コルネリウス・ア・ラピデ

創世記 第五十章


目次


本章の概要

ヨセフは兄弟たちおよびエジプト人らと共に亡き父を悼み、これをヘブロンに葬る。第二に、第十五節において、その罪のゆえに恐れる兄弟たちを慰める。第三に、第二十二節において彼自身が死に、カナンに葬られることを望む。


ウルガタ本文:創世記50章1-26節

1. 「ヨセフはこれを見て、父の顔に伏して泣き、これに口づけした。」2. 「彼は僕である医師たちに命じて、香料をもって父の遺体に防腐処置を施させた。」3. 「彼らが命令を執り行ったとき、四十日が過ぎ去った。なぜならこれが防腐処置を施された遺体の習わしであったからである。そしてエジプトは七十日間彼を悼んだ。」4. 「服喪の期間が終わると、ヨセフはファラオの宮廷の者たちに語った。『もし私があなたがたの目に恵みを得ているならば、ファラオの耳に申し上げてほしい、』」5. 「『父が私に誓わせて言ったからである。見よ、私は死ぬ。カナンの地において私が自らのために掘っておいた墓に、汝は我を葬れ、と。それゆえ、私を上って行かせ、父を葬らせてください。そうすれば私は戻ってまいります。』」6. 「ファラオは彼に言った。『上って行き、汝の父が汝に誓わせたとおり葬るがよい。』」7. 「彼が上って行ったとき、ファラオの家の長老たちは皆彼と共に行き、エジプトの地の主立った者たちも皆同じく行った。」8. 「ヨセフの家族と彼の兄弟たちも同様であり、ただし幼い子らと羊の群れと牛の群れは、ゴシェンの地に残した。」9. 「彼の一行にはまた戦車と騎兵があり、極めて大きな一団をなしていた。」10. 「彼らはヨルダン川の向こうにあるアタドの打ち場に到着し、そこで大きく激しい嘆きをもって葬儀を執り行い、七日を費やした。」11. 「カナンの地の住民はこれを見て言った、『これはエジプト人にとって大いなる嘆きである』と。それゆえその地の名は『エジプトの嘆き』と呼ばれた。」12. 「ヤコブの子らは父が命じたとおりに行った。」13. 「彼らは彼をカナンの地へと運び、ヘト人エフロンからアブラハムが畑と共に墓所として購入した二重の洞窟、マムレに面する所に葬った。」14. 「ヨセフは父を葬り終えると、兄弟たちおよび一行のすべての者と共にエジプトへ戻った。」15. 「彼の死の後、兄弟たちは恐れて互いに言った。『もしや彼は自らが受けた侮辱を思い出し、我らが彼に行ったすべての悪をわれらに報いるのではないか、』」16. 「彼らはヨセフに使いを遣わして言った、『あなたの父が死ぬ前に我らに命じたのは、』」17. 「『その名によりあなたにこの言葉を伝えることでした。私はお願いします、兄弟たちの悪行と、あなたに対して犯した罪と悪意をお赦しください。また我らは、あなたの父の神の僕たるこの者たちのこの罪を赦してくださるようお願いします。』ヨセフはこの言葉を聞いて泣いた。」18. 「彼の兄弟たちが彼のもとに来て、地にひれ伏して言った、『我らはあなたの僕です。』」19. 「彼は答えた、『恐れるな。我らは神の御旨に抗いうるか。』」20. 「『汝らは我に対して悪を企てたが、神はこれを善きものに変えたもうた。それは、今汝らが見るとおり、我を高め、多くの民を救うためであった。』」21. 「『恐れるな、我は汝らと汝らの幼い子らを養おう。』彼は彼らを慰め、優しく穏やかに語った。」22. 「彼は父の家族のすべての者と共にエジプトに住み、百十年生きた。彼はエフライムの子らを三代に至るまで見た。また、マナセの子マキルの子らもヨセフの膝の上で生まれた。」23. 「これらのことの後、彼は兄弟たちに言った、『我が死の後、神は汝らを顧み、汝らをこの地よりアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地へと上らせたもうであろう。』」24. 「そして彼は彼らに誓わせて言った、『神は汝らを顧みたもう。我が骨をここから汝らと共に携え行け。』」25. 「彼は死に、百十年の生涯を終えた。そして香料をもって防腐処置を施され、エジプトにて棺に納められた。」


