コルネリウス・ア・ラピデ

創世記 第四十六章


目次


本章の概要

ヤコブはここに数え上げられる全家族とともにエジプトへ旅立つ。第二に、第二十九節において、ヨセフが彼を出迎えて受け入れる。


ウルガタ本文:創世記46章1-34節

1. イスラエルは持てる物すべてを携えて旅立ち、誓いの井戸に着いて、そこで父イサクの神に犠牲を献げた。2. すると神は、夜の幻のうちに彼を呼び、こう仰せられた。「ヤコブ、ヤコブよ。」彼は答えた。「我はここにあり。」3. 神は彼に言われた。「我は汝の父の最も力ある神なり。恐るるなかれ、エジプトへ下れ。我はそこにて汝を大いなる国民となさん。4. 我は汝とともにそこへ下り、また汝を再びそこより連れ帰らん。ヨセフもまた、その手を汝の目の上に置くであろう。」5. ヤコブは誓いの井戸より立ち上がり、その子らはファラオが老人を運ぶために送ってきた車に、彼と幼な子たちと妻たちを乗せた。6. また、彼がカナンの地で得たすべての所有物を携え、すべての子孫とともにエジプトに来た。7. 彼の子ら、孫たち、娘たち、そしてすべての子孫がともに来たのである。8. これがエジプトに入ったイスラエルの子らの名前である。彼自身もその子らとともにあった。長子はルベン。9. ルベンの子らはヘノク、パル、ヘツロン、カルミ。10. シメオンの子らはヤムエル、ヤミン、オハド、ヤキン、ツォハル、およびカナン人の女より生まれたシャウル。11. レビの子らはゲルション、ケハト、メラリ。12. ユダの子らはエル、オナン、シェラ、ペレツ、ゼラ。しかしエルとオナンはカナンの地で死んだ。ペレツの子らはヘツロンとハムルである。13. イッサカルの子らはトラ、プワ、ヨブ、シムロン。14. ゼブルンの子らはセレド、エロン、ヤフレエル。15. これらは、レアが北メソポタミアにおいてヤコブに産んだ子らであり、彼の娘ディナも加わる。彼の息子たちと娘たちの魂は、合わせて三十三人。16. ガドの子らはツィフヨン、ハギ、シュニ、エツボン、エリ、アロディ、アルエリ。17. アシェルの子らはイムナ、イシュワ、イシュウィ、ベリア、およびその姉妹セラ。ベリアの子らはヘベルとマルキエル。18. これらは、ラバンが娘レアに与えたジルパの子らであり、ジルパがヤコブに産んだ子らで、合わせて十六人の魂である。19. ヤコブの妻ラケルの子らはヨセフとベンヤミン。20. ヨセフにはエジプトの地で、ヘリオポリスの祭司ポティフェラの娘アセナトが、マナセとエフライムを産んだ。21. ベンヤミンの子らはベラ、ベケル、アシュベル、ゲラ、ナアマン、エヒ、ロシュ、ムピム、フピム、アルド。22. これらは、ラケルがヤコブに産んだ子らで、合わせて十四人の魂である。23. ダンの子はフシム。24. ナフタリの子らはヤフツェエル、グニ、イェツェル、シレム。25. これらは、ラバンが娘ラケルに与えたビルハの子らであり、ビルハがヤコブに産んだ子らで、合わせて七人の魂である。26. ヤコブの息子たちの妻を除いて、ヤコブとともにエジプトに入り、彼の腿より出た魂はすべて六十六人。27. エジプトの地でヨセフに生まれた子は二人の魂。エジプトに入ったヤコブの家のすべての魂は七十人であった。28. ヤコブはユダを先にヨセフのもとに遣わし、ゴシェンで彼に告げて出迎えさせた。29. ヨセフはそこに着くと、自らの戦車を準備して、父を迎えに同じ場所まで上って行った。父を見るや、その首にすがりつき、抱擁のうちに泣いた。30. 父はヨセフに言った。「我は今や喜びて死なん。汝の顔を見、汝を生きながらえて残すことができたゆえに。」31. 彼は兄弟たちと父の家のすべての者に語った。「我は上って行き、ファラオに報告してこう言おう。『カナンの地にいた我が兄弟たちと父の家の者たちが、私のもとに来ました。32. 彼らは羊を飼う者たちで、家畜を養うことを生業とし、自分たちの羊と牛、その他持てるすべての物を伴ってまいりました。』33. もしファラオがあなたがたを呼んで、『あなたがたの仕事は何か』とお尋ねになるなら、34. こう答えなさい。『あなたの僕どもは、幼い時から今に至るまで、私たちも父祖たちも、羊を飼う者でございます。』こう答えるのは、あなたがたがゴシェンの地に住むことができるためである。エジプト人はすべての羊飼いを忌み嫌うからである。」


