コルネリウス・ア・ラピデ
目次
本章の概要
アブラハムは、神から息子を犠牲に捧げるよう命じられ、これに従う。しかし天使によって制止される。第二に、15節において、その従順に対する豊かな報いと祝福を受ける。第三に、20節において、ナホルとリベカの系譜が記される。リベカはイサクの妻となるべき女性であった。
ウルガタ本文:創世記22章1–24節
1. これらのことの後、神はアブラハムを試み、彼に言われた。「アブラハムよ、アブラハムよ。」彼は答えた。「はい、ここにおります。」 2. 神は彼に言われた。「汝の独り子、汝の愛する子イサクを取り、幻視の地に行き、わたしが汝に示す山の一つの上で、彼を燔祭として捧げよ。」 3. そこでアブラハムは夜のうちに起き上がり、ろばに鞍を置き、二人の若者と息子イサクを連れて行った。燔祭のための薪を割り終えると、神が命じられた場所へと向かった。 4. 三日目に目を上げると、遠くにその場所が見えた。 5. 彼は若者たちに言った。「ここでろばと共に待っていなさい。わたしとこの子はあそこまで急いで行き、礼拝を終えたら、汝たちのもとに戻る。」 6. 彼は燔祭の薪を取って息子イサクの上に載せ、自らは手に火と剣を携えた。二人が共に歩んで行くと、 7. イサクは父に言った。「お父さま。」父は答えた。「何か、わが子よ。」イサクは言った。「ご覧ください、火と薪はありますが、燔祭の犠牲はどこですか。」 8. アブラハムは言った。「わが子よ、神ご自身が燔祭の犠牲を備えてくださる。」こうして二人は共に歩み続け、 9. 神が示された場所に着いた。そこで祭壇を築き、その上に薪を整え、息子イサクを縛って、薪の山の上の祭壇に彼を置いた。 10. そして手を伸ばし、剣を取って息子を屠ろうとした。 11. すると見よ、主の天使が天から叫んで言った。「アブラハムよ、アブラハムよ。」彼は答えた。「はい、ここにおります。」 12. 天使は言った。「その子の上に手を伸ばすな、彼に何もしてはならない。今わたしは知った、汝が神を畏れる者であり、わたしのためにその独り子をも惜しまなかったことを。」 13. アブラハムが目を上げると、背後に茨の中で角を引っかけている雄羊が見えた。彼はそれを取り、息子の代わりに燔祭として捧げた。 14. 彼はその場所を「主は見たもう」と名づけた。それゆえ今日に至るまで「山において主は見たもう」と言われている。 15. 主の天使はアブラハムを天から再び呼んで言った。 16. 「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。汝がこのことをなし、わたしのためにその独り子をも惜しまなかったゆえに、 17. わたしは汝を祝福し、汝の子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やす。汝の子孫はその敵の門を所有し、 18. 汝の子孫においてすべての地の民は祝福される。汝がわたしの声に従ったからである。」 19. アブラハムは若者たちのもとに戻り、共にベエルシェバに行き、そこに住んだ。 20. これらのことの後、アブラハムに知らせが届いた。ミルカもまた兄弟ナホルに子を産んだ、と。 21. 長子ウツ、その弟ブズ、そしてアラム人の父ケムエル、 22. またケセド、ハゾ、ピルダシュ、イドラフ、 23. そしてベトエル。ベトエルからリベカが生まれた。これら八人をミルカは、アブラハムの兄弟ナホルに産んだ。 24. また彼のそばめ、名をレウマといい、テバ、ガハム、タハシュ、マアカを産んだ。
第1節:神はアブラハムを試みられた
神はアブラハムを試みられた――すなわち、英雄的な徳と従順の顕著な対象と素材をアブラハムに与え示すことによってである。その目的は、彼の魂に潜む徳を明らかにし、研ぎ澄まし、完成させ、最後にそれに冠を授けることにあった。しかし悪魔が試みるのは、誘惑を差し出すことによってであり、その目的は人を罪と地獄に引きずり込むことにある。これらの悪事の張本人は神ではない。神ご自身はこのような仕方と目的をもって誰をも試みることはないからである。
セネカでさえ、その著『摂理について』の中で、このことを朧げながらも見ていた。「神は」と彼は言う。「厳しい父がその子にするように、善き人々を厳しく育て、こう言われる。『彼らに激しい労苦、悲嘆、喪失を通じて力を蓄えさせよ。徳は敵なくしては衰え、敵の前で研ぎ澄まされ、逆境の中にあっても自らの境位に留まり、起こるすべてのものを、海が川を飲み込むように、自らの色に染める。見よ、神にふさわしい光景を――悪しき運命と組み合った勇者――まことに神にふさわしい見ものである。運命は剣闘士のように、最も勇敢な者を自らに等しき相手として求め、他の者は軽蔑して通り過ぎる。火はムキウスにおいて、貧困はファブリキウスにおいて、追放はルティリウスにおいて、拷問はレグルスにおいて、毒はソクラテスにおいて、死はカトーにおいて試される』。」われらの神はさらに一層、聖ラウレンティウスにおいて火を、聖イグナティウスにおいて猛獣を、聖ステファノにおいて石を、聖ウィンケンティウスにおいて車裂きを、聖カタリナにおいて車輪を、聖ドロテアにおいて剣を試みたもう。
セネカは続ける。「最も危険なのは繁栄の過剰である。偉大な人々は逆境を時に喜ぶ。勇敢な兵士が戦争を喜ぶのと同様に。嵐の中で操舵手を、戦場で兵士を見分けるものである。神々は善き人々に対して、教師がその弟子に対するのと同じ方法に従うであろう。すなわち、学びの見込みがより確かな者に、より多くの労苦を要求するのである。」
「これが神の意図であり、また賢者の意図でもある。すなわち、群衆が欲するもの、群衆が恐れるものは、善でも悪でもないことを示すことである。それゆえ神はそれらを善人にも悪人にも等しく差し出される。」それらは、これを悪しく耐える者にとってのみ悪である。「善き人の務めとは何か。自らを運命に(神に)委ねることである。宇宙と共に押し流されることは大いなる慰めである。神は彼からすべての悪を――すなわち恥ずべき行いを――取り除いてくださった。」
「耐え忍ぶ者たちは模範として生まれた。神は忍耐の彼方におられ、彼らは忍耐の上にある。それゆえ神は彼らに言われる。『わたしは汝らに堅固なる善を与えた。最も堅固なるものは、神が試みたもうたものである。』」「義しき者は言うであろう。『われらは神にふさわしきものと見なされた。神がわれらにおいて、人間の本性がどれほど耐え得るかを試みんと欲したもうたのである。最も優れた兵士は最も困難な任務に遣わされる。』」これらのことは、セネカの各所に散見される。
ヘブライ人たちは、アブラハムが十度にわたって神に試みられたことを指摘する。第一に、故郷と親族を離れ、見知らぬ地に寄留者として行くよう命じられた時。第二に、飢饉のためにエジプトに寄留するよう命じられた時。第三に、ファラオに妻を奪われ、自身は生命の危険に、妻は貞節の危険にさらされた時。第四に、僕たちの争いのためにロトから引き離されることを余儀なくされた時――ロトは息子のように養い育て愛していた者であった。第五に、捕虜となったロトを解放するため、四人の王と勇敢に戦った時。第六に、妻として迎え、すでに自分の子を身ごもっていたハガルを、サラの促しによって家から追い出した時。第七に、老年にあって割礼を受けるよう命じられた時。第八に、アビメレク王によって妻を奪われた時。第九に、再び妻ハガルと息子イシュマエルを家から追い出した時――初めはサラの教唆によって、次いで神の命令によって。第十に、息子イサクを犠牲に捧げるよう命じられた時である。そしてこの最後の試練が万事の中で最も過酷であったがゆえに、モーセはこれのみを「試み」と呼んでいるのである。