第二節:ヤコブの防腐処置

「医師たちに、香料をもって父の遺体に防腐処置を施させた」――すなわち、バルサム、没薬、肉桂、その他の香料をもって、である。これらは遺体を腐敗から守るとともに、心地よい香りを与える。遺体に防腐処置を施すこの技においてエジプト人らは独特であった。エジプトのミイラ、すなわち幾百年も前に葬られ、今や掘り出されて売られ、薬剤師たちの薬として用いられる遺体は、今日に至るまでこのことを証している。というのもこれらはエジプトから運ばれて来るからである。ヘロドトス『歴史』第三巻、またディオドロス『歴史叢書』第一巻は、エジプトの防腐処置の慣習について記している。

ラバヌス・マウルスは神秘的な意味合いにおいて言う、「幸いなるかな、諸徳の香料をもって防腐処置を施され、身体という棺の中に宿りつつも、永遠のいのちのために保たれるその魂は」と。


第五節:「我が掘りたる」

「我が掘りたる」――すなわち、我が買い取った、ということである。同じくホセアは「掘った」、すなわち自らのために妻を買い取った、とある(ホセア書3章3節)。それゆえこの言い回しは「取得する」ことを意味するのであって、そこで説明したとおりである。ここで「掘る」とは「買う」ことを意味する。

汝は反論するであろう、第十三節において、ヤコブではなくアブラハムがこの墓の洞窟を買ったと言われているではないか、と。我は答える、アブラハムが買ったのである。しかし後に、この同じ洞窟についてヤコブに対してヘト人らより争いが起こされたために、ヤコブは再びこれを買い求めることを余儀なくされたのである。他の者たちはこう解する、「我が掘った」あるいは買ったのは、すなわち我が祖父アブラハムが買ったものを、ということである。我はその子にして相続人であるゆえに、と。しかし我は、ここで「我が掘った」は文字通りに解すべきであると言う。なぜならこの大きな二重の洞窟には、いくつもの墓が掘られ得たからであって、ヤコブはこれゆえに自らのために自らの墓を掘ったのである。ヴァタブルス、ペレリウスその他もそのように解する。


第十節:アタドの打ち場

この打ち場は、茨の多さゆえに、ヘブライ語にてアタドと呼ばれていた。プロコピウスによれば、この地はエリコの近くに位置する。その名は今や「ベト・ハグラ」すなわち「輪の家」と呼ばれる。なぜならそこにて亡きヤコブを悼んでいた時、遺体の周囲を輪と冠のかたちに並んで立ったからである。聖ヒエロニムスもそう言っている。ただし彼は、彼らが遺体のまわりを巡ったのだと述べる。これは古代の異邦人たちの慣習であって、ホメロスやウェルギリウスから明らかであり、その際、死者に「幸あれ」「さらば」と呼びかけ、軽き土と平安と憩いを願ったのである。キルヒマン『葬送について』第三巻第三章および第九章が教えるとおりである。

「ヨルダン川の向こうに」――すなわち、カナンから来る者たちにとってであって、エジプトから来る者たちにとってはアタドはヨルダン川のこちら側にある。

注意すべし。ヨセフはその一行と共に、父が葬られるべきヘブロンではなく、アタドにおいてこの嘆きを行った。なぜなら、もしヘブロンに、すなわちカナンの奥地に長くとどまるならば、カナン人らに何らかの陰謀の疑いを起こさせ、あるいは彼らと争いや戦いに陥ることになるからである。それゆえにヨセフはアタドにおいて一行のすべての者と共に父を七日間悼み、そこからヘブロンに進み、父をそこに葬った後、直ちに家に戻ったのである。聖アウグスティヌスがそう言っている。


