分の意志に引きずることは」と。

まことに、多くの者は教えるという癒しがたき衝動に捉えられ、学ぶことへの愛を持つ者は少なく、その愛もまた小さい。ゆえに彼らは聖書を蝋のごとくあらゆる方向に曲げ、驚くべき変身をもってあらゆる形に変え、神の言葉の賭博師のごとくに、運の赴くままにこれをもてあそび、しばしば聖書に暴力を加え、ウェルギリウスの場合には詩人たちが容認しなかったであろうことを、聖なる教父たち、教会法、公会議、とりわけトリエント公会議の最も重大なる教令に反して、異質の意味へとねじ曲げるのである。しかしこれらすべてはどこから来るのか。わたしが思うに、ある欠伸にも似た、あまりにも普通の怠惰からである。彼らは邪道の学問を学び、教えるべきことを勤勉に学ぶことを厭い、その怠惰そのものが彼らの心に闇を広げ、聖書は容易であり自らの才知のみで誰にでも理解しうると考え、知らぬことを知っていると思い、知らないことを知らない。これがすべての悪の根であり、引き抜かれねばならない。なぜならこの感染はかくも広く蔓延して多くの者を侵し、かくも広範に広がっているからである。


第三章:聖書の難解さについて

21. 三、さて第三に提示されたことを検討しよう。すなわち、神の書物がいかに容易であるかということである。わたしが考え、論証しようと努めていることを手短に前もって述べれば、聖書はすべての世俗的著作――ギリシア語、ラテン語、ヘブライ語、その他いかなるものであれ――よりもはるかに理解が困難であると主張する。これが果たしてそうであるか、見ていこう。

聖書がすべての他の著作を凌駕していることは、万人の一致した見解により、多くの点においてそうであるが、とりわけ次の点において顕著である。すなわち他の著作は一つの句によって一つの意味しか表現しないのに対し、聖書は少なくとも四つの意味を表現する。なぜなら聖書は単に語の意味のみならず、語によって指示される事物の意味をも有するからである。ゆえに字義的意味は、聖なる言葉によって直接に表現された歴史的事実や事柄の理解を示す。しかしこの同じ歴史や事柄は、さらに寓意的意味においては、主キリストに関するある予言を暗示し、転義的意味においては、道徳の形成にふさわしいあることを勧め、さらに第三の仕方でいっそう高く昇って、神秘的意味を通じて、謎のうちに観想されるべき天上の奥義を提示する。

しかもこれらのうちの真正なる一つの意味さえ辛うじて到達しうるに過ぎない。ならばいかにして残りの三つをかくも容易にかつ軽率に約束しうるのか。

しかし、歴史的意味が優位を占めるから、わたしはこの一つのみを求め、スコラ学の原理からこれを十分に推測し判断する。不確実であり、誰でも容易に捏造しうる象徴的意味については心を煩わせない、と言うであろう。しかし気をつけよ。エンニウスのかのネオプトレモス――「哲学はしたいが、ほんの少しだけだ。全面的には気に入らないから」と語った者――のように、名目上あるいは表面上だけの神学者とならぬよう。

なぜなら、まず第一に、神秘的意味について言えば、これが聖書の主たる意味であることを、旧約聖書全体が告げている。旧約聖書は直接にはその時代の出来事あるいは将来の事柄を叙述するが、何よりもキリストを至る所で象徴的に意味しているからである。他の意味についても同様の判断が当てはまる。

そしてちょうど、サムエル記上第二十章において、ヨナタンが身近な例をもってこの事柄を考察すれば、ダビデにひそかに逃亡の合図を送ろうとして、約束に従って矢を射、それを拾いに行く少年にもっと先へ進むよう命じたとき、二つのことを意味した。第一に直接には、少年が矢を拾うべきであるということ。第二にはより間接的に、しかしはるかに強く伝えたかったこと、すなわちこの合図によって知らされたダビデが逃亡を決行すべきであるということである。聖書においてもまさにかくのとおりである。歴史的意味は先行するが、神秘的意味のほうがより重要である。そしてこの後者から、前者からと同様に、神学者はその教義を確立するための最も強力な論拠を引き出すことができるのであって、ただしそれが真正なる意味であることが確実な場合に限る。キリスト御自身と使徒たちがしばしばそこから最も有効な結論を引き出しているように。しかしもし確実でなく、その箇所の真正なる神秘的意味であるか否かが曖昧であるならば、疑わしい前提から疑わしい結論が引き出されても何の不思議があろうか。なぜなら文字に固執する歴史的意味からであっても、それが不確実で疑わしければ、何ら確実なるものは決して引き出し得ないからである。

22. さらに、霊的意味は創作にすぎず、誰でも自らの工夫によってそれを任意の聖句に当てはめうると考えること――あたかもプロバ・ファルコニア(ラテンのサッポーとも呼ばれた)がウェルギリウスの『アエネイス』を、あるいは皇后エウドキアがホメロスの『イリアス』をキリストに当てはめたのを模倣して、聖書を自分の敬虔なる創意に合わせようとするかのように――これは有害なる考えであり、実行することはいっそう危険である。

なぜなら、もし神秘的意味が聖書のまことの意味であり、もし聖霊がとりわけそれを口述することを望みたもうたのであれば、いかなる権利によって各人がそれを思うままに解釈することが許されようか。いかなる厚顔をもって、自分の脳髄の創作を聖霊の御心と称し、自分自身とその産物を聖霊に憑かれた者として売り込むのであろうか。

教父たちのうちでとりわけ寓意を多く用いた者たちはこのことを見抜き、慎重にこれを避けた。同じ霊に満たされた彼らは、寓意が自分の考えを支持するかに見える箇所で、拍手を得るためや自説を補強するために軽率にこれを押しつけることはなく、俗に言う「脛当てを額に、兜を脛に合わせる」ような不格好なことはせず、寓意を事実に結びつけて、すべての点でふさわしく一致するようにしたのである。

なぜなら、歴史的意味においては言葉が起こった出来事を示すのと同様に、寓意的意味においては、起こった出来事が別のより隠された実在を意味するからである。ゆえに寓意が歴史に対応しなければ、それはまったく偽りであり空虚である。この理由から聖ヒエロニムスは、ホセア書第十章の注解において、アッシリアの王について一般に語られていることを転義的にキリストに当てはめること――彼自身がかつて不注意にもこれを行ったことがある――は不敬であると教えている。またオバデヤ書の序文において、かつてその預言者を寓意的に説明したが、まだその歴史的意味を把握していなかったことを自ら叱責している。

23. しかし歴史的意味について言えば、たとえそれ一つで十分であるとしても、いかに多くの、いかに大いなる助けが必要であることか。それはいかにしばしば隠されていることか。ヘブライ語やギリシア語の表現法によって、他のすべてとは異なる新しき独特の言い回しによって、いかに深く隠されていることか。いかに高く、しばしば至高の高みにまで舞い上がることか。

これは驚くべきことではない。なぜなら、もし知恵ある者の言葉が知恵ある心の思いを表すのであり、言葉が心の構想に対応するのであれば、この構想が天上的にして神的であるとき、その表現もまた天上的にして神的であることがいかに必然であるか。聖なる書物がその言葉の中に聖霊の思念と永遠の御言葉の知恵を包含していることは、誰も疑わない。ゆえに、これら神の言葉を通じて神の思念と第一の真理へと飛翔しようと望む者は、地を這うのではなく、高みへと自らを挙げねばならないのである。

まことに、スコラ学の博士たちが聖書から多くの事柄を精妙に引き出し、それを折々に論じていることは認める。しかし彼らは神学的問題において自ら限界を設けているのであって、その限界は神学者にとって最も有用にして必要な素材と仕事を十分に供給するが、それ以外のことを本格的に追求する余地はない。ちょうど聖書を解明する者が、聖なる箇所に包まれた神学的結論をときにいっそう精密に展開するが、「靴職人よ、靴型を超えるなかれ」の原則に従い、直ちに自らの領域に退くようなものである。

しかし、何かを味見することと、同じ素材を確実にして連続的な秩序で織り上げることとは別のことである。ある一つの命題を検討することと、一巻全体とそのすべての命題を、前後の脈絡の綿密にして正確なる検討をもって、ヘブライ語とギリシア語の原典の探究をもって、聖なる教父たちの読書をもって展開し、その言い回しを自らのものとし、そこにおいて自宅にいるかのように動き回ることとは別のことである。これを怠る者は、ここかしこから抽出され説明されたある困難な箇所に満足して、決して聖なる至聖所――すなわち聖なる言葉の隠された意味――に到達することはなく、容易に真理と著者の意図から逸脱するであろう。

このことは、ある古い時代の著者たち――他の点では無学でない人々――に見ることができる。彼らは神学の問題において、ときにかくも軽率に、ある聖なる公理をつかんで誤用するがゆえに、われわれの異端者には嘲笑を、カトリック信者には怒りを催させるのである。

24. 聖グレゴリウスは列王記への序文において、読者に見事にこう忠告している。すなわち自分はときに教父たちとは異なる仕方で歴史を説明することがあると。なぜなら、と彼は言う、もし教父たちが一部分だけ触れたものをすべて順序立てて説明していたならば、彼らが保とうとしたように見える言説の連続性を決して維持することはできなかったであろう。多くのことが挿入され、先行し、後続するのであって、それらは論じている箇所と比較されねばならず、聖なる表現の仕方は他の箇所においても探究されねばならず、語法が精査されねばならない。もしこれらが解釈と整合しないならば、それは決してその箇所の真正なる意味ではなく、決してその言説の力、効力、意義ではないのであって、しばしば事柄そのものの晦渋と表現の晦渋のいずれがより大きいか疑わしくなるほどである。

わたしは、素材の多様にして、いわば包括的なる広がりについては沈黙する。なぜなら旧約と新約の全体において、論じられ、あるいは触れられていないものが何かあるであろうか。

25. 一例として、列王記、マカバイ記、エズラ記、ダニエル書、その他の預言書を理解するために、いかに多様なる異教の歴史を知らねばならぬことか。アッシリア、メディア、ペルシア、ギリシア、ローマの、いかに多くの大帝国を徹底的に学ばねばならぬことか。いかに多くの民族の習慣、条約、戦争、犠牲、婚姻の儀礼を探究せねばならぬことか。最も古き普遍的な地誌学と宇宙誌学から、いかに多くの都市、河川、山岳、地方の位置を調査せねばならぬことか。


第四章:教父たちの見解と範例

四、しかし、この点にいささかの疑念も残さぬため、さあ、事柄をその最初の起源から辿り、あらゆる時代において、聖書の困難さがその威厳に劣らず、聖書への畏敬の念を研ぎ澄まし、聖人たちの熱意を燃え立たせてきたことを確認しよう。

ヘブライ人の間には広く受け入れられた伝承があり、我々の著述家の中からは聖ヒラリウスが詩篇第二篇の注解において、またオリゲネスが民数記に関する説教第五において、この伝承を支持している。すなわち、モーセはシナイ山において神より律法のみならず律法の解説をも受け、律法を書き記すよう命じられたが、その隠れた奥義と意味をヨシュアに、ヨシュアは祭司たちに、祭司たちは順次その後継者たちに、厳格な秘密の封印のもとに明かすよう命じられたのである。

ゆえにアナトリウスは、エウセビオスの『教会史』第七巻第二十八章に引用されているところによれば、七十人訳者たちがエジプト王プトレマイオス・フィラデルフォスの多くの質問に対して、モーセの伝承に基づいて答えたと報告している。またエズラ、あるいはエズラ記第四巻の著者が誰であれ(それは正典ではないが、正典に付されていることによってその権威が確認されている)、第十四章において、モーセに与えられた命令を記している。すなわち、「これらの言葉は公にし、これらは隠しておけ。」同様にエズラ自身に対しても——すなわちエズラが神の霊感によって二百四冊の書を口述した後——同様の命令が与えられた。「あなたが先に書いた書を公にし、ふさわしい者もふさわしくない者もそれを読むようにせよ。しかし最後の七十巻は保存し、あなたの民の知者たちに手渡せ。その中にこそ知性の泉、知恵の源、知識の流れがあるからである——そのように私は行った。」

このゆえにモーセは繰り返し——とりわけ申命記において——律法に関する民の一切の疑問と困難な判断を祭司たちに委ねるよう望んだ。なぜなら、マラキ書第二章第七節にあるように、「祭司の唇は知識を守り、人々は彼の口から律法を(すなわち、疑わしい律法の諸点を、それについて問いがあるものを、と聖ベルナルドゥスは言う)求めるのである。」このゆえにまた、主がレビ記において祭司たちに学問を命じ、第十章で次の言葉をもって彼らに告げたのである。「聖なるものと俗なるものとを区別し、汚れたものと清いものとを見分ける知識を持ち、主がモーセの手を通して彼らに語ったすべての掟をイスラエルの子らに教えるためである。」そしてこの務めをとりわけ大祭司に想起させるため、神はその祭服の胸当てに「教えと真理」、すなわちヘブライ語でウリムとトンミム——「照明と完全」——祭司生活の二つの栄光を、特定の象徴によって記し、常に身につけて目の前に置くよう望みたもうた。しかし、さらに先へ進もう。

二十六、王にして預言者であるダビデ——聖なる著述家たちの大いなる部分をなす者、すなわち聖霊のあの神的な楽器——は、まさにそれらの書物の中にあの崇高にして隠された暗闇を認め、詩篇第百十八篇において、繰り返し様々な言葉で祈る。「わが目を覆いを取り除きたまえ、されば御法の驚くべき事柄を仰ぎ見ん。」ここでヘブライ語ではガル・エナイ・ヴェアッビタ——「わが目から(暗闇の覆いを、すなわち)取り去りたまえ、されば御法の驚くべき事柄を明らかに見ん」とある。「これほど偉大な預言者が」と聖ヒエロニムスはパウリヌスに宛てて言う、「無知の暗闇を告白しているならば、我々のごとき小さき者、ほとんどまだ乳飲み子のような者が、いかなる無知の夜に取り囲まれていると思うか。この覆いはモーセの顔の上のみならず、福音史家たちと使徒たちの上にも置かれている。そしてダビデの鍵を持ち、開けば誰も閉じることなく、閉じれば誰も開くことのできないお方によって、書かれた一切のことが開かれない限り、他の誰によっても開示されることはないのである。」

エレミヤは第一章でこう聞く。「わたしはあなたを母の胎に形づくる前からあなたを知り、あなたが胎から出る前にあなたを聖別し、あなたを諸国民の預言者として立てた。」にもかかわらず彼は叫ぶ。「ああ、ああ、ああ、主なる神よ、まことにわたしは語ることを知りません、わたしはまだ子どもですから。」

イザヤは第六章において、セラフィムが自分のほうに飛来し、燃える炭をもって預言のための口を開くのを目にした。

エゼキエルは第二章において、四面の生き物の姿と主の栄光を仰ぎ見て、うつ伏せに倒れ、霊によって起こされても、同じくその口が開かれるまで沈黙を守る。

ダニエルは第七章第八節において、神の言葉を心に留めるが、思いは乱され、顔色は変わり、解き明かす者がいないゆえに幻に驚愕する。そして我々は、それら同じ預言、たとえ、謎、象徴について、それらの著者たち自身よりも容易な理解を、あるいはそれらを述べるにあたってより雄弁な能力を、あたかもそれが生まれつきの自然の力であるかのように、自らに約束するのであろうか。

二十七、はるかに異なる精神で、シラ書は知者を描写し、敬虔な祈りを伴うたゆまぬ学びを彼に求める。「知者はすべての古人の知恵を尋ね求め、預言者たちの中で(あるいはギリシア語の原典にあるように「預言の中で」)励み、名高き人々の言説(ギリシア語でディエーゲシス——叙述、解説)を保ち、たとえの巧妙さと鋭さの中に入り、箴言の隠された意味を探り、たとえの秘密の中に住む。口を開いて祈り、自らの罪のために嘆願する。もし大いなる主が望みたまえば、理解の霊をもって彼を満たし、彼自身は雨のごとく知恵の言葉を注ぎ、その教えの訓戒を明らかにし、主の契約の律法において栄光を受ける。」

古代ユダヤ人のラビたちは聖書に全身全霊を捧げていた。そのゆえに彼らはソフェリムグランマテイス、すなわち律法学者と呼ばれたのである。キリスト以降もまた、ヘブライ人のラビたちが聖書以外の何ものにも携わらず、他のすべてに無学であることは周知のとおりである。

よく知られているのは、あるラビの話である。知識に渇望する孫から、ギリシアの著者たちにも精を出してよいか、あるいはそうすべきかと問われたとき、皮肉をもってこう答えた。よろしい——ただし昼にも夜にもそうしない場合に限る、と。なぜなら、主の律法を昼も夜も黙想すべしと書かれているからである。

