コルネリウス・ア・ラピデ
目次
序論 (Synopsis of the Chapter)
アブラハムはケトラより六人の子をもうけて死ぬ。第二に、第十二節においてイシュマエルの子らとその死が語られる。第三に、第二十節においてリベカはイサクのためにヤコブとエサウを産み、そのうちの年少者が神によって年長者より選ばれる。第四に、第二十九節においてエサウは一皿の食物のためにその長子の権をヤコブに売り渡す。
ウルガタ本文:創世記25章1-34節 (Vulgate Text)
1. アブラハムは他の妻を娶り、その名をケトラと云えり。2. 彼女はジムラン、ヨクシャン、メダン、ミディアン、イシュバク、シュアを彼に産めり。3. またヨクシャンはシェバとデダンとを生めり。デダンの子らはアシュリム、レトシム、レウミムなりき。4. しかしてミディアンよりエファ、エフェル、エノク、アビダ、エルダアが出でたり。これらすべてケトラの子らなり。5. アブラハムは有てる所の一切をイサクに与え、6. 側女たちの子らには贈物を与え、おのが生ける間に、彼らを子イサクより引き離して東の地方へと遣れり。7. アブラハムの生涯の日は百七十五年なりき。8. 彼は衰えて、良き老年に、齢すすみて日に満ち足りて死せり。かくして彼はその民に加えられたり。9. その子イサクとイシュマエルとは、マムレの向かいにある、ヘテ人ツォハルの子エフロンの畑中にある二重の洞穴に彼を葬れり。10. その畑は彼がヘテの子らより買い取りたる所にして、そこに彼は葬られ、妻サラもまた葬られき。11. アブラハムの死の後、神は子イサクを祝福したまえり。彼は「生きて見たまう者の」と名づくる井戸のほとりに住めり。12. これはアブラハムの子イシュマエルの系図なり。彼はエジプト人ハガル、サラの婢がアブラハムに産みし子なり。13. その子らの名はその称と系図によれば次のごとし。イシュマエルの長子はネバヨト、次にケダル、アドベエル、ミブサム、14. ミシュマ、ドゥマ、マサもまた、15. ハダド、テマ、エトル、ナフィシュ、ケデマ。16. これらがイシュマエルの子らなり。これらがその住居と宿営に従える名にして、十二人の族長らなり。17. イシュマエルの生涯の年は百三十七年にして、衰えて死に、その民に加えられたり。18. 彼はハビラよりシュルに至るまで住めり。これはアッシリアへ向かう途にあり、エジプトに対する所なり。彼はその兄弟らすべての前にて死せり。19. これはまたアブラハムの子イサクの系図なり。アブラハムはイサクを生み、20. イサクは四十歳の時、メソポタミアのアラム人ベトエルの娘にしてラバンの姉妹なるリベカを妻に娶れり。21. イサクは妻のために主に祈れり、妻が石女なりしゆえなり。主は彼を聞き入れ、リベカに懐胎を賜えり。22. しかるに胎内にて幼子らは押し合い、彼女は云えり「もし斯くあらんには、何ゆえに胎みしや」と。かくて主に伺わんと出で往けり。23. 主は答えて仰せられき「二つの国民は汝の胎にあり、二つの民は汝の胎より分かたれん。一つの民は他の民に勝り、年長者は年少者に仕えん」と。24. 産みの時至れる時、見よ、胎に双子ありき。25. 先に出でたる者は赤く、全身毛深く皮のごとく、その名はエサウと呼ばれたり。直ちに他の一人出で来たりて、手にて兄の足の踵を握り、ゆえにヤコブと呼ばれたり。26. イサクは六十歳にして幼子らを得たり。27. 彼ら成長せし時、エサウは狩猟に巧みなる者、野の人となれり。されどヤコブは天幕に住まう素朴なる人なりき。28. イサクはエサウを愛せり、その狩りたる獲物を食したるゆえなり。リベカはヤコブを愛せり。29. ヤコブは煮物を煮たり。エサウは野より疲れ果てて彼のもとに来たり、30. 云えり「この赤き煮物を我に与えよ、我は甚だ疲れ果てたればなり」と。これゆえに彼の名はエドムと呼ばれたり。31. ヤコブは彼に云えり「汝の長子の権を我に売れ」と。32. 彼答えて云えり「見よ、我は死なんとす、長子の権は我に何の益あらんや」と。33. ヤコブ云えり「されば我に誓え」と。エサウは彼に誓いて、その長子の権を売り渡せり。34. かくてパンと扁豆の一皿とを受けて、彼は食い、かつ飲み、去り、その長子の権を売りしことを軽んじたり。
第一節:アブラハムは他の妻を娶れり
サラは既に死に、ハガルは神の命によって追い出され、おそらくはすでに死んでいた。ゆえにアブラハムは別の、第三の妻を娶ったのである。それは、彼を通してその子孫が諸民族の間にも増し加えられるためであった。これはイサクがリベカを娶った後のことであり(これについては前章を見よ)、したがってアブラハムの生涯の百四十年目以降のことである。
寓意的に解するならば、ハガルの子らは異教徒と不信者を表し、ケトラの子らは異端者を表す。彼らはイサクの子ら、すなわち信者とカトリック信徒を迫害する者たちである。かくオリゲネスと聖アウグスティヌスが『問題集』第七十問において述べている。
その名をケトラと云えり。ヘブライ人、リラ、トマス・アングリクスは、彼女はハガルと同一人物であってケトラと呼ばれたと考える。ケトラとは「香をもって薫じられた者」の意であり、アブラハムの家より追われた後、彼女は貞潔と祈りと神礼拝とに専念したからである。神礼拝の象徴は香と香を焚くことである。さらに彼らは言う、アブラハムはサラの死後、イサクを遣わしてハガルすなわちケトラを呼び戻させたのだと。しかしこれらはユダヤ人の作り事であって、アブレンシスとカイェタヌスが詳細にこれを論駁している。ケトラもハガルもともにアブラハムの婢、すなわち奴隷であったと考えられる。なんとなれば、もし彼女らが自由の身であったならば、第六節において側女とは呼ばれないからである。
注意すべきである。アブラハムはサラの死後にケトラを娶った。サラは百二十七歳で死んだ。そのときアブラハムは百三十七歳であった。かく多年の齢にてケトラを娶り、彼女より六人の子をもうけたのである。ケトラは壮健で多産であった。なおまた神は、アブラハムにサラからの生殖の力を自然を超えて賜ったように、ケトラからの生殖の力をも助けたまい、彼に欠けていた所を補われたのである。
第二節:ミディアン
彼よりミディアン人が出た。これらはケトラを通してアブラハムの子孫のうち我らに知られている者である。他は知られていない。しかしヨセフスは、彼らがアラビア・フェリクスに、紅海に至るまで住んでいたと伝えている。