第十六節:兄弟たちがヨセフに使いを遣わす

「彼らは使いを遣わした。」――彼らは伝令もしくは使者を遣わしたのであって、おそらくはベンヤミンであろう。彼は罪なく、ヨセフと父母を同じくする弟であって、これらのことをヨセフに求めるに当たり、自分の名においてよりもむしろ亡き父の名において求めたであろう。兄弟たちはここに偽りを述べ、父の名を濫用しているように見える。それは、自らの罪を意識して、その名によって自らを守ろうとしたからである。なぜなら父は、ヨセフがその兄弟たちに示した徳と優しさと愛とを経験によって確信していたので、彼から兄弟たちに何の害も恐れなかったのである。またもし恐れていたならば、なお生きているうちにヨセフにそう語り、彼らに過去の悪行についての完全な赦しと許しを得ていたであろう。


第十七節:「汝の父の神の僕たちに」

「僕たちに」――(ヘブライ人、ギリシア人、ローマ人らと共に「僕」ではなく「僕たち」と読むべきである)「汝の父の神の。」――すなわち、神の僕たる我ら――我は言う、汝の父が礼拝した真実にして父祖よりの神の僕たる我らが汝に対して犯した不義を、汝が赦してくださらんことを、ということである。


第十九節:ヨセフは泣いた

「ヨセフは泣いた」――兄弟たちが不安を抱き、自らとの和解を信じないことを悲しんだのである。ヨセフスはこのことを忠実に伝えている。ヨセフは自ら復讐することを望まなかった。なぜなら彼は、復讐の喜びはつかの間であるが、憐れみの喜びは永遠であることを知っていたからである。


第十九節:「我らは神の御旨に抗いうるか」

「恐れるな、我らは神の御旨に抗いうるか。」――それゆえに、メランヒトンは言う、ユダの裏切りとヨセフを売ることは、ペトロの召命と同じように神の業である、と。カルヴァンもまた同様である。

我は答える。まず第一に、七十人訳はこれを「恐れるな、我は神に属する者である」と訳している。すなわち、我は神の僕である、ということである。カルデア訳は「恐れるな、我は神を畏れる」と訳す。あたかもこう言うがごとくである。神の僕にして模倣者たる我には、復讐への欲望や報復の望みをいだくなど思いもよらぬことである、と。聖ヨハネ・クリソストモス、およびベラルミヌス『恩寵の喪失について』第二巻第十一章もそのように解する。スアレスもまた我らの訳を同じく解釈している。「我らは神の御旨に抗いうるか」、すなわち、我が汝らを赦すべしという神の御旨に、ということである。

しかし我らの訳の理解のために、次のことに注意せよ。神はその絶対的な御旨によって、あらゆるものに先立って、ヨセフをエジプトに遣わすこと――それを御自ら行うにせよ、兄弟たちを通じて行うにせよ――を定められ、そこで彼を高められ、彼を通じて共通の飢饉に備えようとされたのである。次に神は、兄弟たちがヨセフに対して抱いていた憎しみを実行に移すことを神が許容されるならば、彼らの悪意はこの目的のために適切な手段となることを予見されたのである。それゆえ神は、賢明にもこれを許容し、前述の目的に方向づけることを決定されたのである。

第二に注意せよ。神は罪に関して二重の御旨と摂理をお持ちである。第一に、許容する御旨であって、カルヴァンが主張するように罪へと駆り立てる御旨ではない。第二に、指導する御旨であって、これによって罪を正義の罰へ、あるいはその他の共通または個別の善へと導きたもう。人はこれら神のいずれの御旨にも適切には抗いえない。なぜなら両者は神のみに宿り、神の自由に依存するからである。

それゆえキケロは、人間の意志の自由を守るために、その意志が神に従属し神によって支配されることを否定したのは誤りである。ゆえに聖アウグスティヌスは彼について『神の国』第五巻第九章において正しく言った、「キケロは我らを自由にしようとして、我らを神を冒瀆する者としてしまった」と。