二十八、新しい契約の新しい文書へと進もう。聖ペトロは聖パウロの書簡に言及した後、その中にある事柄について「理解するのに難しいところがあり、無学で不安定な者たちがこれを曲解するが、それは他の聖書に対するのと同様、自らの滅びを招くためである」と付け加えている(ペトロの第二の手紙第三章)。また先の第一章では、「聖書のどの預言も私的な解釈によって成るものではない。なぜなら預言は人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に感じた神の聖なる人々が語ったのだからである。」

職務と殉教の栄冠を共にする兄弟たる聖パウロは、その能力を自然の知性の力にではなく、同じ聖霊の賜物の配分に帰している。すなわち、「ある者には霊を通じて知恵の言葉が与えられ、ある者には知識の言葉が、またある者には信仰が、ある者には癒しの賜物が、ある者には奇跡を行う力が、ある者には預言が、ある者には霊の識別が、ある者には異言の種類が、ある者にはついに言葉の解釈が与えられる」(コリントの信徒への第一の手紙第十二章)のであり、それゆえ神は教会にある者を使徒として、ある者を預言者として、ある者を教師として置いたのである。また別の箇所では、彼はガマリエルの足もとで律法を学んだことを誇りとし、さらに別の箇所では牧者と司教たちに、恥じることのない働き人として自らを示し、真理の言葉を正しく取り扱い、健全な教えによって勧告し、反対する者を論駁できるようにと訓戒している。しかし、なぜ我々は遅滞するのか。

二十九、キリストの御言葉を聞こう。「聖書を調べよ」と主は言われる。のみならず、キリストはこの賜物を、奇跡を行う力およびあらゆる種類の奇蹟の権能とともに、天に昇りたもう際に使徒たちに告別し、聖書を理解するために彼らの心を開いたとき、ご自身の教会への遺言として封印されたのである。

この計画のもと、まさにその時代に、聖マルコはアレクサンドリアにおいてこの聖書のキリスト教的研究を創設した。ユダヤ人フィロンの著書『観想的生活について』、ならびにエウセビオスの『教会史』第十四巻のエッセネ派に関する記述において、目撃者としてのフィロンを通じて見ることができるように、エッセネ派の人々——すなわち、あのアレクサンドリアの最初のキリスト者たち——が、夜明けから夜まで、聖なる巻物を読み、聴き、先人たちの注解からより崇高な寓意的意味を探求することに一日全体を費やしていたかを知ることができる。ここからアレクサンドリア学派の礎が据えられたのであり、それは以後成長し、次第に驚くべき発展を遂げ、続く諸世紀に殉教者の群れ、博士や高位聖職者の輝かしい合唱隊、そして世界の光を生み出した。そして一つの例から他を測り、彼らがいかに貪欲にかつ倦むことなく神の雄弁の行路を走り抜いたかを見るならば、オリゲネスについてエウセビオスは、彼が少年の頃からすでにこの修練を始め、毎日父に対して記憶から聖なる数箇の格言を日課として暗誦することを常としていたこと、そしてそれに満足せず、それらのもっとも深い意味と真意をも探究し問い始めたことを証言している。そして成長して教壇を与えられると、昼夜を通じてこの営みを続け、ひとえにこの目的のためにヘブライ語を習得し、全世界から様々な翻訳者の訳を収集し、新たな先例として膨大な労力をもって初めてヘクサプラとオクタプラを著述し、注釈をもってそれを照らし出したのである。

東方においてこれに続いたのは、ギリシアの博士たちの黄金の双璧、バシリウスと神学者グレゴリウスであった。彼らは修道院の孤独と静寂と閑暇に逃れ、十三年もの間、世俗のギリシア人の書物をすべて退けて、ひたすら聖書にのみ専念し、「神の巻物を」とルフィヌスは『教会史』第十一巻第九章で述べている、「自らの独断からではなく、先人たちの著作と権威から——その先人たちもまた使徒的継承から解釈の規範を受けたことが明らかであった——注解を通じて繙いていた。」これほどの叡智と才能と雄弁を備えた偉人たちにとって、聖書の初歩に何年もの歳月を費やすことがふさわしいとされたのに、我々にとって聖書は三、四年を捧げれば倦んでしまうほど容易なものなのか、あるいはそれ以上が必要であれば、労力をすべて無駄にしたと考えるのであろうか。

聖バシリウスと同時代の人に聖エフレム・シリア人がおり、彼が聖書にいかに精励であったかは、その著述が証している。

ユスティニアヌス帝の時代にニシビスに設立された聖書学校について、その証人はユニリウス・アフリカヌス司教であり、プリマシウスに宛てた書においてそれを記している。同じ皇帝のもとで、教皇アガペトゥスがそれらの学校をローマに導入しようと試みた。カッシオドルスが『聖なる読書の序文』において語るところによれば、「私は」と彼は言う、「ローマ市の至福なるアガペトゥスとともに努めた。アレクサンドリアにおいて長らく制度として伝えられ、今やシリア人のヘブライ人の間でニシビスの町において勤勉に実践されていると言われるように、ローマ市において資金を出し合い、認定された博士たちをキリスト教の学校にむしろ迎え入れ、そこから魂が永遠の救いを受け、信徒の舌が清く最も純粋な雄弁によって養われるようにと。」

こうして使徒パウロの弟子である聖ディオニシオスと、聖ペトロの弟子であるクレメンスは、聖書が自分たちに伝えられたこと、それは彼ら自身もまたそれを自らの弟子たちに教え、手から手へと受け継がれた途切れることのない継承によって後世に伝えるためであったことを教えている。

ラテン語圏の人々の中で、まず正当に数えられるべきはその時代の不死鳥たる聖ヒエロニムスである。彼はこの務めに全身全霊を傾け、この聖なる学問のうちに白髪の極みに至るまで老い、ヘブライ語からの聖書のラテン語訳を教会に遺した。それゆえ教会は彼を聖書の解説における最大の博士と称する。有名なのはまた聖ヒエロニムスのあの言葉である。「天にあっても我々とともに留まる知識を地上で学ぼう。」そして、「常に生きるかのごとく学べ。常に死ぬかのごとく生きよ。」このゆえに彼はヘブライ語を——ちょうどカトーが老年にギリシア語を学んだように——完全に習得した。このゆえにベツレヘムと聖地を訪れた。このゆえに聖アウグスティヌスが証言するように、古代のすべてのギリシア語およびラテン語の注解者を読み、ほとんどすべての注解の序文において自らが従う者を挙げている。そして神の恩寵と先人たちの教えなしに聖書の知識を自ら主張する者たちを厳しく非難するのが常であった。

さらに聖アウグスティヌスは、アリストテレスの範疇論を独力で習得したほどの知性の鋭さを持ち、何を読んでも直ちにそれを理解するのが常であった。しかし回心の直後、聖アンブロシウスの勧めにより——『告白録』第九巻第五章——預言者イザヤの書を手に取ったところ、その言辞の深遠さにたちまち畏怖し、最初の読解が理解できなかったため、一歩退いて、主の言葉においてより習熟するまでこれを延期した。そしてはるか後になっても、ウォルシアヌスに宛てた書簡一において、「キリスト教の文書の深遠さは実に大いなるものであり」と彼は言う、「もし私がそれらのみを人生の始めから(この言葉に注意せよ)老衰の極みに至るまで、最大の閑暇と最高の熱意とより優れた才能をもって学び取ろうと試みたとしても、日々その中で前進していたであろう。なぜなら信仰の彼方に、奥義の多様な陰に覆われた非常に多く、かつ非常に複雑な事柄が、前進する者たちによって理解されるべく残っており、言葉のみならず事物そのものの中にもかくも深い知恵が隠されているので、もっとも年を経た者、もっとも鋭敏な者、学びへの欲求にもっとも燃える者にも、この聖書がある箇所に記しているとおりのことが起こるのである。すなわち、人が終えたとき、そのとき始まるのである。」

困難を増大させるのは、いたるところに散在するヘブライ語とギリシア語の特有表現であり、これらを理解するためには両言語の知識が必要であることを、聖アウグスティヌスは『キリスト教の教え』第二巻第十章で教えている。なぜなら、書かれた事柄が理解されないのは二つの理由による。すなわち、未知のあるいは曖昧な記号や言葉によって覆い隠されている場合である。いずれもある言語から別の言語へ何かを移す際の翻訳においてはまれではない。さらに、「未知の記号に対して」とアウグスティヌスは第十一章と第十三章で述べている、「偉大な治療薬は言語の知識である。」なぜなら、翻訳を通じて他の言語の用法に移すことのできない言葉が存在するからである。そして翻訳者がいかに博学であっても、著者の意図から逸れないにせよ、その文意が何であるかは、翻訳の元となった言語において調べなければ明らかにならない。他の例の中で彼はこの例を挙げる。「私生の苗木は深く根を張らない」(知恵の書第四章第三節)。翻訳者はギリシア語構文を用い、いわばモスコス(仔牛)からモスケウマタを、すなわち「仔牛」から「仔牛苗」を導き出している。しかしミスケウマタとは実際には新芽、挿し木、すなわち木から切り取って地に植えた新しい枝である。実にラテン語の聖なる写本がいかにヘブライ語とギリシア語の特有表現に満ちているかは光よりも明らかであり、同じアウグスティヌスが『再考録』第二巻第五章第五十四節で、現存する七つの小冊子に聖書の表現形式を集めたと回想しているのは理由のないことではない。これは後にリヨンのエウケリウスがその著書『霊的形式について』において模倣し、その後この世紀においても多くの者たちが同様に行った。

聖ヨハネ・クリソストモスは聖アウグスティヌスに同意している。創世記の注解を書く際、説教第二十一において、聖なる文書には一つの音節、一つの点すら、その深みに何か大いなる宝が隠されていないものはないと断言することをためらわない。それゆえ我々には神の恩寵が必要であり、聖霊に照らされて、神の言葉に近づかねばならないのである。

教皇にして博士たるグレゴリウス一世はさらに大胆に主張する。すなわち、エゼキエル書の注解において、聖なる巻物の中にかくも多くの、かくも隠された奥義を認め、いまだ人間に啓示されていないある事柄は天上の霊にのみ開かれていると明言するのである。

されば、グレゴリウス、アウグスティヌス、アンブロシウス、エウセビオス、オリゲネス、ヒエロニムス、キュリロス、そして聖なる教父たちの合唱隊全体が、聖なる書物の上に昼夜かくも激しく労苦したことを驚くべきであろうか。彼らがこの学問の指導者にして筆頭として老い、これらの研究に人生の終わり以外の終わりを設けなかったことを驚くべきであろうか。ヒエロニムスがナジアンゾスのグレゴリウスとディデュモスに、アンブロシウスがバシリウスに、アウグスティヌスがアンブロシウスに、クリソストモスがエウセビオスに、そしてその他の者たちがそれぞれの師に学んだことを驚くべきであろうか。教会の誕生そのものから聖書の学校が設立されたことを驚くべきであろうか。なぜならアレクサンドリア学派——かくも多くの博士と高位聖職者の母——については誰も疑わない。他の学校については、スコラ的方法で神学が教えられるようになるはるか以前の何世紀にもわたって著された教父たちの著述が十分にこれを証明しており、それらはほとんどすべてがこの主題、この一つの事柄に費やされているのである。

コンスタンティノープルにはかつて有名な修道院があり、その創設者に因み、また聖書とより完全な生活の研究に因んでスタディオンの名を得た。聖プラトンがそれを管轄し、その後テオドロス・スタディテースが、主の年八百年頃、古代の修道士の流儀に従い弟子たちをその書写に従事させつつ、聖書からその才能と敬虔の多くの記念碑を残した。遠くにあっても近くにあっても、聖像破壊派の皇帝コンスタンティノス・コプロニモスとレオ・イサウリコスと強き戦いと決闘をもって争い、異端を打ち倒し、聖なる信仰の勝利の栄冠を永遠の記憶に奉献した。

イングランドからは、尊者ベーダの『イングランド教会史』を聞くがよい。「私は」と彼は言う、「七歳で修道院に入り、そこで全生涯を聖書の黙想に捧げ、修道規律の遵守と教会での日々の聖歌の務めのかたわら、常に学ぶこと、教えること、あるいは書くことを甘美なりとした。」ゆえにベーダの注解は聖書のほとんどすべての書について現存しており、しかも病すら彼を止めなかった。まことに彼は最後の病において聖ヨハネの福音書に取り組み、死のまさに間際に、それを完成するために筆記者を呼び寄せた。「筆を取り、急いで書け」と彼は言い、そしてついに「よし、完了した」と言い、白鳥の歌を歌いつつ、「栄光は父と子と聖霊に」と唱え、信仰への労苦に対する報いとして神の直観をもって祝福されるべく、まことに平安にその霊を放った。童貞女の御産より七百三十一年のことであった。

尊者ベーダと同時代の人にアルビヌス、すなわちアルクィヌス・フラックスがおり、彼はカール大帝の師であるか、むしろ親しい側近であった。彼はイングランドのヨークで聖書を公に教えていた。それゆえフリースラントから聖ルトガーが彼の講義を聴くためにヨークへ赴き、大いに進歩して、自らの民のもとに帰還すると、フリースラント人の使徒の名を得るにふさわしいとされた。フリースラント年代記と聖ルトガー伝の著者がこれを証言している。

ベルギーの人々の間では、聖ボニファティウスはその同行者たちとともにキリストの法を広めつつ、常に聖福音の写本を携帯しており、殉教に際してすらそれを手放さなかった。まことに主の年七百五十五年、フリースラント人が彼の頭上に剣を振り下ろしたとき、彼はこの写本を霊的な盾のように差し出した。そして驚くべき奇跡により、鋭い剣で書物は真ん中から切り裂かれたにもかかわらず、その切断によって一つの文字も消されなかったのである。

フランク人の間では、王にして皇帝カール大帝——否、三重に偉大なる者、すなわち学問において、敬虔において、軍事的栄光において——が、他の地のみならずパリにおいても(かくも古いのがこの学院であり、ケルンの母にしてルーヴァンの祖母である)聖書の学校を設立した。のみならずカール自身が、とアインハルトはその伝記に述べているが、朗読と聖歌の規律をもっとも勤勉に正した。彼は聖書にかくも没頭していたために、その上で息を引き取ったのである。テガヌスは『ルートヴィヒ伝』において、カールは臨終に際してアーヘンで息子ルートヴィヒに戴冠した後、祈りと施し物と聖書に全身を捧げたと証言している。すなわちまさに息を引き取ろうとしながら、四福音書をギリシア語とシリア語の写本に対して見事に校訂したのである。ゆえにカールの写本がアーヘンにおいて敬虔に保存されているのは正当なことであり、私自身それを目にしたのである。

それゆえ、インノケンティウス三世のもとでのラテラン公会議において聖書の講座について定められたことは、新しい法令としてではなく、古い慣習を更新し確認するものとして見なされるべきである。同様に、トリエント公会議はその慣習がいかなる場所においても揺らぐことのないよう配慮し、第五会期において聖書の朗読について詳細に議決し制定し、すべての参事会員の集会において、修道士および修道会員のそれにおいても、またすべての公的学府においても、同様に確立し、基金を設け、推進するよう定めた。そして教える者も学ぶ者も、教会の聖職禄を与えられた者は、不在中もなお一般法により認められた収益の受領を享受し得るようにと。そしてまことに、我々の異端的敵対者たちのすべての勤勉がこの点に尽力し、聖書以外の何ものをも叫ばないのであるから、キリスト教の正統な神学者は、彼らにわずかでも譲歩することを恥じ、彼らに打ち負かされ凌駕されることを恥じるべきである。否、聖書の言葉を叫ぶのみならず、その真の意味をも探究すべきである。かくして異端者たちの武器を彼ら自身に向けて返し、聖書からあらゆる異端を論駁し殲滅するであろう。これを、信仰の擁護者にして異端の打倒者たる最も名高いベッラルミーノが、その『論争集』においてゆるぎなく精確に成し遂げた。その著作はそれゆえ難攻不落にして無比であり、教会はキリストの時代から今日に至るまでこの種の類例を見なかった。まことにそれはカトリックの真理の城壁にして防塁と呼ばれるにふさわしいのである。