第三節:デダンの子らはアシュリム、レトシム、レウミム
これらはデダンの子らに由来する諸国民と諸民族の名である。かくヴァタブルスは言い、ヘブライ語より明らかである。おそらくはそれぞれの生業より名付けられたのであろう。なんとなれば、聖ヒエロニムスによれば、アシュリムは商人を、レトシムは鉄と青銅の鍛冶工を、レウミムは多くの部族と民の意、すなわち所有者あるいは支配者を意味するからである。カルデア語訳は「宿営に、天幕に、島に住まう者たち」と訳している。
第四節:エフェル
その子アフェルはアフリカの都市と地方にその名を与えた。かくヨセフスがアレクサンドロス・ポリヒストルとクレオデムスとに拠って教えるところである。しかし他の者たちはソリヌスに従い、アフリカはリビュスとヘラクレスの子アフェルより名付けられたと言う。またある者たちは、これらケトラの子らからブラフミンが出たと考える。ブラフミンはインドの賢者であり、いわばインドの修道者である。彼らはあたかも「アブラハミン」のようにブラフミンと呼ばれた。ゆえにブラフミンもまた神々のうち最も古き者として、とあるペラブラマを拝する。これは彼らの父祖の最初の者と思われる。
第六節:しかし側女たちの子らには
すなわちハガルとケトラの子らにである。このことから明らかである。アブラハムはハガルとイシュマエルを自分のもとから遣り出したとはいえ、彼らを顧みなかったのではなく、折に触れて彼らに贈物を送っていたのである。
注意すべきである。これらの側女は真の妻であった(第一節その他においてそう呼ばれている)。しかし身分は低く、一般には奴隷であった。ゆえに正妻は主婦であって、そう呼ばれた。かくてアブラハムは第十一章二十九節においてイスカに、サライ、すなわち「我が姫君」または「我が主婦」という名を与えた。この正妻は、あらかじめの婚約と定められた持参金と厳粛な儀式とをもって娶られ、家の母であり一切の財産において夫の伴侶、家の女主人であった。最後に、その子は父の相続人であった。側女は通常・一般にはこのような事どもを有せず、概ね奴隷であって、隷属の身分のままであった。かくペレリウスその他が述べている。
贈物。金、銀、衣服、家畜などである。
彼は彼らを引き離した。それは彼らがイサクと争い、約束の地の所有において彼を妨げないためであり、またその子孫がイサクの子らを彼らの偶像崇拝と悪徳によって染めないためである。
東の地方へと。注意すべきである。イシュマエルの子孫はイサクの子孫に東側で接して住んだ。そしてケトラから生まれた者たちはイシュマエル人の彼方に、さらに東方に住んだ。ゆえに聖書には常に「東の子ら」と呼ばれ、これについての言及はしばしば見られる。アリアスの著『カナン』第三章および第四章を見よ。
第八節:衰えて
すなわち次のように言うに等しい。アブラハムは病によって死んだのでもなく、外からの何らかの暴力によって死んだのでもなく、ただ老齢のゆえに、その生来の湿気と温かさと力が衰えて死んだのである。
彼は死んだ。アブラハムは父テラの死後四十年にして死に、イサクの婚姻(これはアブラハムの百四十年目、イサクの四十年目に起こった)の後三十五年にして死んだ。その時エサウとヤコブは、イサクが六十歳にして得た子らであったが、すでに十五歳であった。というのは、モーセは本章においてアブラハムの死後にヤコブとエサウの誕生を語っているが、実際にはそれ以前に起こったからである。なぜならモーセはアブラハムのすべての業績と生涯と死をひとまとめにして語り、然る後にイサクとヤコブの業績を別個に順を追って叙述しようと欲したからである。ゆえにある事柄は、同一の主題に属するがゆえに、実際には後に起こったにもかかわらず、ここに先取り(anticipatio)によって結び付けられ、同じ理由から他の事柄は、先に起こったにもかかわらず、倒置法(hysteron proteron)によって後に置かれているのである。
注意すべきである。アブラハムは大洪水後二百九十二年目に生まれ、百七十五年生きたので、大洪水後四百六十七年目に死んだ。ノアは大洪水後三百五十年目に死に、その時アブラハムは五十八歳であった。アブラハムの九代前の父祖であるノアの子セムは、大洪水後五百二年生きた。ゆえにセムはアブラハムより三十五年長く生きたのである。アブラハムの六代前の父祖であるエベルは大洪水後五百六十一年目に死んだので、その六代目の孫アブラハムより九十四年長く生きたのである。かくてエベルはヤコブの百九歳の年に死に、セムはヤコブが五十歳のときに死んだ。
第二に注意すべきである。アブラハムは世界創造後二千百二十三年目に死んだ。その時イシュマエルは八十九歳、イサクは七十五歳であった。彼はイサクの二人の子とイシュマエルの十二人の子とを見た。これらはいずれも多くの民族の族長となる者である。その頃ケトラの子らは約三十歳であった。なぜならアブラハムは先に述べたように、百四十年目を少し過ぎてケトラを娶ったからである。
第三に注意すべきである。アブラハムの死からヤコブのエジプト下りまで(これはヤコブの百三十歳の年に起こった)百十五年を経ている。アブラハムの死からモーセとヘブライ人のエジプト脱出までは三百三十年を経ている。その時モーセはヘブライ人のエジプト脱出に際して八十歳であったから、彼はアブラハムの死後二百五十年に生まれたのである。
第四に注意すべきである。これがアブラハムの生涯の年代記である。アブラハムは七十五歳のとき、神によりカルデアから召され、ハランへと出で立った。八十五歳でハガルを娶り、八十六歳でイシュマエルが彼に生まれた。九十九歳で彼は割礼を受けた。同じ年にソドムは天の火によって焼かれた。百歳でイサクが彼に生まれた。百五歳でイサクは乳離れをし、イシュマエルは家より追放された。百二十五歳でイサクの献げ物が起こった。百三十五歳でテラが死んだ。百三十七歳でサラが死んだ。百四十歳でリベカをイサクに妻として与えた。百六十歳でイサクから孫ヤコブとエサウが彼に生まれた。百七十五歳でアブラハムは死んだ。
良き老年に、すなわち円熟して時を得たのである。その齢を考えても、またその恩寵を考えてもそうである。その齢においては、はなはだ老いて、しかも病なき状態にあったからである。その恩寵においては、功徳に満ちて世を去ったからである。フィロが『神の相続人は誰か』なる書において述べているように、とある預言者は正しくも言った。徳とともに一日を生きる方が、死の影、すなわち罪と邪悪なる生の中に千年生きるよりまさっていると。