汝は反論するであろう。それゆえ人は罪にも抗いえないことになる、なぜならこれは神の許容的御旨から必然的に帰結するからである、と。我は答える。この神の御旨から罪は必然的にではなく、確実に帰結する。ちょうど神の予知から帰結するのと同じである。なぜなら罪は神の御旨に従うのではなく、御旨に先立つのであって、罪が御旨の対象となるからである。それゆえ神が罪を許容しようと意志される前に、神はこれを予見したもい、もし神が罪を許容しようと意志されるならば、それが生じるであろうことを見たもうのである。なぜなら罪そのものの原因は、人の意志である。だが神の御旨は罪のいわば許容的原因にすぎず、それは必要条件(それがなければ罪が生じないところの原因)にすぎない。

第三に注意せよ。ヨセフはここで、兄弟たちの罪を忘れたことを示し、これを軽減し、兄弟たちを慰めるために、敬虔にして聖なる人々の流儀に従い、兄弟たちのこの罪を神の両方の御旨に帰している。それゆえヘブライ語では「我は神の所に居るか」と読む。すなわち「我は神であるのか」ということであって、神こそがこれらすべてのことをかくも都合よくふさわしく命じ、配置されたのである、ということを意味する。すなわちこう言うがごとくである。神は、御自らの頷きによってすべてを統治し調整したもい、我をエジプトに遣わしてその上に据えることを定められた。それは我の善のためにも汝らの善のためにも、いやむしろ皆にとっての共通の善――すなわち公の飢饉を救うため――のためであった。そしてこの目的のために、汝らがその罪によって我をエジプトに売るのを許容し、この任命のための手段として用いられたのである。されば、その罪が我の最高の善に転じた者たち、また神が救われることを望みたもう者たちを、我が罰することなど思いもよらぬことである。むしろ我らは、神の御旨と摂理により、汝らの罪から我にも汝らにももたらされたこのかくも幸いなる結果を喜ぶべきである。そしてこれらすべてのことを、これを許容し、また指導されたもうた神の御旨に帰し、服すべきである、と。これがその意味であることは、続くところおよび第四十五章第五節および第八節から明らかである。

注解者たちおよび博士たち、とりわけ聖ヨハネ・クリソストモス説教第六十四、および聖アンブロシウス『ヨセフについて』第十二章はそのように言う。またこれらに基づいて、ルイス・デ・モリナ第一部第十九問第九条論争2もそのように言う。使徒もまた、ローマの信徒への手紙11章において、異邦人らに憐れみの情を起こさせるために――彼らが怒ることなく、むしろユダヤ人の不信仰の悲しみを共にするように――彼らの不信仰と背信が異邦人らの救いとなったと述べている。なぜならユダヤ人によって拒まれた福音の宣教と福音の使者たち、すなわち使徒たちは、異邦人らのもとに赴き、彼らを信仰と救いと恩寵に導いたからである。そして使徒は付け加える、神は「すべての者を不信仰のうちに閉じ込められた」、すなわち、すべての者が罪の下に閉じ込められることを許容されたのであって、それは「すべての者に憐れみを賜るため」であった、と。あたかもこう言うがごとくである。それゆえ異邦人らよ、汝らもまた神に倣い、神が汝らに憐れみを示されたように、汝らもまたユダヤ人に憐れみを示せ、と。

かくて聖人たちは、すべてを神の御旨に委ねつつ、他の者たちによって加えられた過ちと苦難を赦し、静かで穏やかな心をもってこれらを受け入れたのである。ダビデのごとくに。彼はシメイの呪いを、自らの罪を罰しようと望まれた神の御旨に帰し、それゆえシメイが罰されることを望まなかった。またマカバイ人たちのごとくに。彼らは自らの苦難を、神より受け取ったものとして、神の懲らしめとして担った。ソフロニウスが伝えるところによれば、ある修道院長に対して弟子が不注意によりきわめて苦い香草を食卓に出したことがあった。修道院長はこの件を隠した。後に弟子が同じ香草を味わった時、自分の過ちに気づき、赦しを請うた。修道院長は彼に言った、「汝が私にそのような食物を出したのは、神の御旨であった。もし神が異なることを望まれたならば、汝をして別のものを準備させたもうたであろう」と。なぜならこれは偉大なる謙遜、神の御旨への委託と適合の業であり、人間と御使いの完全性はこれに存するからである。