第五章:この学問に必要な心構え

五、以上のすべてから、いかに燃えるような、いかに不断の勤勉をもってこれに取り組むべきか、またいかなる支えをもって自らを固めるべきかを見て取ることは容易である。この学問から実りを得るための最初の準備は、聖書の頻繁な読書、頻繁な傾聴、教師の生きた声、そしてそれらにおける恒常性である。なぜなら、教師の唇には神託があり、その教えにおいて口は誤ることがないからである。プルタルコスは『子どもの教育について』において、記憶は学問の貯蔵庫であると教える。プラトンは『テアイテトス』において、記憶はムーサたちの母であり、知恵は記憶と経験の娘であると主張する。このことは他の場所においてもそうであるが、とりわけ聖書において当てはまる。聖アウグスティヌスが『キリスト教の教え』第二巻第九章で証言するように、聖書はかくも多様な事柄、かくも多くの書物と格言から成っている。このゆえに教会は、この点で我々の記憶を助けるため、ミサの犠牲と聖務日課の日々の務めにおいて、聖書の部分を配分し、毎年全体を通読し終えるようにしている。同じ目的のために、他のことの中でも、聖職者と修道者のあの敬虔な慣習が役立つ。すなわち、夕食と昼食の食卓において、聖書から一章が朗読され、教父たちの古い習慣に従って食物が聖書の言葉で味付けされるのである。かくしてトリエント公会議は第二会期の冒頭で、司教たちの食卓に神の聖書の朗読が加えられるよう命じた。さらに、もっとも博学な者たちの規則によって定められているところに従い、神学者は日々の読書によって聖書を自らの身近なものとすることを怠ってはならない。

かくして聖アウグスティヌスは『キリスト教の教え』第二巻第九章においてこう述べている。「これらすべての書物において」と彼は言う、「神を畏れ、敬虔のうちに柔和な者たちが神の御旨を求める。この営みあるいは労苦の最初の心得は、我々が述べたように、これらの書物を知ること、すなわちまだ理解には至らずとも、読むことによって記憶に留めるか、少なくともまったく未知のままにしないことである。次いで、より巧みに、より勤勉に、一つ一つの意味を探究することである。」また聖バシリウスはイザヤ書の序文においてこう述べる。「必要とされるのは」と彼は言う、「聖書における不断の鍛練であり、それによって神の言葉の荘厳さと神秘が絶え間ない黙想によって心に刻み込まれるのである。」

第二に、同じことのための卓越した心構えは、心の謙虚な慎み深さである。これについて聖アウグスティヌスはディオスコロスに宛てた書簡第五十六においてこう述べる。「真理と聖なる知恵を把握し獲得するために」と彼は言う、「我々の歩みの弱さを神として見たもうお方が整えた道以外の道を、あなたは拓いてはならない。その道とは、第一に謙遜、第二に謙遜、第三に謙遜である。あなたが幾度尋ねても、私は同じことを言うであろう。かくしてデモステネスが雄弁において第一、第二、第三の位を発声法に与えたように、私はキリストの知恵において第一、第二、第三の位を謙遜に与える。主は謙遜を教えるために自らへりくだりたまうた」——すなわち、生まれにおいて、生きるにおいて、死ぬにおいてである。

同じアウグスティヌスが『キリスト教の教え』第二巻第四十一章においてこう述べる。「聖書を学ぶ者は」と彼は言う、「あの使徒の言葉を考えよ。『知識は高ぶらせるが、愛は建て上げる。』またキリストの言葉を。『わたしに学べ、わたしは柔和にして心の卑しき者なれば。』それは、謙虚な愛に根を下ろし基を置いて、すべての聖徒とともに、いかに広く、長く、高く、深いかを——すなわち主の十字架を——理解することができるためである。この十字架のしるしによって、あらゆるキリスト者の行いが描かれる。すなわちキリストにおいて善く働き、堅忍してキリストに依り頼み、天のことを望むことである。この行いによって清められ、我々はキリストの愛のすべてに超越する知識をも知ることができるであろう。その愛によってキリストは父と等しく、すべてのものは御子によって造られたのである。それは我々が神の充満に至るまで満たされるためである。」なぜなら、「謙遜のあるところに知恵がある」とソロモンは箴言第十一章で言い、キリスト御自身もこう言われた。「天地の主なる父よ、わたしはあなたをほめたたえます。あなたはこれらのことを知者と賢者には隠し、幼子たちには現したもうた。しかり、父よ、これは御前に御旨にかなうことでした。」

そしてまことに、もし自分自身を知るならば、無知の深淵を知ることになる。そもそも、神の知恵、天使の知恵と比べて、人間の知識とは何であろうか。人間は神からわずかなことを学び、無限のことを知らないのである。アリストテレスは、そしてそれに倣ってセネカは、偉大な才能は狂気の混合なくしては存在しなかったと常々述べ、精神が動かされなければ、何か偉大な、他に勝る事柄を語ることはできないと言った。そしてこのために酩酊を、ただし稀なものとして、称えた。見よ、アリストテレスであれ、あるいはいかなる傑出した才能であれ、もっとも深く哲学するために狂わされた精神を。それゆえ聖ベルナルドゥスは、雅歌に関する説教第三十七において美しくこう述べる。「神の認識と自己の認識が」と彼は言う、「我々の知識に先行しなければならない。義のために種を蒔き、命の希望を刈り取れ。そのとき初めて知識の光があなたたちを照らす。これは義の芽が先ず魂に達しなければ正しくは生み出されない。そこから栄光の殻ではなく命の穀粒が形成されるのである。」また聖グレゴリウスは『道徳論』序文第四十一章においてこう述べる。「聖書の神的な言葉は」と彼は言う、「浅くもあり深くもある川であり、その中で子羊は歩むことができ、象は泳ぐことができる。」

この謙遜から心の柔和と平和が生じ、それはあらゆる知恵をもっともよく受け容れるものである。なぜなら、ちょうど水が風や空気のいかなる吹きにも乱されず、動かぬままに留まるとき、もっとも澄み渡り、差し出されたいかなる像をも明瞭に映し、見る者にまさに完璧な鏡を提示するように、嵐と情念を免れた精神は、平和のこの静謐な沈黙のうちに、澄んで鋭く見通し、あらゆる真理をもっとも明瞭に把握し、鋭い判断力をもって乱されることなく洞察するのである。聖アウグスティヌスは『山上の主の説教について』において、「平和を造る者は幸いである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」の箇所でこう述べる。「知恵は」と彼は言う、「平和な者たちにふさわしい。そこではすべてのものがすでに秩序づけられ、理性に逆らう反逆的な動きはなく、すべてのものが人間の霊に従っている。人間自身が神に従っているからである。」

平和の伴侶は精神の清浄であり、これは第三の心構えであって、この学問にもっとも適したものである。「心の清い者は幸いである、彼らは神を見るであろう!」もし神を見るのであれば、神の言葉をも見ないであろうか。逆に、「悪意ある魂には知恵は入らず、罪に服する体に住むこともない。なぜなら訓練の聖霊は偽りを避け、悟りなき思いから身を退け、迫り来る不義によって責められるからである」(知恵の書第一章第四節)。聖アウグスティヌスは『独白録』においてこう述べていた。心の清い者のみが真理を知ることを望みたもうた神よ、と。しかしこれを『再考録』第一巻第四章で撤回した。なぜなら、と彼は言う、心の清くない多くの者も多くのことを真に知っている。しかしもし心が清ければ、それらのことをより十分に、より明瞭に、より容易に知るであろう。そして心の清い者でなければ、味わいのある認識から情動と実践へと流れ出す真の知恵——聖者たちの知識——には至らないのである。

聖アントニウスは、アタナシウスが伝えるところによればこう述べた。もし誰かが未来の事柄を知る欲求にとらえられているならば、清い心を持つがよい。なぜなら私は信じているのだが、神に仕える魂が、再生されたときのあの完全さに堅忍するならば、悪魔たちよりも多くを知ることができる。それゆえアントニウス自身が知りたいと望んだすべてのことは、神によってただちに啓示されたのであった。

同じことを、あの偉大な隠修者聖ヨハネが言葉と模範によって教えた。パッラディウスが『ラウシアカ史』第四十章に伝えるとおりである。

聖グレゴリウス・ナジアンゾスは、ルフィヌスが伝えるところによれば、アテネで学問に励んでいた際、夢の中で、自分が座って読書している傍らに二人の美しい婦人が右と左に座ったのを見た。貞潔の本能から、彼はやや厳しい目で彼女たちを見つめ、何者であり何を望むのかと尋ねた。すると彼女たちはいっそう親しげに、いっそう熱心に彼を抱擁してこう言った。若者よ、気を悪くなさるな。我々はあなたによく知られており親しい者である。我々の一方は知恵、もう一方は貞潔と呼ばれている。そして我々は主から遣わされてあなたのもとに住むためにやって来た。なぜならあなたは自分の心の中に、我々のために喜ばしく清い住まいを用意してくれたからである。見よ、双子の姉妹、貞潔と知恵を。

この清浄が天使的博士聖トマスを聖別した。彼自身、臨終に際して、そのレギナルドゥスにこう告げてそれを暗示した。「私は慰めに満ちて死ぬ。なぜなら主に願ったことはすべて得たからである。第一に、肉体的あるいは世俗的な事柄への愛着が精神の清浄を汚し、あるいはその堅固さを弱めることのないように。第二に、謙遜の身分から高位聖職や司教冠に引き上げられることのないように。第三に、かくも残酷に殺された兄弟レギナルドゥスの状態を知ることができるように。なぜなら私は彼を栄光のうちに見たからであり、彼は私にこう言った。『兄弟よ、あなたの事柄は良い場所にある。あなたは我々のもとに来る。しかしあなたのためにはより大いなる栄光が備えられている。』」

聖ボナヴェントゥラは、聖フランシスコが無学ではあったがもっとも清い心の持ち主であり、枢機卿たちやその他の人々から折に触れ聖書と神学のもっとも深遠な難問について尋ねられると、きわめて的確にかつ崇高に答え、神学博士たちをはるかに凌駕したと伝えている。

なぜなら、聖ゼノビウスの伝記に述べられていることはまことに真実だからである。「何にも増して聖者たちの知性は力強く、魂の清浄そのものが未来のことを推測するにあたっても、わずかな徴候から結果を察知する。」なぜなら、ユダヤ人ではあるがフィロンが正しく述べるように、「神の正統な崇拝者たちは精神に秀でている。なぜなら神の真の祭司は同時に予見者でもあるからである。それゆえ何も知らないことはない。なぜなら彼は自らのうちに叡智の太陽を有しているからである。」すなわち、ボエティウスが正しく述べるとおり、「天を統べ活かすあの光輝は、魂の暗き廃墟を避け、輝く精神に従う。」

かくしてトリエント公会議の議長ホシウス枢機卿は、もっとも高潔なる人物にしてルターの名高き弾劾者であったが、なかんずく次のことがあった。アンドレアス・デュデキウス、ティンニエンシス司教がトリエント公会議においてハンガリー聖職者団の使節として活動し、その雄弁のゆえに他の者たちの崇敬と驚嘆の的となっていたとき、ただホシウスのみが彼を疑った。なぜならホシウスは繰り返し述べていたからである——信仰からの背教の危険が彼に迫っており、彼は異端者となるであろうと。そしてそのとおりとなった。かの背教者はカルヴァンの陣営へ逃亡したのである。ホシウスはどこからこれを予見したのかと問われ、答えた。ただその人物の高慢からである、と。なぜなら彼が自らの判断に固執する者であることを認め、この落とし穴に陥るであろうと心が予感したのである。

第四に、ここにおいて祈りが必要である。それは天上の導管にして楽器であり、それによって神ご自身から神の言葉の意味を汲み出すのである。聖アウグスティヌスは『教師について』の一書を著し、その中でキリストのあの言葉がまことに真実であることを教えている。「あなたがたの師は一人、キリストである。」そして『再考録』第一巻第四章において、真理に至る道が多いと他の箇所で述べたことを撤回した。真理に至る道はただ一つ、すなわちキリスト——道であり、真理であり、命である——だけであるから。したがって預言者たちの知識と予告は神的なものであった。そして神的であるがゆえに、もっとも確実であり、もっとも崇高であり、もっとも広大であり、もっとも摂理深きものであった。

聖グレゴリウスは『対話集』第二巻第三十五章において、至福なるベネディクトゥスがある夕べ窓辺で祈っていた際、昼をも凌ぐほどの大いなる光を見たことを報告している。その光はあらゆる闇を追い払い、この光の中で、と彼は言う、全世界があたかも太陽の一条の光のもとに集められたかのように、彼の目の前に現れた。そしてなかんずく、この閃く光の輝きの中に、カプアの司教ゲルマヌスの魂が天使たちによって火の球に包まれて天へと運ばれるのを見た。ペトロはその後、全世界がいかにして彼の目によって見られ得たのかと尋ねる。

聖グレゴリウス大教皇が注解し執筆する際に聖霊が鳩の姿で傍らに座していたこと——その第一の称賛は道徳的解釈にある——については、目撃者である助祭ペトロが証言している。

それゆえ、殉教者ユスティヌスのあの神的な教理教師が、彼に聖書の読書を薦めるにあたり、同様にこの方法を与えた。「しかしあなたは、何よりもまず祈りと嘆願をもって、光の門が開かれることを願い求めよ。なぜならこれらのことは、神とキリストが理解力を授けてくださらなければ、誰にも把握され理解されないからである。」それゆえ、スコラ神学の筆頭にして聖書にもっとも精通した聖トマスが、聖なる書物を解説する際に神をなだめることにかくも大いなる望みを置いていたのは理由のないことではない。聖書のより困難な箇所を理解するにあたり、祈りに加えて断食をも用いるのが彼の常であったと伝えられている。それゆえ何よりもまず祈りと神に依り頼み、神ご自身が我々をこの神殿に導き入れ、聖なる神託を開示してくださるよう求めるべきなのである。

そしてこのことから最後に、この学問にもっともふさわしいことが生じるであろう。すなわち、我々の精神が地上の滓から清められ、情念の雲が払われ、聖なるものとなり崇高なものとなって、これら天上の教えを飲み込むに適した器とされることである。なぜなら、ニュッサのグレゴリウスが美しく述べるとおり、邪な判断や無学な心の先入観によって卑しく泥にまみれたものに視線を向けているとき、精神そのものによって識別される神的なかの親しき光を、自由にして妨げなき感覚をもって仰ぎ見ることは誰にもできない。それゆえ天上の言葉の脈と髄に達し、その深遠にして隠された奥義を澄明に観想し得るためには、心の目は高く聖なるものでなければならない。

聖ベルナルドゥスは断言することをためらわない(モン=デュー修道院の兄弟たちに宛てた書簡において)。すなわち、パウロの精神を先に飲み入れた者でなければ、誰もパウロの意味の中に入ることはなく、またダビデの歌を理解するためには、先ず詩篇の聖なる情動を身にまとわなければならない。そして聖書はまさにそれが書かれたのと同じ霊によって理解されなければならないと。そして雅歌の注解において見事にこう述べている。「この真にして本来の知恵は」と彼は言う、「読書によってではなく塗油によって、文字によってではなく霊によって、学識によってではなく主の掟の実践によって教えられる。あなたがたは誤っている、誤っているのだ、もし世の教師たちの間に、キリストの弟子たち、すなわち世の蔑視者のみが神の賜物によって達する事柄を見出せると思うならば。」

カッシアヌスは、聖なる修道士テオドロスが文字をまったく知らず、字母すら読めなかったにもかかわらず、聖なる巻物においてはきわめて熟達しており、もっとも博学な者たちから相談を受けるほどであったこと、そして彼が常々こう語っていたことを伝えている。書物を繙くよりも悪徳を根絶することにこそ、より多くの労力を費やすべきである、と。なぜなら悪徳が追い払われれば、情念の覆いが取り除かれ、天上の光を受け入れる心の目が、聖書の奥義を自ずと観想し始めるからである。まことに、このいのちの聖性こそが、フランシスコ、アントニウス、パウロといった無学の人々に、神の言葉のもっとも崇高な奥義と秘密を、あらゆる者にもまして教えたのであった。

同様にして聖ベルナルドゥスは、黙想によって聖書の理解を、そしてそこからあの知恵と蜜のごとき雄弁の才を得た。それゆえ彼自身、繰り返しこう語るのが常であった。すなわち、聖書の学びにおいて自分にはブナの木と樫の木以外に師はいなかった、と。それらの木々の間で、すなわち祈りと黙想のうちに、聖書のすべてが自分の前に提示され解説されるのを見る思いがした、と。その伝記の著者が第三巻第三章と第一巻第四章で述べるとおりである。

まさに同じことが預言者たちにも起こったのである。イアンブリコスのあのよく知られた言葉がある。ピタゴラスの教えは神的に授けられたものであるがゆえに(彼自身が弟子たちを欺いてそう信じさせたのであるが)、何らかの神が解説するのでなければ理解できない。それゆえ弟子はそのきわめて必要とする神の助けを懇願しなければならない、と。