日に満ち足りて、すなわちヘブライ語が示すように、生きることに飽き足りて、解かれることを望みつつ、ということである。
アリストテレスは、自然が動物たちには五、十世紀の寿命を与えたのに、かくも大いなる事のために生まれた人間には、はるかに短い限界を置いたと嘆いた。しかし信仰深き者はこれを知っている。「我は知っている、我は下るために昇り、萎むために青々とし、老いるために成長し、死ぬために生き、永遠に祝福されるために死ぬのだと」。キケロは言う、時は飛び去ると。そしてこの生は死に向かっての走りに他ならず、聖アウグスティヌスが言うように、そこには誰も少しも立ち止まることも、少し遅く歩むことも許されない。ゆえに賢き者は、生涯を通して生きることを、いな、むしろ死ぬことを学んだ者である。そしてこの身体が気高き魂にとって重き荷であることを知り、ゆえにこの身体が出で来たった大地に返されることを、塵は塵に返されることを願い、自由なる霊が父祖たちのもとへ、天使たちのもとへ、そして神のもとへ飛び行くことを望むのである。
もしアブラハムが生に飽き足りて、リンボに行こうとしつつ死を望んだのであれば、天に行こうとするキリスト教徒はなぜ死を望まないのであろうか。福者トマス・モアは斬首されようとしたとき、刑吏が例のごとくに赦しを請うたのに対し、彼は刑吏に口づけと金貨一枚とを与えて言った。「今日君は、いかなる人間もかつて我に与えたことがなく、また与え得ぬ恩恵を我に与えてくれる」と。聖テオドラが処刑場へと走り行き、衣を替えて彼女を監獄より解き放って陵辱を免れさせた兵士と、誰が殉教すべきかを争って述べた言葉を聞くがよい。「我は汝を我が死の保証人として選んだのではない、ただ我が貞潔の守護者として望んだのである。宣告は我に下されたものであって、我のために下されたのである。我は必ず罪なくして死のう、罪を負うて死なないために。ここには中間の地はない。今日、我は汝の血の咎人となるか、あるいは自らの殉教者となるかのいずれかである」と。聖アンブロシウスが『処女について』第二巻において伝えている通りである。
彼はその民に加えられた。すなわち次のように言うに等しい。アブラハムは他のすべての者と同じく死すべき身を脱ぎ捨て、すべて肉なる者の行く道に入り、ここなる生ける者の状態から、彼の世に住む父祖たちの状態へと移り行ったのである。
この表現から、テオドレトス、カイェタヌス、リラ、ペレリウスは次のことを結論する。第一に、人の魂は不滅である。第二に、死せる者の魂は孤独に生きるのではなく、むしろ共同体と交わりの内に、いわば一つの民のごとくに生きるのであって、天にあっても、またアブラハムの時代のごとくリンボにあってもそうである。第三に、レハブアム、アハズなどの悪人にも、また善人にも、「彼は父祖たちと共に眠った」と言われる。しかしアブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、アロンなど善人と義人についてのみほぼ専ら、「彼はその民に加えられた」と言われる。第四に、聖アウグスティヌス(第二百六十八問)、トスタトゥス、ブルゲンシスは「民」とはアブラハムその他の聖なる父祖たちが加えられた天使たちの群れであると解する。しかしより簡単で自然な解として、ルペルトゥスその他は「民」とは義人たちの群れであると解し、義人は死に際してこれに加えられると言う。あたかも熟した穀物が畑から収穫されて倉に集められるようにである。第五に、ブルゲンシスは次のことを記している。旧約聖書においては「彼はその民に加えられた」と読まれ、すなわちエベル、ノア、アベル、セツ、アダムその他のリンボにて祝福を待っている者たちに加えられたと読まれる。しかし新約聖書においては純粋なる魂たちは直ちに天へと飛ぶがゆえに、「主にあって死んだ者たちは幸いである」などと言われる。「善き忠実なる僕よ、よくやった、汝の主人の喜びに入れ」と。
アブラハムの墓碑銘についてはシラ書44:20を見よ。そこには「アブラハムは多くの国民の大いなる父であった、栄光において彼に比すべき者はなく、彼はいと高き者の律法を守った」などと述べられている。
ブルゲンシスは加えて言う。アブラハム以前には父祖のうち誰もリンボに下った者はなく、アダム、アベル、セツ、エノス、ノア、およびアブラハム以前のすべての義人たちは、犯した小罪のゆえにまず煉獄に行ったと。なんとなれば、彼らについては「死んだ」と言われているのみだが、アブラハムについてはまず「彼はその民に加えられた」と、すなわちリンボにて加えられたと言われているからである。
しかしこれはあり得ないことではない。なぜならアベルは殉教者として死んだゆえ、煉獄ではなくリンボへ行ったのである。同様にノアは義人であり完全な人であった。実に彼は神と共に歩んだ。ゆえにこれらの者およびその他はリンボに行ったのである。しかし彼らが「その民に加えられた」と言われないのは、その時まだリンボに義人の民と多くの群れがなかったからである。彼らこそは死ぬことによって、次第にこの民を集め、これを構成したのである。なぜならアベルが殺されたとき、リンボには誰もおらず、彼こそはそこに行った最初の者だったからである。
ここに創世記の第三部が終わる。これはアブラハムの誕生から死までに及ぶ。ペレリウスもまたここで『創世記註解』の第三巻を終えている。
第十一節:彼はイサクを祝福したまえり
彼はイサクに善き事をなし、彼を富ましめられたのである。
第十四節:ミシュマ、ドゥマ、マサもまた
これらはイシュマエルの三人の子の固有名である。ヘブライ人はこれらを連ねて諺として用い、masma, duma, vemassaと言う。これによって彼らは、多くを聞き、多くを黙し、多くを耐えるべきことを示そうとしている。すなわちギリシア人が「耐えよ、かつ控えよ」と表すところのものである。というのは、ヘブライ語においてmasmaは聞くことを、dumaは沈黙を、massaは忍耐を意味するからである。イタリア人はこれを次のように表している。「聞き、見、黙せよ、もし平和に生きようと欲するならば」と。
第十五節:テマ
彼よりテマンの都市と地方が生じた。これはエドムの南にあり、その王は聖なるヨブの友エリファズである。彼はゆえにテマン人と呼ばれる。