異教徒のピュタゴラスもこれをおぼろげに見ていた。彼はその倫理の黄金の詩句と戒めの中で、最初の位置にこれらのことを置いた。「神々の遣わしたまうがゆえに人の子らが被るいかなる悲しみも、/汝の運命がこれを負わせたのであれば、これを忍んで拒むな、/されどその癒しをないがしろにしてはならぬ。」


第二十節:「汝らは我に対して悪を企てた」

「汝らは企てた」のみである、なぜなら汝らは、単なる人として我に対して企てたことを、神が我を守りたもうたゆえに、成し遂げることができなかったからである。


第二十一節:「優しく穏やかに」

ヘブライ語では「彼は彼らの心に語った」と読む。信徒たちよ、ここに見よ。君主たちは、ヨセフの、すなわちキリストの優しさと穏やかさを見、これに倣え。キリストはこう言われる、「我に学べ、我は心において柔和にして謙遜なればなり」と。

皇帝アレクサンデル・セウェルスは寛大であった。彼の母と妻は彼をこのことで責めて言った、「あなたは皇帝の威厳をより柔らかく、より軽んじられるものとしてしまわれた」と。彼は答えた、「だがより安全で、より長続きするものである」と。

皇帝コンスタンティウスはある乙女をさらった者たちを追放した。その両親は彼らが死をもって罰されなかったことに憤った。その時彼は言った、「この点までは寛大さの法を咎めさせよ。だが皇帝たるものは、最も穏やかな精神の法によって他の者に勝ることがふさわしいのだ」と。

同様に、シャルルマーニュ(カール大帝)は、娘が彼の秘書エギンハルトと淫行を犯した時、両者は死に値したにもかかわらず、いずれも死をもって罰することなく、両者を婚姻によって結びつけた。リプシウスはこのことを『政治的訓告』第二巻第十二章第十二項において詳しく述べている。

オーストリアの皇帝ルドルフは、厳しかったところから穏やかになって言った、「私は時に厳しく過酷であったことを後悔したことがある。だが寛大で赦すことについては、決して後悔したことがない」と。

ある人物がルイ十二世に、あるオルレアン市民の財産を求めた。この人物は、ルイがまだオルレアン公にすぎず、フランス王シャルル八世と不和であった時、ルイの最も激しい敵であった者である。ルイはまことに王にふさわしい精神をもって彼に答えた、「他のことを我に求めよ。さすれば汝の功には報いがあろう。あの者のことは忘れよ。なぜならフランス王はオルレアン公の侮辱に復讐しないからである」と。あたかもこう言うがごとくであった。王となった今、我は我が公爵時代に受けた侮辱に復讐しようとは思わぬ、と。

アラゴン王アルフォンソは、パノルミタヌスが証するところによれば、なぜすべての人、悪しき者にさえ穏やかであるかと尋ねられた時、こう答えた、「正義は善き者を、寛大は悪しき者を味方につけるからである」と。民が彼の過度の寛大さについて不平を鳴らした時、彼は言った、「それでは、熊や獅子に支配させよというのか。寛大さは人間に属し、凶暴さは獣に属する。我は、自らの厳しさによって少数の者を滅ぼすより、自らの寛大さによって多くの者を救いたい」と。ある者が彼に反論した、寛大さがあなたの破滅にならぬようご注意召されよ、と。彼はこれに答えた、「いな、むしろ我は多くを耐え忍ばねばならぬ。怨みに陥ることのないように」と。同じ王が、何が最も敵対者たちの心を動かしたかと尋ねられた時、こう答えた、「赦しと優しさの評判である」と。

