コルネリウス・ア・ラピデ
目次
第九章の概要
この章において、神は、洪水によっていわば刷新され再創造された人間に対し、罪と洪水によって失われたかに見えた本来の善――すなわち、多産性、動物に対する支配権、さらには一層良き食物――を回復される。それゆえまず、神はノアとその子孫を祝福し、肉食を許可されるが、血の飲食は許可されない。したがって第二に、第5節において、神は殺人に対する刑罰を定められる。第三に、第9節において、神はノアと契約を結んで再び洪水をもたらさぬことを約束し、契約のしるしとして虹を与えられる。第四に、第20節において、ノアは酔い、眠っているうちにハムによって裸にされるが、セムとヤフェトによって覆われる。そしてそれゆえ、目覚めた後、ノアはハムを呪い、セムとヤフェトを祝福する。
ウルガタ本文:創世記9章1–29節
1. 神はノアとその子らを祝福された。そして彼らに言われた。「増えよ、繁殖せよ、地に満ちよ。2. 汝らへの畏れと恐れが、地のすべての動物、空のすべての鳥の上にあるようにせよ。地上を動くすべてのもの、海のすべての魚は、汝らの手に渡された。3. 動くものすべて、生けるものすべてが、汝らの食物となる。緑の草のごとく、われはすべてのものを汝らに渡した。4. ただし、血の混じった肉を食べてはならない。5. まことに、われは汝らの命の血の報いを、すべての獣の手より求める。また人の手より、すべての人の手より、兄弟の手より、人の命の報いを求める。6. 人の血を流す者は、その血を流されるであろう。なぜなら人は神のかたちに造られたからである。7. されば汝らは増えよ、繁殖せよ、地に出でよ、地に満ちよ。8. また神はノアと、彼とともにいるその子らに言われた。9. 見よ、われは汝らと、汝らの後の子孫との間にわが契約を立てる。10. また汝らとともにいるすべての生ける魂、すなわち鳥も家畜も、箱舟から出たすべての地の獣、地のすべての獣との間にも。11. われは汝らとの間にわが契約を立てる。もはやすべての肉なるものが洪水の水によって滅ぼされることはなく、もはや地を荒らす洪水はあるまじ。12. そして神は言われた。『これが、わたしと汝らの間、また汝らとともにいるすべての生ける魂との間に、永遠の世々にわたってわたしが与える契約のしるしである。13. わが虹を雲の中に置かん。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。14. わたしが空を雲で覆うとき、わが虹が雲の中に現れるであろう。15. そしてわたしは、汝らと、肉を生かすすべての生ける魂との間のわが契約を思い起こす。洪水の水はもはやすべての肉なるものを滅ぼすことはない。16. 虹は雲の中にあり、われはそれを見て、神とすべての肉なるもののすべての生ける魂との間に結ばれた永遠の契約を思い起こすであろう。17. そして神はノアに言われた。『これがわたしと地上のすべての肉なるものとの間に立てた契約のしるしである』」。18. 箱舟から出たノアの子らは、セム、ハム、ヤフェトであった。ハムはカナンの父である。19. これら三人がノアの子らであり、これらの者から全人類が全地に広がった。20. さてノアは農夫として地を耕し始め、ぶどう園を植えた。21. ぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になった。22. カナンの父ハムが父の裸を見たとき、外にいる二人の兄弟に告げた。23. しかしセムとヤフェトは外套を肩にかけ、後ろ向きに歩いて父の裸を覆った。彼らの顔は背けられており、父の裸を見なかった。24. ノアはぶどう酒から覚め、末の子が自分になしたことを知ったとき、25. 言った。「カナンは呪われよ、その兄弟たちの僕の僕となれ」。26. また言った。「セムの神なる主はほむべきかな。カナンはその僕となれ」。27. 「神はヤフェトを広げたまえ、セムの天幕に住まわしめたまえ。カナンはその僕となれ」。28. ノアは洪水の後三百五十年生きた。29. その日数の総ては九百五十年であった。そして彼は死んだ。
第2節:すべての動物に汝らへの畏れあらしめよ
2. 汝らへの畏れと恐れが、地のすべての動物の上にあるようにせよ。――注意すべきことに、人は罪によって動物に対する完全な支配権を失った。それゆえ神はここで、ある程度の不完全な支配権を人に回復し、確認される。なぜなら神は動物に一種の畏れを植えつけ、それによって動物は人を主人として畏れ敬うからである。そして野生の動物であれば、人の姿を見て逃げ、挑発されるか飢えに駆られぬ限り人を襲わない。まことに聖バシリウス(『六日間の創造についての説教』第40説教)によれば、魚でさえ人の影を恐れ、逃げ去るという。プリニウス(第8巻第5章)を信ずるならば、象でさえ人間の足跡に怯えるという。それゆえ我々は、牛や馬が幼い子どもたちに追われるのをしばしば見る。さらに、人は矢で鳥や野獣を射止め、人によって捕獲され飼いならされえぬほど強い獣は一頭もいない。聖アンブロシウス(ホロンティウスへの第38書簡)の言葉を聴くがよい。彼は、野生の非理性的な被造物がいかにして人間の理性を認識し、その穏やかな権威のもとで従順になるかを、まことに雄弁に教えている。「しばしば」と彼は言う、「動物は人の声の呼び戻す響きにその噛みつきを止めた。我々は犬の無害な歯で野兎が傷つくことなく捕まるのを見る。獅子でさえ、人の声が響けば獲物を放す。豹や熊は声によって興奮させられ、また呼び戻される。馬は人の喝采にいななき、沈黙により歩調を緩める。しばしば鞭を受けた者のそばを打たずに通り過ぎる。かくも激しく舌の鞭が彼らを駆り立てるのである」。そして彼はさらに加える。「彼らの貢物について何を語ろうか。牡羊は人を喜ばせるために毛を育て、その光沢を増すために川に沈められる。羊もまた一層良き牧草を選び、より甘い乳で張った乳房を満たそうとする。人にその贈り物を届けるために出産の苦しみに耐える。牡牛は鋤を畝に押しつけながら一日中うめく。駱駝は荷を負う奉仕のほかに、牡羊のように毛を刈られるために身を差し出し、あたかも王に貢物を納める臣民のように、さまざまな動物がその貢物を捧げ、年々の租税を支払うのである。馬はかくも偉大な騎手を誇り、誇り高い足取りを刻み、主人が跨るために背を弓なりにし、主人の座として背を差し出すのである」。
しかしこの約束は、信仰者において最も顕著に成就される。彼らにはキリストを通じてこう言われた。「見よ、われは蛇を踏みつける力を汝らに与えた」(ルカ10章)。また、「彼らは蛇をも手にし、毒を飲んでも害を受けない」(マルコ16章)。かくて獅子は首を垂れて聖アントニウスに近づき、祝福を求めてその手足を舐めた。かくてボア蛇は聖ヒラリオンに従い、二頭の竜はアンモンに従い、野驢馬はローマのマカリウスに従い、河馬はベヌスに従い、鰐はヘレヌスに従い、牝獅子は修道院長ヨハネに従い、鬣犬はアレクサンドリアのマカリウスに従い、犬はシリアのスベリ人の修道院長に従った――これらは『砂漠の教父伝』の彼らの伝記に記されている。道徳的解釈については、聖グレゴリウスの『道徳論』第21巻第11章を参照せよ。
第3節:動くものすべて、生けるものすべてが食物となる
3. 動くものすべて、生けるものすべてが、汝らの食物となる。――「すべて」とは、すなわち食用に適し人間の体質に適合するものである。蝮、蠍、その他の有毒な動物は、人間の体質に反しそれを破壊するので食べることができない。さらに注意すべきは、ここに命じられているのは命令ではなく許可であるということ――人はいかなるもの、すなわちいかなる種類の食物でも好むものを食べることが許されているのである。あたかもこう言われているかのようである。「汝らの好むもの、汝らの体質と味覚にかなうものは何でも、食物として取ることを許す」。アブレンシスもそう述べている。それゆえ修道者たちが、この神の許可を用いず、肉体の克己のため常に、あるいは一定の期間、肉食を断つとしても、彼らは罪を犯すのではない。むしろ彼らは英雄的な節制の行為としるしを示しているのである。
緑の草のごとく、われはすべてのものを汝らに渡した――汝らが今まで草を食してきたように、動物をも食してよい、ということである。
道徳的に、聖アンブロシウス(『ノアについて』第25章)はこう述べている。「ここに意味されているのは、非理性的な情念は、農夫にとっての野菜のように、知恵ある者の心に服すべきであるということ、また我々は農夫が野菜を用いるように這い寄る思念を用いるべきであるということである。野菜は害を与えることはできないが、より強い食物の味わいを持たない。なぜなら、万人に共通の一般的な掟は、いずれにせよ少数者のものであるより高い種類の徳を命じるものではないからである。しかし、たとえ誰かがより強い徳の饗宴を自らに供することができないとしても、少なくとも害を与えず喜びを与えるような情念を持つべきである」。
問い。洪水以前に肉食は合法的かつ慣行であったか。第一に、リラヌス、トスタトゥス、およびカルトゥジオ会士は、第1章最終節の註解において、合法でも慣行でもなかったと主張する。なぜなら第1章最終節で、神は人に草の飲食のみを許可されたからである。異教徒も同じ見解を抱いていた。それゆえオウィディウスは『変身物語』第15巻において、世界のかの最初の黄金時代についてこう歌っている。
かの古代の世は血で口を汚さなかった。
鳥は安全にその翼で大空を飛び交い、
臆病知らずの野兎は野の真ん中をさまよっていた。
しかし彼は、後に導入された肉食を犯罪として呪詛するとき、誤っている。彼はこう言う。
ああ、臓腑に臓腑を詰め込むとは何と大いなる罪であろうか、
一つの生き物が他の生き物の死によって生きるとは!