第十七節:彼は民に加えられたり
この表現から、ヘブライ人は次のように結論する。イシュマエルはイサクを嘲り苦しめた後、アブラハムの家から追い出されたとき、心と生を改め、正しく生き、ゆえに救われたと。第八節で述べた事柄を見よ。
第十八節:ハビラ
これはインドの一地方ではなく、シュルの荒野の近くに位置し、エジプト、アッシリア、パレスチナの間にある地方である。これについては創世記2:11を見よ。そうであれば、イシュマエルの子孫はペルシア湾からアッシリアに至るまでの地帯すべてを所有したのである。これは今日ではカバナと呼ばれていると思われる。
その兄弟らすべての前にて。というのは、イシュマエルは兄弟たちの真ん中に住んだからである。彼は西にイサクを、東にケトラの子らを有していた。
彼はその兄弟らすべての前にて死んだ。「死んだ」の箇所について、ヘブライ語はnaphal、すなわち「彼は倒れた」と記している。すなわち次のように言うに等しい。兄弟たちが立って生きて見守っている間に、イシュマエルは倒れて死に、しかもいささか早く、すなわち百三十七歳にして死んだのである。ところがその他の親族と兄弟たちはより長く生きた。なぜならイサクは百八十年生きたからである。イシュマエルはアブラハムの死後四十八年にして死んだ。なぜなら彼はアブラハムの八十六年目に生まれたからである。アブラハムはすべて合わせて百七十五年生きた。他の者たちは次のように解する。「彼は倒れた」とは、「彼の籤が落ちた」を意味すると。すなわち次のように言うに等しい。イシュマエルは兄弟たちの間に住んだと。七十人訳、カルデア語訳、アラビア語訳がこのように訳している通りである。しかしここには籤についての言及はない。ゆえにパグニヌスは「しかして彼は死んだ」と訳している。
第二十節:メソポタミアのアラム人ベトエルの
すなわち次のように言うに等しい。ベトエルはアラム人であって、もとはメソポタミアと呼ばれるシリアの部分の出身であった。これにつき、第一に注意すべきである。「アラム人」はヘブライ語でArammiと呼ばれ、これはあたかも「アルメニア人」と言うに等しい。シリアはAramと呼ばれ、あたかもアルメニアと言うに等しい。そうであればこのヘブライ語から、シリアは、間もなく述べるように広く広がり、かつてはアラム、すなわちノアの孫であってセムの子であるアラムより名付けられてアルメニアと呼ばれたと思われる。創世記10。
第二に、古代においてシリアは広く広がり、多くの地方を包含し、種々の別称によって区別されていた。これはサムエル記下10:6, 8より明らかである。
第一に、ダマスクスの位置する地方はAram Dammesec、すなわち「ダマスクスのシリア」と呼ばれる。
第二に、ツォバの位置するシリアはAram、すなわち「ツォバのシリア」と呼ばれる。これはレバノンとアンティ・レバノンの間にある地であって、ヘブライ語ツォバの訛りによって「窪めるシリア」(Cava Syria)と呼ばれ、ギリシア人によってはコイレ・シリア(Coele-Syria)と呼ばれた。これは山の斜面から沈み込んだ平野があるからである(これはヘブライ語でツォバの意味するところである)。
第三に、Aram naharaim、すなわち「二つの河のシリア」は、メソポタミアである。これはまた「河の間にある地」(Interamnis)とも呼ばれる。ユーフラテス河とティグリス河の間に位置するからである。同じものはAram Padan、すなわち「平野のシリア」とも呼ばれる。なぜならイシュマエル語においてpadanは野、平坦な地方を意味するからである。ゆえにイタリアの最も気高き河もまたパドゥス(ポ河)と呼ばれる。長い距離にわたって平坦な地方を流れているからである。かくてベトエルはここにおいてアラム人と呼ばれる。彼はメソポタミア人、すなわちもとはメソポタミアの都市ハランの出身だったからである。
第四に、マアカのシリアがある。これはナホルが妻レウマから得た子マアカから名付けられている。創世記22章末節。
第二十一節:彼は祈れり
ヘブライ語では iethar、すなわち「彼は多くかつしきりに祈れり」の意であり、穏やかで優しき祈りをもって愛しつつ神を宥めたのである。ゆえに聖ヨハネ・クリソストモスは、イサクがリベカの不妊を取り除くために二十年祈り続け、二十年目にしてようやくそれを得たと考える。なんとなればイサクは四十歳にしてリベカを娶り、六十歳にしてのみ彼女よりヤコブとエサウを儲けたからである。彼は『第四十九説教』において自ら言う、「かくして我らもまた、この義人に倣い、神に何かを願う時には、神的祈りに恒常でなければならぬ。けだしあの義人は、かかる徳を備え、神のみ前にかかる大いなる恵みを有していながら、たえず神に祈ることにおいてかかる恒常と熱心を示し、かくしてリベカの不妊が取り除かれた。ならば、かくも重き罪の重荷に押しつぶされている我らは何と言うべきか。しかも、しばしの間わずかな熱心と勤勉を示しても、直ちに聴き入れられぬと、我らは怠惰となり、引き退いてしまうではないか」云々。
注目せよ。神は、聖なる婦人サラとリベカ(同じくラケルとハンナも)がしばらくの間不妊であることを意志された。それは、祝福された種、すなわちキリストが、サラとリベカから(同じく最も聖なる人々、ラケルからヨセフ、ハンナからサムエルが)生じたのは、自然の力によるのではなく、神の純粋な賜物によって、奇跡を通じて、世に与えられたものであることを我らに教えるためである。かく聖ヨハネ・クリソストモスは言う。ゆえに神は、リベカからヤコブとキリストが生まれることを既に定められていたが、それは二次的諸原因とイサクの祈りの仲介なしには成らないのであった。
第二十二節:彼女の胎内にて幼子らは押し合えり
七十人訳は eskirtoun と訳し、聖アンブロシウスはこれを「喜びて躍れり」と訳し、聖アウグスティヌスは「彼らは熱望せり」と訳す。ヘブライ語では iitrotsetsu であり、聖ヒエロニムスはこれを「彼らは蹴り合えり」と訳す。アクイラは「彼らは互いに押しつぶされ合えり」と訳し、シンマクスは epalaion、すなわち「彼らは取っ組み合えり」、まるで闘技者のごとく、と訳す。
されば、この幼子らは揺さぶり、押し合い、互いを圧迫しつつ、母の胎より先に出て生まれ、長子たらんと各々熱心に競い合ったのである。