そして彼に言われた――夜のうちに、幻視をもってである。これは3節から明らかである。
はい、ここにおります。ヘブライ語ではヒンネニ、「見よ、わたし」――すなわち、僕として身も心も備えて御前におり、汝に従い、わたしとわたしのすべてのものを御旨のままに差し出す用意がございます。それでは、わたしに何をお求めになりますか。
第2節:汝の子を取れ
汝の子を取れ。ヘブライ語の言葉は、アブラハムの魂をさらに一層刺し貫き駆り立てる。なぜなら、こう読まれるからである。今、汝の子を取れ、汝の独り子、汝が愛してきたその者、イサクを。また七十人訳では、汝の子を取れ、汝のかの愛する者、汝が愛してきたその者、かのイサクを。ここにある言葉の一つ一つが、それだけ多くの突き棒であり、それだけ多くの試みである。
第一に、「取れ」と言われる――牛をでもなく、僕をでもなく、「汝の子を」である。第二に、しかも「汝の独り子を」――もし多くの子がいたならば、多くの中から一人を容易に差し出すこともできたであろう。しかし汝には独り子がいて、その者をわたしに犠牲として捧げることを求めるのである。第三に、「汝が愛するその者」――ヘブライ語では「汝が愛してきたその者」、すなわち絶え間なく、今に至るまで愛の休止も減衰もなく愛し続けてきた者。それは、イサクが最も柔和な品性の持ち主であり、父に対して最も恭しく従順であったからであり、また父が奇蹟によって老年に彼を生んだからであり、さらにイサクを通じて最大の子孫とあらゆる祝福と、永遠の命を望むキリストご自身がアブラハムに約束されていたからである。それゆえ息子を捧げることによって、アブラハムは同時にすべての希望と、自らに約束されたすべての善をも神に捧げることになったのである。第四に、「イサクを」――あたかもこう言うかのようである。「わたしに汝のイサクを、汝の笑いを、汝の喜びを、汝の愛児を差し出せ。」この名は父の耳と魂を驚くべき仕方で打ち、傷つけた。なぜなら今やイサクはイサク(笑い)ではなくアベルとなり、ベニヤミン(右手の子)ではなくベノニ(苦悩の子)となり、笑いではなく嘆きとなるのであった。オリゲネス『説教』第八を参照。第五に、「汝が捧げよ」――「彼を捧げるよう差し出せ」とは言わず、汝自身の手で彼を屠り、焼き、犠牲として捧げよと言われるのである。第六に、「わたしに」(ここではこれが含意されている)――アブラハムは神が人間の犠牲を忌み嫌われることを知っていた。イサクにおいて自分のすべての子孫とすべての善が約束されていることを知っていた。それならば彼はこう言うことができたのではなかろうか。「おお主よ、それならばこれらすべてのことを忘れたかのように、あるいは悔いたかのように、わたしのイサク――そして御身のイサクを――殺し、御身に犠牲として捧げよと命じたもうのですか。」第七に、「燔祭として」――身体も身体のいかなる部分も父に残されることなく、イサクの全体が灰に帰せしめられ、いわば無に帰せしめられるためである。第八に、「今、取れ」――明日でもなく、朝でもなく、今、この夜、この時にである。
見よ、アブラハムがいかに多くの、いかに大きな仕方で試みられ立証されたか、そしていかに大いなる従順の勝利の冠を獲得したかを。見よ、いかに高邁で堅固な精神をもって彼がこれらすべてを呑み込み克服したかを。それゆえ、ピュロス王がローマのファブリキウスについて言ったことを、彼について正しく言うことができるであろう。「太陽をその軌道から逸らすよりも、ファブリキウスをその志から逸らすことの方が困難である。」ここに彼の機敏さと迅速さを見よ。彼はまさにその夜のうちに従い、イサクを犠牲に捧げるために出発したのである。
本章の全体は、聖アウグスティヌスの説教第七十二『季節について』と、聖エフレムの『アブラハムとイサクについて』によって卓越した形で検討され、その重みが量られている。
独り子。イサクのみが約束の子であり、奇蹟によって生まれ、アブラハムに唯一無比に愛され、その家系と家族の相続人かつ継承者であったからである。イシュマエルはすでにアブラハムの家から追放されており、いわば相続権を剥奪された者として、アブラハムの子とは見なされなかった。
マカバイの母はアンティオコスの前でアブラハムの模範に倣い、七人の息子を死に差し出し、殉教へと励ました。聖フェリチタスと聖シンフォロサも同様に行い、他の母たちも同様であった。とりわけプルデンティウスが聖殉教者ロマヌスの賛歌の中で述べているあの女性がそうである。彼女はアンティオキアにおいて、総督アスクレピアデスの命によりキリストの信仰ゆえに幼い息子が鞭で最も残酷に打たれるのを見て、涙なく毅然と見守り、幼い息子が水を求めた時にさえ叱責してこう言った。「あの杯を待ちなさい。ベツレヘムで殺された幼子たちがかつて飲んだあの杯を。彼らは乳も乳房も忘れた。イサクを見なさい。犠牲のための祭壇と剣を見た時、自ら進んで首を差し出したのです。」その間、刑吏は彼の頭頂から髪と共に皮膚を引き剥がした。母は叫んだ。「耐えなさい、わが子よ。まもなく汝は、今恥辱のうちに剥き出しにされた汝の頭を王冠で飾ってくださる御方のもとに行くのです。」少年は喜んで笑い、鞭と傷の痛みを嘲り、処刑を宣告され、ロマヌスと共に刑場へ連れて行かれた。処刑の場所に着いた。刑吏は少年を要求した。母は抱擁の中から息子を差し出し、接吻以外は何も遅らせることなく彼を渡した。そして言った。「行きなさい、わが最も甘美な子よ。」刑吏が剣で首を打つ間、彼女は歌った。「主の聖徒たちの死は主の目に尊い。見よ、御身のしもべ、御身のはしための子を。」こう言い終えると、彼女は広げた外套で少年の切り落とされた首を受け止め、胸に押し当てた。その後ロマヌスは火中に投じられたが、嵐が起こってこれを消した。刑吏はロマヌスの舌を切り取ったが、それにもかかわらず彼は語り続けた。
幻視の地へ。ヘブライ語では「モリヤの地に行け」であり、この地は後にアブラハムによってモリヤと呼ばれた(14節)。モリヤ山はシオン山であり、その上にソロモンが神殿を建てた。
注記:モリヤは第一に、オレアステルに従って、語根マラルすなわち「苦かった」から、あるいはモルすなわち「没薬」から派生させることができる。モリヤ山が没薬、沈香、肉桂を豊かに産するからであり、あるいはむしろ、この山が犠牲を捧げるアブラハムにとっても犠牲にされる息子にとっても苦いものであったからである。ここからパグニヌスは、またそれに倣ってわれらのバッラディウスが(第二巻、第三書、第十一章で)次のように述べている。モリヤとは、モリすなわち「わが没薬」とヤーすなわち「神」から成り立ち、あたかも「わが没薬は神である」と言うかのようである。第二に、モリヤは語根ヤレすなわち「恐れた」から派生させることができる。この山において主が以後礼拝され、臨在する者として畏れ敬われるべきであったからである。ここからカルデア語訳は「神的礼拝の地に行け」と訳している。第三に、モリヤは語根ヤラすなわち「教えた」から派生させることができる。トーラーすなわち律法と教えがシオンとモリヤから出るべきであったからである(イザヤ2章3節)。第四に、最も適切には、われらの訳者がシュンマコスと共にモリヤを語根ラアすなわち「見た」から導き出し、幻視の地あるいは幻視の山と訳している。