同じく、ピュタゴラス派やマニ教徒も動物を殺してそれを食することは不敬であると主張した。そしてすでにモンタヌス派に転じたテルトゥリアヌスもまた、その著『精神論者に反する断食論』第4章において、肉食は人間の不節制に対する譲歩であったと断言している。
第二に、カイエタヌスはここで、またビクトリア(『節制についての再講義』)、ドミニクス・ソト(『正義論』第5巻第1問第1項)も、当時肉食は合法的かつ慣行であったと考えている。第一に、神はどこにおいても肉食を禁じておらず、肉は人にとって最も適した食物であるからである。第二に、当時は羊の群れがあり、アベルがその羊飼いであったからである。しかし反論がある。アベルは羊毛と乳のために群れを飼っていたのであり、食用のためではないと。これに対して答える。もしそうであるならば、アベルがカインに優るより肥えた羊を神に献げたことに何の賞賛もなかったことになる。なぜなら、もし誰も羊を食べなかったならば、アベルにとってもカインにとっても、肥えた羊と痩せた羊を犠牲に捧げることは同じことであったはずである。痩せた羊は肥えた羊と同じくらい、ときにはそれ以上に良い羊毛と乳を出すことが少なくないが、肉は常に劣るからである。カイエタヌスはこのように述べている。
第三に、そして最善の説として、聖ヨハネ・クリソストモス、テオドレトス、ペレリウスらは、洪水以前に肉食は禁じられてはおらず合法であったが、より敬虔な人々、すなわちセトの子孫たちはこれを慎んでいたと主張する。なぜなら神は人に食物を定めるにあたって、明示的には草のみを挙げ、肉については言及されなかったからである(第1章第29節)。かくして第一の説と第二の説の双方の理由が極めてよく調和される。したがって神はここで、洪水の後、すべての人に、聖人たちにさえも、明示的かつ明確に肉食を許可されたのである。これは、罪と洪水による海水の塩分の流入によってもたらされた大地の劣化、ならびにそれに伴う人と植物の力の衰弱のためである。医師たちが伝え、経験が証しするところによれば、肉は草に比べてより充実し、堅実で、滋養に富み、人体により適した栄養を人間に提供するのである。
第4節:血の混じった肉を食べてはならない
4. 血の混じった肉を食べてはならない。――ヘブライ語では「バサル・ベナフショ・ダモ・ロ・トヘル」、すなわち「肉をその魂、その血とともに食べてはならない」である。すなわち、パニヌスが翻訳するように、「肉をその魂とともに食べてはならない。その魂とは血である」。あたかもこう言われているかのようである。「肉をその魂とともに食べてはならない。その魂とはすなわち動物自体の血であり、血の中に宿るものである」。
注意すべきことに、ここに規定されているのは肉を食する方法である。すなわち、第一に、動物を屠殺すること、第二に、血を注ぎ出すこと、第三に、肉を調理して食すること。しかし、血の飲食は絶対的に禁じられている。血がまだ動物の中にある場合(それゆえ自然死した動物や絞め殺された動物を食することもここで禁じられている、とエウケリウスが教えている)であれ、動物から分離された場合であれ――液体で飲用可能なものであれ、詰め物にされ凝固したもの、すなわち腸詰のようなものであれ。なぜなら神はここであらゆる形態の血の飲食を禁じているからである。リラヌス、トスタトゥス、カルトゥジオ会士がそう述べている。
問い。なぜ神はかくも厳格に血の飲食を禁じられたのか。答える。第一に、人間の血を流すことから人々をできる限り遠ざけるためである。聖ヨハネ・クリソストモスとルペルトゥスがそう述べている。異教徒が人間の血を流すのみならず飲むことさえしたことは、テルトゥリアヌスが『護教論』第9章で証言している。この理由は、神ご自身が次の節で示しておられる。なぜなら血は魂と生命と生命的精気の運搬体であり、それゆえ魂、すなわち生命は血の中にあると言われるからである。これはここのヘブライ語と、レビ記17章11節から明らかである。第二に、神は、動物のいわば生命である血を、罪人の生命のための犠牲において、生命の創始者なる御自身にのみ捧げることを望まれたからである。レビ記17章11節から明らかである。聖ヨハネ・クリソストモスと聖トマスがそう述べている。第三の理由としてルペルトゥスは、畜獣の血は重く、土質で、憂鬱質であり、食すれば多くの病気の原因となる、それゆえ食することが禁じられたのだと付加している。
血の飲食を避けよというこの掟は、自然法ではなく実定法であり、使徒たちによって使徒言行録15章29節で更新された。そしてそれはテルトゥリアヌスとミヌキウスの時代まで続いたのみならず(彼自身が『オクタウィウス』で証言しているとおり)、ベダとラティヌスの時代まで続いた。これは彼の『贖罪規定書』から明らかである。しかし今やそれは廃れた。今日では血を飲むことはなくとも、腸詰の形で食することが慣行となっているからである。
第5節:われは汝らの命の血の報いを求める
5. われは汝らの命の血の報いを求める。――これが、神が血の飲食を禁じられた理由である。すなわち、人々が獣の血に慣れることで、ついには人間の血にも容赦しなくなることがないようにとの理由である。あたかもこう言われているかのようである。「汝らの血は、それによって身体が養われ生かされるものであるが、われにとってかくも尊いものであるから、人を殺した畜獣からさえもそれを求める。まして汝ら人間からは、なおさらそれを求めるであろう」。
われはすべての獣の手よりそれを求める――すなわち、獣のごとく凶暴な悪魔からである、とルペルトゥスは言う。しかしこの意味は象徴的であり、字義的ではない。第二に、テオドレトスはこう解釈する。復活のときにわれは、獣が汝らを殺し傷つけることによって流したすべての血を求め、汝らに返すであろうと。しかしこの意味もまた本来のものではなく、天上的解釈である。第三に、他の者たちはこう解釈する。犠牲において、人によって不正に流された汝らの血を、獣の手から求めるであろうと。なぜなら神は、血が流される殺人、ひいてはあらゆる人間の罪を、獣の血によって贖わせることを望まれたからである。これは民数記28–29章から明らかである。犠牲において屠られた獣が殺人とあらゆる人間の罪の咎を償い、かくして神は、いわば犠牲に捧げられた獣において、殺人と人間のあらゆる過ちを罰せられるのである。
第四に、アブレンシスとリポマヌスはこう説明する。あたかもこう言われているかのようである。「もし汝が自ら、あるいは隣人に差し向けた獣によって隣人の血を流すならば、神はそれを獣からではなく、剣によって、あるいは命令によってそれを流した汝から求められるであろう」。なぜなら彼らは「獣の手より」という句を「われは求める」にではなく「汝らの血」にかけて解するからである。しかしこの解釈は無理があり、ほとんど強引である。第五に、最善にして最も明快な解釈として、同じアブレンシスとオレアステルはこう解する。あたかもこう言われているかのようである。「もし獣が人を殺すならば、われはその獣を罰するであろう」。これは出エジプト記21章28節から明らかであり、そこで神は人を殺した牛を(また同様にいかなる他の獣であっても)石で打ち殺すよう命じておられる。
さらに、ここで与えられたこの神の裁きと許可から、しばしば次のようなことが起こる。すなわち、君主や裁判官によって不正に断罪され、あるいは死に引かれる者たちの祈りと願いを、神ご自身が聞き届けられるのである。そして特に、被告にして断罪された者たちが、不正な、あるいは疑わしい訴訟において、彼らの裁判官を神の法廷に召喚するならば、神はその裁判官たちを死に至らしめ、被告の定めた期限内にさえも、御自身の裁きの前に出頭して弁明せしめることが、しばしばあるのである。
かくてダビデは、サウルの手による幾重もの不正と暴力に苦しめられ、ほとんど押し潰されるに至って、サウルを神の前に召喚してこう叫んだ。「主がわたしと汝との間を裁き、主がわたしのために汝に報復されるように」等々。この訴えは空しくなかった。なぜなら間もなく、サウルはペリシテ人との戦いで敗れ、矢に傷つき、生きたまま敵の手に落ちることを免れんとして、自らの剣で自らを貫いたからである。
第二に、なお一層明白なのは、祭司ゼカリヤが、最も忘恩の王ヨアシュの命令により神殿の庭で石打ちにされたときの、神の裁きへの訴えである。「主がご覧になり、報いを求められるように」。この訴えはその結果を欠くことがなかった。なぜなら一年も経たぬうちに、この暴挙に同意した王の高官たちはシリア人の剣で虐殺され、王自身も大いなる災厄に打たれ、寝台の上で家臣たちに多くの傷を負わされ、廷臣たちとともに神の法廷の前に引き出されて、自らの行為の弁明をなさしめられたのである。
第三に、マカバイの七人兄弟は、祖国の律法のためにアンティオコスによってあらゆる残忍と暴虐を受けたが、暗黙のうちに神の前で彼に審判の日を告げて、こう言った。「主なる神は真実をご覧になるであろう」等々。「汝は神の大いなる力を見るであろう。いかに汝と汝の子孫を苦しめられるかを」等々。「汝は神の手を逃れることはできない」等々。天からのこれらの訴えが自らに対して効力を持つのを感じて、彼は明らかな神の罰により滅んだ。