神から追放されたユダヤ人たちは地を這い、聖なる書物の乾いた表皮にかくも固くしがみついて、髄の甘美さをいささかも味わうことがない——つまらぬ事柄の行商人にして作り話の捏造者である。異端者たちは、かくも広大にして不確実な海を、自らの才知の櫂と帆にのみ頼り、北極星にも天の星にも目を向けることなく渡ろうとするがゆえに、決して港に着くことがなく、常に波間に翻弄されている。そして彼らが吐き気がするほど読むものを理解しない。ただ腹の奴隷として、胃の自由と下腹の快楽についてのことを掴み、掴んでは奪い取るのみである。それゆえここにデロスの泳ぎ手が必要なのではなく、聖霊と天の使いたちの導きが必要なのであり、海の星にしてそれを照らすマリアに目を据えて、この航海に乗り出さねばならない。彼女が我々の前に松明を掲げてくださるであろう。

願望の人ダニエルは、カルデアの王の夢と、エレミヤに記されたイスラエルの流浪七十年の数を、祈りによって理解し、ガブリエルに教えられた。

エゼキエルは口を開いて(すなわち神に向けて)、神から一巻の書を食させられた。その書には嘆きと歌と禍が、表にも裏にも書かれていた。

奇跡者と称されるグレゴリウスは、至福なる聖母の崇敬者であったが、夢の中での聖母の勧告と命令により、聖ヨハネからその福音書冒頭の解説を、オリゲネス主義者に対抗するべく神的に発された信条のうちに受けた。ニュッサのグレゴリウスがその伝記においてこれを証言し、その信条をも記している。

聖パウロに対してかくも大いなる帰依を抱いていた聖ヨハネ・クリソストモスがその書簡の注解を口述していた際、聖パウロの姿をした者が彼の耳元に立ち、書くべきことをささやいているのが見られた。

アンブロシウスは、彼の事績について述べた聖パウリヌスの言を信じるならば、説教において聖書を解き明かしていた際、天使に助けられているのが見られた。

それゆえ、もし聖なる魂をもって、もし祈りと神への信頼に支えられてこの営みに臨み、そして勤勉な労力を傾けて、一日として(聖ヒエロニムスが、テルトゥリアヌスを日々読んでいた聖キプリアヌスについて伝えるように)「師を与えたまえ!」と求めない日がないようにするならば、ここにあるいかなる困難も迅速な容易さをもって克服するであろう。そして知恵の表皮に輝くものがあなたを元気づけ、天上の富の髄にあるものがあなたをいっそう甘美に養うであろう。また最後に、たとえ聖書全巻を暗記している者であっても、もっとも怠惰な異端者をも恐れることはないであろう。なぜならこれこそ彼らのほとんどすべての学びであり、それをもって我々を攻撃するからである。同じ武器をもって迎え撃ち、これら不当な占有者から我々のものを取り戻すのがふさわしい。かくして彼らとこの方法で大胆に白兵戦を交え、彼ら自身の武器をもって彼らを打ち倒すのである。また、いかに学識と名声を備えた教授職をも恐れることはない。安心して確信に満ち、学識ある思想をふんだんに備え、堅固にして真正の聖なる教えを身に帯びて、説教者としての務めを果たすであろう。さらにスコラ神学はこれを決して自らの損害とはみなさず、むしろ進んで姉妹への助力を迎え入れるかのように右手を差し伸べ、両者の利益のために労苦を分かち合うであろう。


著者の方法(第四十八段)

四十八、私自身に関して言えば、いかに大いなる重荷を担い、いかに道なき道を歩まねばならないかを、私は知り感じている。なぜなら、しばしば不確かな成果しかもたらさない冗長な注解を繙くことと、教父たちから簡潔に意味を汲み取り、歴史的なものと寓意的なものを結びつけ、一方を他方から区別することとは、はるかに異なるからである。私は知っている、ナジアンゾスのグレゴリウスに導かれて(復活祭に関する説教第二)、粗い理解力で文字にとどまる者たちと、寓意的思索にのみ過度に耽溺する者たちとの間の中道を歩まねばならないことを。前者はユダヤ的で卑しく、後者は不適切にして夢解き師にふさわしい。いずれも等しく非難に値する。そして聖アウグスティヌスが教えるように(『神の国』第十七巻第三章)、聖書のすべてが寓意的意味に包まれていると主張する者たちは、私にはきわめて大胆に見える。オリゲネスがこの極端に陥ったように、歴史的真理を避け——否、破壊し——しばしばその代わりに何か象徴的なものを置き換えた。アダムの肋骨からのエバの形成を霊的に、楽園の木々を天使的な力として、皮の衣を人間の肉体として理解しようとし、多くの同様の事柄を神秘的に解釈した。そして「自らの才能を——否、あまりに卓越した才能を——教会の秘蹟としてしまった」のである、と聖ヒエロニムスがイザヤ書注解第五巻で述べている。それゆえ彼はあの批判を招いた。「オリゲネスが良い場合、彼に勝る者はない。悪い場合、彼より劣る者はない。」カッシオドルスの言である。しかし誰がこれらを区別し判定するオイディプスとなるであろうか。聖ヒエロニムスが祭司について述べたこと——「多くの祭司がいるが、真の祭司は少ない」——を、私はまことにここで解釈者について言おう。多くの解釈者がいるが、真の解釈者は少ない。アンブロシウスとグレゴリウスはほとんど神秘的意味のみを述べる。アウグスティヌス、クリソストモス、ヒエロニムス、その他の教父たちは、同じ論述の流れの中に歴史的意味と神秘的意味を交互に織り込むので、歴史的意味——それは土台となるものである——を教父たちの中から探り出すためにはリュディアの試金石以上のものが必要である。そしてギリシア語とヘブライ語の原典に通じ、その本来の表現を再現し、それを余すところなく我々の版と調和させた解釈者は何人いるであろうか。ではどうすべきか。私はここで労苦し努力しなければならないと悟る。多くを読み、多くを問い、蜜蜂を模倣して、精選された探究から、目的にもっともふさわしい花々より蜜を産み出すべく。すなわち、まず精確な調査によって歴史的意味を探り出し、様々な著者の間でそれが異なる場合は示し、しばしば不安げにして動揺する聴衆を困惑させる意見の多様さの中から、本文にもっとも合致するものを選び出し提示するのである。この点において私は常に、トリエント公会議の教令に従い、ウルガタ版を擁護すべきであるとの立場を堅持してきた。しかしヘブライ語が異なるように見える場合には、それがウルガタと一致することを示す努力をし、異端者たちに答える。そしてもし彼らが我々のものに反しない敬虔な、あるいは学術的な別の解釈を示唆するならば、それを提示する——ただしヘブライ語をラテン語の言葉で表すことにより、ヘブライ語を知らない者が理解でき、知っている者が原典を参照できるようにする。しかしこれは控えめに、事柄が要求する場合にのみ行う。

ラビたちに関しては、カトリックの博士たちと一致する場合を除いて、あるいは隠された名のもとに暗黙のうちにキリスト教の著者たち——とりわけ聖ヒエロニムス——に従っている場合を除いて、彼らとはいかなる関わりも持たない。多くの箇所でこのことが発見されている。その他の点では、この種の人々はエルサレムの滅亡以来、卑俗にして凡庸、鈍くして一切の学識を剥奪されており、全民族が王国、都市、政治体制、神殿、そして学問を奪われて荒廃している。ホセア書の預言のとおりである。王もなく、君侯もなく、犠牲もなく、祭壇もなく、エフォドもなく、テラフィムもなく。神秘的意味に関しては、私は決して自ら捏造することなく、常にその著者に帰し、それがより顕著である場合は簡潔にこれを包括し、そうでなければ指を原典に向けて、どこに求めるべきかを示す。さらに、パウロ書簡において用いたよりも大いなる簡潔さをもってこれらすべてを遂行し、数年のうちに数巻をもって(もし神が力と恩寵を賜るならば)聖書全巻の行程を終えるのである。しかし、ここに要求されるたゆまぬ労苦と研鑽、すなわち鋭い判断力をもって、ギリシア語、ヘブライ語、ラテン語、シリア語、カルデア語、および写本の異読を参照し、もっとも相反する方向に向かうギリシアの教父たち、ラテンの教父たち、より近世の解釈者たちの、かくも冗長な著作を繙き、各々について判断を下し、何が誤りであり、何が信仰の事柄であり、何が確実であり、何が蓋然的であり、何が蓋然的でないか、何が字義的であり、何がもっとも真正な意味であり、何が寓意的、道徳的、天上的であるかを見極め、すべてを蒸留して三言に凝縮し、しばしば真正の字義的意味そのものを自ら発見し、氷を最初に砕く——これを経験した者でなければ信じないであろう。


第一部の結辞と結論

教師の要約においてこのすべての労苦を享受する聴衆と読者は幸いである。教師は殉教を望むべきであり、血の代わりにもっとも高貴な能力を神に奉献し注ぎ出し、それとともに目、脳、口、骨、指、手、血、精力のあらゆる一滴と命そのものを、緩やかな殉教によって、先に自らのものを与えたもうたお方——我ら哀れな死すべき者のための神——にお返しすべきである。「わが力をあなたのために守ります」。私は利益を追わず、喝采を追わず、栄光の煙を追わない。非難しようと、称賛しようと、拍手しようと、野次を飛ばそうと——私は意に介さない。私はかくも愚かでもなく、かくも小さき精神でもなく、かくも安価な虚栄のために労苦と生命を売り渡すようなことはしない。誰が、聖トマスのように世に別れを告げ、十字架上のキリストから「トマスよ、あなたはわたしについてよく書いた。では、いかなる報いを受けるか。」と聞くならば、ただちに彼とともに「主よ、あなた以外に何もありません」——わが報いはまことに大いなるもの——と答えないであろうか。世は私にとって十字架につけられたものであり、私は世にとって十字架につけられたものである。わが業はわがものにあらず、あなたの賜物である。あなたのものをあなたにお返しする。あなたはわが幼き日に教え、道なきところに道を示し、心と体の弱さを強め、あなたの光によって暗闇を払いたもうた。なぜなら、あなたは世の弱きものを選びて強きものを辱め、世の卑しきもの、蔑まれたるもの、無きに等しきものを選びて、有るものを滅ぼしたもう。いかなる肉もあなたの御前で誇ることのないためであり、誇る者はただあなたにおいてのみ誇るためである。では何であるか。すべての果実、新しきも古きも、わが愛する者よ、あなたのために取り置きました。我はわが愛する者のもの、わが愛する者は我のもの、百合の中に憩うお方。あなたの心の上に印章のように、あなたの腕の上に印章のように我を置きたまえ。愛は死のように強く、妬みは陰府のように堅い。没薬の束はわが愛する者、わが乳房の間に憩う。そしてこの没薬の後に、キプロスの房はわが愛する者、エンゲディの葡萄園にて。このことを豊かに賜らんことを、私はすべての聖人たち、とりわけわが保護者たち、永遠の知恵の母なる聖母マリア、聖ヒエロニムス、そして今手元にあるモーセに、絶えず祈り求める。聖パウロが聖ヨハネ・クリソストモスを助けたように、彼自身が私にとって天使的な師として傍らに立ち、私にとって執筆において、他の者たちにとって読書において、両者にとって理解において、そして同じ知恵を持ち、望み、成し遂げ、他の者たちにこれを教え勧めることにおいて、導き手にして師となりたまわんことを。聖徒たちの成全のため、務めの業のため、キリストの体の建設のため、我々すべてが信仰と神の子の認識の一致に至り、成熟した人に至り、キリストの満ちあふれる成長の量りに至るまで——キリストこそ我々の愛、我々の目的、我々の目標であり、すべての行路と学問と生と永遠の到達点である。

アーメン。


第二部:モーセ五書と旧約聖書の効用と実り

旧約聖書はいわばユダヤ人に固有のものであり、キリスト教徒にとっては同等に有用でも必要でもない、神学者にとっては福音書を知り、書簡を読んで理解すれば十分である、と自らに言い聞かせる者たちがいる。この確信は実践的なものであるがゆえに、実践的な誤りである。もし思弁的なものであれば異端となるであろう。いずれも有害であり、いずれも排除されなければならない。


旧約聖書を排斥する異端

51. これは魔術師シモンとその追随者たちの異端であり、次いでマルキオンの、またペルシア人クルビクス(その民は彼を、いわばマンナを注ぐ者として、敬意を込めてマネスまたマニカエウスと呼んだ)の、さらにアルビジョワ派の、近年ではリベルティヌス派の、また一部の再洗礼派の異端であった。彼らはモーセとともに旧約聖書を排斥した――ただし、その根拠は異なっていた。シモン、マニ教徒、マルキオン派は、旧約聖書は邪悪な力と悪しき天使たちによって生み出されたものだと教えた。すなわち、この聖約は、光の前から永遠に闇の中に住んでいたある神、善悪の知識の木の実を人に食べることを禁じた神、楽園の片隅に身を潜めた神、楽園に番人の天使を必要とした神、怒り・熱情・そして嫉妬にさいなまれる神――怒り深く、復讐心に満ち、無知であり、「アダムよ、お前はどこにいるのか」と尋ねる神を描写している、と彼らは言う。リベルティヌス派は文字ではなく、自らの理性と性向を信仰と道徳の導き手とした。再洗礼派は霊の熱狂によって動かされ教えられていると豪語する。あらゆる怪異を目にしてきたこの我々の時代は、世界の三人の詐欺師――モーセ、キリスト、ムハンマド――に関する冒瀆の三頭政治を白日の下にさらした狂信者をも目にした(語り続けるのは戦慄を覚える)。

我々の陣営の中で、時間の不足、労苦、あるいは無用であることを口実として旧約聖書の軽視を弁護する者たちの確信は、より容認し得るものである。しかし実際には彼らは誤っており、すべての者の誤りは結局同じところに帰着する――すなわち、モーセと、預言者たちと、使徒たちと、教会の見解と、教父たちと、理性と、キリストと、父なる神および聖霊とに背く誤りである。


旧約聖書を擁護する論拠

モーセとともに。申命記17章8節において彼はこう言う。「もし難しく曖昧な裁きがあなたがたの間に生じたならば、等々、主がお選びになった場所を司る者たちが告げること、また彼らがその律法に従って教えることを、あなたがたは行わなければならない。」信仰、道徳、儀式に関する新旧の論争は、神の律法によって裁かれなければならないこと、また祭司と神学者がそれらを解決するためには、律法をリュディアの試金石として用いなければならないことを、ここに見ない者があろうか。ゆえに彼らは、古い律法にも新しい律法にも精励しなければならないのである。

預言者たちとともに。イザヤは8章20節で叫ぶ。「むしろ律法へ、そして証しへ。」マラキは2章7節で言う。「祭司の唇は知識を守り、人々はその口から律法を求める。」ダビデは詩篇118篇2節でこう述べる。「主の証しを尋ね求める者は幸いである。」そして18節で、「わたしの目を開いてください、そうすればあなたの律法の驚くべきことを悟りましょう。」

使徒たちとともに。聖ペトロは第二書簡1章19節でこう言う。「わたしたちは、いっそう確かな預言の言葉を持っています。あなたがたはこれに、暗い所に輝くともしびに注目するように、よく注意を払うがよいのです。」またパウロは第二テモテ書3章14節でテモテを称賛する。彼が幼少の頃から聖なる文書(もちろん、当時唯一存在していた旧約のもの)を学んでいたことを。パウロはこう言う。「それらはキリスト・イエスへの信仰を通して、あなたを救いへと導く知恵を与えることができます。神の霊感によるすべての聖書は、教え、戒め、矯正し、義に導く訓練のために有益です。それは、神の人が完全な者となり、あらゆる善い業のために整えられるためです。」

キリストとともに。主はヨハネ5章39節でこう仰せられる。「聖書を調べなさい。」聖ヨハネ・クリソストモスが注解するところでは、主は「聖書を読みなさい」とは言わず、「調べなさい」と言われた――すなわち、労苦と勤勉をもって聖書の隠された宝を掘り出しなさい、ちょうど鉱脈の中の金銀を熱心に探し求める者たちのように、ということである。

53. 教会の見解とともに。教会は聖なる典礼において、食卓において、図書館において、教授座において、旧約聖書を新約聖書と等しく提示し提案する、その最も忠実な守護者として。教会はトリエント公会議において、改革に関する第一章全体で、聖書の恒久的な朗読がいたるところで復興され制定されるよう命じた。教会は司教たちに、将来の教会の牧者として、叙階の前に、旧約聖書と新約聖書の両方を知っていることを誓約するよう義務づけた――この応答と誓約については、シルウェステルらがより穏やかな解釈で緩和しているとはいえ、まさにその言葉を慎重に量った、より賢明な幾人かの者たちに良心の呵責を生じさせ、偽りの誓約で自らを縛ることのないよう、このゆえに司教職を辞退するに至ったのである。