注目せよ。幼子ヤコブとエサウのこの争いと闘いは、自然の力によるのではなく、神の指図によってなされたのである。それは、ヤコブとエサウが生まれた後、長子権と首位をめぐって互いに争い競うであろうことの前兆としてであり、これは第二十三節より明らかである。ゆえにヤコブはエサウの足の裏を握り、まるでエサウが先に胎を出ぬように足をかけんと欲するがごとくであった。ルペルトゥスはかく言う、「両者の姿勢は、胎内の争いにおいて誰が主導者であったかを示す。すなわちエサウはヤコブに打たれて逃げんとするかに見え、他方ヤコブは手をもってエサウの足を握り、敗れた背を追い打ちする者の姿を表している」。彼はさらに寓意的に、このヤコブとエサウの闘争によって、キリスト者とユダヤ人との闘争が象徴される、と付け加える。
『スコラ的歴史』、および聖アンブロシウスの『信仰について』第四巻第四章、またカルトジオ会のデニスが引用する聖アウグスティヌス(もっとも、これまで私は聖アウグスティヌスの中にそのようなことを見出してはいないが)は、この衝突が洗礼者ヨハネが母の胎内で躍ったことに類似しており、それゆえヤコブと洗礼者ヨハネの両者とも母の胎内で聖化された、と考える。彼らはこれを、使徒がローマの信徒への手紙9において、神がヤコブを、彼が何らかの善を行う前に、また彼がなお母の胎内にいる時に愛されたと主張していることから確認する。しかし同じ理屈で言うならば、エサウもまた胎内で聖化されたと言わねばならぬことになる。ゆえに聖ヨハネの跳躍とヤコブとエサウの衝突と闘争は別のことであり、使徒の意図もまた異なる。これは私がローマの信徒への手紙9について説明した通りである。したがって彼らのこの意見は根拠を欠き、軽々しく主張されているように思われる。
かくして、名だたる人々の生涯と業は、しばしば予兆と前触れによってあらかじめ示されてきた。ソクラテスは夢の中で、一羽の若き白鳥が彼の膝の上で羽を生やし、たちまち翼を伸ばして高く飛び立ち、この上なく甘美な歌を歌うのを見た。これはもちろんプラトン、ソクラテスの弟子であり、知恵と雄弁において哲学者たちの中で輝いた者であった。ゆえに翌日、プラトンが父親によってソクラテスのもとに託された時、ソクラテスは言った、「これが、私が見た白鳥である」と。ディオゲネス・ラエルティオスはこれを『プラトン伝』において証している。
聖ドミニコの母は、妊娠中、夢の中で、口に松明をくわえた子犬を胎内に宿し、それが光の中に連れ出されると世界を焼き尽くすのを見るかのように思えた。この夢によって、聖ドミニコがその聖性と教えの輝きによって全世界の人々を燃え上がらせるであろうことが示されたのである。
聖トマス・アクィナスは、まだ幼子であった時、一片の紙をひっくり返し、実にそれを食べたが、このことは彼が成長した後にいかに学に勤しむかを示していた。
聖エフレムの口からは、少年の頃、一本のぶどうの木が出て周囲の地方全体を満たすのを両親が見た。これは彼の教えと徳がどれほど広く広がるかを示すものであった。
また彼女は主に伺いを立てんとして、メルキゼデクを通じてモリヤ山に行った。かくエウセビオス、ゲンナディオス、テオドレトス、ディオドロスは言う。同じくクリソストモスも『第五十説教』において、リベカは司祭を通じて神に伺いを立て、同じ者を通じて神より答えを受けたと述べる。ゆえに彼は付け加える、「当時すでに司祭の尊厳がいかに大いなるものであったかを見よ」と。
第二に、エルサレム・パラフレーズおよびヘブライ人らはこう訳す、彼女はセムが教えていた家に憐れみを求めて行った、と。けだしノアの子セムはなお生きており、ヤコブが五十歳の時に死んだからである。さらにヘブライ人らはメルキゼデクがセムであったと考える。されば彼らのこの解釈はエウセビオスの第一の解釈と一致することになる。
第三に、最も容易かつ最も明瞭に、テオドレトス、ディオドロス、プロコピオスは、リベカが心を驚かせて近くの家内の祭壇に行き、そこで神に祈り、神は天使を通じて次のごとく答えられたと考える、「二つの国民があなたの胎内にあり、兄は弟に仕えるであろう」と。これよりリベカは、ヤコブがエサウよりも優先されること、また長子権と父の祝福がヤコブに属することを理解したのである。
第二十三節:二つの国民
二つの国民 —— すなわち、二つの国民、すなわちユダヤ人とエドム人の父であり頭となる二人の子供、互いに敵対する者たちである。アモス書1:11を見よ。
兄は弟に仕えるであろう。—— 長子エサウは弟ヤコブに仕えるであろう。ただし彼自身においてではなく(かかることは決して起こらなかったと読まれる。むしろヤコブ自身がエサウに身を低くした)、その子孫においてである。けだしヤコブの子孫たるユダヤ人は、アブラハムの唯一の相続人として約束の地カナンを所有し、神の祝福によって富み栄え、エサウの子孫たるエドム人は、ダビデとソロモンの時代において彼らに仕えた。これはサムエル記下第八章から明らかである。またたとえ彼らが後に軛を投げ捨てたとしても、ヒュルカヌスによって再び征服され、割礼を受け、ユダヤ人と一つの民族に融合した、とヨセフスは『古代誌』第十四巻第十七章において証している。ゆえにプリニウスその他は、時にエドム人とユダヤ人を混同する。
寓意的に、ユダヤ人は、より古くはあるものの、教会において恩寵と救いにおいてキリスト者に仕え、キリスト者の後に置かれるであろう。それはちょうど旧約が新約に仕えるがごとくである。ローマの信徒への手紙9:10。
比喩的に、邪悪な暴君は善き殉教者に仕える。けだし彼らはその迫害、十字架、苦難によって、殉教者のために永遠の冠を準備し、作り上げるからである。さらにまた、しばしば悪しき者はこの世で善き者に従わされるが、しかし確実にかつ常にそうなるのは審判の日以後である。その時、義人は諸国民を裁き、諸民族の上に治めるであろう。かく聖アウグスティヌスは『第七十八説教』に言う。
第二に、義人においては兄が弟に仕える、すなわち肉が霊に仕え、悪徳が徳に譲る、とオリゲネスは言う。
比喩的に、エサウは悪しき者を表す。十二の類比によって、とペレリウスは言う。
第一は、エサウは人の間にあって先立ちかつより名誉を得ていたが、ヤコブは神の前においてそうであった。かくして悪しき者はこの世において、本性、才、思慮、家柄、力、美、富において善き者に優り、人々から評価されるが、神の前においては栄光なく卑しい者である。善き者については全くの正反対である。