第四に、パウロは銅細工人アレクサンドロスについてこう訴えるのみならず(テモテへの手紙二4章14節)、「主がその業に応じて彼に報いられるであろう」。福いなる殉教者たちの魂もまた、彼らの迫害者に対して同じ主にこう叫んでいる。「聖なるまことの主よ、いつまで裁かず、地に住む者たちにわれらの血の復讐をなさらぬのですか」(黙示録6章)。彼らの訴えはただ延期されるのみで、退けられるのではない。まことにキリストご自身さえも、ユダヤ人の不正から父の裁きに訴えてこう言われた。「わたしは自分の栄光を求めない。求め、かつ裁く方がおられる」。これらの聖なる神的証言から、いまや重大にしてまことに記憶すべき歴史の実例へと進もう。
第五に、ナウクレルスとフルゴシウスが伝えるところによれば、レオンおよびカスティーリャの王フェルナンドは、反逆の嫌疑をかけられたが弁明を聴かれなかったカルバハル家の二人の貴族を、拙速な裁きによって極めて高い崖から突き落とすよう命じた。しかし彼らは弁護の道を断たれ、眼前に死を見て、最も公正な裁判官なるキリストに自らの訴えを委ね、三十日以内にフェルナンド王をキリストの法廷に出頭するよう召喚した。彼らの訴えは空しくなかった。なぜなら三十日目に、王は死に打たれ、神の裁判官の前に召喚されたからである。
第六に、同じフルゴシウスは次のように記している。あるナポリの騎士が、テンプル騎士団の同士たちとともに刑場に引かれるとき、窓からクレメンス5世とフランス王美男王フィリップを見た。この二人の権威によって彼は処刑されようとしていたのである。彼は叫んだ。「もはやわたしに訴え出る人間が残されていないからには、我々を贖われた公正な裁判官キリストに訴える。一年と一日以内に彼の法廷に汝らが出頭するようにと」。そして一年以内に、二人とも神に弁明を捧げるべく死んだ。
第七に、ヨハネス・パウリが伝えるところによれば、オーストリア公ルドルフは一人の騎士を袋に入れて溺死させるよう断罪した。しかしその騎士は公を見て叫んだ。「ルドルフ公よ、一年以内に恐るべき神の法廷に汝を召喚する」。公は笑って答えた。「よかろう、先に行け。そのとき、わしもそこに参ろう」。期限が過ぎたとき、公は熱病にかかり、召喚を思い出して家来たちに言った。「わが死の時が近づいた。裁きに赴かねばならない」。そしてただちに息絶えた。
第八に、アエネアス・シルウィウスがアルモリカ・ブルターニュの歴史から伝えるところによれば、その公フランソワは、大逆罪の偽りの告発を受けた弟ジルを獄中で殺害した。ジルは死の直前にフランシスコ会修道士を見て、公である兄に、四十日以内に神の法廷に出頭するよう伝えてくれと厳かに願った。フランシスコ会士はノルマンディーの境にいた公のもとへ赴き、弟の死と召喚を告げた。公は恐れおののき、ただちに体調を崩し始め、日ごとに病状が悪化して、定められた日に息絶えた。
第6節:人の血を流す者は
人の手より、すなわちすべての人の手、その兄弟の手より。――デルリオが指摘するように、殺人者にはその罪を重くする三つの称号が与えられている。第一に、彼は「人」〔ホモ〕と呼ばれる。すなわち自らの人間性を弁えているべき者である。第二に、彼は「男」〔ウィル〕と呼ばれる。すなわち怒りを制し、その力と権力を濫用すべきではなかった者である。第三に、彼は「兄弟」と呼ばれる。すなわち兄弟と最も親密な愛で結ばれ、それゆえ兄弟を殺すのではなく守るべきであった者である。なぜなら我々はみなアダムにおいて兄弟であり、共通の族長のもとにある各人の同族者は兄弟だからである。ちょうどユダヤ人たち(モーセがここで特に語りかけている相手)がアブラハムにおいて兄弟であったように。
6. 人の血を流す者は、その血を流されるであろう。――「流されるであろう」とは、すなわち流されるべきである、流されるのが正当であり公正であるということであり、すなわち裁判官の判決と断罪によってである。カルデア語訳もそう記している。なぜなら神は、ここにおいても出エジプト記21:12やマタイ26:57においても、同害報復の法によって殺人者に死刑の判決を下されたのであり、これはあらゆる民族の慣行によって受け入れられてきた。このことを、為政者から有罪者に対する剣の権利を奪おうとする再洗礼派に対して留意すべきである。
第二に、「流されるであろう」とは、通常これが現実に成就するということであり、殺人者は実際に殺される。裁判官によってか、あるいは喧嘩、盗賊、建物の崩壊、火災、その他類似の事故によってである。なぜなら神はここで、殺された者の復讐者となり、殺人者にさまざまな人生の不幸をもって報復されることを誓約しておられるからである。このことが然りであることは経験が確証するところであり、我々は殺人者たちが、神の復讐に追われて、驚くべき事故によって、自然死ではなく、ほぼ常に暴力的な死によって滅びるのを見るのである。これに関する驚くべき事例は申命記21:4のところで挙げるであろう。
留意すべきことがある。「人の血」に対して、ヘブライ語では「ダム・ハアダム・バアダム」すなわち「人の中にある人の血」であり、「人の中に」という句はさまざまな解釈者によってさまざまに説明されている。七十人訳は次のように訳している。「人の血に対して彼の血は流されるであろう。」第二に、オレアステルは「人の中に」を「人によって」の意であると言う。第三に、カエタヌスはこれを「人に対して」と訳し、すなわち人の損害と侮辱に対してと言う。第四に、最も容易かつ平明に、アブレンシスは「人の中に」を「人の内にある」すなわち人の中に存する血という意であるとし、これは冗語法であって、それゆえ我々の翻訳者(ウルガタ訳者)はこれを省略して割愛したのであると言う。
人は神の像に造られたからである。――あたかもこう言うかのようである。もし共通の本性が汝を動かさないならば、少なくともわが像が汝を動かすべきである。なぜなら人はわが像だからである。それゆえ人を殺すことによって天の王の生ける像を破壊することがないようにせよと、聖ヨハネ・クリソストモスは述べている。かくして汝は人に対してよりもむしろ、神ご自身に対して不敬を犯すことになるのである。
これとは別に、我々のサラサール(箴言1:16の注解において)はこう述べている。「人によってその血は流されるであろう」とは、公の為政者によってということである。なぜなら彼にのみ臣民の生命を奪うことが許されているからである。彼はその理由を付け加えている。「人は神の像に造られたからである」とは、為政者の職が委ねられた人は神の明確な像であり表象であって、神の代わりに行動し、神の位格を代表しているということである。そしてこのことから、他の場合には神のみに属する臣民の生命に対する権力と権限が彼に派生するのであり、したがって彼は、その位格を帯びている神以外の何者でもないかのようにして、悪しき犯罪者に対して死刑判決を下すことができるのである。
第7節:増えよ、そして繁殖せよ
7. 増えよ、そして繁殖せよ。――あたかもこう言うかのようである。殺人のこの禁止によって、わたしが人類の繁殖のために配慮していることが分かるであろう。それゆえ、特に世界が刷新されたこの時、人が甚だしく少ないこの時において、汝らはそれに専念し、増え広がれ。ルペルトゥスもそう述べている。その寓意的解釈については第4巻第34章を見よ。
地に出でよ。――ヘブライ語で「シルツ・バアレツ」すなわち、魚や蛙やその他の群がる生き物のように、地の上で繁殖し増え広がれという意である(なぜならそれらの生殖力、繁殖力、増殖力は驚くべきものであり、これがヘブライ語の「シャラツ」の意味するところだからである)。できるかぎり速やかに全地に行き渡り、散り広がり、地を占め満たすようにと。
第9節:見よ、わが契約を立てん
9. 見よ、われ立てん。――ヘブライ語では「メキム」すなわち「立てつつある」、つまり「われ立てる」である。なぜなら神は今まさにこの契約と、もはや洪水を地にもたらさないという約束とを、ノアおよび全人類と、実際に制定し批准しておられるからである。それゆえ間もなく第12節において、この契約のしるし、すなわち虹を定められる。留意すべきことに、この契約は、両当事者がそれぞれ契約のある条件に互いに拘束し義務づけ合う契約当事者間の契約ではない(なぜならこの契約においてノアは自らを神に拘束しているのではなく、神のみが自らをノアに拘束しておられるからである)。むしろこの契約は神の単なる約束であり、そのようなものはヘブライ語で正当に「ベリート」と呼ばれるのである。
第11節:もはや洪水はあるまじ
11. もはや洪水はあるまじ。――すなわち全地的な洪水はということである。それゆえ「地を荒らす」と続いている。すなわち全地をという意である。この普遍的な洪水の後に、局地的ではあるが有名な洪水があった。すなわちギリシアにおけるオギュゲスの洪水であり、それは族長ヤコブの時代であった。その後にテッサリアにおけるデウカリオンの洪水があり、それはモーセの時代であった。オロシウス、エウセビウス、その他の者たちがその年代記においてそう述べている。
第12節:これが契約のしるしである
12. これがわたしと汝らとの間に与える契約のしるしである。――このように、神がここにおいて現にノアとの契約を批准されるのと同様に、現に契約のしるし、すなわち虹を生み出し定められるのである。