第五に、バッラディウスは前掲の箇所でこう述べている。モリヤとはモレ・ヤーすなわち「教える神」あるいは「雨を降らす神」から成り立つかのようである。
なぜ「幻視の地」と呼ばれるのか。第一に、この場所が高く目立つ場所であり、遠くからも見ることができたからである。ヴィラルパンドは『神殿について』第三書、第五章でこう述べている。第二に、シオンとモリヤにおいて預言者たちがその幻視を受け、そこにキリストが人間として目に見える形で現れたからである(バルク3章末節)。第三に、そして最も適切には、神がこのモリヤ山をアブラハムに示し(4節)、そこで神はアブラハムに見られ、また神ご自身がアブラハムを御目と御顧みをもって見たもうたからである。すなわち、息子の犠牲を禁じた時のその憐れみの御目と、アブラハムの偉大な従順を最も豊かに報いた時のその恩恵の御目である。14節を参照。
第二の注記、タルソスのディオドロスに基づく。モリヤ山はいくつかの丘と小さな峰に分かれていた。モリヤ山の東の部分にはシオンがあり、そこにダビデの城塞があった。その隣、ダビデが購入したエブス人オルナンの打ち場に、ソロモンが神殿を建てた。これは歴代誌下3章1節から明らかである。モリヤの別の部分はエルサレムの城外に残り、後にカルワリオの山と呼ばれた。この山で、イサクも、イサクによって予型されたキリストも犠牲に捧げられたのである。聖ヒエロニムスがこう教え、また聖アウグスティヌスも『神の国』第十六巻第三十二章でこう述べている。「司祭ヒエロニムスは、ユダヤ人の長老たちから最も確実に知ったと記した。イサクが犠牲に捧げられ、アダムが埋葬されたのは、まさに後にキリストが十字架にかけられたその場所においてであった、と。」ブルヒャルドゥスも『聖地誌』の中で、またジェネブラルドゥスも『年代記』第一巻で同様に述べている。
彼らは主張する。同じ山脈の中に三つの丘あるいは峰があり、それらは時にシオンという一つの名で総称され、時にそれぞれ固有の名を与えられる。第一はシオンであり、その高さのゆえにこの名で呼ばれる。シオンとは見張り台を意味するからである。第二はモリヤ。第三はカルワリオの山である。シオンにはダビデの城市と城塞があり、モリヤには神殿があり、カルワリオの山においてキリストは十字架にかけられた。
一部のヘブライ人は、モリヤにおいてアベルとカインが犠牲を捧げ、同様にノアも大洪水の直後に犠牲を捧げたと付け加えるが、根拠なく軽率にそう主張しているにすぎない。それゆえアブラハムはここでの犠牲によって、いわばモリヤ山をその子孫とキリストのための神殿として開設し聖別し、同様にカルワリオの山をキリストの祭壇として聖別したのである。
第三の注記:モリヤに対して、アクィラはカテファネすなわち「光り輝く」と訳している。モリヤには神殿があり、その中にデビルすなわち神の託宣所と律法と、人々に真理を教え、預言者たちを照らし、彼らに神託を吹き込む聖霊がおられたからである。聖ヒエロニムスがそのように述べている。
寓意的に、キリストが十字架にかけられたカルワリオの山は、すでに述べた五つの語源に従ってモリヤ山であった。すなわち第一に、十字架の苦さのゆえに。第二に、キリストがそこで父に捧げた燔祭のゆえに。第三に、キリストがそこでその死によって福音の律法を確認されたゆえに。第四に、それは幻視の地であった。なぜなら十字架にかけられたキリストがそこで天と地に驚嘆すべき光景を示されたからである。第五に、神がそこで十字架の教壇から天への道をわれらに教えてくださったからである。聖アウグスティヌスが『ヨハネ講解』第百十九説教で述べているように、「死にゆく者の四肢が釘づけられたあの木は、教える師の教壇であった。」さらに、カルワリオの山はモリヤ、すなわち「神の雨」であった。神の血の雨がその上に注がれたからである。最後に、それはモリヤ、すなわち「光り輝き照らすもの」であった。キリストがその十字架の光をもってすべての人を照らされたからである。それゆえ太陽が、十字架から世界を照らすもう一つの太陽を見た時、まことにふさわしくその光を引き退けたのである。
第二に、モリヤは教会である。第一に、教会がわれらにキリストの十字架を担うことを教え、聖なる秘跡によって、いわば没薬のように罪の腐敗からわれらを守るからである。第二に、教会の中に神への畏れとその真の礼拝があるからである。第三に、教会がキリストの律法と御言葉を教えるからである。第四に、教会は幻視の地である。なぜなら教会のみから、真の信仰を通じて、目に見えぬものと天上の事柄が見られるからである。さらに、教会は全世界から見える。イザヤが2章で述べているように、それは山々の頂の上にある山だからである。加えて、教会は見る者たち、すなわち預言者たちを持つ。第五に、教会はすべての真理を教える聖霊を教師として持つ。さらに教会は、神の御言葉と聖なる説教によって、天の雨のように人々の乾いた心を潤す。最後に、教会は照らす山である。天が太陽を持つように、教会は全世界を照らすキリストを持つからである。
第三に、モリヤは聖なるおとめマリアである。その胎内に神殿、すなわちキリストの人性が建てられた。第一に、聖なるおとめマリアはキリストの受難において苦悩の海であったからである。第二に、マリアはキリストも自分自身も絶えざる燔祭として神に捧げたからである。第三に、マリアは神の律法を納める契約の箱であったからである。第四に、マリアは幻視の地であった。なぜなら、神の母なるおとめ以上に見るに値するものがあろうか。さらに、モリヤに対して七十人訳は「高き地」と訳している。まことに神の下にマリア以上に高きものはなかった。第五に、マリアはキリストの死後、使徒たちの教師であったからである。さらに、マリアはギデオンの羊毛のように、恩寵の天の露と聖霊の雨を最も豊かに受けた。最後に、マリアは海の星であり、太陽をまとった女であり、全世界を照らすのである。
道徳的に、幻視の地においてキリストの予型としてイサクが捧げられた。願わくは、キリスト教徒の魂が忘却の地ではなく幻視の地であらんことを。願わくは、涙に濡れたその目の前に、十字架にかかるイサクを常に見つめんことを。願わくは、キリストがその血をもって御手にわれらを書き記されたように、魂もまた永遠の記憶をもって心にキリストを刻みつけんことを。イザヤ49章にこうある。「見よ、わたしはわが手に汝を刻みつけた。」願わくは、この幻視の地において真のイサクが聖なる黙想によって常に見られんことを。願わくは、聖なる観想によって常に犠牲として捧げられんことを。キリストご自身がこれを求め、雅歌8章でこう言われる。「わたしを汝の心の上に印章として置け、汝の腕の上に印章として置け」――あたかもこう言うかのようである。印章が蝋にその像を刻むように、十字架にかけられたキリストがその十字架、その苦しみ、その愛を汝の心に刻みつけよ。聖アウグスティヌスの『聖なるおとめについて』第五十五章にある言葉に従って、「汝のために十字架に釘づけられた御方が、汝の心の全体に刻み描かれよ。」