第一節:誓いの井戸

「誓いの井戸へ」とは、すなわちベエル・シェバへ、とヘブライ語にあるとおりである。なぜなら、ベエル・シェバはヘブライ語で誓いの井戸を意味するからである、第二十一章第三十一節で述べたとおり。


第三節:恐るるなかれ、エジプトへ下れ

「恐るるなかれ。」ヤコブはエジプトへの旅を恐れることができた。第一に、これほど長い旅路の困難のゆえに、すなわち老人である彼が、ヨセフに会う前に途上で死ぬことを恐れたのである。第二に、自分の人々がエジプト人の悪徳に染まることを恐れた。第三に、自分の子孫がエジプトに住み着くことを恐れた。彼らには神からカナンの地が約束されていたのであり、こうして神の約束を無にし、神を怒らせることになるからである。それゆえ神は第四節においてこの恐れを彼から取り除き給うのである。これゆえにヤコブの第九番目の試練であったが、神はいつものように、その出現と慰めによってこれを速やかに払いのけ給うた。


第四節:我は汝とともに下らん。ヨセフは汝の目を閉じん

「我は汝とともに下らん」とは、我は汝の旅の伴侶となり、否、導き手となるであろう。我は汝と汝の家族をエジプトへ導き、そこからしかるべき時に汝を死せる者として、しかし汝の子孫を生きたる者として連れ帰るであろう、という意味である。敬虔にも聖アンブロシウスは『ヤコブについて』第二巻第九章においてこう言う。「神が彼の傍らにあったのに、いったい彼に何が欠けていたであろうか。自らの家にあって、これほど力ある者が誰かあったであろうか、この人が異郷の地においてあったほどに。豊かさに満ちて、これほど富める者が誰かあったであろうか、この人が飢饉のさなかにあったほどに。若さにあって、これほど強き者が誰かあったであろうか、この人が老年にあったほどに(同じ著者が第八章において言うように、彼の内には若さの倦まざる活力と老年の静謐とが競い合っていたのである)。仕事に活発な者が誰かあったであろうか、この人が閑暇のうちにあったほどに。競技場で速き者が誰かあったであろうか、この人が床の上にあったほどに。青春の花のうちに喜びに満ちた者が誰かあったであろうか、この人が死の門口にあったほどに。王国にあって富める者が誰かあったであろうか、この人が異郷の地にあったほどに。要するに、彼は王たちを祝福したのである。彼を貧しいと言う者があろうか、その交わりに値するほどの世はなかったというのに。それゆえ、彼の生き方は天にあったのである。」さらに、「神ご自身を旅の伴侶として持つことより幸いなことが何かあるだろうか」と、聖ヨハネ・クリソストモスは説教第六十五において言う。