永遠の世代にわたって。――すべての世代を通じて、世代が世代に継ぐ限り、この世のすべての世代の終わりまで、すなわち審判の日までということである。なぜなら、これらの世代が「永遠の」と呼ばれるのは、絶対的にではなく、相対的にであり、すなわち神がここでこの契約を結ばれるノアとその子孫との関係においてである。それゆえ神は、この契約が永続するものであること、すなわち、この契約が結ばれた相手であるノアの子孫が繁殖する世代が続く限り存続することを示しておられるのである。したがってヘブライ語の「レドロット・オラム」は「この世の持続する限り」と訳すことができる。すなわち、この世、この世界、この地上の生が続く限りという意味である。
それゆえこの箇所から、ある教師たちの見解――それが真であるか偽であるかは、ここでは論じない――を非難すべきではない。その見解とは、審判の日の後に全地的な洪水があり、世界の初めに水に覆われていたのと同様に、再び全地が水に覆われるであろうというものである。なぜなら、もはや洪水をもたらさないという神のこの約束は、この世の世代、すなわち審判の日までにのみ及ぶのであって、それ以後には及ばないからである。
第13節:雲の中にわが虹を置かん
13. 雲の中にわが虹を置かん。これは契約のしるしとなるであろう。――この弓とは虹のことである。すべての教父たちがそう教えている。ただし聖アンブロシウス(『箱舟とノアについて』第27章)は例外であり、彼はその常として、この虹に字義通りの意味ではなく道徳的な意味を付与している。
留意すべきことがある。神が弓すなわち虹をご自身のものと呼ばれるのは、虹が最も美しく、その造り主である神の美と壮麗とを我々に示すものだからである。それゆえシラ書43:12はこう述べている。「虹を見よ、そしてそれを造られた方を讃えよ。その輝きにおいて甚だ美しく、その栄光の円をもって天を取り囲み、いと高き方の御手がそれを開かれた。」それゆえプラトンは『テアイテトス』の中で、虹はタウマス(すなわち「驚嘆」)の娘と呼ばれるとした。それが引き起こす賛嘆のゆえに。
第二に留意すべきことがある。アルクィヌスと『標準注解』に反して、虹はノアと洪水の前から存在していた。なぜなら虹の自然的な生成とその原因は、露を含んだ雲における太陽光線の反射だからである。それゆえこのことが洪水以前にも現在と同様に存在していた以上、虹もまた洪水以前から存在していたことになる。
こう反論するであろう。では神はなぜ、ここで未来形で「わが虹を置かん」と言われ、過去形で「置いた」とは言われないのか。答える。ヘブライ語では過去形「ナタッティ」すなわち「わたしは与えた、置いた」であり、つまり「わたしは与える、置く、そして与えるであろう、置くであろう」ということである。すなわち虹を、それが存在するようにと絶対的に置くのではなく、神がここでノアと結ばれるこの契約のしるしとなるようにと置くのである。それゆえ虹は洪水以前から存在していた。露を含んだ雲の自然的なしるしとして、したがって来たるべき雨のしるしとして。それゆえオウィディウスはこう言う。
「虹は水を孕み、雲に養分を運ぶ。」
ユリウス・スカリゲル(『論考』80)は、朝の虹は雨を、夕べの虹は晴天を前兆すると教えている。さらにアリストテレス(『動物誌』第5巻第22章)は、虹がマナすなわち大気中の蜜の生成に大いに寄与すると伝えている。またプリニウス(第12巻第24章)は、アスパラトスやその他の芳香のある草が虹によってより芳しくなると伝えている。「アスパラトスは」と彼は言う、「白い棘であり、控えめな木ほどの大きさで、薔薇に似た花をつけ、その根は香料として求められる。天の虹がどの茂みの上に弧を描いても、そこにアスパラトスと同じ芳香の甘美さがあると伝えられている。しかしアスパラトスそのものにおいては言い尽くせぬほどの甘美さがある。」同じ著者(第17巻第5章)はこう言う。「長い旱魃の後に雨で潤された大地が、天の虹がその両端を降ろした場所において、太陽から孕んだあの神聖なる気息を発するのであり、いかなる甘美さもそれに比すべくもない。」
しかし洪水の後、そして神のノアとのこの契約の後に、虹は神によって超自然的なしるしとして制定された。すなわち今後もはや洪水はないというこの盟約のしるしとしてである。
第三に留意すべきことがある。洪水がないというこのしるしが虹であり、それが雲の中に置かれるのは相応しいことである。なぜなら雲から洪水の水が降ったのであり、雲から再び洪水が恐れられ得たからである。それゆえ我々がそれを恐れることがないように、神はその同じ雲の中に、反対のしるしである虹を置かれるのである。聖トマス(『自由討論集』第3、第30項)およびアブレンシス(ここの問題7)は次のことを付け加えている。すなわち虹は、大量の水が直ちに降ることはなく、それによって洪水は起こらないという自然的なしるしである。なぜなら洪水のためには、雲が多く厚くて大雨に溶解する必要があるが、そのような雲は虹と両立しないからである。虹は、厚く密な雲の中ではなく、露を含み、半透明で凹面の雲の中に、反対側の太陽の光線の反射によって生じるものだからである。
第四に留意すべきことがある。『教会史概要』の著者は、創世記第35章において次のように述べている。「聖人たちは、審判の日の前四十年間、天の虹は見られなくなると伝えている。」それはすなわち、そのとき極度の乾燥があり、それによって世界は審判の日の近くに起こるであろう大火に備えられるからだという。しかしこの伝承は根拠薄弱で偽りであり、聖なる教父たちに偽って帰せられたものである。なぜならもしそのとき、かくも大いなる乾燥があったならば、人間も動物も植物もそれによって死滅するであろうからである。その反対のことをキリストがマタイ24:38において我々に教えておられる。
象徴的かつ神秘的に、聖アンブロシウスはその著『箱舟とノアについて』第27章で次のように述べている。虹とは神の寛大さである。それはあたかも張られてはいるが矢のない弓のようなものであり、送られる逆境を通して、打ち倒すことよりもむしろ恐れさせることを欲しておられるのである。それは我々が悪徳を矯正し、かくして復讐の矢を免れるようにするためであり、詩篇59:6〔60:6〕に従うものである。「汝を畏れる者たちにしるしを与えられた。弓の面前から逃れ得るようにと。」これについては聖アウグスティヌスおよび聖グレゴリウス(『道徳論』第19巻、末尾近く)を見よ。
虹の二つの角は慈悲と真理、すなわち正義である。それゆえ審判者キリストは虹の上に座する姿で描かれる。なぜなら彼は栄光に満ちた雲の上に座されるであろう。虹はまさにそのような雲だからである。
第16節:虹を見てわれは思い起こす
16. われはそれ(虹すなわち虹)を見るであろう。そして契約を思い起こすであろう。――それゆえ我々もまた、虹を見るたびに、世界と罪人たちを滅ぼした洪水と大氾濫を思い起こすべきである。神の契約を思い起こし、この盟約のゆえに我々の神に感謝を捧げ、神に感謝し従順であるべきである。最後に、こう言おう。虹がかくも美しくかくも多彩であるならば、神と神の住まいはいかに美しくいかに多彩であることか。
寓意的に、虹はしるしである。第一に、福音の律法のしるしである。なぜなら福音は恩寵と赦しと栄光とをもたらすからである。ルペルトゥスもそう述べている。ただし彼はこの意味がこの箇所における字義的な意味であると考えるのは誤りである。第二に、虹は水色と火色であるから、キリストの洗礼のしるしである。キリストの洗礼は火と水によってなされるからである(マタイ3:11)。聖グレゴリウス(エゼキエル書講話8)もそう述べている。第三に、虹は受肉したみことば、肉に覆われたみことばである。あるいはむしろ、みことばのまさにその肉そのものである。第一に、太陽が雲の中で輝いて虹を生じさせるように、みことばが肉の中で輝いてキリストとなったからである。第二に、ノアの時代に虹が平和の象徴であったように、キリストの受肉もまた世界の和解であったからである。第三に、虹の二つの角はキリストの二つの本性、すなわち神性と人性であり、その隠された見えない弦は奥義的な位格的結合である。第四に、虹には三つの色がある。キリストにおいてもそうである。キリストは絶えざる祈りによって空色すなわち天的であり、恩寵と徳の花によって緑色であり、十字架における御血によって赤色であった。第五に、この弓からは隠れた愛の矢が放たれた。その矢に射抜かれ傷ついた花嫁はこう歌った。「花で私を支えよ、りんごで私を囲め。わたしは愛に病んでいるからである。」第六に、この虹は雨をもたらすものであった。なぜなら聖霊降臨の日に世界に説教と天の教えの豊かさを、いわば雨のように与えたからである。アンスベルトゥスが黙示録4:3の注解においてそう述べている。第七にこれを付け加えよう。半円である虹は、天から地に降り、再び地から天に帰られるキリストを意味する。最後に、それはキリストの王国を意味する。この地上の生においては半ば満ちて不完全であるが、天においてはこの円が完成される。すなわちキリストの王国は、万物の上にあまねく永遠に支配するのである。