同じ王が、軍勢を整えてヴェネツィア人らに向かって進軍した時、彼らが出迎えて謙ってひざまずき平和を請い、彼の部下たちはそこから得られるものをすべて絞り取ろうと望んだ。だがアルフォンソは答えた、「我は平和を許すことに対して、我の前にひざまずいて倒れた敵たちに平和を与えること以外の報いを考えていない」と。オウィディウスが正しく言うとおりである、「人間にふさわしい喜びは、仲間の人間を救うことである、/またいかなる技によっても、これよりすぐれた恩恵は求められない。」

今やわれらはベルギーにおいてこれを見る。


第二十二節:ヨセフは百十年生きた

これがヨセフの生涯の長さである。ヨセフは十六歳の時、ヤコブの百七年目、世界の年2216年に兄弟たちによって売られた。彼は十三年間奴隷と牢獄に耐えた。牢獄より出されて、三十歳の時、父の百二十一年目、世界の年2230年にエジプトの統治者となった。彼は父ヤコブをエジプトに呼び寄せ、三十九歳の時、父の百三十年目、世界の年2239年にそこで喜んで父を迎え入れた。それは彼の栄達と支配から九年目、イサクの死後十年目であった。ヨセフは百十歳の時、栄達より八十年目、父の死より五十四年目、世界の年2310年に死んだ。これはモーセとヘブライ人らがエジプトから出発する百四十四年前のことである。

道徳的に、聖ヨハネ・クリソストモスは説教第六十七――これが彼の最後の説教である――においてこう言っている、「汝らは見たか、いかに報いが労苦よりも大いなるものであり、報酬がより豊かであるかを。なぜなら彼は十三年間奴隷と牢獄に耐えたが、八十年間王国を治めたのである」と。

「マキルの子らもまた。」――「子ら」とは、すなわち子、ということである。なぜならマキルはただ一人しか子をもうけなかったからであって、これは数のエナラゲ(転用)である。聖アウグスティヌスがそう言っている。

「彼の膝の上で生まれた」――すなわち、ヨセフはマキルの子が生まれるやいなや自らの子として養子に迎え、それゆえに彼を自らの膝の上に置いて受け入れたのである。ラケルが第三十章第三節において行ったのと同じく。


第二十四節:「我が骨を汝らと共に携え行け」

「我が骨を汝らと共に携え行け」――それは我が、父、祖父、曾祖父と共に、神により我らに約束された地カナンに葬られるためである。第四十七章第二十九節および第三十節で述べられたことを見よ。これがパウロがヘブライ人への手紙11章22節で述べていることである、「信仰によってヨセフは、死に臨んで、イスラエルの子らの出立について語り、自らの骨について命じた」と。

しかし彼がこれを行ったのは軽率にではない、と聖ヨハネ・クリソストモスは言う。彼には二つの目的があった。第一に、エジプト人らが彼の恩恵を覚え、その慣習に従って容易に人々を神としてしまうので、義人の遺体を不敬虔の機会としないためである。第二に、彼らが必ずや戻ることについて全く安心し確信するためである。「そして一つの新しい驚くべきことが見られた。エジプトにおいてイスラエル全体を養った者こそが、彼らの帰還の指導者となり、彼らをイスラエルの地に導き入れる者となるであろう、ということを」。イスラエル人らはヨセフに対してなした約束を守った。なぜなら、彼らはエジプトから出立したとき、ヨセフの骨を共に携え出し、これをカナンに運び、シケムに葬ったからである。ヨシュア記24章32節に記されているとおりである。

神秘的な意味において、ラバヌス・マウルスは言う、「ヨセフはエジプトの地に住まうことを嫌い、約束の地を切望した。それは、我らがこの寄留の地にいる限り、正しき者に約束された真の祖国、生ける者の地を望み、死後にそこに移されることを願うためである」と。それゆえ我らもしばしば、詩編作者と共にため息をついて言うべきである、「ああ、我が寄留の長きこと。我はケダルの住民のもとに住まえり。我が魂は主の庭を慕い、焦がれ倒れる」と。