第3節:アブラハムは夜明けに起きた
アブラハムは夜明けに起きた。「夜のうちに」とは、すなわち朝の極めて早い時刻、薄明の中、夜が明ける前である。ヘブライ語では、アブラハムは朝早く起きたとある。ここではサラについて言及がない。それゆえアブラハムは、サラに知らせずにこのすべてを行ったようである(サラはイサクをあまりに深く愛していたからである)。ヨセフス、聖ヨハネ・クリソストモス、ペレリウスがこのように述べている。しかし聖アウグスティヌスは説教第七十三において、またニュッサの聖グレゴリウスとプロコピウスは、サラが息子の犠牲を知っており同意していたと考えている。
第4節:三日目に
三日目に。聖ヒエロニムスによれば、アブラハムはゲラルに住んでいた。そこからシオンとモリヤまでは三日の旅程である。ゲラルとは都市ではなく、地域として理解すべきである。アブレンシスが正しく述べているように、先の章の第31節から推察されるように、アブラハムは当時ベエルシェバに住んでいたと思われる。したがって犠牲の後もベエルシェバに戻ったのであり、それは本章第19節から明らかである。ベエルシェバからシオンまではわずか一日の旅程であるが、アブラハムは犠牲に必要な品々を積載していたため、非常にゆっくりと進み、三日目にようやくシオンとモリヤに到着したのである。聖ヒエロニムスが三日の旅程であると述べたのはこの意味においてである。
この三日間は、アブラハムの試練を増大させた。オリゲネスが述べるように、「アブラハムは三日間歩く。それは、道中ずっと思念に引き裂かれるためである。一方では命令が迫り、他方では息子への愛情が抵抗する。こうしてこの全行程にわたって戦いが繰り広げられる。一方には愛情、他方には信仰、一方には神への愛、他方には肉への愛、一方には現世の恩寵、他方には来世への期待がある。アブラハムはまた山に、すなわち天のことがらに登るよう命じられる。それは、場の高さが信仰と服従の行為における崇高さを象徴するためである。」したがってテオドレトスも、アブラハムはこの試練において、ちょうどキリストが三日間にわたって一部は十字架と受難の中に、一部は死と墓と陰府の中にあったように、三日三晩、一種の苦悶と死の中にあったと述べている。
彼はその場所を見た。神から与えられた何らかのしるしによって、モリヤ山のどの丘の上でまさにイサクを犠牲に捧げるべきかを彼は認識したのである。
アブレンシスが従うラビたちは、このしるしがモリヤ山の頂上、カルワリオの丘の辺りに現れた火の柱であったと伝えている。
第5節:われらが礼拝を終えたなら
われらが礼拝を終えたなら。すなわち、われらが犠牲を捧げ終えたなら、ということである。これは換喩である。というのも、礼拝は通常、犠牲に伴うものだからである。
われらは汝らのもとに戻ろう。メルキオル・カーノは『神学的場所論』第2巻第4章において、アブラハムはここで偽りを言ったと主張する。なぜなら、彼自身はイサクを殺し犠牲に捧げるつもりだったからである。第二に、カイエタヌスは「われらは戻ろう」を、すなわち自然的原因の通常の経過に従えばという意味であり、超自然的な事柄は除外されるとする。第三に、他の者たちは「われらは戻ろう」を、すなわち命があれば、神が望まれるならば、と解する。第四に、イングランドのトマスは「われらは戻ろう」を、すなわちわたしが戻ろう、イサクではなく、と解し、複数形が単数形の代わりに用いられているとする。
わたしは真に言う。アブラハムがイサクと共に戻ると断言したのは、神がイサクを死から救い出すか、あるいは殺されて犠牲に捧げられた後に復活させてくださると確信し、堅く信じていたからである。なぜなら、イサクから祝福された子孫と極めて多くの子孫を期待していたからである。神がこれを彼に約束されていたのであり、使徒が語るのはこのことである。すなわち、アブラハムは(自然の)希望に反して(恩寵と神の約束の)希望において信じ、「神は死者の中からでも復活させることができる」(ヘブライ11章19節)と判断したのである。オリゲネスや聖アウグスティヌスも『神の国』第16巻第32章においてそう述べ、他の者たちも同様である。ここにアブラハムの盲目的だが崇高な信仰、希望、服従を見よ。彼にとって困難なことは何もなく、不可能なことも何もなく、信じ難いことも何もないのである。
第6節:イサクの上に載せた
イサクの上に載せた――それは、十字架を担うキリストの予型となるためである。プロスペルが『預言集』第1部第17章および第18章でそう述べている。
イサクは当時少なくとも25歳であったとヨセフスは言う。アブラハムは125歳、サラは115歳であった。しかしヘブライ人たちはイサクが37歳であったと伝えている。アベン・エズラとブルゲンシスはイサクがわずか12歳であったと言うが、これは誤りである。なぜなら、12歳の少年が、自分を燔祭として焼き尽くすのに必要なほど多量の薪を三日間も担ぐことができたであろうか。もっとも、イサクを完全に焼いて灰に帰するためには、アブラハムは近隣の場所から薪を切り出して補充しなければならなかったであろうが。
火と剣――剣は息子を屠るため、火は息子を犠牲および燔祭として神に焼き捧げるためである。
寓意的に言えば、剣は克己であり、火は愛徳であり、これによってアブラハムは息子を犠牲に捧げたのである。われらもまた、自らの愛着、情念、悲嘆、十字架、およびすべてのものを神に犠牲として捧げなければならない。
第7節:犠牲はどこですか
犠牲はどこですか。息子とのこの会話は、再びアブラハムの魂を驚くほど深く傷つけ、神によって彼に負わされた傷を新たに開かせたのである。
第9節:イサクを縛った
イサクを縛った。ヨセフスが、アブラハムがまず息子に犠牲についての神の意志を告げ、少年が喜んで、命を与えてくださった神にそれをお返しするのは当然であり、取り戻されるお方に喜んでお返しする、と答えた次第を物語っているのを見よ。では、なぜ父は彼を縛ったのか。わたしは答える。第一に、たとえ望んだとしても、ひるむことがないようにするためである。こうしてイサクは、自らの意志と力の双方を最も完全に神に捧げたのである。聖アンブロシウスは言う、「父は自らの手で息子に縄目を結ぶ。それは息子が逃げ出し、火の力に焼かれて罪を犯すことのないようにするためである。」第二に、屠殺の最中に、犠牲にふさわしくない何らかの自然的・不随意的・制御し難い動きや抵抗をしないようにするためである。カイエタヌスもそう述べている。第三に、釘で十字架に付けられたキリストの予型となるためである。
寓意的に、このように修道者たちは誓願によって自らを神に縛り、拘束し、自らの意志と力を神に捧げるのである。
第10節:剣を取った
剣を取った。アブラハムは、息子を犠牲に捧げるよりも、むしろ自らが死に、自らが犠牲に捧げられることを望んだであろう。なぜなら、父親は自然に息子が自分より長く生きることを望むからである。息子を通じて父の血統と家系が継承されるのであり、息子の死によって自分自身のみならず、子孫の望みまでもが死に絶え、消え去るのを感じるからである。
この事柄の苦痛を増したのは、彼自身が息子の肩にその少年を焼くための薪を載せたこと、息子を屠る火と剣を自らの手に携えたこと、自ら祭壇を築き、その上に薪を並べ、手足を縛られた息子をその上に置いたこと、そして大いなる勇気をもって右手を上げ、息子の首に剣を向けたことである。しかもこれらすべてを晴れやかな乾いた目で行った。彼の涙は記されておらず、嘆きも、顔を背けることも記されていないのである。