道徳的に、虹の三つの色は浄化し、照らし、完成する力を意味する。この力を聖なる教師たちは神と天使から分かち与えられている。第二に、空色は信仰であり、緑は希望であり、赤は愛徳である。これらを虹すなわち神の慈悲が人間の中に注がれたのである。ヴィエガス、リベラ、ペレリウス、その他の者たちが黙示録4:3の注解においてそう教えている。
天上的意味において、虹は水色と火色であるから、過去の洪水と将来の世界の大火との両方のしるしである。聖グレゴリウス(エゼキエル書講話8)もそう述べている。さらに、弓の形をした虹は、戦争の外観を呈しており、それゆえ普遍的な審判を意味する。サン=ヴィクトルのリカルドゥスが黙示録第4章の注解においてそう述べている。その審判において、義人は永遠の栄光によって緑に輝き、悪人は地獄の火によって赤く燃えるであろう。それゆえ聖ヨハネ(黙示録4:3)は神の御座が虹すなわち慈悲に囲まれているのを見た。なぜならノアの時代の虹は、神と人間との間の平和、和解、契約のしるしであったからである。そしてティコニウス(黙示録講話2、聖アウグスティヌスの著作集第9巻に収録)が言うように、虹はしるしすなわち平和であった。第二に、多彩な虹は喜ばせ、さまざまな雨を地に降らせる。神の慈悲もまた同じである。第三に、虹は半円であって、我々の半球にのみ現れる。同様に神の慈悲もまたこの世の生においてのみ現れ、正義は来世においてのみ現れるのである。
第18節:ハムはカナンの父である
18. ハムはカナンの父である。――モーセがここでカナンに言及しているのは、第25節においてその父ハムのゆえにノアによってカナンが罰せられることになる呪いへの道を整えるためである。聖ヨハネ・クリソストモスは第二に、ハムのみが洪水の時に箱舟の中で節制を欠き、カナンを生んだのであり、それゆえここでカナンに言及されているのだと付け加えている。しかし他のすべての者たちはその反対を教えている。実際、聖書そのものが、箱舟によって救われたのは八つの魂のみ(すなわちノアとその三人の息子たち、および各人の妻たち)であったと教えている(一ペトロ3:20)。さらにモーセ自身が、カナンは洪水の後に生まれたと教えている(第10章、第1節および第6節)。
それゆえ、モーセがここで語っているノアの箱舟からの退出の時点では、カナンはまだハムから生まれてもいなかったのである。しかしハムがカナンの父と呼ばれているのは、カナンが彼から生まれることになっていたからであり、またこれを記しているモーセの時代には、カナンとカナン人たちはすでに生まれていたからである。セムの子孫であるヘブライ人たちはカナン人たちを征服し荒廃させた。あたかもこう言うかのようである。ハムからカナンが生まれた。悪い烏から悪い卵が生まれるように。善き父に対して不義な息子であり、本性においても教育においても堕落した者であったハムが、どうして善き息子を生むことができたであろうか。聖アンブロシウスとテオドレトスもそう述べている。それゆえハムが父ノアを嘲笑した嘲りは、その息子カナンにおいて罰せられた。すなわち、カナンの子孫であるカナン人たちが、セムの子孫であるヨシュアとヘブライ人たちによって、隷属と荒廃をもって罰せられたのである。聖アンブロシウスはその著『箱舟とノアについて』第28章において神秘的にこう述べている。ハムすなわち「熱」はカナンすなわち「動揺」あるいはむしろ「粉砕」「破壊」の父である。なぜなら熱している者は絶えず動かされ動揺し、すべてを動揺させ打ち砕くからである。
第19節:これらの者から全人類が広がった
19. この三人がノアの息子であり、これらの者から全人類が広がった。――それゆえ、ノアの息子を三人以上と数える者たちは誤りである。たとえばベロッスス、アンニアヌス、および『ドイツ年代記』のようにトゥイスコがノアの息子であったと主張する者たちである。さらにまた、ノアが洪水の後に他に三十人の息子を生み、その妻ティトレアにちなんで彼らをティタンと呼んだというのも誤りである。それゆえこの箇所からすると、ノアは洪水の後、すでに衰え老いており、より善く神に専心するために、情欲を厭い、婚姻の営みを慎み、それゆえ他の子を生まなかったように思われる。なぜならこの三人からすべての人間が生じたからである。カエタヌスとトルニエッルスはその反対を主張している。すなわちノアは洪水の後に他の息子たちを生み、彼らからも諸民族が繁殖したと。しかしここではこの三人のみが名指されている。なぜなら彼ら三人が諸民族への散布のより卓越した指導者であり、主要な民族の長であったからであると。しかし私が最初に述べたことのほうが聖書の言葉により適合しており、聖書の言葉は他の意味をほとんど許さない。なぜなら聖書は明確にこう述べているからである。「これらの者から全人類が全地に広がった」と。
第20節:ノアは地を耕し始め、ぶどう園を植えた
20. ノアは農夫として地を耕し始めた。――ヘブライ語では「ノアハ・イシュ・ハアダマ」すなわち「ノアは地の人となり始めた」、つまり農夫となり始めたのである。洪水の後に、乾いた地を耕し耕作し始めた。あたかもこう言うかのようである。ノアは、洪水以前に人々が、創世記2:15および3:17における神の命令によって行っていた農業に戻ったのである。そしてそれを洪水以前よりも勤勉に行った。なぜなら洪水がその塩気、辛味、浸透、氾濫によって、大地の太古の豊かさと善良さを吸い取り洗い流してしまったからである。それゆえペレリウス、デルリオ、その他の者たちは、ノアが犂を発明し、馬や牛に引かせて犂先で大地を切り開いたと考えている。それ以前は人々が自らの手と鍬で大地を掘り耕していたのである。
ここに族長ノアが農業に専心する姿を見よ。同様にセム、ヤフェト、イサク、ヤコブ、エサウ、モーセ、ボアズ、ギデオンは農夫であった。実に、イスラエルの全民が田畑を耕していたのであり、それは王を求めるまでのことであった。そしてサムエルが神の命によって彼らに告げたのは、王は彼らの田畑、ぶどう園、オリーブ畑、その最良のものを取り上げて自分の家臣に与え、また彼らの収穫に十分の一を課すであろうということであった(サムエル記上8章)。サウルは驢馬の飼い主であり、ダビデは羊の牧者であった。エリヤはエリシャを犂から呼び出して預言者とした。教皇たちの生涯を調べれば、シルウェリウス、ハドリアヌス、シルウェステルなど、農夫の息子を多く見出すであろう。ペルシアの王キュロスや、古代ローマの皇帝たちは農夫であった。それゆえファビウス家、レントゥルス家、ピソ家、キケロ家、ウィテッリウス家、ポルキウス家、セルウィウス家、アッピウス家、スクロファ家――農夫の名が凱旋の栄誉に飾られたのである。ウァレリウス・マクシムスの言葉を聞け。「あの大富豪たちもまた、犂から呼び出されて執政官とされた者たちであるが、彼らは好んでプピニアの不毛で最も灼熱の地を耕し、美食を知らず、大汗をかきながら巨大な土塊を砕いていた。実に、国家の危機が将軍に仕立てた者たちを、家計の逼迫が牛飼いにならざるを得なくさせたのである。」ロムルスとレムス、ディオクレティアヌス、ユスティヌス、王たちも皇帝たちも、牧者や農夫であったのと同じであった。自らを全人類中の最古であると称したアルカディア人たちは、歴史が証するところによれば、牧者であり農夫であった。詩人の言葉を聞け。「パン(アルカディアの神)は羊と羊の主を守る。」ギリシア人たちは、プロテウスとアポロンがテッサリアの王アドメトスの羊飼いであったと認めている。メルクリウスとアルグスとともに。フリュギア人たちは、パリス、プリアモス、アンキセス、その他の者たちを牧者であったと認めている。ヌミディア人、グルジア人、スキタイ人、遊牧民はこの生活を選び、それ以外を選ばない。王たちの関心は農業の実践のみならず、それを書物においても技術として抱擁した。たとえばヒエロン、ミトリダテス、フィロメトル、アッタロス、アルケラオス。また将軍たちとして、クセノフォン、シッラヌス、カトー、プリニウス、テレンティウス・ウァッロ。クリウスは農場から元老院に呼び出され、他の長老たちも同様であった。アッティリウスをローマの指揮権に招請しに来た者たちは、彼が種を蒔いているところを見出した。彼らにとって、象牙の笏を置き、勝利と平和を得た後に犂の柄に戻ることは恥ではなかった。なぜなら農業の実践は、第一に、自然と神によって制定されたものであり、第二に大いなる快適さを有し、第三に健康を保ち身体を強壮にし、第四に穀物と果実を調達し、第五に天空、星辰、雨、樹木、その他の自然事物を黙想するのに有益であり、第六に神を観想し礼拝するのに有益だからである。それゆえ古の祝祭があった。ケレアリア祭、フロラリア祭、ウィナリア祭、セメンティナ祭、アグナリア祭、パリリア祭、カリスティア祭などである。
彼はぶどう園を植えた。――留意すべきことに、ぶどうの木は洪水以前から存在していた。さもなければノアはそれをどこから得たであろうか。しかし今までのところ、ぶどうの木は野生のまま、栽培されず、あちこちに散在していたようであり、人々はそれからぶどう酒を搾るのではなく、単にぶどうの実を食べていただけであった。しかしノアは技術をもってぶどうの木を栽培し、植え付け、ぶどう園に整え、ぶどうからぶどう酒を初めて搾ったのである。なぜなら、かつて見たことも知ったこともないものとして、ぶどう酒の力を知らなかったために、それによって酩酊したのである。聖ヒエロニムスがその著『ヨウィニアヌス反駁』第1巻においてそう述べている。