父と子と聖霊とともに。聖なる三位一体は四千年にわたり、幾多の戦争と王国の嵐を通じて、旧約聖書をかくも健全に無傷のまま保存されたが、それは我々に読まれることを望まれたからにほかならない。ヨシュア記1章8節にこうある。「この律法の書をあなたの口から離してはならない。昼も夜もこれを黙想しなければならない。」それを冒涜した者たちを、かくも厳しい復讐をもって罰されたのは、何のためであったのか。

ヨセフスとアリステアスは『七十人訳者について』において次のように伝えている。著名なテオポンポスが、ヘブライ人の聖なる書物から何かをギリシア語の文体で飾ろうとしたとき、精神の動揺と混乱に打たれ、企てを断念せざるを得なくなった。そして神に祈ってなぜこのようなことが自分に起こったのかを知ろうとしたところ、神の言葉を受けた――彼が神聖な文書を汚したためであると。また悲劇作家テオデクテスは、ユダヤ人の聖書から何かを演劇作品に移そうとしたとき、この軽率さの報いとして盲目に打たれた。すなわち、直ちに打たれ、視力を奪われ失った――やがて、双方とも自らの大胆さの罪を認め、行ったことを悔い改め、神から赦しを得て、一方は視力を、他方は精神を回復したのである。


七十人訳聖書とギリシア語翻訳者たち

キリスト以前250年、神はプトレマイオス・ラゴスの子プトレマイオス・フィラデルフォス(兄アレクサンドロス大王のエジプト王国を継承した者)の心に、大祭司エレアザルを通じてヘブライ人の各部族から最も学識ある者六人ずつ――すなわち七十二人の翻訳者――を選び、旧約聖書をヘブライ語からギリシア語に翻訳させるよう霊感を与えた。そして神は彼らを助け、七十日間で全員の完全な合意のもとに作業を完成させ、同じ意味のみならず同じ言葉においてさえ一致させた――しかもこれは、ユスティヌス、キュリロス、アレクサンドリアのクレメンス、アウグスティヌスを信じるならば、それぞれが別々の小部屋で独自の翻訳を鍛え上げていたときのことであった。フィラデルフォスはなぜ、この七十人訳がアレクサンドリア図書館長デメトリオスによって、ヘブライ語原稿とともに自身の図書館に収蔵され、注意深く保存されるよう取り計らったのか。実にテルトゥリアヌスは『弁明』において、それが自らの時代に至るまでそこに保存されていたと証言している。明らかに神は、これらがギリシアの諸民族に、そして彼らを通じてラテンの諸民族に――すなわち我々に、我々の神学者たちに――委ねられ、世界のあらゆる地域に、学問の府や都市に配布されることを望まれたのである。

54. キリスト以後、同じ旧約聖書の、かくも多くの翻訳者、証人、守護者を、神はなぜ与え、あるいは備えられたのか。エピファニオスによれば、七十人訳者の後の第二の聖書翻訳者はポントスのアキュラスであり、彼はハドリアヌス帝の治世第十二年にヘブライ語聖書をギリシア語に翻訳した。しかし彼はキリスト教徒からユダヤ教徒に転じたため、その忠実さは十分に信頼に足るものではない。

彼の後、より忠実に、テオドティオンが現れた。かつてはマルキオン派であったが改宗したユダヤ人であり、コンモドゥス帝の治世下で活動した。その翻訳のうちダニエル書に関するものは教会が受け入れ、従っている。第四の翻訳者は、セウェルス帝の治世下のシュンマコスで、最初はエビオン派、のちにユダヤ教徒となった者である。第五は無名の翻訳者で、その翻訳はエリコの町のある壺の中で、セウェルス帝の後を継いだカラカッラの治世第七年に発見された。第六もまた無名の翻訳者で、同様にニコポリスにおいて壺の中から、マンマエアの子アレクサンデル帝の治世下に発見された。この二つは一般に第五版・第六版と呼ばれている。

オリゲネスはこれらすべてを集め、そこからテトラプラ、ヘクサプラ、オクタプラを編纂した。また腐敗した七十人訳をも校訂し、その出来は実に見事であったため、彼の版はすべての人に受け入れられ、「共通版」と見なされ、そう呼ばれた。第七は聖ルキアヌスで、ディオクレティアヌス帝の治世下の司祭にして殉教者であり、ヘブライ語からギリシア語への新たな版を手がけた。

最後に、ラテン教会の太陽である聖ヒエロニムスが、福者ダマスス教皇の命により、旧約聖書をヘブライ語からラテン語に翻訳した。千年にわたりウルガタと呼ばれるその翻訳を、教会は公的に採用し承認しており、例外はわずかである。神がこれらすべてを、かくも労苦を重ね、かくも学問的配慮をもって備えられたのは、この古い書物の聖なる宝を、汚されることなく、我々が読み、教え、研究するために伝えるため以外の何であったのか、と私は問うのである。


教父たちによる旧約聖書の弁護

55. この確信は教父たちと相容れない。聖アウグスティヌスは、モーセ五書と旧約聖書の真理と有用性を擁護するために、『ファウストゥス反駁』三十三巻以上を著し、さらに『律法と預言者の敵対者に対する反論』二巻を著した。テルトゥリアヌスは同じ大義のために『マルキオン反駁』四巻を著した。教父たちは例外なく、旧約聖書の巻物を繙き解説する労に従事した。聖バシリウスと、その追随者ないし解釈者である聖アンブロシウスは、創世記についてのヘクサエメロン(天地創造六日間の書)、詩篇について、またイザヤについて著した。オリゲネスは創世記について四十六巻を著し、聖ヨハネ・クリソストモスは三十二の説教を行った。

モーセ五書について、キュリロスは『霊と真理による礼拝について』十七巻を著した。同じく聖アウグスティヌス、テオドレトス、ベーダ、プロコピオス、ヒエロニムスが問題と語句を発表した。それは当然のことであった。聖アンブロシウスが書簡44で述べているように、神の聖書は海であり、その内に深遠な意味と預言の謎の深淵、すなわち旧約聖書の深みを秘めているからである。

聖ヒエロニムスは『エフェソ書簡への序文』において、聖書研究についてこう述べている。「わたしは若い頃から、読むことも、知らないことについて学者たちに問うことも、決してやめなかった。わたしは決して(多くの者がそうするように)自分自身を自分の師としなかった。ついに、ごく最近、何よりもこの理由のためにアレクサンドリアに赴き、ディデュモスに会い、聖書について抱いていたすべての疑問を彼に相談したのである。」聖アウグスティヌスは『キリスト教教養について』第二巻第六章で、かくも入り組んだ困難な聖書の研究が人間を高慢からも倦怠からも呼び戻すよう、神の摂理によって備えられたと教えている。同じ聖アウグスティヌスは『告白録』第十二巻第十四章でこう言う。「驚くべきはあなたの言葉の深さです、主よ。見よ、その表面は我らの前にあり、幼き者たちを慰撫します。しかし驚くべき深さです、わが神よ、驚くべき深さです。それを見つめるのは畏怖すべきことです――誉れの畏怖、そして愛の戦慄であります。」それゆえ、書簡119においてもこう述べている。「わたしは聖書そのものにおいて、知っていることよりも知らないことのほうがはるかに多いことを告白する。」

そしてこの主題を締めくくるに当たり、スコラ学の第一人者である聖トマスは、スコラ神学を聖書と姉妹のように不可分に結合すべきであるという輝かしい模範を我々に示した。聖書に対する彼の愛、その研究、その祈り、その断食、預言書、雅歌、ヨブ記、その他の旧約聖書の書に対する彼の注解がいかなるものであったかは、皆が知るところである。その中でも、我々の創世記に対する注解は(それが確かに彼のものであるならば、このことについては後に述べる)卓越し学識に富むものである。


聖書研究における聖人たちの模範

彼の修道会から最初に現れた聖アントニウス・パドヴァヌスは、聖フランシスコ自身がまだ存命で見守る中、この聖なる文字を教えた人物であり、旧約聖書にも新約聖書にも精通していたため、教皇の前で説教した際には、教皇から「契約の箱」と呼ばれて迎えられた。聖ベルナルドゥスについては省く――彼は何を語るにせよ、聖書の言葉をもって語る。福者アルフォンソ・トスタド、アビラの司教についても省く――彼はこのデカテウコス(十巻の書)と旧約聖書歴史の個々の書について、それぞれ真に偉大な巻を、鋭い判断力と勤勉さをもって著した。かつて彼の著作を繙き、今いっそう精密に再読している私にとって、彼は助けに劣らぬ労苦をもたらすのである。

カンタベリー大司教聖エドムンドゥスは、救いの年1247年に、昼も夜も聖なる文書に費やし、夜をも不眠で過ごした。その敬虔さたるや、聖書を開くたびに、まず接吻をもってこれを敬ったほどであった。彼について次の記憶すべき話がある。使節の任務中、夜に聖書を常のごとく読んでいたところ、眠りに襲われた。蝋燭が書物の上に落ち、炎がこれを捕えた。目覚めた彼は、書物が燃えたと思い嘆息した。書物に付着した灰を払い落とすと、見よ、その写本が完全に無傷で損なわれていないのに驚嘆したのである。

聖カルロ・ボッロメーオは、あたかも快楽の園にいるかのように、絶えず聖書の中に住んでいた。そして司教には庭園は不要であり、その庭園とは聖書であると常々語っていた。

56. これは古き教父たちの時代だけの見解ではなく、スコラ神学がすでに繁栄し盛んであったこれらの世紀の見解でもあった。聖なる神学博士聖ドミニコは、旧約聖書と新約聖書を頻繁に繙いた。ローマやその他の地で、その多くの書を公に教えた。これにより彼は初代教皇宮殿学頭に任ぜられた。そしてその時以来、この職位は説教者修道会に帰属したのである。その伝記の著者が第四巻第四章において、素朴であるが真摯な文体でこう述べるのを聞かれたい。「聖書の知識なくしては誰も完全な説教者たり得ないがゆえに、彼は兄弟たちに常に旧約聖書と新約聖書を研究するよう勧めた。哲学者たちの虚構を彼はほとんど顧みなかったからである。ゆえに、説教に遣わされた兄弟たちは聖書のみを携えて行き、多くの者を悔い改めに導いたのである。」

聖ヴィンセンティウス・フェレリウスは、我々の曽祖父たちの記憶に残る人物で、イタリア、フランス、ドイツ、イングランド、スペインを巡歴し、少なくとも十万人を回心させたが、説教のためにただ一冊の聖務日課書と聖書のみを持ち歩いていた。

聖ヨルダヌスは学者であり、聖ドミニコの後の第二代総長であったが、説教者たちから「祈りに専念するのがよいか、それとも聖書の研究に専念するのがよいか」と問われたとき、いつもの調子で機知に富んだ答えをした。「常に飲んでいるのがよいか、常に食べているのがよいか。確かに、交互に両方が必要であるように、祈ることと聖書を研究することも交互に行うのがふさわしいのである。」そして聖バシリウスが言うように、「読書が祈りに続き、祈りが読書に続くようにせよ。」

57. 同様に聖フランシスコも、弟子たちから求められて、聖なる文書の研究を許可したが、ただし祈りと信心の霊を消してはならないという条件のもとであった。


聖霊の筆としての聖なる著者たち

58. 最後に、理性が旧約聖書の有用性と必要性を説得する。モーセ、ダビデ、イザヤは、ペトロ、パウロ、ヨハネと同様に、いわば天使たちの集いに迎え入れられて、真理の泉そのものから知恵を汲んだ。そして、福者グレゴリウスとテオドレトスが正しく述べるように、これらの聖なる著者たちの舌と手は、同じ聖霊の筆にほかならなかった。それゆえ彼らは、異なる著者たちであったというよりも、一人の著者の異なる筆であったかのようである。したがって、モーセにもパウロにも、いやむしろモーセを通じて、またパウロを通じて語られた聖霊にも、同じ真理、権威、敬意、熱意、勤勉さが帰せられなければならない。聖霊によって書かれたことはすべて、我々の教えのために書かれたのだからである。実に聖霊は、人類にとって必要な、あるいは有益な、そのすべての知恵を、その神性の深淵から我々に伝えようと望まれたものを、旧約聖書と新約聖書の両方に包含された。この書は神の書であり、御言葉の書であり、聖霊の書であって、そこには余剰なるものも過度なるものもなく、著者の多様さにおけると同様に、主題の多様さにおいても、そしてすべての部分の最も美しい調和においても、すべてが互いに一致し、この神の業の全体を完成し成就するのである。したがって、もし一つの部分を取り除くならば、全体を損なうことになる。ゆえに、哲学者がアリストテレスの全著作を繙かねばならず、医師がガレノスを、雄弁家がキケロを、法学者がユスティニアヌスの全著作を繙かねばならないように、それ以上に神学者は、この神の書全体を繙き、精査し、擦り減らすまで読まねばならない。そして、形而上学を切り詰める者が哲学を切り詰めるように、聖書を切り詰める者は神学を切り詰めるのである。形而上学が哲学にその原理を与えるように、聖書が神学にその原理を与えるからである。これこそキリストがこう仰せられたとき意味されたことにほかならない。「天の国について学んだすべての学者は」――すなわちすべての博士、すべての神学者は――「その宝の中から新しいものと古いものとを取り出す。」


旧約聖書の六つの有用性

一、旧約聖書は信仰を確立する

59. しかし、事柄を目の前に明らかにし、旧約聖書のより輝かしい実りのいくつかを列挙するために述べよう。第一に、旧約聖書は、新約聖書と同様に、信仰を確立する。世界の始まり、創造、そして創造主を我々はどこから知るのか。信仰によって、神の言葉によって世々が整えられたことを我々は悟るからではないか。いかなる言葉によってか。まさしく創世記1章のあの言葉によってである。「光あれ、光る天体あれ、我々は人を造ろう」等々。不死の魂、人間の堕落、原罪、ケルビム、楽園について、我々はこれらのことを語る同じ創世記からでなければ、どこで学んだのであろうか。エウセビオスは『福音の準備』第十一巻全体において、プラトンが――聖アウグスティヌスと、彼以前のすべての教父たちが、アリストテレスやその他すべてに優る神的な者として従ったプラトンが――神について、神の言葉について、世界の始まりについて、魂の不死について、来るべき復活と審判、刑罰と報酬について、モーセから汲み取ったことを教えている。神の摂理をどこから認めたのか。かくも多くの時代の継承からでなくて何からか。諸民族、王たち、王国の広がり、世界の大洪水、復活と永遠の生命への希望を、古い歴史から、ヨブと古の人々の忍耐から、族長たちの絶えざる巡礼からでなければ、どこから引き出したのであろうか。使徒はこう言う。「信仰によって、アブラハムは約束の地に、異国にいるかのようにして寄留した。同じ約束を共に受け継ぐイサクおよびヤコブとともに天幕に住んだ。彼は、建築家であり造り主である神が設計された堅固な基礎を持つ都を待ち望んでいたからである。」そしてこのことから我々の希望は研ぎ澄まされ、精神は奮い立つ。自分がここでは旅人であり寄留者であることを思い起こし、天の故郷を慕い、この世において何も欲せず、何も驚かず、すべてを踏みつけ、塵芥と見なし、聖ヒエロニムスとともにかのソクラテスの言葉を繰り返し自らに歌うのである。「わたしは大気の中を歩き、太陽を見下ろす。」わたしは天に昇る。この地上を、いや天そのものと太陽をも蔑視する。わたしは地上のではなく天の相続人であり主として登録されている。心において、希望において、あらゆる思いにおいてそこを目指し、星々の上を飛翔する。わたしは聖徒たちの市民であり、神の家の者であり、楽園の住人である。その他のものはすべて、卑しく、わたしにふさわしくなく、低く、取るに足らぬものとして、踏みにじるのである。

全聖書の中で、天使の本性、職務、守護、そして祈願を、トビト記ほど明瞭に確立する書があろうか。煉獄と死者のための祈りを、マカバイ記ほど明確に確立する書があろうか。我々の革新者たちは、他に逃げ道がないのを見て、勝利を絶望し、征服されることは確実で征服することはあり得ないと悟り、やむを得ず激怒に駆られて、これらを聖なる正典から除外したほどである。

しかし逆に、これらの書の中にいかに多くの異端が隠れ場を求めていることか。ユダヤ人は申命記23章19節の「同胞に利息を付けて貸してはならない。ただし異邦人には貸してよい」という箇所から、キリスト教徒に対して合法的に高利貸しを行い得ると頑なに主張する。魔術師たちは、魔術の弁護のために、モーセと同じく突然の魔力をもって蛇を杖に、杖を蛇に変えたファラオの魔術師たちを証人として引き合いに出し、称賛する。降霊術の弁護のために、サムエルを死者の中から呼び起こし、サウルに迫り来る死と災禍の真実の神託をもって打った巫女を引き合いに出す。手相術の弁護のために、ヨブ記37章のかの箇所を持ち出す。「すべての人の手に印を押し、すべての者がその御業を知るようにされる。」