第二は、兄は弟に仕えるであろう、ということである。かくして実に、悪しき者はこの世において善き者を支配するかに見えるが、しかし真には善き者に仕えており、善き者の栄光と冠に仕えているのである。これは既に述べた通りである。
第三、ヤコブとエサウの間の争いは、悪しき者と善き者の間に存する絶えざる闘争と戦いを示す。
第四、エサウは先に出るが、ヤコブはその踵を握る。かくして悪しき者の始まりは幸福で繁栄に満ちているが、その終わりは悲しく、永遠の破滅である。
第五、エサウは全身毛深かった。これは彼の粗野なる振る舞い、荒々しき精神、狡猾な性向、淫乱な傾向を示していた。悪しき者もまたかかるものである。
第六、エサウは狩人であり農夫であった。かくして悪しき者は全く地と地上の物に専念する。
第七、エサウは安価なレンズ豆の一皿のために長子権を売った。かくして悪しき者は、神の子としての養子たる権利、および永遠の生命の希望を、最も無価値な物と引き換えに手放す。
第八、エサウはその損失を軽んじた。かくして滅びに定められた者は、神の恩寵と天の栄光の喪失を何とも思わない。
第九、エサウはカナンの女を妻に娶ることによって、両親を深く苦しめた。かくして悪しき者は悪しき仲間と結びつく時、神と教会を深く傷つける。
第十、エサウはついに自らの悪と損失を悟り、うめき、泣き、悔いたが、それは空しく無益な悔い改めであった。滅びに定められた者は、知恵の書5において同様の悔い改めを行う。
第十一、エサウはヤコブを憎み、これを迫害した。かくして悪しき者は善き者を迫害する。
第十二、イサクはエサウを愛した、けだしエサウの狩りより食したからである。しかしリベカはヤコブを単純にかつ絶対的に愛した、けだし彼が善く聖なる者であったからである。かくして悪しき者は限定された仕方でしか愛されるべきでない。けだし彼らの人工的な業や身体的な発明は公共の役に立つからである。しかし選ばれし聖なる人々は、神の前に偉大で名誉ある者として、単純にかつ絶対的に愛され敬われるべきである。
第二十五節:彼は全身毛深く皮のごとく、その名はエサウと呼ばれたり
幼子は通常なめらかに生まれるものである。しかしエサウは全身毛深く生まれた。これは神の御計画によるものであり、その粗くて厳しい性格、振る舞い、そして将来の生活を前もって示すためであった。
されば生まれたエサウは、その毛深さと粗毛のために幼子というよりもむしろ成人した者のごとく見え、ゆえにエサウと呼ばれた。これはあたかも asui、すなわち「完成された」「完全な」という意である。けだし彼は成熟した男のように毛深かったからである。第二に、同じ理由から彼はまたセイル、すなわち「毛深き者」とも呼ばれた。第三に、彼はエドム、すなわち「赤」とも呼ばれた。これはその赤き色によるとともに、より特別には、彼がその長子権をヤコブに売った赤きレンズ豆の煮物によるものである。これは第三十節に明らかである。かく聖ヒエロニムスはオバデヤ書註解において、カイェタヌス、オレアスター、ペレリウスも同様に述べる。
再び聖ヒエロニムスはアモス書2:9について言う、「ヘブライ人中で最も雄弁な人フィロは、この(樫の)語から、エサウは droinon、すなわち樫のごとく堅固な者と呼ばれたと考える。もっともエサウはまた noema、すなわち作られた物、と解することもでき、それは悪しき業を指すことになろう」。しかし、エサウが樫から名付けられ得たとはどういうことか、私には分からない。けだしヘブライ語で樫は ela と呼ばれ、エサウとは呼ばれない。ただしフィロが別の語根からエサウを導き出しているのかもしれない。
直ちに、後から出てくる者が手で兄弟の足を握った。—— その姿勢は、あたかも先に行きたいか、あるいは兄弟と共に胎から出たいか、あたかも先を越そうとしているか、少なくとも兄弟と共に長子の権利を主張しようとしているかのようであった。これは自然によってではなく、神の御計画と配剤によって起こったのである。第二十二節で述べたことを見よ。
それゆえに彼は(イサクが父として、子に名を与える役割を持っていた)彼をヤコブと呼んだ。—— けだしヤコブは「うしろに足をかけて転ばす者」と同じ意味であり、これは第二十七章36節に明らかであるか、あるいは「足をつかむ者」(けだし ekeb は「足」あるいは「踵」を意味するから)の意であり、よって「欺き、うしろに足をかけて転ばす者」の意である。
エウケリウスは『第二巻』第四十六章において寓意的解釈を示す、すなわちヤコブはキリストであり、彼はエサウ、すなわちユダヤ人をうしろに足をかけて転ばした、と。
第二十七節:農夫
七十人訳は agroikos、すなわち「田舎者」と訳す。ヘブライ語では「エサウは野の人であった」、すなわち彼は常に進んで野に時を過ごし、町から遠く離れ、ほとんど家におらず、ほぼ常に野原に住んでいた。
素朴な人。—— ヘブライ語では tam であり、七十人訳はこれを aplastos、すなわち「飾らぬ」、言い換えれば「偽りや欺きのない」と訳す。シンマクスはこれを atomos、すなわち「責められるところなし」と訳す。アクイラは aplous、すなわち「二重でなく単純なる」と訳す。本来、tam は「正しく、無垢で、全き、完全な」の意と同じである。けだし語根 tamam は「完成する、全うする」を意味するからである。
されば素朴な人とは、神と徳のみに専心する正しき人であり、多くの回り道や不正なものをさまよう者ではない。かくしてヨブもまた素朴な人と呼ばれる。この素朴さは思慮に対立するのではなく、欺きと虚偽に対立する。この素朴さは、真理、純粋、誠実、魂の無垢であり、虚偽、偽り、罪から自由で、混じり気がない、と聖ヨハネ・クリソストモスは言う。さればキケロは『善と悪の究極について』第二巻において言う、「我々は真実なるもの、すなわち信実、単純、恒常を愛し、虚偽、欺瞞、偽瞞、たとえば詐欺、偽誓、悪意、不正を憎む」と。この素朴さによってヤコブは神からあらゆる繁栄を得た。ゆえに彼にはこの標語が正しく帰せられる、「思慮ある素朴さ、豊かなる幸福」と。