聖ヨハネ・クリソストモスは、ノアがぶどうの木からぶどう酒を搾ったのは、洪水の後の自身と他の人々の悲しみ、労苦、衰弱を和らげ強めるためであったと指摘している。なぜならぶどう酒は人の心を強め、喜ばせるからである。そしてこのことから、アンニアヌスのベロッススは、ノアはヤヌスと同一人物であると考えた。そしてヤヌスと呼ばれたのは、すなわち「ぶどうを生ずる者」あるいはむしろ「ぶどう酒を生ずる者」であり、ヘブライ語の「ヤイン」すなわち「ぶどう酒」に由来すると。それゆえまたヤヌスは二つの顔をもつ姿で描かれる。なぜならノアは洪水の前と後の両方の時代を見たからである。それゆえオウィディウスは『祭暦』第1巻でこう詠んでいる。「二つの顔を持つヤヌスよ、静かに流れゆく年の源よ、神々のうちにてただ一人、己が背を見る者よ。」
相応しくも、ローマ人の象徴的な所行は、ノアが四種の動物、すなわち猿、獅子、豚、子羊の血をぶどうの木とぶどう酒に混ぜたと象徴的に語っている。なぜならぶどう酒は酩酊させ、酔った者たちをある者は道化のように猿に、ある者は好戦的で残忍に獅子のように、ある者は好色で不潔に豚のように、ある者は温順で親切で敬虔に子羊のようにするからである。
第21節:ぶどう酒を飲んで酔った
ノアのこの酩酊は罪ではなかった。少なくとも大罪ではなかった。なぜならぶどう酒の力を知らず、経験がなかったために、あまりに多く飲んだのである。聖ヨハネ・クリソストモスとテオドレトスもそう述べている。それゆえカルヴァンとルターがこの酩酊をノアの不節制に帰したのは誤りである。これは不節制ではなく不経験によるものであった。別の者たちは異なる解釈をしている。あたかもこう言うかのようである。「酔った」とは「喜ばされた」ということである。それゆえ聖アンブロシウスは七十人訳に従ってこう述べている。「彼は言わなかった」と彼は記している、「彼はぶどう酒を飲んだとも、義人がぶどう酒を飲み干したとも。そうではなく、ぶどう酒から、すなわちその飲料から、味わったと。そして酩酊には二つの種類がある。一つは身体にふらつきをもたらし、歩みをつまずかせ、感覚を乱すものであり、もう一つは徳の恩寵をもって心を薫じ、すべての弱さを除くかに見えるものである。後者について詩篇22はこう述べている。わが酩酊の杯はいかに栄光に満ちていることか!」
ここに古人たちの節制を見て驚嘆せよ。なぜなら世界の創造から洪水まで、千六百年の間、すべての者がぶどう酒も肉も断っていたのであり、それゆえ極めて長命で賢明であった。彼らは九百歳まで生きたのである。
ここで第一に留意すべきことがある。節制は最も有益である。第一に、健康と長寿にとって。なぜなら有害な体液を消耗させ、生命精気を浄化し鋭くするからである。第二に、貞潔と徳にとって。なぜなら情欲、怒り、その他の情念を養い煽動する過剰な血液、体液、精気を減ずるからである。
第二に留意すべきことがある。節酒は自然に知識に寄与する。一つには健康を保ち寿命を延ばすからであり、一つには頭を明晰にし、動物精気を自由で清浄にし、思弁と瞑想に適したものとするからであり、一つには魂(人間において一つであり、同時に栄養的、感覚的、理性的である)の力と活動は有限であるから、食物の摂取と調理、消化、排泄に費やされることが少なければ少ないほど、それだけ多く学問と観想に専心することができ、通常そうするのであり、その方向にすべての力を発揮できるからである。それゆえソロモンはコヘレトの書2章でこう述べている。「わたしは心の中で考えた」と彼は言う、「わが肉をぶどう酒から引き離し、わが魂を知恵に移し、愚かさを避けようと。」またイザヤ書28章にはこうある。「誰に知識を教え、誰に告げ知らせるのか。乳離れした者、乳房から引き離された者にである。」
かくしてエノシュ、エノク、メトシェラ、ノアは節制者として、最も賢明であった。なぜならノアは全世界の復興者、教育者、統治者であったからである。かくしてナジル人とレカブ人は、知恵においても節制においても賞讃されている。かくしてモーセとエリヤは四十日の断食によって知恵と神の顕現に与った。かくしてユディト、エステル、マカバイたちは、ホロフェルネス、ハマン、アンティオコスを打ち倒した知恵と勇気を得たのである。かくして洗礼者ヨハネは節制によって天使のようになった。かくして最初の隠修士パウロス、アントニウス、ヒラリオンをはじめ、かくも多くの隠修士や修道士の群れが、地上の天使のごとく、節制と観想と知恵のうちに長寿を全うし、百年以上を生きた。かくして昔の修道共住者たちは、聖ヒエロニムスが証するように、絶えず断食し、水を飲み、パンと豆類と野菜のみを食べていたのである。
異教徒たちの言葉をも聞け。クセノフォンは、古代のペルシア人たちはパンにクレソン以外の何も加えなかったと伝えている。そしてその頃彼らは知恵と武徳において栄え、二百年間、すなわちキュロスからダレイオスまで世界の帝国を保持した。ダレイオスは贅沢とぶどう酒によって帝国と生命を失ったのである。ストア派のカエレデムスは、エジプトの古の祭司たちが肉、ぶどう酒、卵、乳を常に断っていたと伝えている。それは彼らがより純粋に、より集中して、より鋭敏に神事に専念し、情欲の熱を消すためであった。そして彼らこそがエジプトの賢者であり占星術師であった。ユダヤ人の間のエッセネ派はぶどう酒と肉を自らに禁じ、もっぱら祈りと聖書研究に専心した。彼らについてヨセフス、フィロン、プリニウスが驚くべきことを伝えている。実にポルフュリオスはその著『動物の食肉を慎むことについて』の中で、彼らの多くが神の霊に満たされて預言者となったと断言している。エウブルスは、ペルシアには三種のマギがいたと伝えている。その第一のもの(最も賢く最も雄弁であると考えられていた者たち)は、粉と野菜以外には何も食べなかった。バビロニアのバルデサネスは、インドのギュムノソフィストたちが木の実と米と粉のみで生活していると伝えている。エウリピデスは、クレタにおけるゼウスの預言者たちは肉とすべての調理された食物を断っていたと言う。ソクラテスは徳を志す者たちに節制を培い、美食をセイレーンのように退けるよう勧めた。それゆえ他の人間とどう違うかと問われて、彼はこう答えた。「他の者たちは食べるために生きるが、わたしは生きるために食べるのである。」アッシリアのイサエウスは、フィロストラトスが証するところによれば、最も快い饗宴は何かと問われてこう答えた。「わたしはそのようなことを気にすることをやめた。」クセノクラテスは、エレウシスの神殿にはただ三つの教えだけが残っていると言った。すなわち第一に、神々を敬うべきこと。第二に、両親を敬うべきこと。第三に、肉を断つべきことである。プリニウスはぶどう酒を人間にとっての毒人参であると言い、セネカは酩酊を自発的狂気であると言う。エピクロスは快楽の擁護者であるにもかかわらず、快く心地よく生きるためには質素な食事が最も寄与すると断言している。そしてその『書簡』の中で、彼は水とパンのみを常食としていたと証している。ピュタゴラス、アンティステネス、ディオゲネス、テュアナのアポロニオスの節制については、ラエルティオス、プルタルコス、フィロストラトスが驚くべき記述を残している。さらに詳しくは聖ヒエロニムスの著『ヨウィニアヌス反駁』第2巻、およびプルタルコスの肉食に関する二つの論説を見よ。
彼はその天幕の中で裸になった。――眠る者や酔った者は、暑さのゆえに覆いを脱ぎ捨て、裸になるのが常である。テオドレトスもそう述べている。
第22節:カナンの父ハムがこれを見たとき
ヘブライ人たちとテオドレトスは、ここでカナンに言及されているのは、少年カナンが、悪知恵は持てる年齢であったが(おそらく十歳ほどであった)、祖父ノアが裸になっているのを最初に見て嘲り、そしてそのことを父ハムに報告したためであると伝えている。ハムはこの少年の厚かましさを戒めず、かえってそれを是認し、父を兄弟たちの嘲笑に晒したのである。
ここで聖バシリウスと聖アンブロシウスは、善き者たちの過失を広めることを喜ぶ悪しき者たちの性質を指摘している。アンニウスのベロッススは(その信憑性がいかほどのものであれ)次のことを付け加えている。ハムは魔術師であり、それゆえゾロアストルと呼ばれた(カッシアヌスも同じことを『修道院談話集』第8巻第21章で述べている)。なぜなら彼は敬虔な父への憎しみから父を嘲り、その魔術によって父を以後不妊にしたからである。そして彼は人々に母親との交わり、男色、獣姦を教え、それゆえ父ノアによって追放され放逐されたのであると。
第23節:彼らは父の裸を覆った