こうしてアブラハムの模範に基づき、聖アンブロシウスは『アブラハムについて』第1巻第8章で言う。「殉教によって息子を殺された後、その墓からより喜ばしい心で帰った父親が、何と多くいることであろうか。」
修道院長ムティウスもまたこのアブラハムの服従に倣った。カッシアヌスの『共住修道制度綱要』第4巻第27章および第28章に語られているとおりである。上長の命令により、彼は自分の八歳の息子を川に投げ込もうとした。「彼の信仰と献身は」とカッシアヌスは言う、「神に甚だ嘉納されたので、直ちに神的証言によって確認された。すなわち直ちに上長に啓示されたのは、この服従によって彼がアブラハム総主教の業を完遂した、ということであった。」
ここに注意すべきは、このムティウスの事例は、倣うべきものというよりも、むしろ驚嘆すべきものだということである。なぜなら、それは服従と思慮の通常の法則を超えているからである。人間は自分自身や自分の家族の死を命じることができない。それは、命の主であり死の主である神にのみ可能なことであり、したがって臣下はそのような事を命じる人間に従うことはできない。それゆえムティウスはここでは、服従の熱意によっていわば盲目となり、行為の性質と結果についての自らの判断のすべてを、思慮深く聖なる人であると知っている上長に委ね、従わせたのである。この行為と試みによって彼は、迅速な服従と、自分の子に対する父としての愛情の克己をそれを断ち切ることによって示すことのみを望んだのであり、子を溺れさせることを意図したのではない。なぜなら、上長がこの事柄の全体、また自分自身と自分の子を配慮していることを彼は知っていたからである。彼は疑わなかった。上長は、彼の服従と父の愛情の克己を検証した上で、愛情とその他すべてについて、命令においても服従においても罪が排除されるのみならず、子の安全も配慮されるよう取り計らうであろう、と。上長は道中でその命令を撤回することも、川に人々を配置して子が投げ込まれるのを阻止することも(事実そうしたように)、あるいは他の方法で子の死を防ぐこともできたのである。したがってムティウスは、この全事柄を自分に命じた上長の思慮と摂理に委ねたのである。なぜなら、思慮は服従する者よりも命令する者にこそ求められるからである。
問われよう。いずれの徳がより大きかったか。犠牲を捧げたアブラハムのそれか、犠牲に捧げられたイサクのそれか。聖ヨハネ・クリソストモスは両者の徳に驚嘆し、いずれを優先すべきか知らないと言う。『創世記講話』第48講で彼の言葉を聞け。「おお、敬虔なる魂よ! おお、強き心よ! おお、量り知れぬ精神の力よ! おお、人間の本性のあらゆる愛情に打ち勝つ理性よ! 総主教の勇敢な精神をより讃嘆すべきか、それとも少年のかくも堅固な服従を讃嘆すべきか。彼は抵抗もせず、そのなされたことを不快にも思わず、むしろ父のなすことに譲り従い、子羊のように沈黙のうちに祭壇の上に伏し、父の手を待ち受けたのである。」
ヴェローナの司教ゼノンの言葉も聞け。リポマヌスの『カテナ』において彼は言う。「驚くべきは総主教の試練であった。それは、もし神を蔑んだならば瀆聖の徒に、もし息子を殺したならば残酷な者にしたであろう。しかし彼は比類なきまことに神的な忍耐によって、宗教と自然の愛情との間で事柄の均衡を保ち、希望に反して神から受けたものを、希望において神に拒まなかったのである。それゆえ彼は、自分にとって最も甘美なる息子イサクを、神にとってのなお甘美なる犠牲として蔑んだ――息子を守るために。殺すことを決意したのは、殺さないためであった。その行為の創始者が神であるから、それによって不快を与えることはあり得ないと確信していたのである。おお、新たなる光景、まことに神にふさわしき光景よ! そこでは、司祭と犠牲のいずれがより忍耐強いかを定めることは難しい。打つ者も打たれようとする者も顔色を変えず、四肢は震えに震えず、目は伏せられもせず険しくもならない。誰も懇願せず、誰も怯えず、誰も言い訳をせず、誰も取り乱さない。」そして両者を相互に比較し、一方の行為を他方の行為と対置して言う。「一方は剣を抜き、他方は首を差し出す。ひとつの誓願、ひとつの献身をもって――何事も瀆聖的にならぬよう――一方が執り行うことは、他方によって勤勉に忍耐をもって遂行される。一方は自分が焼かれるための薪を担い、他方は祭壇を築く。人間性のみならず自然そのものの、かくも大いなる恐れのもとにあっても、彼らは喜んでいる。愛情だけが敬神に譲り、敬神は宗教に譲る。宗教は両者に恩恵を与え、剣は中央で呆然と立ち止まる。何の障害にも妨げられず、恐ろしき犠牲に汚名ではなく栄光を帰したのである。これは何であろうか。見よ、残虐は信仰に移り、罪科は秘跡に移る。殺父者は血を流さずに帰り、犠牲に捧げられた者は生きている。両者はそれゆえ栄光と輝きの範例であり、両者は神の崇拝であり、時代の讃嘆すべき証しである。もしすべての人がかくの如き殺父者となるならば、世は幸いであろう。」
イサクの側には次の理由がある。第一に、神のために死を受けることは、他者に死を与えることよりも大いなる剛毅の事柄である。殉教者は兵士よりも強いのである。イサクはここにおいてまことの殉教者であった。なぜなら、徳の行為のために、すなわち神に従うために、確実な死に自らを差し出したからである。父は彼の上に剣を伸ばし、もし神がそれを逸らさなかったならば致命の一撃を彼に与えていたであろう。こうして聖ヨハネ福音記者、ダニエル、その他の者たちは真の殉教者である。なぜなら、彼らは煮え立つ油や獅子などに曝されたのであり、たとえ神の保護によって傷を受けなかったとしても。彼らの側と苦痛の側からすれば、自然に必然的に死ぬはずであった。神が奇蹟によって彼らを生かされたことは、事柄の本質からも、彼らの徳や殉教から何も損なうものではない。
第二に、アブラハムは魂においてのみ苦しんだ。しかしイサクは魂と体の両方の苦痛と死に自らを差し出した。第三に、予見された打撃は衝撃が小さい。アブラハムは三日間の旅路を通じて息子の犠牲に心を整えた。しかしイサクは祭壇の上で何も予期していないところに、突然父から犠牲を求められ、直ちに喜んで自らを差し出した。なぜなら、アリストテレスが『ニコマコス倫理学』第3巻第8章で教えるように、突然の恐怖においても動じないのは、予見された恐怖においてよりも、より勇敢な者のしるしであると思われるからである。第四に、イサクは25歳であり、年齢の花盛りにあって、なお百年生き、大家族と子孫を持つことを望んでいた。それらすべてを、神への愛のために死に自らを差し出すことで断ち切り、あらゆる希望を絶った。この理由により、死は若者にとって最も苦いものであるが、老人にとってはより耐えやすいのである。第五に、イサクは自ら進んで父に縛られ、祭壇に上り、首を差し出し、一撃を最も確実に待ち受けた。
わたしはペレリウスと共に真に言う。アブラハムの徳はイサクの徳よりも大きかった。第一に、アブラハムは息子イサクの命を自分の命よりも愛しており、またイサク自身が自分の命を愛する以上に愛していたからである。その理由は次のとおりである。第一に、イサクは最愛の妻から生まれた独り子であった。第二に、イサクは最も愛情深く最も従順な息子であった。第三に、アブラハムは老年に至って大いなる奇蹟によってイサクを生んだ。第四に、イサクは最も無垢で最も聖なる者であった。第五に、アブラハムに与えられた神のすべての約束がイサクの一つの命にかかっていたのである。