ヨセフとヤコブの死に際の助言と願いと同じく――すなわち敬虔にして天的なるもの――であったのは、他の族長たちと聖人たちの臨終の言葉である。モーセの申命記31章および32章、ヨシュア記24章、ダビデのサムエル記下22章および23章、エリシャの列王記下13章、マタティアのマカバイ記一2章におけるがごとくである。


聖人たちおよび敬虔なる人々の臨終の言葉

かくして聖バシリウスは死に際し、周りに集まった者たちを聖なる教えをもって教え導き、「主よ、御手に我が霊を委ねまつる」と言って、喜びのうちに息を引き取った。聖グレゴリオス・ナジアンゾスがその証人である。演説第二十を見よ。

聖アンブロシウスは死に際し言った、「我は、汝らのあいだにて生きることを恥じ入るほどの生き方はしなかった。また死ぬことも恐れない、なぜならわれらには善き主がおわすからである」と。

聖アウグスティヌスは死に際し言った、「材木や石が朽ち、死すべき者が死ぬのは、不思議なことではない」と。

聖ヨハネ・クリソストモスは、流刑の地にて大いなる苦しみのうちに、死の少し前に教皇インノケンティウスに書き送って言った、「我らは今や流刑の第三年目にあり、疫病、飢饉、戦争、絶え間ない襲撃、言い表せぬほどの孤独、日ごとの死、イサウロイ人らの剣にさらされている」と。ついにこれらによって衰え果て、死に際し彼は言った、「主よ、すべてのことにつき御身に栄光あれ」と。ニケフォロス『歴史』第十三巻第三十七章が伝えるとおりである。

聖マルティヌスは死に際し、目と手を天に向け、決してその不屈の精神を祈りから緩めなかった。司祭たちが身体を横向きにして楽にするよう願った時、彼は言った、「我を天の方に向けさせよ、地の方ではなく。そうすれば、主のもとへと旅立とうとする我が霊は上に向けて導かれるであろう」と。そう言うと彼は悪魔がかたわらに立っているのを見、これに向かって言った、「汝、血に染まる獣よ、ここで何をしているのか。汝は我に何も致命的なものを見いださぬであろう。アブラハムの懐が我を受け入れるであろう」と。シュルピキウスが伝えるとおりである。

聖フルゲンティウスは極めて重い病に襲われて言った、「主よ、今は忍耐を、後には赦しを我に賜え」と。そして民に自らの過ちの赦しを乞い、残っていた金銭を貧者に分け与えて、この世を去った。

聖グレゴリウスは死の間際、貴婦人ルスティカナに書き送って言った、「魂の苦さ、絶え間ない苛立ち、痛風の苦しみが我を責め苛んでいる。そのため我が身体は墓の中のごとくに干からびてしまった。それゆえ我のために祈ってくださるようお願いする。我がこの牢獄より早く出されるように」と。

聖ヒラリオンは、聖ヒエロニムスが伝えるところによれば、死に際し言った、「出で行け、我が魂よ、何を恐れるのか。何をためらうのか。汝はほぼ七十年の間キリストに仕えたのに、死を恐れるのか」と。

聖ベルナルドゥスは死に際し言った、「我は人生において次の三つのことを守ってきたのであって、これらを汝らに勧める。第一に、我は自らの判断を他者の判断ほどには信頼しなかった。第二に、侮辱を受けたとき、我を侮辱した者に対して復讐を求めなかった。第三に、決して誰にもつまずきを与えることを望まなかった。そしてもしそのようなことが起これば、できる限りこれを鎮めた」と。

聖ベルナルドゥスの兄ゲラルドは死に際し言った、「天より主を賛美せよ、いと高き所にて主を賛美せよ」と。

カスティーリャ王フェルディナンドは死に際し言った、「主よ、我が御身より受けしこの王国を、我は御身にお返し申し上げる。願わくは我を永遠の光の中に置きたまえ」と。

シチリア王カールは死に際し言った、「ああ、人々のむなしき思いよ。王国が今、我に何の益となるか。貧しい者でいたほうが、王でいたよりもどれほどよかったことか」と。