「父への敬意が、まさにその光景によってすら損なわれることがないように」と聖アンブロシウスはその著『ノアについて』第31章で述べている。そして彼はキケロの『義務について』第1巻から次のことを付け加えている。「ローマにおいても、息子たちが親と、特に成年に達してからは、浴場に一緒に入らないという古い慣習があったと言われている。」かくして聖グレゴリウスは『道徳論』第25巻第22章において、霊的な親や聖職者の罪は転義的に覆われるべきであると教えている。そしてコンスタンティヌス大帝はニカイア公会議において自らの模範をもってこれを教えた。ある司教たちに対して持ち出された告発の書面を焼き捨てたのである。彼は繰り返しこう述べた。「もし自分が司教の姦淫を見たとしても、自分はその犯罪を自らの軍服で覆い隠すであろう。罪の光景がそれを見る者たちをいかなる点でも傷つけることがないようにと。」テオドレトスが『教会史』第1巻で報告している通りである。
寓意的に、聖アウグスティヌスは『神の国』第16巻第2章および第7章でこう述べている。ハムはユダヤ人と異端者である。彼らはノアすなわちキリストとキリスト者を嘲笑するのである。
第24節:末の子のなしたことを知ったとき
酒から――酒の力が彼をおとしいれた眠りから覚めて。
末の子のなしたことを知ったとき。――ノアは目を覚まして、自分が自分のものではない、他人の――すなわち息子セムとヤフェトの――外套で覆われているのを見た。彼はその理由を二人に尋ねた。二人は、逐一問い質す父に嘘をつく勇気がなく、事の一部始終とハムの罪を打ち明けた。さもなければ沈黙のうちに押し隠したであろうことであった。
末の子――すなわちカナンのことである、とテオドレトスは言う。カナンはノアの「子」、すなわち孫であった。それゆえノアは直ちに彼を呪うのである。しかし他のすべての者は、この子をハムと解する。なぜなら、ここで罰せられているのはハムの罪と不敬であるからである。聖ヨハネ・クリソストモスは、さらに彼の不節制を加えている。すなわち洪水の間、箱舟の中で夫婦の交わりをなし、カナンを生んだということであり、このことについては第18節で述べた。
注意せよ。ハムはノアの「末の子」であったが、それは彼がすべての中で最も年少であったという意味ではなく――ある者たちはそう解するが――セムより年少であったという意味である。なぜならハムはヤフェトより年長であったからである。したがってハムはノアの息子たちの中間であり、第18節やその他至る所で中間に置かれている。聖アウグスティヌス『神の国』第16巻第1章、およびエウケリウスがそう述べている。
第25節:カナンは呪われよ
「彼はなるであろう」と補え。なぜなら、ノアがこれらのことを語ったのは、呪いや呪詛の意図からというよりも、むしろ預言の霊によって、自分の息子たちの子孫に起こるであろうことを預言的に告げたのである。それゆえ彼は説明して付け加えている、「彼は奴隷の中の奴隷となるであろう」と。
注意せよ。ヴァタブルスは、ここでカナンとはハム自身のことであると解する。すなわち、最も不敬な子の名で呼ばれた不敬な父のことであると。それゆえゲンナディウス、ディオドロス、オリゲネスも、ノアがこれらのことを語った時点では、カナンはまだ生まれていなかったと考える。しかしその反対がより真実である。すなわち、ここではカナンそのものに直接語りかけているのである。ヘブライ人からの理由は第18節で述べた。それゆえ聖アンブロシウスは『ノアについて』第30章でこう述べている。「父は子において、子は父において叱責を受けるのであり、愚かさ、邪悪、不敬の共同の連帯を有しているのである。善き父に対して不肖の子であった者が、本性においても教育においても退廃して、善き子を生むことなどありえなかったのである」と。
第二に注意せよ。ハムの他の息子たち、すなわちクシュ、ミツライム、プトは、ここでノアに呪われてはおらず、ただカナンのみが呪われている。なぜなら、カナンの子孫であり彼と同様に不敬であったカナン人だけが、セムの子孫すなわちユダヤ人によって滅ぼされたか、あるいは彼らに仕えたと記録されているからである。これはギブオン人において明らかであり、彼らはカナン人の中で、最も卑しい奴隷として仕えるという条件のもとに、欺瞞によってヘブライ人から生命を得た。これが「奴隷の中の奴隷」の意味するところである。ルペルトゥスがそう述べている。
注意すべきは、モーセがこれらすべてのことを、ユダヤ人によって追放されるべきカナン人のゆえに書いたということである。なぜなら彼はここで、ヘブライ人のカナンへの遠征と旅の歴史への道を準備し、ユダヤ人が自ら、またヨシュアを通じてカナンの地を占領するに至った機縁と理由を示しているのである。すなわち、ハムとカナンの不敬をカナン人が模倣し、それゆえにカナンから追放されたということである。
したがって第三に明らかなのは、ハムとカナンがここでその子孫すなわちカナン人において罰せられているということであり、カナン人は父祖の不敬を模倣し継承した者たちであった。ここに見よ、不敬な親や教師を持つ者がいかに不幸であるかを。プラトンが正しくも自然に、あるいは神に感謝を捧げたのは当然であった。第一に、人間として生まれたこと。第二に、男性として生まれたこと。第三に、ギリシア人として生まれたこと。第四に、アテナイ人として生まれたこと。第五に、ソクラテスの時代に生まれ、その教えを受けることができたこと、の五つについてである。
道徳的に、聖アンブロシウスは言う。「酒の発見以前には、すべての者に揺るぎない自由が残っていた。自然の本性を共にする者から奴隷の奉仕を要求することを誰も知らなかった。もし酩酊がなかったならば、今日、隷属というものは存在しなかったであろう」と。
「奴隷の中の奴隷」――すなわち最も卑しく最も下等な奴隷のことである。注意せよ、隷属は罪の罰であるということを。それゆえ奴隷は「servare」(保存する)から作られ名づけられたのである。なぜなら戦争で捕えられた者は、敵として、また加害者として殺されることもできたにもかかわらず、ある種の寛大さによって奉仕のために「servi」すなわち「奴隷」として生かされたからである。さらに、敬虔な子であることを拒んだ者は、奴隷となることで罰せられる。なぜなら、子としての甘美で自然な服従すなわち奉仕を侵すことを恥じなかった者が、奴隷的な服従によって圧迫されるのは正義にかなうからである。
カルヴァンはここで教皇を嘲笑している。教皇がハムのこの呪いから「奴隷の中の奴隷」の称号を取ったというのである。しかし彼は誤っている。なぜなら教皇は単に「奴隷の中の奴隷」と自称するのではなく、ルペルトゥスが正しく指摘するように、「神の僕たちの僕」という付加語をつけているからである。そしてこれは敬虔な魂の謙遜からそうしているのであり、したがって教皇は不敬なハムからこの名を取ったのではない。
第26節:セムの神なる主はほむべきかな
これはヘブライ的な換喩法(メタレプシス)である。すなわち結果から原因が理解されるのであり、神の祝福からセムそのものの祝福が理解されるのである。なぜなら、これらの言葉によってノアは、ハムを呪うのと同様に、神のみならずセムとヤフェトをも祝福しているからである。したがってその意味はこうである。すなわち、神がセムとその子孫の上に、穀物の豊かさにおいてのみならず、知恵、敬虔、宗教、恩寵、および神の礼拝においても、かくも大いなる祝福と豊穣を積み重ねたまい、彼らを見る者がすべて、セムとその民にかくも寛大な神をほめたたえ、こう言うようになる、と。「祝められたまえ、神よ。常にセムとその子孫の神、主、父、養い手であり、その恵みによって常に、セムとその民の神、守護者、世話人であることを示したもうお方よ」と。リポマヌス、カイエタヌスらがそう述べている。この祝福はセムから出たユダヤ人において成就した。ここでノアに倣い、すべての善きこと幸いなことにおいて、神への讃美と祝福に打ち奮い立つことを学ぶがよい。
道徳的に、ペレリウスは正しくも、シラ書第3章において、親を敬う善き子らに九つの善が神から約束されていると指摘する。第一は富であり、世俗のものと霊的なものの両方である。「宝を蓄える者のように、母を敬う者はそのようである」と。第二は、そのような子が自らの子にも恵まれるということ。「父を敬う者はその子らによって喜びを得る」と。第三は、神がその祈りを聞き届けたもうこと。「祈りの日に彼は聞き届けられるであろう」と。第四は、長寿であること。「父を敬う者はより長い命を生きるであろう」と。第五は、安定した家族と子孫を持つこと。「父の祝福は子らの家を堅固にする」と。第六は、名誉を受けること。「父の栄誉から子の栄光が生ずる」と。すなわち、尊ばれた父はその子らを栄光あるものとするか、あるいは父を敬う子はすべての人の前に自らの栄光を勝ち得るのである。第七は、苦難の時に神によってそこから救い出されること。「父への慈善は忘れられることなく、苦難の日にそれは汝を思い起こすであろう」と。第八は、罪が赦されること。「晴れた日の氷のように、汝の罪は溶け去るであろう」と。第九は、神に祝福されること、すなわちあらゆる善きものの豊かさで満たされること。「汝の父を敬え、と言われる。それは神からの祝福が汝に臨み、その祝福が最後まで留まるためである」と。
第27節:神はヤフェトを広げたまえ
ヘブライ語では、ヤフェトという名の語源からの美しい言葉遊びがある。すなわち「ヤフト・エロヒム・レヤフェト」であり、「神が広げられたる者を広げたまえ」というごとくである。聖アウグスティヌスは「喜ばせたまえ」と訳し、カイエタヌスとエウグビヌスは「飾りたまえ」あるいは「神がヤフェトその人を美しくしたまえ」と訳している。