「ヨセフもまた、その手を汝の目の上に置くであろう」とは、こう言わんとするものである。ヨセフは汝が死にゆくときその目を閉じるであろう、それゆえ汝はヨセフを生きながらえる者としてそこに残すであろう、と。ここからヘブライ人の古き習わしが明らかとなる。すなわち、最も愛する者たちが、自らの最も愛する者の死にゆく目を閉じたのである。後にギリシア人とローマ人もこの同じ慣習に倣った。それゆえウェルギリウスの『アエネーイス』第十一巻において、エウリュアロスの母はこう問うのである。「我は、汝の母なるに、汝の葬儀に立ち会うことなく、汝の目を閉じることもなく、汝の傷を洗うこともなかった。」

ペネロペもまた、オデュッセウスに書き送る中で、神々に同じことを願う。すなわち、息子テレマコスが両親それぞれの目を閉じてくれるようにと。彼女はオウィディウスの中でこう言うからである。「神々よ、願わくはこのことを命じ給え。運命が順次に進みゆくとき、彼が我が目を閉じ、彼が汝の目を閉じんことを。」


第七節:娘たち

「娘たち。」ヤコブはただ一人の娘ディナを持っていた。それゆえここで「娘たち」と呼んでいるのは、ディナと、息子たちの嫁たち、すなわち息子たちの妻たちのことである。


第八節:エジプトに入りし者たちの名

「エジプトに入った者たち。」自らの足によってか、あるいはまだ親たちの内に隠れていた、その親たちの足によってかである。なぜなら、この「入り」という名称によって、ヤコブの入りからヨセフの死に至るまでの全期間が含まれるからであり、これは今や明らかとなるであろう。

「彼自身(すなわちヤコブ)がその子らとともに。」「エジプトに下った」と補わねばならない。ヘブライ語ではそうなっている。


第十二節:ヘツロンとハムル

「ヘツロンとハムル。」これらの者は後にエジプトで生まれた。第三十八章で述べたところから明らかである。それにもかかわらず、彼らがヤコブとともにエジプトに下ったと言われるのは、彼ら自身としてではなく、その父ペレツの腰に、彼らがまだ隠れていたからである。なぜなら、聖アウグスティヌスが正しく注解したとおり、このヤコブのエジプトへの下りと入りは、エジプトにおける彼の生涯の十七年をも含み、否それどころか、ヨセフの残りの生涯、すなわち七十一年をも含むからである。なぜなら、ヤコブはヨセフの招きと配慮によってエジプトに下ったからである。

注目せよ。ここでゼラの子らよりも先にペレツの子らが数えられているのは、ペレツとヘツロンからユダの王たち、そして主キリストが出たからである。

「彼の子らのすべての魂。」「魂」とは、生まれた者、産み出された者、すなわち子らと孫たちのことである。なぜなら、ヘツロンとハムルはヤコブの子ではなく孫であったからである。これは提喩である。


第十五節:三十三人の魂

「三十三人」とは、レア自身も数に入れてのことである。あるいはむしろ、ヤコブ自身を息子たちと娘ディナとともに数えてのことである。なぜなら、レアはエジプトに入ったとは思われず、それ以前に死んでいたからである。彼女はヘブロンに葬られていたことが、第四十九章第三十一節から明らかである。この数からエルとオナンは、すでに死んでいた者として除かれている。


第二十一節:ベンヤミンの子ら

「ベンヤミンの子ら。」ここにはベンヤミンの十人の子らが数えられているが、そのうち何人かは、彼自身が後にエジプトで生んだ者である。なぜなら、エジプトに下った当時、ベンヤミンはわずか二十四歳であり、それゆえこれほど多くの子を生むことはできなかったからである。さらに、これらすべてが子であったわけではなく、何人かはベンヤミンの孫であった。なぜなら、七十人訳聖書ははっきりとこう述べているからである。「ゲラはアルドを生んだ。」それゆえアルドはベンヤミンの子ではなく、その子ゲラを通しての孫であった。

「ロシュ。」テオドレトスとプロコピオスは、ローマ人がロシュから出てロシュにちなんで名づけられたと考えている。しかし彼らは誤っている。なぜなら、ローマ人はロムルスからその名と起源を受けたからである。