第二に、アブラハムは三日間の全行程にわたって、最も残酷な行為の思念と企てによって苦悶した。しかしイサクは、犠牲が切迫した一瞬のみであった。したがって、予見という点ではイサクの試練はより小さかったが、持続時間という点ではアブラハムの試練と苦難はより大きかったのである。
第三に、アブラハムは信仰に関して最大の試練を受けていた。神が彼に与えた約束がイサクの死によって完全に消滅するように思われたからである。実際、ヘブライ人たちは、当時悪魔が天使の姿でアブラハムの前に現れ、極めて重々しい言葉をもって、不敬虔で最も残酷な、神の意志に反する行為として犠牲を思いとどまらせようとした、と伝えている。そしてある者たちは、ヘブライ11章のパウロのあの言葉をこれに当てはめる。「アブラハムは試みを受けた時、信仰によって初子イサクを捧げた」――すなわち悪魔によって試みを受けたのだと彼らは言う。
第四に、父が息子を殺すことは、息子が殺されるよりも恐ろしいことであった。なぜなら、イサクは一撃で屠られ、ほんの一瞬で死を飲み込んだであろう。しかしアブラハムは長く多重の悲嘆を味わうことになったであろう。第一に、息子を屠ることにおいて。第二に、犠牲の儀式に従って息子を四肢ごとに切り分けることにおいて。次に、息子を焼き、何の遺骸も残さず灰に帰すことにおいて。そして最後に、かくも優れた息子を犠牲に捧げて失ったことを永遠に記憶に留めることにおいて。それゆえ神ご自身が称賛されるのはイサクの服従ではなくアブラハムの服従であり、それゆえに第26章第3節においてイサクを祝福すると約束される。「神の声は」と聖アンブロシウスは言う、「彼の手を押さえ、振り上げられた右腕の一撃に先んじた。」
見よ、神はときに御自分の者たちを極限に、まさに綱の切れる寸前にまで追い込み、あるいは追い込まれるのを許される。それは、彼らがすべての希望と意志を神に、神の助けと意志に移し委ねるためである。そして最も切迫した必要の瞬間に、まさに死の入口において、神は臨在し助けに来られる。この信仰と希望に最後まで活かされて、アブラハムはイサクを捧げたのであり、使徒がヘブライ11章19節で言うように、「神は死者の中からでも復活させることができると考え、それゆえ比喩としてイサクを受け取ったのである。」すなわち、イサクが比喩、物語、あらゆる時代にとっての記憶すべき範例となるためであり、あらゆる時代の人々がこれを記憶し祝い、自らの模倣として提示し、神が御自身を通じて、あるいは御自分の僕を通じて何事かをわれらに命じられた時、たとえ困難で難しいことであっても、イサクの模範を目の前にして、確信と寛大さをもって自らを差し出し、命じられた務めに取り組むためである。神が共におられ、複雑なことを解きほぐし、困難なことを克服し、恥辱、弱さ、苦難、死、およびわれらが恐れるすべての悪をわれらの善、われらの誉れ、われらの栄光に変えてくださるであろうことを確信して。イサクに対してなされたように。したがってこの犠牲の記憶は、あらゆる民族の最も古い絵画において称えられてきた。ニュッサの聖グレゴリウスが、第二ニカイア公会議の議事録第4巻典文第2条に引用されて証している。「わたしはその描写を幾度となく見たが、涙なくしては通り過ぎることができなかった。それほど効果的かつ生き生きと、この出来事の物語を目の前に置いたからである。」もしそれゆえ汝が試みられ、蔑まれ、苦しみ、弱められ、悲しませられ、辱められ、死に渡され、責め苦を受け、吊り上げられ、焼かれるとしても、イサクに倣え。それはわずかの間のことである。永遠を思え。
この思念で武装して、寛大な信仰者たちはすべての親への愛、肉への愛、自己への愛、さらには苦痛と死をも打ち勝った。こうして修道院長リベラトゥス、ボニファキウス、ルスティクスらは、ヴァンダル人からアリウス派への改宗を迫られた時に言った。「束の間の刑罰に耐える方が、永遠の苦痛を受けるよりもましである。」王は彼らを船に乗せ、海上で焼き殺すよう命じた。彼らは確信をもって歌った。「いと高きところに神に栄光あれ。見よ、今こそ恵みの時、見よ、今こそ救いの日である。」火が点けられると、何度も消えた。それゆえ恥と怒りに打たれた王は、彼らを櫂の柄で打ち殺すよう命じた。その証人はウティカのヴィクトルであり、『ヴァンダル人による迫害』第4巻に記されている。トマス・モアも妻に対して同じ答えを与えた。こうして彼は、アブラハムが息子への愛に打ち勝ったように、妻への愛に打ち勝ったのである。
さらに注意すべきは、イサクのように真に従順な者は死ぬことができない、ということである。クリマクスは『天梯論』第4段「服従について」において、服従において驚くべき鍛錬を積んだアカティウスが、死後に墓からある長老に呼び出され、死んだかどうか問われた時、「服従する者は死ぬことができない」と答えた、と伝えている。
第11節:アブラハムよ、アブラハムよ
アブラハムよ、アブラハムよ。聖アンブロシウスは、『アブラハムについて』第1巻第8章において、この繰り返しの三つの理由を挙げている。「神の声は」と彼は言う、「いわば彼の手を押さえ、振り上げられた右腕の一撃に先んじた。一度だけでなく呼ばれたのは、第一に、十分に聞き取れなかったり、偶然の声だと思ったりしないためである。第二に、第1節で命じられたのと同じ仕方で呼び戻されたのである。第三に、アブラハムの熱心な献身に先んじられるのを恐れるかのように、そして一度の呼びかけでは打とうとする者の勢いを制止できないかのように、呼びかけを繰り返されたのである。」
第12節:手を伸ばすな
手を伸ばすな。「わたしがこのことを命じたのは」と聖ヨハネ・クリソストモスは説教第47講で言う、「行為が完遂されるためではなく、汝の子が殺されることを望んでいるのでもなく、汝の服従がすべての人に明らかになるためである。ゆえに彼に何もするな。わたしは汝の意志をもって満足し、これによって汝に冠を授け、汝を宣言する。」こうして神はしばしばわれらに対して振る舞われる。困難な行いを命じ要求されるが、従順な意志をご覧になると、それで満足して実行を差し止められる。したがって同じクリソストモスは説教第49講で言う。「総主教は少年の祭司となり、決意において右手を血に染め、犠牲を捧げた。しかし神の言い難き慈悲によって、息子を無事に受け取って帰り、その意志のゆえに称えられ、輝かしい冠を授けられ、最高の競技を戦い、あらゆることを通じて自らの心の敬虔を示したのである。」
今わたしは知った――すなわち、わたしは汝を知らしめた、と聖アウグスティヌスは問題58において述べ、聖グレゴリウスは『道徳論』第28巻第7章において述べている。
第二に、「今わたしは知った」とは、すなわち、今や汝のあの行為を通じて、わたしはそれを明白にし、明らかに認識可能なものとした、という意味である。ディオドロスとペレリウスもそう述べている。
第三に、最も平明には、「今わたしは知った」とは、すなわち経験を通じて知った、ということであり、言い換えれば、今やわたしは実際に汝を試みた、ということである。なぜなら、神はここでは人間の流儀に従って語っておられるのであり、人間は何かを試みた時、それを完全に知ったと考えるからである。