注意せよ。ヤフェト(異邦人たちがイアペトスと呼ぶ者)は、ヘブライ語の「パタ」すなわち「説得する、誘う、なびかせる」に由来する。しかしヒフイル形(ここではそれが用いられている)では「広げる」を意味し、七十人訳、カルデア訳、われらの翻訳者、ヴァタブルス、メルケルス、パニヌスらがここでそう訳している。したがってヤフェトは「美しい」というよりも「広げられた」を意味する。それゆえ、ヘブライ語のヤフェトの名をギリシア語の「イアプテイン」すなわち「傷つける」から、あるいは「イアスタイ」すなわち「癒やす」から、あるいは「イソロペイン」すなわち「送り出す、飛ぶ」から導き出し、「神がヤフェトを地の広がりの中に送り出し飛ばせたまえ」とするギリシア人たちは空しく苦労しているのである。さてその意味はこうである。すなわち、ヤフェトの子孫は広がり、非常に多くなって、最も広大にして広範な地域を占め、セムの子孫の分割地と住まいにまで拡散するほどになるであろう、と。このことが実際に起こったことは、次の章から、また聖ヒエロニムスの『ヘブライ問題』から、またヨセフスの『ユダヤ古代誌』第1巻第6章から明らかである。これらの典拠によれば、ヤフェトの子孫はヨーロッパ、および西方に向かうアジアの北部すなわちタウロス山脈とアマヌス山脈からタナイス川に至るまでを占有した。ハムの子孫はアマヌスとタウロスからアジアの南部すなわちエジプト、シリアの一部、および全アフリカを占有した。セムの子孫はユーフラテスからインド洋に至るアジアの東部を占有した。アリアス・モンタヌスの『装置』すなわち『ファレグ、あるいは最初の諸民族の起源について』を見よ。
寓意的に、そして最も特にここで預言されているのは、異邦人の教会がキリストとキリスト教においてユダヤ人と拡大され結合されるということである。なぜならヤフェトから異邦人が出たからであり、セムからはユダヤ人とキリストが出て、最初に神の神殿、礼拝、および教会を有し、その後キリストが異邦人をもそこに導き入れ、両者から一つの教会を成し、その広がりと首位をセムすなわちエルサレムとユダヤ人からヤフェトすなわちローマと異邦人へと移したのである。聖ヒエロニムス、聖ヨハネ・クリソストモス説教29、ルペルトゥス第4巻第39章がそう述べている。したがってヘブライ語から適切にこう訳すことができる。「神がヤフェトを(ヤフェトの子孫である異邦人を)なびかせ、あるいは説得して、セムの天幕に住まわせたまえ。すなわちユダヤ人とセムから出たキリストの教会に」と。ここにしたがって、異邦人がキリストに召されることの明白な預言がある。なぜならヘブライ語の「パタ」は本来「誘う、なびかせる、説得する」を意味するからである。
セムの天幕に住まわせたまえ。――テオドレトス、リラ、アブレンシスのようなある者たちは、ここで主語をヤフェトではなく神と解し、こう言う。「神がセムの天幕に住みたまえ」と。そしてそのとおりになった。なぜならセム族すなわちユダヤ人の間に、神は幕屋と神殿において住みたもうたからである。さらにセム族からキリスト・神が生まれた。なぜなら彼らから御言葉は肉となり、われらの間に住みたもうたのである。それゆえカルデア訳は「神性がセムの天幕に住みたまえ」と訳す。カルデア語の「シェキナ」は「安らい」を意味し、この名によってヘブライ人は幕屋において、契約の箱の上の贖いの蓋の上に住みかつ安らう神性の臨在を表す。それゆえまた預言者たちやその他の聖人たちの上に安らう聖霊も「シェキナ」と呼ばれる、とエリアス・レヴィタは言う。したがってカルデア語からこうも訳すことができる。「聖霊、あるいは聖性そのものがセムの天幕に安らいたまえ」と。
第二に、より適切にまた、より真実には、「住まわせたまえ」をヤフェトに関係づけるべきである。なぜなら神はすでにそれ以前にセムを祝福しているからであり、ここではセムではなくヤフェトを祝福しているのである。さてデルリオ、ペレリウスらは「セムの天幕」を字義的に教会と解する。しかし、これらすべてのことは字義的にはヤフェトの子孫の拡大と繁殖に関わるのであるから、ここでは字義どおりの本来の意味での天幕と取り、寓意的な意味において(しかしこの寓意的意味は字義的意味に優り、聖霊によって字義的意味以上に意図されたものである)教会を理解すべきである。その意味は前の段落で述べたとおりである。
第28節:ノアは洪水の後三百五十年生きた
したがって、アブラハムは次の章で示されるように洪水後第292年に生まれたのであるから、アブラハムはノアの存命中に生まれ、ノアと58年間ともに生きたということになる。したがってノアはバベルの塔を見、自分の子孫のほとんどすべてがその道を腐敗させ偶像崇拝に堕するのを見たのである。ノア自身は、エピファニウスが証言するように、真の神の真の礼拝と相互の和合を守るとの誓いを息子たちから取りつけていたにもかかわらずである。したがってノアは、人間に満ちた世界を見た。しかもその人々は不敬であった。彼は見て、嘆いた。
ここに注意すべきは、洪水後のこの三百年間に驚くべき人類の繁殖が生じたということである。フィロンは『聖書古代誌』において、ノアは死の少し前に、洪水後に生きた350年の間に自分から繁殖したすべての子孫を数え、ヤフェトを通じて自分から出た息子と孫が14万202人――女性と子供を除いて――であることを見出したと伝えている。ハムからは24万4900人であった。セムからはより少ない数を数えているが、セムの子孫のいくつかの数字がその写本から欠落しているように思われる。したがってすべてを計算すると、自分から生まれた人間が90万人以上に達することを彼は容易に見たのである。なんという膨大な息子と孫の大軍であろう。なんという偉大な族長がノアであったことか。しかしこの書物は信頼性に疑問がある。なぜなら、エウセビオス『教会史』第2巻第18章、聖ヒエロニムス『著名な人々について』、ベラルミヌス『教会著作家について』がフィロンの著作を列挙する際にこの書物に言及していないからであり、またこの書物の文体がフィロンの文体と異なるからであり、さらにこの書物は多くの外典的な物語に満ちているからである。シエナのシクストゥスが『ビブリオテカ』第4巻のフィロンの項でそう述べており、彼に続いてわれらのポッセヴィヌスもそう述べている。しかしながら、私がそこから引用した数字は信じうるものであり、むしろ少なすぎるように思われる。なぜなら、ディオドロスがクテシアスから伝えるところによれば、『歴史叢書』第3巻、アッシリア帝国の創設者ニヌス(その治世の第43年にアブラハムが生まれた、とエウセビオスは言う)はその軍勢に歩兵170万人、騎兵20万人を有していた。加えて鎌つき戦車1万600台を有していた。他方、バクトリア人の王ゾロアストレスはニヌスに対して4万人の軍勢を集めた。見よ、両軍合わせてその時230万人の人間がいたのであり、万人の父ノアはそのすべてを見ることができたのである。なぜならその時まだ彼は生きていたからである。このことは驚くにあたらない。なぜなら当時の人間は多くの妻を持ち、ひたすら子孫の繁殖に専念していたからである。
さらに、ここに注意すべきは、神への信仰と礼拝は、世界の始めから2108年の間、三人の人物すなわちアダム、メトシェラ、セムの手を通じて伝えられ受け継がれ得たということである。なぜならアダムはメトシェラに会い、メトシェラはセムに会い、セムはヤコブに会ったからであり、ヤコブは世界暦2108年すなわち洪水後452年に生まれたのである。セムは洪水後500年間生きたのであり、これは第11章第11節から明らかである。したがってセムはヤコブに会うことができた。最後に、ヘブライ人たちの伝えるところでは、ノアはセムとともにアルメニアから旧来の故郷すなわちダマスカス近郊の地に帰り、そこでサレムの王国と祭司職を創設し、それを息子セムに委ねたのであり、セムは別の名でメルキゼデクと呼ばれたという。しかし第14章において、セムはメルキゼデクではなかったことを私は示すであろう。
アンニウスのベロススは第3巻で次のように付け加えている。箱舟がアルメニアの山々に止まった後、ノアはそこに住み、アルメニア人に農業、天文学、神を礼拝する聖なる儀式と典礼、そして最後に自然の多くの秘密を教えた。そしてそこからイタリアへ旅し、人々に敬虔と自然学と神学とを教えた(したがってイタリア人によって「神々の父」また「世界の魂」と呼ばれたという)。そして最後にそこで死んだという。しかしこのアンニウスのベロススは偽作の疑いがある。
象徴的に、聖アンブロシウスは『ノアについて』第32章でこう述べている。「ノアの三百年において、キリストの十字架が表されていることは確かである(なぜならギリシア文字のタウは三百を表す文字であり、十字架の形を有するからである)。その型によって義人は洪水から救い出されたのである。五十においては、ヨベルの年が赦しの数であり、それによって聖霊が天から遣わされ、人間の罪人たちに恩寵を注ぎたもうた。したがって、赦しと恩寵との完全な数が満たされた時、義人はこの世の生涯の走路を全うしたのである」と。