彼は天幕に住んだ。—— 彼は家に留まった。かく七十人訳は訳す。けだし古代の人々、特に族長たちの家は、天幕あるいは幕屋であったからである。これはあたかもこう言うがごとくである、ヤコブは家において静かなる生活、家庭の務め、魂の陶冶に専心した、と。かくカイェタヌスは言う。
ヘシオドスは正しく言った、「家にいる方が良い、外を放浪するのは有害である」と。ヘブライ人らは、リラによれば、「天幕」によってヤコブが知恵と神への畏れを学ぶために通った諸学校を理解する。彼らが言うには、一つはメルキゼデクあるいはセムの学校、二つ目はエベルの学校、三つ目はアブラハムの学校である。ゆえにカルデア訳はこう訳す、「ヤコブは正しき人であり、教えの家の学生(聴講者)であった」と。これは学校に他ならない。もしこれが真であるなら、学校やアカデミーがいかに古いものかを見よ。ヨシュア記15:15の時代のキルヤト・セフェル、すなわち「文字の町」、言うなればアカデミー、もそのようなものであった。個々のアカデミーの古さと起源については、ミデンドルプを見よ。
比喩的に、聖グレゴリウスは『モラリア』第五巻第七章において言う、「敬虔なる者は心の騒乱より退いて心の内なる奥所に入り、そこであたかも静けさの懐にあるがごとく憩う。これが敬虔なる者の幕屋である」と。
第二十八節:リベカはヤコブを愛せり
けだしヤコブはエサウよりも静かで、穏やかで、好ましかったからであり、またリベカは第二十三節において、兄より優先されるべきはヤコブであると神より聞いていたからである。
第二十九節:煮物
レンズ豆のそれである。これは第三十四節に明らかである。これはエジプトのレンズ豆であり、と聖アウグスティヌスは詩編46について言う、アテナイオスの『第四巻』およびゲッリウスの『第十七巻』第八章によれば、美味で心地よいものである。
この食物は粥(プルメントゥム、煮物)と呼ばれる。けだしそれは粥の仕方で作られていたからである。すなわち粥が米、豆、ソラ豆から作られるように、レンズ豆からも作られるのである。さらに、調理されたあらゆる食物はプルメントゥムと呼ばれ得る。けだし古代の人々、ローマ人も含めて、最初の食物は粥であったからである。プリニウスの『第十八巻』第八章によれば、ゆえに古代のローマ人は「粥を食する者」と呼ばれた。このことからあらゆる食物はプルメントゥムと呼ばれたのである。
第三十節:この赤き煮物を我に与えよ
心地よく赤きもの、おそらくサフラン、コリアンダー、あるいは類似の調味料で色付けされていたからであろう。けだしゼノンはアレクサンドリアのレンズ豆のスープに赤き色をしたコリアンダーの粒を混ぜるよう命じた。ヘブライ語はエサウの過度なる貪欲と食欲を示す。けだしそれはこう読めるからである、「我を覆え、我を飲み込め、我を満たせ、あの赤き、赤きものをもって」と。けだし、より学識あるヘブライ人らは haliteni を語根 ata、すなわち「覆う、飲み込む」の意から導き出す。
エドム —— すなわち赤き者、赤ら顔の者、血の色をした者。これは第二十五節で述べた通りである。
第三十一節:汝の長子の権を我に売れ
汝の protokeion、すなわち汝の長子たる権利を売れ。
ここでの第一の問は、自然法においては長子の権利とは何であったかである。我答えて言う、それは四重であった。第一は、長子が兄弟らの長であり、あたかも彼らの父であり主であるがごとくであって、兄弟らは彼の前にかがむということである。これは第二十七章29節、および第三十二章、第三十三章に明らかである。けだし長子は父の尊厳を継いだからである。そしてこれがペルシウムの聖イシドロスがカテナにおいて言うことである、すなわち長子たる子らは王国と族長の尊厳を継いだ、と。
第二は、父の遺産の分配において、各兄弟は一つの分け前を受け、長子は二重の分け前を受けたということである。これは申命記21:17に明らかである。かくテオドレトスは言う。
第三は、洪水の後、長子は家族の司祭であった、ということである。ゆえにモーセの律法においても、レビ人はイスラエルのすべての長子の代わりに司祭職に選ばれた。民数記3:12。同じく、長子はその両親を大祭司職において継いだ。これは民数記20:28に明らかである。かく聖ヒエロニムス、ルペルトゥス、トスタトゥス、エウケリウス第四十四章に言う。
ゆえにヘブライ人らは、そしてその中にエウケリウスも含めて、これをこう説明する、「我に汝の長子の権を売れ」、すなわち、長子たる子らが神に犠牲を捧げる時に司祭として慣例的に着ていた司祭の衣服(そしてその結果としての司祭職そのもの)を我に売れ、と。彼らは付け加えて、リベカがこの衣服をヤコブに着せたのは、ヤコブが父の祝福を兄エサウから奪い取った時のことである、と言う。創世記27:15。しかしこの司祭職の権利は、長子ではない者にも与えられることがあった、たとえばアブラハムのごとくであり、これは神の特別な配剤と選びによるものであった。けだしアブラハムは信仰深く、信仰の父であり、一方彼の他の兄弟らは不信仰で偶像崇拝者であったようだからである。
第四は、父が死に際して長子に特別な祝福を与えた、ということである。これは第二十七章4節に明らかである。この祝福はその時大いに重んじられ、しばしば神の前に大いなる価値と効力を持っていた。
アブレンシスとリポマヌスは付け加えて、長子は祝祭日や公の宴席においてその兄弟や甥たちを年長者として祝福することが慣例であった、と言う。しかしこれはどこにも明示されていない。
第二の問は、エサウが長子の権を売ったこと、またヤコブがそれを買ったことにおいて罪を犯したかどうかである。
注目せよ。長子の権利は主として現世的なものであった。けだしそれは兄弟らの間での優位の権利であり、遺産の二重の分け前を受ける権利であったからである。しかし副次的に、それには霊的な権利、すなわち司祭職の権利と、父の祝福を受ける権利が付属していた。
カイェタヌスは、エサウは食欲のみによって罪を犯したのであり、長子の権利を現世的なものである限りにおいてのみ売ったのだと考える。ちょうど今、聖別された聖杯を、聖杯自体の価値分で売るかぎり合法的に売ることができ、聖別のためにそれ以上を要求しないようなものである、と。
汝は言うであろう、それではなぜ使徒はヘブライ人への手紙12:16においてエサウを俗なる者と呼ぶのか、と。カイェタヌスは答える、エサウは質料的に俗なる者であった、すなわち彼はかくも聖なるものが付属していた長子の権利をかくも安価で売り、それを軽んじたからであり、ちょうどある美味しい一口のために聖別された聖杯を売る者が俗なる者であり俗なる者と呼ばれるのと同様である、と。