汝が畏れることを知った――すなわち、汝が神を愛し、崇め、畏敬し、あらゆることにおいて神に従い、神を喜ばせることに努めていることを知った、ということである。なぜなら、神への畏れはこれらすべてを包含するものであり、したがって聖なる子としてのこの畏れは、神への愛、崇拝、尊崇にほかならないのである。
第13節:茨に引っかかった雄羊
茨の中に角を引っかけていた雄羊。これは実物の雄羊であり、天使によって別の場所から連れて来られ、茨に、あるいはヘブライ語の表現によれば茂みに、すなわち茨と枝の絡み合いの中に引っかかっていたのである。それはアブラハムから逃げないためであり、犠牲を捧げようとする者のために備えられていたのである。ヘブライ人たちは、これがティシュリと呼ばれる第七の月の第一日に起こったと伝えている。そしてこの日にユダヤ人たちが角笛の祭りを祝うのは、イサクが犠牲から解放されたこと、および彼の代わりに雄羊が代用されたことを記念して、その時に雄羊の角笛を吹き鳴らしたからである、と彼らは伝えている。
寓意的に、イサクの代わりに雄羊が犠牲に捧げられたように、われらの代わりにキリストが犠牲に捧げられたのである、と聖アウグスティヌスは『神の国』第16巻第32章で述べている。第二に、聖アンブロシウスとキュリロスは、イサクの代わりに雄羊が、すなわちキリストの神性の代わりにその人性が犠牲に捧げられたのだと述べている。
天上的意味において、イサクの後に雄羊が続く。すなわち、苦難の後に復活が、弱さの後に力が、死の後に不死が続くのである、とテオドレトスは述べている。
さらに、角で引っかかり茨の中に吊り下がったこの雄羊は、十字架に吊り下がったキリストを象徴している、と聖アンブロシウスは述べ、アブラハムはここでキリストの犠牲と受難の日を見たのだと付言している。そしてこれが、キリストがヨハネ8章56節で言われることである。「汝らの父アブラハムは、わが日を見ることを喜んだ。彼はそれを見て喜びに満たされた。」こうしてこの場所は「主は見たもう」あるいは「主は現れたもう」と呼ばれたのであり、以下に続くとおりである。七十人訳はヘブライ語の「サベク」という語を特定の木の固有名として保持し、「見よ、サベクの木の中に角で引っかかった一頭の雄羊がいた」と訳している。あるいは、プロコピウスがシリア語訳から読むところでは、「見よ、サベクの木に吊り下がった一頭の雄羊がいた」とあり、その雄羊はサベクの木の中を登るかのように現れ、角だけでなく前脚でもその木の枝に支えられて引っかかっていた、と彼は述べている。この姿は、十字架の木に登り、そこに吊り下がり、釘で打ち付けられ、しがみつくキリストを表していた。聖アンブロシウスもまた『アブラハム総主教について』第1巻第8章でこのことを詳しく考察しており、そこでまず次のように読んでいる。「見よ、サベクの茂みの中に角で吊り下がった一頭の雄羊がいた。」次に付け加えて言う。「象徴されているのは誰か。詩篇148篇に『その民の角を高く挙げたもうた』と書かれているその方でなくして誰であろうか。われらの角であるキリストは、地から高く挙げられ、高められた。アブラハムはこの犠牲においてキリストを見、その受難を仰ぎ見た。それゆえ主ご自身が彼について言われる。『アブラハムはわが日を見ることを望んだ。彼はそれを見て喜んだ。』」それゆえ聖書は言う。「アブラハムはその場所の名を『主は見たもう』と呼んだ。今日に至るまで人々は言う。『山において主は現れたもう』と。」すなわち、主は自らの体の将来の受難をアブラハムに啓示して現れたのであり、それによって世を贖われたのである。また、雄羊が角で吊り下がっている姿を示して、受難の様態をも示されたのである。あの茂みは十字架の木であった。以上がアンブロシウスの言葉である。聖アタナシウスもまた、『アンティオクスへの問答』の問題96において注記している。「サベク」が「赦免」または「赦し」と解釈されることもまた奥義に属する。キリストが十字架によってわれらのために功徳として獲得されたのが、まさにこの赦免だからである。「サベクの植物は、尊い十字架である。ヘブライ人たちによれば、サベクは赦免と赦しを意味するように思われる。サベクの植物に引っかかっていた雄羊を、アブラハムがイサクの代わりに燔祭として捧げたことは、十字架上でわれらのために犠牲に捧げられたキリストを予示していたのである。」
レオ・デ・カストロをはじめとする多くの学者たちが鋭く指摘するところによれば――カストロは『弁証論』第6巻およびイザヤ書第29章の註解においてそう述べている――キリストが十字架上で「エリ、エリ、ラマ・サバクタニ」と言われた時、同じサベクの木に暗示しておられたのである。それは、御自身がかの木サベクに、すなわち十字架に吊り下がり宙に浮いたあの雄羊であることを示すためであった。主はかつて、サベクの植物に吊り下がった別の雄羊の予型のもとに、このことをアブラハムに示されたのである。それゆえキリストは他の言葉ではなく、まさに「サバクタニ」というあの言葉を用いられた。それは、その名前そのものによって、もう一頭の雄羊が吊り下がっていたあのサベクの植物を信仰者たちに想起させ、御自身が当時まさにあの予型を最も完全に成就しておられることを示すためであった。なぜなら、「サバクタニ」という語はサベクという名から派生したと思われるからである。もっとも、シリア語の独自の語根「セバク」、すなわち「彼は見捨てた」も有しているのであるが。
第14節:主は見たもう
彼はその場所の名を「主は見たもう」と呼んだ。すなわち、アブラハムは息子を犠牲に捧げたその場所に「アドナイ・イルエ」、すなわち「主は見たもう」あるいは「主は見る」という名を与えたのである。これは、彼が犠牲について尋ねた息子に第8節で「アドナイ・イルエ」、すなわち「主は見たもう」あるいは「主が犠牲を備えたもう」と答えたことに由来する。ヴァタブルス、リポマヌス、オレアステル、ペレリウスらもそう述べている。「イルエ」、すなわち「彼は見る」という語から、モリヤ、すなわち「視」という名が生じた。それゆえこの山はモリヤ、すなわち「視の山」と呼ばれたのであり、ヘブライ語の第2節から明らかである。したがってモリヤは「アドナイ・イルエ」、すなわち「主は見たもう」と同義である。
さらに、「イルエ」と古い名前サレム(エルサレムは以前こう呼ばれていたのであり、第14章第18節から明らかである)とから、エルサレムという名が形成された。なぜなら、モリヤはエルサレムの中にあったからである。アンドレアス・マシウスがヨシュア記第10章の註解でそう述べている。
第二に、聖アウグスティヌスは『神の国』第16巻第32章で言う。この場所が「神は見たもう」と呼ばれるのは、すなわち、神が天使を通じてアブラハムに現れた時(第11節)、神が御自身を見させたからである、と。
第三に、ヘブライ人たち、カルデア人、ペレリウスは言う。この山が「主は見たもう」と呼ばれるのは、主がこの山でアブラハムの苦悩、服従、犠牲を見、それを嘉納し、苦しむアブラハムのために備えをされたからである。すなわち、アブラハムの剣を止めた天使を通じ、またイサクの代わりに代用された雄羊を通じてである。