カルヴァンは、ダビデのかの言葉「主は彼(シメイ)にダビデを呪うよう命じた」(列王記下16章10節)から、神が悪しき行いの創始者、まさしく命令者であることを(彼が思うところでは)証明する。出エジプト記のかの箇所「わたしはファラオの心を頑なにする」および「わたしがお前を立てたのは、お前においてわが力を示すためである」から、遺棄の不可避的運命を構築する。エレミヤ書18章6節において、エレミヤが我々を陶工の手の中の粘土のごとく神の手の中に置いていることから、意志の束縛を主張するのである。

数年前、ザクセンのルター派の神学者どもと空論家たちは、レーゲンスブルクの討論において――伝承を排斥し、信仰の論争の最終審判者として神の言葉のみを確立するという――自らの主張の全重量を、申命記4章2節のかの箇所に置いた。「わたしがあなたがたに語る言葉に付け加えてはならない。また、そこから取り去ってもならない。」そして12章32節、「わたしがあなたに命じること、これだけを主のために行え。何も付け加えてはならず、何も減じてはならない。」

もしここに精通していなければ、あなたはここで何をなし得るのか。もしここでつまずくならば、もしこれらのことを読みもせず、聞きもせず、学びもしないならば、もし源泉そのものにしばしば立ち帰らないならば、教会の醜聞をもって、いかにして彼らの笑い者とならずにいられようか。聖アウグスティヌスはこれが必要であると教えている。実に、ヘブライ語のツァヴァが何を意味するか――すなわち「神はシメイに命じた」等――を知らない者は、カルヴァンの罠から逃れることができない。しかし、そのヘブライ語法を知る者、すなわちツァヴァが「定める」「備える」「配置する」を意味し、積極的・消極的・許容的な神の摂理のすべてを表すことを知る者は、この武器を蜘蛛の巣のように吹き飛ばすであろう。同様のヘブライ語法を、個々の章においてしばしば指摘するが、ヘブライ語からでなければ決して理解できないものである。

二、旧約聖書の豊かさ

60. 旧約聖書のこの第一の有用性は二重のものである。第二の有用性もそれに劣らない。すなわち、旧約聖書は新約聖書よりもはるかに豊かであるということである。箴言、コヘレトの言葉、集会の書には豊富な倫理を、モーセの事績と司法的・祭儀的律法には驚くべき政治学を見出し得る。教会はそこから多くのものを借用し、教会法の著者たちも、またいくらかの市民法の事項も同様である。預言者の中には神託が、申命記と預言者の中には説教がある。そして、今ここで問題としていること、すなわち世界の創造から士師たち、王たち、そしてキリストの時代に至る歴史は――最も確実で、最も秩序立ち、最も多様で、最も心楽しいものであり――デカテウコス(十巻の書)の中に見出し得る。

四重の律法がある。無罪の律法、自然の律法、モーセの律法、そして福音の律法である。最初の三つとその歴史はモーセ五書に包含されている。聖ヒエロニムスは鉄兜の序文においてこう述べている。「創世記は、世界の創造、人類の起源、大地の分割、言語と諸民族の混乱から、ヘブライ人の出エジプトに至るまでを読む書である。」

異教徒のラテンおよびギリシアの歴史家たちは、デウカリオンの洪水、プロメテウス、ヘラクレスについて物語を紡ぐ。そしてすべての世俗の歴史において、オリンピアード以前のすべては無知と伝説の闇に満ちている。しかしオリンピアードが始まったのは、ヨタムの治世の初めか、ウジヤの治世の終わりのいずれかであり、すなわち天地創造から三千年以上が経過した後であった。したがって、三千年間にわたり、モーセとヘブライ人のこの歴史以外に、世界の確かな歴史を持たないのである。歴史はまことに人間の生の師、導き手、そして光であり、その中に鏡のごとく、王国・国家・人間の生の興隆、衰亡、没落を、徳と悪徳を、また順境にせよ逆境にせよ他者の例からあらゆる思慮と幸福への道を見分けることができるのである。

これに加えて、いかなる歴史においても、いや新約聖書においてさえ、モーセ五書と旧約聖書におけるほど多くの、多様な、あらゆる種類の徳のかくも英雄的な模範は存在しないのである。

61. ローマ人はかの名高い栄光の商人たちを称賛する。彼らの蝋の影――すなわちその肖像仮面――には蔦が絡みつく一方、彼らの肉体と魂は永遠の火に舐められ焼き尽くされている。彼らはマンリウス・トルクァトゥスを称賛する。彼は、将軍であり父である自らの命令に背いて敵と戦い、勝利を収めはしたものの、軍律を維持するために自らの息子たちを剣で打ち殺した。しかし誰がマンリウスの命令を好むであろうか。彼らはユニウス・ブルートゥスを称賛する。ローマの自由の擁護者、初代執政官であり、自分の息子たちと兄弟の息子たちが、アクィリウスやヴィテッリウスとともにタルクィニウスを市中に迎え入れる陰謀を企てたため、鞭打ちの後に斧で斬首させた。かかる子を持つ不幸で不面目な父である。それよりもアブラハムとイサク、かの無垢なる者たちを称賛しない者があろうか。彼らは、神に対して負う服従を父の犠牲と奉献をもって封印する決意をし、またマカバイの母も、祖国の律法のために七人の子とともに自らを神に捧げたのである。

彼らは三人兄弟のホラティウスを称賛する。彼らは一騎打ちにおいて、力よりも策略によってアルバの三人のクリアティウスを打ち破り、アルバの支配権をローマに移した。それよりもダビデの勇気と力を称賛しない者があろうか。彼は一騎打ちにおいて投石器をもってかの肉と骨の塔ゴリアトを打ち倒し、ペリシテ人に対するイスラエルの支配権を確固たるものとしたのである。

彼らはアレクサンドロスの自制を称賛する。彼はダリウスを破った後、捕虜となったその妻と最も美しい娘たちを見ることを拒み、ペルシアの女たちは目の苦痛であると繰り返し語った。それよりもヨセフを称賛しない者があろうか。私室において彼に言い寄る女主人にすでに捕らえられながらも逃げ出し、上着を残して去り、貞潔を守るために牢獄、名誉、生命のあらゆる危険の中に自ら身を投じたのである。

62. 彼らは冒涜の後に貞節であったルクレティアを称賛する。しかしその罪の復讐は遅く――しかも自殺者であった。我々はスザンナを讃える。貞潔と生命と名誉のはるかに勇敢な擁護者である。

彼らは百人隊長ウィルギニウスに感嘆する。彼は娘クラウディア・ウィルギニアを十人官アッピウス・クラウディウスの権力と情欲から救い出せなかったとき、娘との最後の言葉を求め、密かに彼女を殺した。犯された娘よりも死んだ娘を持つことを選んだのである。彼らはデキウス父子に感嘆する。彼らはローマ軍のために、祭司ウァレリウスとリベリウスを通じて荘厳な祈りをもって、ラテン人とサムニウム人の敵を自分たち自身とともに冥界の神々に奉献し、自らの死をもって勝利を封印した。それよりもイェフタ将軍に感嘆しない者があろうか。彼は民の勝利のために、唯一の処女の娘とその処女性をまことの神に誓願し、誓ったところのものを捧げたのである。自らを一時的な滅びではなく永遠の滅びに、民のために捧げたモーセに感嘆しない者があろうか。

63. 彼らはユリウス・カエサル、ポンペイウス、プブリウス・コルネリウス・スキピオ、ハンニバル、アレクサンドロスの軍事的勇猛と成功を称賛する。しかしサムソン、ギデオン、ダビデ、サウル、マカバイの勇者たち、ヨシュアは、いかにそれ以上であったことか。彼らは人間のではなく天上の力と神的な成功を授けられ、少数をもって多数に、いかに強大な敵にも打ち勝った。彼らのためには太陽、月、星々が兵士のように従い、敵に対して戦ったのである。テオドシウスを別とすれば――いや、むしろユダ・マカバイとヨシュアにこそ――次の詩句を捧げるべきではなかろうか。

おお、いと深く神に愛されし者よ、そのためにアエオルスは洞窟より
武装した嵐を繰り出し、そのために天空が戦い、
盟約せし風どもが軍旗の号令に応じて馳せ来たる。

64. そしてこれらは、あらゆる徳の高みへ、あらゆる聖性と無垢へと我々を駆り立てる恒久的な刺激であり、彼らの競争者として、地上の天使、天上の人間のごとく、絶えず我々を見守りたもう神の御稜威の御前にあって福音の光の中を歩み、聖性と義において主に仕えるためのものである。次いで、我々自身と公共の不幸において、これらベルギーとヨーロッパの嵐の中にあって、マカバイの書とともに聖なる書を慰めとして持ち、聖書の忍耐と慰めによって希望を抱き、精神を奮い起こすためのものである。神が我々を顧みたもうことを知り、神への愛と天上の事物への愛によって力づけられ、何も恐れず、死や苦痛をも蔑視し、たとえ世界が砕けて崩れ落ちようとも、その廃墟が恐れを知らぬ我々を打つようにするためである。

かくして使徒はヘブライ書11章の全体を通じて、族長たちの模範をもって、見事な説教によって彼らを忍耐と殉教へと燃え立たせ、一杯の血をもって至福の永遠を購い取るよう促す。「彼らは石で打たれた」――確かにモーセが、エレミヤが、その他の旧約聖書の聖人たちが――「鋸で引かれ、試みに遭い、剣の刃で殺された。羊の皮や山羊の皮を着て歩き回り、乏しく、苦しめられ、虐げられた。世は彼らにふさわしくなかった。彼らは荒野をさまよい、山々や洞穴、地の裂け目に身を潜めた。」そしてこれは、「いっそう優れた復活を得るためであった。ゆえに我々もまた、かくも大いなる証人の群れに囲まれているのであるから、忍耐をもって、我々の前に置かれた競走を走ろうではないか。」

三、旧約聖書なくして新約聖書は理解できない

65. 第三の有用性は、旧約聖書なくしては新約聖書を理解できないということである。使徒たちとキリストは頻繁に旧約聖書を引用し、さらにいっそう頻繁にそれに言及される。弟子たちへの最後の別れの際にさえそうであった。「これは」と主はルカ福音書最終章44節で仰せられる。「わたしがあなたがたに語った言葉である。モーセの律法と預言者の書と詩篇のうちに、わたしについて書かれていることはすべて成就しなければならない。そのとき、主は彼らの知性を開いて聖書を悟らせた。」

実に、ヘブライ書はこの一つの理由ゆえに最も重く最も難解な書簡である。それが全体として旧約聖書とその寓意から織り成されているからである。

四、旧約聖書は寓意的豊かさにおいて新約聖書を凌駕する

66. 第四の有用性はこれである。キリストは律法の目的であるがゆえに、旧約聖書において述べられたすべてのことは、字義的意味においてであれ寓意的意味においてであれ、キリストとキリスト教徒に関わるものである。そしてこの点において旧約聖書は新約聖書を凌駕する。旧約聖書はいたるところに字義的意味に加えて寓意的意味を有し、しばしば天上的意味と道徳的意味をも持つからである。新約聖書には寓意的意味がほとんど欠けている。使徒はコリントの信徒への第一の手紙10章1節でこう言う。「わたしたちの先祖はみな雲の下にいて、みな海を渡った。みなモーセにおいて、雲と海において洗礼を受け、みな同じ霊的な食物を食べた、等々。これらのことは我々の予型として起こったのである。そしてそれらは、世の終わりに臨んでいる我々のために書かれたのである。」それゆえ、同じ使徒は再び、旧約聖書の理解がユダヤ人から取り去られ、我々に移ったことを教えている。「今日に至るまで」と彼は言う。「旧約聖書の朗読において同じ覆いが取り除かれずに残っている。この覆いはキリストにおいて取り除かれるのである。しかし今日に至るまで、モーセが朗読される際には、覆いが彼らの心の上に置かれている」(コリントの信徒への第二の手紙3章14節)。

すべての時代を知り予見される聖霊は、聖書がユダヤ人だけでなく、あらゆる時代のキリスト教徒に役立つよう、かく調整されたのである。実にテルトゥリアヌスは『婦人の装いについて』22章において、聖霊のいかなる宣言も、ただ当座の事柄に向けられ受け取られるだけのものではなく、あらゆる有用性の機会に向けられるものであると考えている。

まことに聖アウグスティヌスは、『ファウストゥス反駁』第十三巻の末尾でこう述べている。「我々は預言書と使徒書を読む。信仰の記念のために、希望の慰めのために、愛の勧告のために、互いの声を響き合わせながら。そしてその和声をもって、あたかも天上のラッパのごとく、死すべき生の眠りから我々を奮い起こし、天上の召命の報いへと伸び行かせるのである。」

このゆえに教会は聖なる典礼においていたるところに旧約聖書からの朗読を選び、四旬節には常に旧約聖書からの書簡を福音書とふさわしく対にしている。影が実体に、像が原型に応じるように。わたし自身かつて、著名な説教者たちが、説教の第一部で旧約聖書からの歴史や類似のものを、第二部で新約聖書からのものを説き明かし、民衆の大いなる群集、喝采、実りを得ているのを目にしたことがある。

最後に、異端者のみならず、公会議、訴訟、裁判に携わる正統な重厚な人物たちも、古の慣例に倣って、古い聖書も新しい聖書も繙き擦り減らすまで読むのである。

フランチェスコ・ペトラルカは次のように伝えている。二百五十年前、シチリア王ロベルトは、とりわけ聖なる文学に深く心を寄せていたので、彼に宣誓のもとにこう語った。「ペトラルカよ、わたしは汝に誓う。文学はわが王国よりもはるかに愛しい。もしどちらか一方を失わねばならぬとすれば、文学よりも王冠を手放すほうがいっそう心穏やかであろう。」

パノルミターヌスは、アラゴン王アルフォンソが、王国の政務のさなかにあってさえ、注釈と注解付きの聖書全巻を十四回通読したと誇るのを常としていたと伝えている。したがって、今日、君主たちや参事官やその他の指導者たちが、食卓で、宴会で、会話の中で、いたるところに旧約聖書と新約聖書からの問題を提起するのは、何ら新しいことではない。そこで神学者が沈黙すれば、子ども扱いされる。不適切な答えをすれば、無学か愚鈍と判断されるであろう。

五、旧約聖書からの予型、範例、格言

67. 第五に、朗読、討論、説教の豊かさのために、神は旧約聖書から、信仰のためだけでなく、名誉ある生活のあらゆる教導のために、かくも大いなる多様な予型、範例、格言、神託を汲み出し得るよう備えられた。かくしてキリストは、ノアとロトの妻の例によって怠惰な者を警戒へと奮い立たせる。ルカ17章32節、「ロトの妻を思い出しなさい」と主は仰せられる。また、ソドム、ニネベの民、南の女王を想起させて、ユダヤ人の頑なな心を恐れさせ打つ。かくして、陰府に葬られたかの金持ちの模倣者たちを悔い改めに呼び戻す。アブラハムの言葉をもって。ルカ16章27節、「彼らにはモーセと預言者がある。彼らの言うことを聞くがよい。」パウロはコリントの信徒への第一の手紙10章6節および11節でこう言う。「すべてのことは予型として、すなわち我々への模範として、彼らに起こったのである。それは我々が悪しきものを貪らず、偶像崇拝者とならないためである。」また淫行の者、暴食の者、つぶやく者、神を試みる者とならないためである。古い律法のもとでかかる罪のために滅んだ者たちのように、我々も滅びることのないためである。

六、新約聖書の先駆としての旧約聖書

68. そしてここから第六の有用性が生じる。旧約聖書は新約聖書の序曲であり、ちょうど洗礼者聖ヨハネが主キリストに対してそうであったように、新約聖書に証しを立てた。彼は、モーセやその他の預言者たちと同じく、「主の御前に先立って行き、その道を備え、民に救いの知識を与え、暗闇と死の陰に座する者たちを照らし、我らの足を平和の道に導いた。」これの象徴として、キリストの変容の際にモーセとエリヤが現れた。主に証しを立てるためであり、また主がエルサレムで成し遂げようとしておられた最期について語るためであった。福音書において、かくも多くの父祖たちの証言、かくも多くの神託、かくも多くの予型によって確認され、予告され、前もって影で示されていなかったならば、誰がキリストを、誰が福音を信じたであろうか。モーセと預言者たちの預言からでなければ、いかにしてユダヤ人を納得させ、キリストに導くことができようか。政治家、異教徒、サラセン人、そしてあらゆる人々の間において、福音の真理の偉大な証明は、とエウセビオスは言う、旧約聖書全体を通じて、かくも多くの時代にわたり、それが約束され予型として示されていたということなのである。