しかし私はまず言う、エサウはまず食欲によって罪を犯した。第二に、聖なるものを侮蔑することによって罪を犯した。けだし彼は、司祭職の権利が付属していた長子の権利を、かくも安価な食物のために売ったからである。第三に、彼は聖職売買によって罪を犯したように思われる。けだし彼は長子の権利全体を、それゆえに司祭職の権利、すなわち霊的なものを売ったからである。このゆえに、彼はヘブライ人への手紙12において使徒によって俗なる者と呼ばれるのである。けだし本来、かつ形式的には、聖なるものを売ったり汚したりしてそれを冒涜し汚す者以外、俗なる者とは言われないからである。されば、エサウが罪を犯したのは、腹を徳に優先させ、食物を名誉に優先させ、食欲を司祭職と祝福に優先させたからである。
私は第二に言う、ヤコブは、エサウから長子の権を買うことにおいて罪を犯さなかった。第一に、けだし彼は長子の権の主要な部分のみを買うつもりであり、それは現世的で売買可能であったからである。ちょうど家父長権が付属している畑が売買され得るように、とリポマヌスは言う。
汝は言うであろう、少なくともヤコブは不正によって罪を犯した、なぜならかくも大いなるものをかくも安価に買ったからだ、と。我答えて言う、ヤコブは罪を犯さなかった、なぜならエサウは自発的かつ知ってかくも大いなるものを安価に売ることを欲したからである、けだし彼はそれを軽んじていたからである。これは第三十四節に明らかである。しかし自発的で知っている者、実に自分自身のものを浪費し軽んじている者に対しては、何ら不正は為されない。
第二に、ヤコブはこの権利を買うことにおいて罪を犯さなかった。けだし母の教えによって、この権利は神の配剤と賜物によって彼に属するものであり、エサウから彼に移されたのであるということを彼は知っていたからである。けだしリベカは第二十三節において天使よりこれを聞いていたからである。またリベカは同じことをヤコブにも示していた。このことは、第二十七章において彼女が大胆にも兄からの祝福を奪い取るようヤコブに促した時、ヤコブが不正を理由に、すなわち祝福が自分にではなく長子たる兄に属するとして言い逃れしなかったことから十分に推察される。もし彼が母の教えから反対を知らなかったなら、彼は必ずそうしていたであろう。けだし彼は義人であり、繊細な良心の持ち主であったからである。彼はただ、父が欺きを発見した場合の父の怒りの危険のみを挙げた。
しかしヤコブもリベカも、この神の啓示、このエサウからヤコブへの長子権の配剤と移行を、エサウ自身には、その怒りを恐れて敢えて啓示することはせず、またイサクにも、彼を悲しみで苦しめぬようにと啓示することはなかった。けだしイサクはエサウを深く愛していたからである。されば今やヤコブは、弟が与えた赤きレンズ豆の煮物を条件として、兄が自発的に権利を譲ることによって、自分の権利を主張し確立する機会を得たので、これを怠らず受け入れたのである。したがってヤコブはここで兄の財産を本来の意味で買ったのではなく、不正な占有者から自分自身の財産を巧みに引き出したのである。ゆえに彼が「売れ」と言うのは、「我に与えよ、渡せ、実に我に属するべき権利を返せ」と同じ意味である。カイェタヌス『神学大全』第II-II部、第百問、第四項を見よ。
第三十二節:見よ、我は死なんとす
エサウは自らの貪欲と食欲のために必要性の口実を用いた。けだし彼が食欲と長子権の侮蔑によって罪を犯したことは第三十四節に明らかである。けだしイサクのごとく豊かな家庭において、その子エサウがパン、肉、その他の食物を食べ得なかったということは疑いない。それゆえヤコブが煮ていたレンズ豆の香り、色、そしてそれへの欲望が、エサウにおいてはあまりにも大きかったので、彼はそれを直ちに与えられねば死ぬであろうと言ったのである。かくカイェタヌスとペレリウスは言う。食欲の種類と害については、聖グレゴリウス『モラリア』第三十巻第二十七章を見よ。
第三十三節:されば我に誓え
汝が我に長子の権を譲ること、また汝が我にそれを平安のうちに享受させること、を誓え、というのである。
第三十四節:彼はそれを軽んじて去れり
エサウの頑迷と非悔悟を注目せよ。第二に、彼の不信と偽誓を注目せよ。けだし彼がこの権利を売ったことを軽んじた理由は、ここで誓いによって確認された契約を守るつもりがなかったからである。ゆえに実に、彼は何の躊躇もなく、あたかも自らがそれをヤコブに譲渡も譲与もしなかったかのように、この権利を自らのものとして主張したのである。
比喩的に、エサウよりもなお俗で無価値なのは、安価な一口のため、あるいは名誉や虚栄の誘惑のために神を怒らす罪人らである。かくして彼らは悪魔に、自分の魂のみならず、神の恩寵と天の相続財産の権利をも売り渡す。けだしこれはキリストとキリスト者らの長子としての権利であり、独り子キリストがその死と血をもって彼らのために獲得し、洗礼において生まれた者をご自身に組み入れることによって封印されたものである。
ゆえに賢者は箴言6:26において正しく言う、「娼婦の代価はパン一塊にも足りないが、人妻は人の尊き魂を捕らえる」と。再びアントニウスは『メリッサ』第一部第十六説教において言う、「悪魔は言う、『現在を我に与え、未来を神に与えよ。汝の若さを我に与え、汝の老年を神に与えよ。汝の快楽を我に与え、汝の役に立たぬ身体をこれに与えよ』と。ああ、汝を脅かす危険はいかに大いなるものか、いかに多くの予期せぬ災いが迫っているか」と。
この点について聖ヨハネ・クリソストモスは『第五十説教』において言う、「これらを聞いて、神より我らに与えられた賜物を決して軽んじず、また大いなるものを小さく無価値なもののために失わぬことを学ぼうではないか。けだし言ってみよ、なぜ我らは、天の国とあの筆舌に尽くしがたい善きものが我らの前に置かれている時に、富への欲望によって狂うのか。—— 富は束の間のもので、しばしば夕方まで続かぬではないか。—— そしてそれらを永遠かつ不変のものより好むのか。これより悪しき狂気が何かあり得ようか。けだし我らはそれらへの過度の愛のために、あの善きものを奪われ、かつこれらを純粋に享受することは決してできぬからである」と。