「アルド。」この者からアラディオス人が出ている、とプロコピオスは言う。しかしより真実なのは、アラディオス人はカナンの子アラディオスから出ているということであり、これは第十章第十八節で述べたとおりである。なぜなら、アラディオス人はカナン人であってユダヤ人ではなく、シドン人、ティルス人、ビュブロス人、その他アラディオス人に隣接する者たちと同様であったからである。


第二十六節:六十六人の魂

「すべての魂」とは、すべての人々、すべての子孫のことである。これは提喩である。このように我らは卑しい人々を卑しい魂と呼ぶ。これに対してルカヌスは、戦で斃れた勇敢な男たちを勇敢な魂と呼んでこう言う。「汝らもまた、勇敢なる魂よ、戦に斃れし者たちよ。」

このことを心に留めよ。誰もこの箇所から、人間の魂が獣の魂と同様、繁殖によって、すなわち親の精と魂から生まれると結論づけてはならない。なぜなら、信仰は人間の魂が神お一人によって創造され人に注入されることを教えるからであり、それゆえ魂は不死であるからである、第三十七章第三十五節で述べたとおり。

「彼の腿より出た」とは、すなわち腿の間にある生殖器より出たということであり、これは換喩である。第二に、本来の意味で「腿より」とは、フランシスクス・ワレシウスが『聖なる哲学』第三章において述べているように、まことに腿には三本の精嚢の静脈があり、それらは腰の静脈から起こり、脚へと下る前に、男性においては腿を通って陰嚢へ、女性においては子宮へと戻り、種子の最も豊かな部分を供給するからである。それゆえ民数記5章21節において、姦淫の女に対する呪いとしてこう言われている。「汝の腹腫れ、汝の腿朽ちん。」こう言わんとするものである。汝が悪用した腿によって罰せられ、汝が淫らに振る舞った腿が朽ち果て、姦淫から子を求めた汝が、不妊と腐敗によって打たれよ、と。

「六十六人」とは、この数にはヤコブはすべての者の親として含まれず、また、すでにエジプトにいたヨセフとその子らも含まれていない。


第二十七節:七十人の魂

「七十人。」ここではヤコブ自身とヨセフとその二人の子らを数え合わせなければならない。そうすれば七十人となるからである。

こう尋ねるであろう。それでは、なぜ七十人訳聖書、そしてそこから聖ルカが使徒言行録7章14節で七十五人と数えているのか、と。我は答える。彼らはヨセフの系列にマナセの子マキルとその孫ギレアドを加えて数えている。さらに、エフライムの子シュテラとヤアム、そしてシュテラの子であった孫エデムを加えている。これらを加えれば、その数は七十五に達するのである。これらの者が加えられているのは、彼らが祖父ヨセフの存命中に生まれたからであり、これは創世記50章22節から明らかである。なぜなら、このヤコブのエジプトへの下りと入りは、ヤコブとヨセフの死に至るまで及ぶからである、第八節で述べたとおり。聖アウグスティヌスは『神の国』第十六巻第四十章においてこう述べている。

こう問うであろう。なぜここで他の兄弟たちの孫よりむしろヨセフの孫がこの目録に数えられているのか、と。聖アウグスティヌスは第一にこう答える。ヨセフがヤコブと兄弟たちのエジプト下りの原因であったからである、と。第二に、モーセがユダの孫を数えているように、七十人訳聖書はヨセフの孫を数えている。これは、この二人がルベンの長子権を継いだからである。それゆえ彼らの子孫がユダ王国とイスラエル王国を得たのである。なぜなら、ヨセフから、すなわちエフライムからイスラエルの王たちが起こり、ユダからユダの王たちが起こったからである。第三に、ヨセフは兄弟たちの長であり、否、エジプトの長であったからである。第四に、ヤコブがヨセフの子らを自らの子として養子としたからである、第四十八章で見るとおり。