このゆえにキリストはしばしばモーセに訴えられる。ヨハネ1章17節、「律法はモーセを通して与えられ、恵みと真理はイエス・キリストを通して実現した。」ヨハネ5章46節、「あなたがたを訴える者がいる。モーセである。もしあなたがたがモーセを信じていたならば、おそらくわたしをも信じたであろう。彼はわたしについて書いたのだからである。しかし、もし彼の書いたものを信じないならば、どうしてわたしの言葉を信じるであろうか。」ルカ24章27節、「モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、ご自身についてのことを彼らに解き明かされた。」それゆえフィリポもナタナエルに対してこう言う。ヨハネ1章45節、「モーセが律法の中に記し、預言者たちも記しているあの方を、わたしたちは見出した――イエスである。」両聖約の一致――すなわち、モーセとキリストの、預言者たちと使徒たちの、シナゴーグと教会の合意――は、キリストと真理に対する偉大な証しをなすのである。テルトゥリアヌスがマルキオンに対する反駁のいたるところで教えるとおりである。そして結びとして、モーセ自身からここにいかに大いなる、いかに多方面にわたる知恵が見出されるかを学ばれたい。


第三部:モーセとは何者であり、いかに偉大であったか

モーセの三つの四十年

71. まことに言う、幾千年もの間、太陽はこれほど偉大な人物を照らしたことがない。彼は幼少の頃より王宮にあって、王の子・嗣子として、エジプト人のあらゆる知恵のうちに教育を受けること、実に四十年であった。その後、自らがファラオの娘の子であることを否み、罪のはかなき快楽と地上の王国とよりも、むしろ神の民と共に苦しむことを選び、ミディアンへと逃れた。ここで羊を牧しつつ、燃える柴のうちに神と語り、観想によってあらゆる神的知恵を汲み取ること、実に四十年であった。最後に、民の指導者に選ばれ、第三の四十年にわたって、最高の祭司、最高の司令官、律法の授与者、教師、預言者として民を統べ、キリストに最も似た予型であった。「わたしは彼らの兄弟の中から、あなたに似た預言者を起こす」と主は言われた(申命記18章15節)。また、「あなたの国、あなたの兄弟の中から、わたしのような預言者を、あなたの神なる主は起こされる。あなたがたは彼に聞き従わねばならない」――すなわちキリストのことである。

ここにおいて、その職務が人物の器を示した。すなわち彼は三百万の民――つまり百千の三十倍――かくも頑なな民を、不毛の荒野を通って四十年にわたり導き、天よりの食物をもって養い、神への畏れと礼拝のうちに教え、平和と正義のうちに保ち、あらゆる紛争の裁き手・仲裁者として立ち、あらゆる敵から彼らを守ったのである。


モーセの徳

72. モーセの無数の徳に驚嘆するであろう。彼は楽人であり詩篇作者であった。聖ヒエロニムスは第3巻キプリアヌスへの書簡において、モーセが十一の詩篇――すなわち「神のしもべモーセの祈り」と題された第89篇から、「感謝のうちに」と冠された第100篇まで――を作ったと証言している。

モーセは神より律法の石板を受けるに値する者とされた。モーセは旅路の導き手として雲の柱を、いな、柱を司る大天使を有した。祈りにおいて、モーセは天使のごとく養われ、生きるかのように見えた。シナイにおいて律法の石板を受けんとして、二度にわたり四十日四十夜を断食して神と語り合った。そこで光の角が彼に付された。幕屋の入口にて日ごとに民のあらゆる事柄を神と親しく語り合った。「わが僕モーセは、わが全家において最も忠実なる者である。わたしは口から口へ彼に語り、明らかに語る。謎や像をもってではなく、彼は主を見る」と主は言われた(民数記12章7節)。主は彼にすべての善を示されたのである(出エジプト記33章17節)。モーセを神の秘密の書記、すなわち神的知恵の書記官と呼んでもよいであろう。ならば、アマレクがヨシュアの武力によってではなく、モーセの祈りによって敗走したとしても何の不思議があろうか。また、「主が顔と顔を合わせて知りたもうたモーセのような預言者は、イスラエルに二度と起こらなかった」(申命記34章10節)としても何の不思議があろうか。神の助けと力により奇跡の行い手として、疫病と驚異をもってエジプトをほとんど覆し、紅海を裂き、天より肉とマナを呼び降ろし、コラ、ダタン、アビラムを生きながら地獄に突き落とし、その偉業をもってあらゆる奇跡の行い手を一人残らず凌駕したとしても何の不思議があろうか。

73. かくも偉大な民を治めるにあたり、かくも巧みな統治の才における、この最良の君主の卓越した政治的・家政的思慮を、誰が見ないであろうか。その民は青銅の、いな金剛石のごとき額をもつ者たちであった。民に対する彼の顕著な愛と配慮は輝き出た。一つには、自らのイスラエルのために自身を呪われたもの、贖罪の供え物・償いとして捧げた熱意において。また一つには、申命記全体にわたるあの熱烈な説教において、天と地、上なるものと下なるものを証人として呼び、民を神の律法の遵守へと駆り立てた。それゆえ彼はまさしくこう言ったのである。「主よ、なぜこの民すべての重荷をわたしの上に置かれたのですか。わたしがこの群衆すべてを身ごもり、あるいは生んだというのですか。あなたがわたしに仰せられるように、乳母が乳飲み子を懐に抱くように彼らを抱いて、あなたが彼らの父祖に誓われた地へ運べというのですか」(民数記11章11節)。まことに聖ヨハネ・クリソストモスはテモテへの第一の手紙に関する説教第40において言った。「司教はいかなる人間的動揺や悪徳にも支配されぬ天使でなければならない。」またほかの箇所で、「他者の統治を引き受ける者は、太陽のごとくに、星々の火花のごとき他のすべての者を己が輝きのうちに覆い隠すほどの徳の栄光において卓越していなければならない。」それゆえ、もし司教が、高位聖職者が、君主が、民の中にあって獣のうちの人間のごとく、人間のうちの天使のごとく、星々のうちの太陽のごとくあらねばならないとすれば、モーセがいかなる人物であり、いかに偉大であったかを考えよ。かくも多くの人間の中にあって、この役割を有り余るほどに果たし、神の審判によって、いやむしろ神の召命と恩寵によってふさわしい者とされ、キリスト者ではなく頑なで強情なユダヤ人の上に、単なる司教としてではなく、教皇と君主を兼ねる者として立てられたのである。


モーセの謙遜と柔和

他のことは沈黙に付すとして、かくも偉大にして神的なる権威の頂にありながら、わたしが最も驚嘆するのは、その深い謙遜と柔和である。民のつぶやき、中傷、侮辱、背教、投石に幾度も襲われながらも、彼は動じることなく穏やかな表情をもって立ち続け、脅しによってではなく、民のために神に注ぎ出す祈りによって自らの仇を討った。それゆえ、神がまさしく彼をこの賛辞をもって讃えられたのは正当である。「モーセは地上のすべての人のうちで最も柔和な人であった」(民数記12章3節)。なにゆえかくも柔和であったか。それは、天に高邁に住まいし、人間のあらゆる非難と侮辱を地上的にして些末なることとして軽んじたからである。「賢者は」とセネカは『賢者について』において言う、「下等なる者との接触からあまりにも隔たった距離に引き上げられているゆえに、いかなる害ある力もその威力を彼にまで及ぼすことができない。ちょうど、ある愚者が天と太陽に向けて投じた飛び道具が、太陽に届く前に落ちるように。鎖を深淵に沈めてネプトゥヌスに触れることができるとあなたは思うか。天上のものが人間の手を逃れ、神殿や偶像を溶かす者どもから神性には何の害も及ばぬように、賢者に対して傲慢に、厚かましく、高慢になされることはすべて、空しい試みに過ぎない。」


モーセと至福直観

74. この柔和のゆえに、多くの者はモーセがこの世の生において神の本質の直観を賜ったと考えている。この問題およびモーセに関するその他の事柄については、出エジプト記2章、32章以下において、さらに詳しく述べることになるであろう。

確かなことは、モーセが死んだ後、アバリム山において天使たちによって葬られたことである。それゆえ、「その墓を知る者はなかった」(申命記34章6節)。そしてこれが、大天使ミカエルがモーセの体について悪魔と争った理由であった。聖ユダがその書簡において述べる通りである。


聖書と教父たちによるモーセへの賛辞

最後に、モーセを知りたいか。シラの子に聞け(集会の書45章)。「神と人々に愛されたモーセ、その記憶は祝福のうちにある。神は彼を聖徒たちの栄光にひとしくし、敵への恐怖において彼を大いなる者とし、そのことばによって驚異を鎮められた。神は王たちの前で彼を栄光あらしめ」――すなわちファラオ王の前で(主は彼に言われた、出エジプト記7章1節、「見よ、わたしはあなたをファラオに対して神とした」)――「民の前で彼に戒めを授け、ご自身の栄光を彼に示された。その信仰と柔和のゆえに彼を聖なる者とし、すべての肉の中から彼を選ばれた。主はその声を聞き、彼を雲の中に導き入れ、面と面を合わせて戒めを授け、いのちと知識の律法を授けて、ヤコブにその契約を、イスラエルにそのさばきを教えしめた。」

75. 聖ステファノに聞け(使徒言行録7章22節および30節)。「モーセはそのことばと業において力ある者であった。シナイ山の荒野にて天使が柴の火の炎のうちに彼に現れた。この人を神は、彼に現れた天使の手をもって、指導者・贖い主として遣わされた。この人が彼らを導き出し、エジプトの地で奇跡としるしを行った。この人こそ、荒野における集会にあって、シナイ山で彼に語りかけた天使と共にいた者であり、いのちのことばを受けてわたしたちに与えた者である。」

聖アンブロシウスに聞け(『カインとアベルについて』第1巻第11章)。「モーセのうちに」と彼は言う、「来たるべき教師の像があった。すなわち福音を宣べ伝え、旧約を成就し、新約を確立し、天の糧を諸民族に与える者の像である。ゆえにモーセは人間の条件の尊厳をかくも超越し、神の名をもって呼ばれるに至った。『わたしはあなたをファラオに対して神とした』と主は言われた。彼はすべての情念に勝利した者であり、この世のいかなる魅惑にもとらわれることなく、天的な生き方の純粋さをもって肉に従うこの住まいのすべてを覆い、精神を統べ、肉体を従わせ、一種の王的権威をもってこれを矯正した。完全な徳の豊かさによって神のかたちに自らを形成した彼は、神の名をもって呼ばれたのである。それゆえ、他の者たちについてのように、彼が衰弱して死んだとは読まない。彼は神のことばによって死んだのである。なぜなら神は衰弱も減少も被りたまわないからである。ゆえにまた、『その墓を知る者はなかった』と加えられている。彼は見捨てられたのではなく、むしろ移されたのであり、その肉は火葬ではなく安息を受けたのである。」アンブロシウスはここで、モーセが死んだのではなく、エリヤやエノクのように移されたことを示唆しているように思われる。この問題については、申命記の最後の章で述べることにする。

使徒に聞け(ヘブライ人への手紙11章24節)。「信仰によって、モーセは成長したとき、ファラオの娘の子と呼ばれることを拒み、罪のはかなき快楽を享受するよりも、むしろ神の民と共に虐げられることを選んだ。エジプトの宝にまさる富として、キリストの辱めを重んじた。報いを望み見ていたからである。信仰によって、彼はエジプトを去り、王の怒りを恐れなかった。見えない方を見るかのようにして耐え忍んだからである。信仰によって、彼は過越と血の注ぎとを行った。初子を滅ぼす者が彼らに触れないためである。信仰によって、彼らは紅海を乾いた地のように渡ったが、エジプト人はこれを試みて呑み込まれた。」

聖ユスティヌスの『ギリシア人への勧告』すなわちパラネーシスに聞け。そこにおいて彼は全編を通じて、ギリシア人はエジプト人から、エジプト人はモーセから、その知恵と神の知識を汲み取ったことを教えている。とりわけ、「あなたがた自身が認めるように、ある人が」と彼は言う、「神々の託宣に、これまで宗教に献身した人々はいかなる者であったかを尋ねたとき、このような答えが与えられたとあなたがたは言う。『知恵はただカルデア人にのみ譲れり。ヘブライ人は心をもって、生まれざる王にして神なる方を崇む。』」

彼はさらに加える。「モーセはその歴史をヘブライ語で書いたが、ギリシア人の文字はまだ発明されていなかった。後にカドモスが最初にフェニキアからこれを持ち来たり、ギリシア人に伝えたのである。ゆえにプラトンもまた『ティマイオス』に、賢者のうちの最も賢いソロンがエジプトから帰った際、クリティアスに語ったと書いている。すなわち、あるエジプトの神官が彼にこう言ったのを聞いたと。『ソロンよ、汝らギリシア人はつねに子供である。ギリシア人のうちに老人はおらぬ。』またさらに、『汝らは皆、精神において若い。なぜなら、古くからの伝承によって伝えられた古い見解も、年月を経て白髪となった学問も、汝らの精神のうちに持たぬからである。』」そして少し先で、ディオドロスから、オルフェウス、ホメロス、ソロン、ピュタゴラス、プラトン、シビュラ、その他の者たちがエジプトに滞在した際に、多くの神々についての見解を改めたことを教えている。なぜなら、まさにモーセからエジプト人を通じて、天地を初めに創造した唯一の神がおられることを学んだからである。ゆえにオルフェウスはこう歌った。

ユピテルは一つ、プルトー、太陽、バッコスは一つ、
すべてのうちに神は一つ。なにゆえわたしは二度これを汝に告げるのか。

同じくまた、わたしは天を証人に呼ぶ、偉大なる知恵者の源を、
また御父のことばを、その口より最初に発せられしものを、
御自らの計画をもって世界の構造を創りたまいし時の。

最後に彼は、プラトンがモーセから神について学んだことを加えている。ゆえにプラトンも同様に神を「ト・オン」すなわち「存在するもの」と呼んだのである。ちょうどモーセが神を「エヒエ」すなわち「在りて在る者」、あるいは「わたしは在りて在る者である」と呼ぶように。さらに同じ源から、万物の創造、神的ことば、体の復活、審判、不敬虔な者への罰と義人への報い、聖霊について学んだ。プラトンは聖霊を世界の魂であると考えたが、これはモーセを十分に理解せず、自らの空想に合わせて歪曲したためであり、そこから誤謬に陥ったのである。

同様に聖キュリロスも『ユリアヌス駁論』第1巻において、モーセが異教徒の最も古い英雄たち――彼ら自身が最も古いと考えていた者たち――よりもさらに古い存在であったことを示している。

彼の学識あるモーセと異教徒の年代記に聞け。「それゆえ、アブラハムの時代からモーセまで下り、新たな年の起点からふたたび始め、モーセの誕生を計算の最初に置こう。モーセの第七年に、プロメテウスとエピメテウスが、またプロメテウスの兄弟アトラス、さらに万物を見るアルゴスが生まれたと伝えられている。モーセの第三十五年に、ケクロプスがアテネで最初に王となった。彼はディフュエスと呼ばれた。彼が人間のうちで最初に牛を犠牲に捧げ、ギリシア人の間でユピテルを最高の神と名づけたと伝えられている。モーセの第六十七年に、テッサリアにデウカリオンの洪水があったと伝えられる。さらにエティオピアにおいて、太陽の子と彼らが言うパエトンが焼き尽くされた。モーセの第七十四年に、デウカリオンとピュラの子であるヘレンという者が、ギリシア人に自らの名を冠した呼称を与えた。以前は彼らはグラエキと呼ばれていた。モーセの第百二十年に、ダルダノスがダルダニアの都市を建設した。その時、アッシリアではアミュンタスが、アルゴスではステネロスが、エジプトではラメセスが統治していた。彼自身はまたエギュプトスとも呼ばれ、ダナオスの兄弟であった。モーセの後百六十年に、カドモスがテーバイで王となった。その娘はセメレであり、彼女からバッコスが生まれたと彼らは言う、ユピテルからであると。その時代にはまた、テーバイのリノスとアンフィオンという楽人がいた。その時、ヘブライ人の間ではアロンの子エレアザルの子ピネハスが祭司職を継いだ。アロンが死んだからである。モーセの後百九十五年に、処女プロセルピナがアイドネウス、すなわちオルクス、モロッシア人の王に攫われたと伝えられている。彼はケルベロスという名の非常に大きな犬を飼っていたと言われ、この犬がその妻の略奪に来たペイリトオスとテセウスを捕らえた。ペイリトオスが死んだ後、ヘラクレスが到着して、彼らが物語るように、冥界で死の危険にあったテセウスを解放した。モーセの後二百九十年にペルセウスがディオニュシオス、すなわちリベルを殺した。その墓は黄金のアポロンのそばのデルフォイにあると伝えられている。モーセの後四百十年にイリオンが陥落した。その時、ヘブライ人の間ではエセボンが、アルゴス人の間ではアガメムノンが、エジプト人の間ではヴァフレスが、アッシリア人の間ではテウタモスが治めていた。」