第四に、この山が「主は見たもう」と呼ばれるのは、この山に神殿が建てられるべきであり、そこにおいて神が嘆願者たちの祈りを見、聞き届けることになっていたからである。それゆえカルデア人は、アブラハムがここでの犠牲によってこのモリヤの山、すなわちシオンを神殿のために指定し、そこに神殿が建てられるべきことを預言したと考えている。カルデア語訳には次のようにある。「アブラハムは主の前に言った。『ここで世代がなお神に仕えるであろう。それゆえこの日にこう言われた。この山でアブラハムは神の前に犠牲を捧げた。』」
それゆえ今日に至るまで「山において主は見たもう」と言われる――ここに、これこれのことがなされた、あるいは成就された、と補って理解せよ。人々がシオンの山で、あるいはモリヤで起こった、あるいはなされた何かを語る時、その名が「主は見たもう」であるその山でなされた、と言うのである。言い換えれば、わたしモーセがこれらのことを書いている現在に至るまで、この山は「主は見る」あるいは「主は見たもう」と呼ばれているのであり、それはそこでアブラハムが「主は見たもう」あるいは「わが子よ、主が御自身のために犠牲を備えたもう」と言って神に犠牲を捧げたからであり、またそこで神が天使を通じてアブラハムに現れたからである、と七十人訳も訳している。
第二に、「今日に至るまで言われる」とは、言い換えれば、今日に至るまで、われらはアブラハムのこの言葉、「主は見たもう、備えたもう」を、困難の中に置かれた時に神の助けを希望し祈願する諺として用いている、ということである。われらは期待する。このモリヤの山で主が、アブラハムとイサクの苦悩と敬虔と服従とを見、彼らを憐れまれたように、同様にわれらとわれらの子孫を、特にこの同じモリヤの山と神殿で祈る者たちを、いかなる苦難においても見、顧み、聞き、救い出してくださるであろう、と。聖ヒエロニムス、カイエタヌス、ペレリウスもそう述べている。
この同じ諺はキリスト者にも用いられるべきである。すべての苦難においてモリヤの山に、すなわち神殿の山、希望と祈りの山に逃れ、「主は見たもう、わたしのあらゆる必要を備えたもう」と言うためである。
こうして聖殉教者ゴルディウスは、神への希望に頼り、自ら進んで総督と責め苦の前に身を差し出した。総督は鞭、車輪、馬責め台、あらゆる種類の拷問を準備するよう命じた。ゴルディウスは天に目を上げ、詩篇のあの言葉を口にした。「主はわが助けなり、人のわれに為し得ることを恐れじ。われ悪を恐れじ、汝わが傍にいませばなり。」彼は次いで自ら進んで責め苦を己に招き、遅延があれば叱責し、ついに晴れやかな顔をもって自ら進んで火刑の中に身を投じた、と聖バシリウスは説教『ゴルディウスについて』で述べている。
注意すべきことがある。「イルエ」、すなわち「彼は見る」に対して、ヘブライ人たちはすでに異なる母音点をもって「イェラエ」、すなわち「彼は見られる」と読んでおり、あたかも「それゆえ今日に至るまで言われる。山において主は見られたもう」、すなわち現れ、助けに来たもう、と言うかのようである。しかし意味は同じことに帰する。なぜなら、神がわれらを見たもう時、同じく神はわれらに見られたもうからである。
しかし聖アンブロシウス、エウケリウス、ヴァタブルス、リポマヌスは、あたかもこれがキリストについての預言であるかのように解説する。すなわち、「山において主は見られたもう」とは、キリストなる主がこのシオンの山と神殿において説教される時に現れ、またカルワリオの山において十字架につけられる時に現れたもう、ということである。それゆえ七十人訳もまた「山において主は見られた」と訳しているのである。
第15節:天使はアブラハムを再び呼んだ
主の天使はアブラハムを再び呼んだ――それは第一回目に天使が彼を呼んだのが、息子を犠牲に供することを禁じたとき、すなわち第11節においてであったからである。この天使についてオリゲネスは神の御子であると解している。すなわち御子は、人間の間にあっては人の姿を取って見出されたように、ここでは天使たちの間にあって天使の姿を取って見出されたのであり、天使の本性を取ったのではなく、天使の職務――すなわち神の御旨を告げ知らせること――をここで引き受けられたのである、と彼は言う。しかしながら教父たちは一般にこれに反対の見解を教えており、すなわちこの天使は天使であって神の御子ではないとする。なぜなら、続く箇所から明らかなように、彼は神の使者として語り、あたかも神の布告官であるかのように神の言葉を告げているからである。ゆえに彼は天使であって神の御子ではなかったのである。
第16節:汝がこのことをなしたゆえに
汝がこのことをなしたゆえに。ここから明らかになるのは、アブラハムがこの従順と息子の奉献によって、とりわけ適合的功徳(メリトゥム・デ・コングルオ)として、キリストが他の血統からではなく自分の血統から、しかもまさにこのイサクから生まれることを功徳として得た、ということである。したがってイサクも同様の功徳を得たのである。これこそ従順の報いであり、神はすぐさまそれに付け加えて次のように仰せられる。「汝の子孫において地のすべての民は祝福される。」ペレリウスはこのように述べている。
神に従うとはいかなることであるかを見よ。従順が神の御前にいかに喜ばしく、いかに大いなる功徳であるかを見よ。聖ヒエロニムス(あるいはその著者が誰であれ)は書簡『割礼について』の中で見事にこう述べている。「彼が地上において独り子を惜しまなかったとき、天において星々を己が子として数えよと命じられたのである。」アブラハムの子孫がなぜ星々に比せられるかについては、第15章第5節で論じた。
第17節:汝の子孫は門を所有する
汝の子孫は門を所有する――すなわちヨシュアのもとにおけるカナン人の諸城市、ダビデとソロモンのもとにおけるペリシテ人、アンモン人、シリア人などの諸城市である。これは提喩法(シネクドキ)である。なぜなら「門」によって彼は城市を意味しているからであり、門を占拠する者は城市を占拠するのである。同様にキリストは陰府の門と陰府そのものを占拠し、それらを略奪されたのである。同様に使徒たちとその後継者たちもローマをはじめ世界のほぼすべての城市をキリストに、キリストの信仰に、そしてその教会に服従させたのである。
第18節:汝の子孫においてすべての民は祝福される
汝の子孫においてすべての民は祝福される――すなわち汝から生まれるキリストにおいて、汝の子孫として、すなわち汝の末裔として、まことに神の祝福された末裔として、すべての民は義、恩寵、救い、そして栄光を得るのである。ガラテヤ書第3章第16節について述べたところを見よ。
第20節:ミルカもまたナホルに子を産んだ
ミルカもまたナホルに子を産んだ。ここにナホルの系図が織り込まれているが、それはアブラハムのためであり――ナホルはアブラハムの兄弟であったからである――また、リベカのためでもある。アブラハムはリベカを自分の嫁として、また息子イサクの妻として求めたのであり、これによってヤコブとヤコブの子ら、すなわちすべてのイスラエル人の母方および父方の血統が明確に立証されることとなったのである。
第24節:彼のそばめ
ピレゲシュ(そばめ)という語から、そばめの制度が一般的であったことは疑いないように思われる。すなわち彼女はそばめとされたのである。