さらに、ここでヤコブの血筋を数えているのは、それがエジプトでいかに増大したかを示し、神の約束「我はそこにて汝を大いなる国民となさん」(第三節)がいかに成就されたかを示すためである。なぜなら、エジプトに入ったのはヤコブとともにわずか七十人であったが、モーセとともに出たのは、子供と女を除いて、徒歩の男だけでおよそ六十万人であったからである、出エジプト記12章37節。聖ヨハネ・クリソストモスがそう述べている。


第三十四節:我らは羊飼いなり

「我らは羊飼いなり。」ヨセフの謙遜、賢明、素朴に注目せよ。謙遜とは、ファラオの宮廷において、自らが羊飼いの兄弟であることを知らせようとすることである。賢明とは、兄弟たちを宮廷に置くことに励まなかったことである。それは彼らが宮廷人の習わしによって堕落することのないためである。素朴とは、兄弟たちを高位に引き上げず、彼らが熟知していた牧者の業のうちにとどめたことである。今日の人々はこれとは大いに異なる。最も卑しい身分の出でありながら、なお高貴に見られたいと望み、自らが地位に引き上げられると、自分の身内も同様に、たとえ無能であろうとも引き上げ、自分自身、家族、共同体に損失と恥辱と危険をもたらすのである。

それゆえヨセフは、兄弟たちがゴシェンにのみ住むことを望んだ。それは、彼らがエジプト人の交際と悪徳から隔てられているためであり、また、そこからより容易にエジプトを出て、モーセの指導のもとカナンへ戻ることができるためであった。

この点でヨセフに似ていたのはフォキオンである。彼はフィリッポス王から多額の金子の贈り物を拒んだとき、使節たちが、せめて子らのために受け取るよう、すなわち、極度の貧困のうちにあって父の栄光を保つことが彼らにとって困難であろうから、と勧めたのに対し、こう答えた。「もし彼らが我に似た者となるならば、我をこの威厳に導いたこの同じ小さな畑が、彼らをも養うであろう。だが、もし似ない者となるのであれば、我は自らの費用で彼らの贅沢が養われ増大することを欲せぬ。」これはプロブスが『フォキオン伝』において伝えるところである。同じ人物が、アンティパトロスの長官メニュロスから贈り物を差し出されたとき、こう答えた。「我は大いなる者の贈り物を拒んだ。アンティパトロスはアレクサンドロスより優れているわけではない。」メニュロスがしつこく、せめて息子ポクスのためにそれを受け取るよう求めたとき、彼はこう答えた。「もしポクスが生き方を改めて徳に立ち帰るならば、相続財産で十分であろう。なぜなら、今のように振る舞うかぎり、彼にとって何ものも十分ではないからである。」これに似て、より輝かしいのはテオドシウス帝である。彼は学校に来てみると、息子たちのアルカディウスとホノリウスが堂々と座しており、その教師であったアルセニウスが立っているのを見た。彼は息子たちから王侯の標を剥ぎ取り、こう付け加えた。もし彼らが自らの行いを学問と神の律法に適合させるように振る舞うならば、自分は共和国の益のために帝位を彼らに委ねるであろう。だが、そうでなければ、こうして私人として生涯を送る方が、無学に危険を冒して統治するよりも有益である、と。これはニケフォロスが『歴史』第十一巻第二十三章で証言している。

「エジプト人はすべての羊飼いを忌み嫌った」とあるのは、羊飼いたちが自らの羊や家畜を屠り、その肉を食する習わしであったが、エジプト人はそれらを神々として崇めていたからである。これは出エジプト記8章26節から明らかである。それでもエジプト人は羊や牛を飼っていたが、これは次章第十七節で明らかとなるとおり、食用のためではなく、第一に羊毛と乳のため、第二に自らの楽しみのため、第三に畑の肥料のため、第四に他国の民にそれらを売るためであった。