「それゆえ、モーセの誕生からトロイアの滅亡まで、四百十年が数えられる。」

76. 聖アウグスティヌスに聞け(『ファウストゥス駁論』第22巻第69章)。「神の最も忠実なるしもべモーセ」と彼は言う、「かくも大いなる務めを辞するにおいて謙遜、これを引き受けるにおいて従順、これを守るにおいて忠実、これを遂行するにおいて精力的、民を治めるにおいて目覚め、矯正するにおいて厳格、愛するにおいて熱烈、忍耐するにおいて堅忍。自らが治める者たちのために、諮りたもう神の前に自らを差し出し、怒りたもう神に対して自らを立てた。かかる偉大なる人物を、ファウストゥスの中傷の口によって量ることは決してあってはならない。むしろ、まことに真実なる神の口によって量るべきである。」

聖グレゴリウスに聞け(『司牧規則』第2部第5章)。「ゆえにモーセは幕屋にしきりに入り、また出る。内にあっては観想に引き上げられ、外にあっては弱き者たちの務めに迫られる。内にあっては神の秘密を考究し、外にあっては肉なる者たちの重荷を担う。これは統治者に範を示すものであって、外にあって何を定めるべきか迷うとき、祈りを通じて主に相談すべきであることを教えている。」

同じ著者は『列王記第1巻注解』第6巻第3章において、モーセの霊に満ちていたことはかくも充溢していたゆえに、主がその霊から取り、民の七十人の長老たちに分け与えたと述べている。同じく『エゼキエル講話』第16において、モーセを神の知識においてアブラハムよりも上に置いている。これは驚くべきことではない。なぜなら、モーセに神はこう言われたからである。「わたしはアブラハム、イサク、ヤコブに現れたが、わが名アドナイ(ヤハウェ)を彼らには知らせなかった。」これを、おおモーセよ、あなたにはわたしは知らせ、啓示するのである。


モーセとキリスト:十九の対比

さらに、モーセはキリストの明白なしるしであり予型であった。それゆえ、太陽が昼を、月が夜を照らすように、キリストは新しい律法においてキリスト者を、モーセは古い律法においてユダヤ人を照らしたのである。ゆえにアスカニウスは美しくキリストを太陽に、モーセを月になぞらえている(マルティネンゴス『創世記注解』第1巻5頁)。なぜなら第一に、モーセは五書の立法者であり、キリストは福音の立法者であった。第二に、モーセは神との二つの特別な出会いを有した。第一はシナイで最初の律法の石板を神から受けた時、第二は二番目の石板を受けた時であり、その時彼は輝く、いわば角のある顔をもって帰った。これらの証しを神は彼に与えられた。同様の二つの証しをキリストにも与えられた。第一は洗礼の際、聖霊が鳩のかたちで彼の上に降り、天から声が聞こえた時。第二はタボル山で変容され、モーセとエリヤが――すなわち律法と預言者が――彼に証しを立てた時である。第三に、モーセはエジプトにおいて驚くべき災いと奇跡を行った。キリストはより大いなるものを行われた。第四に、モーセは神に語りかけたが、暗闇のうちにであり、後ろから神を見た。しかしキリストは顔と顔を合わせてであった。第五に、モーセは神から聞いた。「あなたはわたしの前に恵みを得た。わたしはあなたの名を知っている。」キリストは御父から聞かれた。「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者。彼に聞け。」

78. エウセビオスに聞け(『福音の論証』第3巻)。彼はモーセとキリストの業績から、驚くべき対比を組み立てている。その冗長な言葉をわたしは少数にまとめよう。

1. モーセはユダヤ民族の立法者であり、キリストは全宇宙の立法者であった。2. モーセはヘブライ人から偶像を取り除き、キリストは世界のほぼすべての地域からそれらを駆逐した。3. モーセは驚異的なしるしをもって律法を授け、キリストはさらに大いなるしるしをもって福音を打ち立てた。4. モーセは自らの民を自由へと解放し、キリストは人類のくびきを打ち砕いた。5. モーセは乳と蜜の流れる地を開き、キリストは最も優れた生ける者の地を開いた。6. モーセは生まれたばかりの小さな幼児として、ユダヤ民族の男子を死刑に処したファラオの残虐により、命の危険にさらされた。キリストは幼児として博士たちに拝まれたが、幼子を虐殺するヘロデの残忍さのゆえにエジプトへ退くことを余儀なくされた。7. モーセは青年として、あらゆる学問の教養において名声を博した。キリストは十二歳にして、最も学識ある律法の博士たちを驚嘆させた。8. モーセは四十日間断食して、神のことばによって養われた。同じく四十日間、キリストは飲まず食わず、神的観想に専念された。9. モーセは荒野で飢える者たちにマナとうずらを供えた。キリストは荒野で五つのパンをもって五千人の男を満たされた。10. モーセはアラビア湾の水の中を無傷で渡った。キリストは海の波の上を歩かれた。11. モーセは伸ばした杖をもって海を分けた。キリストは風と海を叱り、大いなる凪となった。12. モーセは山上に輝く顔をもって光り輝いて現れた。キリストは山上で最も輝かしい姿に変容され、その顔は太陽のように輝いた。

13. イスラエルの子らはモーセに目の眼差しを据えることができなかった。キリストの前で弟子たちは恐れ慄いて地に伏した。14. モーセは癩病のミリアムをかつての健康に回復させた。キリストは罪の汚れに沈んだマグダラのマリアを天の恩寵をもって洗い清められた。15. エジプト人はモーセを神の指と呼んだ。キリストはご自身について言われた。「しかし、もしわたしが神の指によって悪霊を追い出しているなら」云々。

16. モーセは十二人の斥候を選んだ。キリストもまた十二人の使徒を選ばれた。17. モーセは七十人の長老を任命し、キリストは七十人の弟子を任命された。18. モーセはヌンの子ヨシュアを自らの後継者に定めた。キリストはペトロを自らの後の最高の教皇の座に上げられた。19. モーセについてこう書かれている。「今日に至るまで、その墓を知る者はいなかった。」キリストについて天使たちはこう証言した。「十字架につけられたイエスを捜しているのか。復活された。ここにはおられない。」

聖バシリウスに聞け(『ヘクサエメロン講話』第1)。「モーセはなお母の乳房にすがっている時から、神に愛され、喜ばしい者であった。彼自身、罪と共にはかなき快楽を享受するよりも、むしろ神の民と共に災いと苦難を経験することを選んだ。正義と公正の最も熱烈な愛好者にして遵守者であり、邪悪と不正の最も激しい敵であった。エティオピア(ミディアン)において四十年を観想に費やし、八十歳にして、人が見うる限りにおいて神を見た。ゆえに神は彼について言われた。『口から口へ、幻のうちに彼に語ろう。謎をもってではなく。』」

聖グレゴリウス・ナジアンゾスに聞け(説教第22)。そこにおいて彼は聖バシリウスとその兄弟ニュッサのグレゴリウスをモーセとアロンに比較している。「立法者のうち最も輝かしい者は誰か。モーセである。祭司のうち最も聖なる者は誰か。アロンである。体において劣らず敬虔において兄弟であった者たち。いやむしろ、一方はファラオに対する神であり、イスラエル人の統率者にして立法者であり、雲に入る者、神的奥義の検察者にして裁定者、神によって造られ人によってではない、かの真の幕屋の建設者であった。彼は君主たちの君主であり、祭司たちの祭司であり、アロンを自らの舌として用いた。云々。両者ともにエジプトを苦しめ、海を裂き、イスラエルを統治し、敵を溺れさせ、天よりパンを引き寄せ、水の上を踏み、約束の地への道を指し示した。それゆえモーセは君主たちの君主であり、祭司たちの祭司であった」云々。

聖ヒエロニムスに聞け。彼は『ガラテヤ人への手紙注解』の冒頭において、モーセが預言者であるのみならず使徒でもあったことを教えている。しかもこれはヘブライ人の間の通説によるものである。

ヘブライ人のうち最も学識あるフィロンに聞け。「これがモーセの生涯であり、これがその死である。王、立法者、祭司長、預言者たるモーセの」(『モーセの生涯』第3巻末尾)。

異教徒に聞け。ヌメニオスは(エウセビオス『福音への準備』第9巻第3章に引用されるところによれば)プラトンとピュタゴラスがモーセの教えに従ったと主張し、したがってプラトンとは何か、アッティカ語を話すモーセにほかならない、と言っている。


最古の神学者、哲学者、詩人、歴史家としてのモーセ

これらに加えて、エウポレモスとアルタパノス(エウセビオス同書第4章に引用される)は、モーセがエジプト人に文字を伝え、公共の善のために他の多くのことを定め、聖なる書物の解釈のゆえにメルクリウスと呼ばれ、そこから彼が彼らによって神として崇められるに至ったと述べている。

プトレマイオス・フィラデルフォス(アリステアスが『七十二人の翻訳者について』で証言する通り)は、モーセの律法を聞いて、デメトリオスにこう言った。「なぜ、いかなる歴史家も詩人も、かくも偉大な業に言及しなかったのか。」これに対してデメトリオスは答えた。「その律法は聖なる事柄に関し、神より授けられたものであるからです。また、これを試みた何人かは、神の災いに恐怖して、その企てを中止したからです。」そして彼はただちに、歴史家テオポンポスと悲劇詩人テオデクテスの例を挙げた。これらはわたしが上に述べたものである。

聖ユスティヌスは『ギリシア人への勧告』において、すべての歴史家のうちで最も信頼されるディオドロスが、六人の古代の立法者を挙げ、そのすべてに先立ってモーセを置いていると述べている。ディオドロスによれば、モーセは偉大な精神の人であり、最も正しい生涯をもって称えられた人物であり、さらにこう述べている。「ユダヤ人の間では確かにモーセ――彼らが神と呼ぶ者――がいる。これは、人々の群衆に益をもたらすであろうと彼が判断する驚くべき神的知識のゆえか、あるいは卓越と権力のゆえに、民衆がより進んで受けた律法に従うからである。彼らは第二の立法者として、エジプト人のサウクニスという、卓越した知恵の人物を伝えている。第三は王セソンクシスであると言い、彼はエジプト人の間で軍事においてのみならず、法律を定めて好戦的な民を制した。第四はバコリスであり、同じく王であって、統治の方法と家政についてエジプト人に教えを与えたと伝えられている。第五はアマシス王であった。第六はクセルクセスの父ダレイオスであり、エジプトの法律に追加したと言われる。」

最後に、ヨセフス、エウセビオスその他は、モーセが、その著作が現存するか、あるいはその名が異教徒の著作に記録されているすべての者のうちで、最初の神学者、哲学者、詩人、歴史家であったと伝えている。それゆえ、モーセへの尊崇はユダヤ人の間のみならず、異教徒の間においても顕著であった。ヨセフスは第12巻第4章において、あるローマの兵士がモーセの書を引き裂いたところ、ただちにユダヤ人たちがローマの総督クマノスのもとに駆けつけ、自分たちの受けた侮辱ではなく、冒瀆された神性への侮辱を報復するよう求めたと伝えている。それゆえクマノスは、律法を冒瀆したその兵士を斧で打った。

さらにモーセは、ギリシアおよび異教徒のすべての賢者たち――すなわちホメロス、ヘシオドス、タレス、ピュタゴラス、ソクラテス、そしてこれらよりも古いオルフェウス、リノス、ムサイオス、ヘラクレス、アスクレピオス、アポロン、さらにはすべてのうちで最も古いヘルメス・トリスメギストス自身――よりも古く、はるかに先行していた。なぜなら、このヘルメス・トリスメギストスは、聖アウグスティヌスが『神の国』第18巻第39章で言う通り、年長のヘルメスの孫であり、その母方の祖父は天文学者アトラスであり、プロメテウスと同時代であって、モーセが生きた時代に活躍したのである。ここで注意すべきは、モーセが五書を単純に、日誌ないし年代記の形式で書いたことである。しかしヨシュア、あるいはそれに類する者が、モーセのこれら同じ年代記を順序立て、整理し、若干の記述を付加し織り込んだ。こうして申命記の末尾には、モーセが確かに死んだ後、ヨシュアあるいは他の誰かによってモーセの死が加筆され記述された。同様に、民数記12章3節におけるモーセの柔和の賛辞は、モーセによってではなく、他の者によって織り込まれたと思われる。同様に、創世記14章15節では、ライシュの町がダンと呼ばれているが、ダンと呼ばれたのはモーセの時代よりもずっと後であり、したがってダンの名がライシュに代えて置かれたのは、ヨシュアによってではなく、後に生きた別の者によってである。同様に、民数記21章の14節、15節、27節も同じく別の者によって加えられた。同様にヨシュアの死も、ヨシュア記の最後の章29節において、別の者によって加えられた。同様にエレミヤの預言もバルクによって整理され順序づけられたのであり、これはエレミヤ書の序文で示す通りである。同様にソロモンの箴言も、彼自身によって集められ整理されたのではなく、他の者たちが彼の著作から集め整理したのであり、箴言25章1節から明らかである。

さらにモーセは、これらのことの一部を伝承により、一部を神の啓示により、一部を目撃によって学び受けた。なぜなら、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記において彼が語ることは、彼自身がその場に居合わせ、見、行ったことだからである。

さらにこの尊崇は、殉教と奇跡の両方によって際立たされた。マクシミアヌスとディオクレティアヌスが、モーセの書およびその他の聖書の書を焼却のために引き渡すよう勅令で命じた時、信徒たちは抵抗し、引き渡すよりもむしろ死ぬことを選んだ。それゆえ多くの者が聖なる書物のために栄光ある闘いに赴き、殉教の勝利の月桂冠を得た。

しかし、かつてアルティナの司教であったフンダヌスが死の恐怖から聖なる書物を引き渡し、冒瀆的な官吏がこれを火に付そうとした時、突然、晴れた空から雨が降り注ぎ、聖なる書物に近づけられた火は消され、雹が続き、聖なる書物のために猛り狂う元素によって全地域が荒廃させられた。聖サトゥルニヌスの行伝が記す通りであり、これはスリウスの二月十一日の項に見られる。


モーセへの祈り

われらを顧みたまえ、聖なるモーセよ、かつてシナイにおいて遠くより神の栄光を、タボルにおいて間近にキリストの栄光を仰ぎ見し者よ、今や両者を面と面を合わせて享受したもう者よ。高きより手を伸べ、あなたの知恵の流れをわれらの上に注ぎ、あなたの助け、祈り、功徳によって、かの永遠の光の火花なりともわれらに分かち与えたまえ。光の父に願い、五書のこの聖なる宮にわれら、主のささやかな虫けらを導き入れたまわんことを。その聖書のうちに主を認めることを得しめたまえ。知るだけ愛することを得しめたまえ。われらは主を知ることを願うが、それはただ愛するためであり、主への愛に燃え上がり、松明のごとく、他の者たちをも全世界をも燃え立たせんがためである。これこそ聖なる者たちの知識である。主こそわれらの愛であり畏れであり、主ただ一人をわれらのすべてが仰ぎ、主にわれらは自らとわれらのすべてを捧げる。最後に、われらをキリストへ導きたまえ。キリストはあなたの律法の目的であり、すべての被造物が讃美を捧げるその栄光のために――今や戦う教会の王国において宣べ伝えられ、いつの日か天上の凱旋の合唱において、あなたに献身するわれらすべてが、あなたと共に、永遠にわたり、わたしが希望する通り、最も甘美にして最も幸いに歌い上げるであろうその栄光のために――キリスト自らがわれらのすべての勉学と努力を導き、栄えさせ、完成に至らしめたまわんことを。そこでわれらはガラスの海の上に立つであろう。獣に打ち勝ったわれらすべてが、「モーセの歌と小羊の歌を歌い、言う。『大いなるかな、驚くべきかな、あなたの業、全能の神なる主よ。正しく真実なるかな、あなたの道、万世の王よ。主よ、誰かあなたを畏れず、あなたの御名を大いならしめざる者があろうか。あなたのみが聖なる方であるゆえに』」(黙示録15章3節)。あなたがわれらを選びたもうたゆえに、われらを王また祭司としたもうたゆえに、われらは世々限りなく治めるであろう。

アーメン。