コルネリウス・ア・ラピデ

創世記 第三十三章


目次


本章の概要

ヤコブはその謙譲と贈り物によって兄エサウをなだめ、味方につける。次に、第十七節において、彼はスコトおよびサレムに住み、自らの解放者なる神に祭壇を築く。


ウルガタ本文:創世記33章1-20節

1. ヤコブは目を上げると、エサウが四百人の者を率いて来るのを見た。そこで彼はレアとラケル、および二人の女奴隷の子らを分け、2. 二人の女奴隷とその子らを先頭に、レアとその子らを次に、ラケルとヨセフを最後に置いた。3. そして彼自身は先に進み出て、兄が近づくまで、地に顔を伏せて七度身を低くした。4. するとエサウは兄弟を迎えに走り寄り、彼を抱きしめ、その首を抱えて口づけし、泣いた。5. そして目を上げて女たちと子らを見て言った、「これらの者は何の意味があるのか。お前に属するのか」。彼は答えた、「神があなたの僕に賜った子らです」。6. 女奴隷たちとその子らが近づいて身を低くした。7. レアもまた子らとともに近づき、同じように身を低くし、最後にヨセフとラケルが身を低くした。8. エサウは言った、「私が出会ったあの群れは何か」。彼は答えた、「わが主の前に恵みを得るためです」。9. しかし彼は言った、「私には多くのものがある、わが兄弟よ、あなたのものはあなたのものとせよ」。10. そこでヤコブは言った、「どうかそうなさらないでください。もし私があなたの目に恵みを得たのであれば、私の手からこのささやかな贈り物をお受け取りください。なぜなら私は、神の顔を見るかのごとくあなたの顔を見たのですから。私に好意を示してください。11. そして私があなたのために携えてきた祝福の品をお受け取りください。これはすべてを賜る神が私に与えてくださったものです」。彼は兄の強い勧めによってようやくこれを受け取り、12. 言った、「共に進もう、そして私はあなたの旅の道連れとなろう」。13. するとヤコブは言った、「わが主よ、ご存じのとおり、私は幼い子らを抱え、乳を飲ませている羊と牛を連れています。もし一日で過度に追い立てるならば、すべての群れは死んでしまいます。14. わが主よ、どうかその僕の先に進んでください。私は子らが歩ける具合を見ながら、セイルにいるわが主のもとに着くまで、ゆっくりとその後を追いましょう」。15. エサウは答えた、「頼む、私とともにいる者のうち、少なくとも数人をあなたの旅の伴としよう」。彼は言った、「その必要はありません。わが主よ、私はただあなたの目に恵みを得ることだけを求めます」。16. こうしてエサウはその日、来た道をセイルへと帰った。17. ヤコブはスコトへ来て、そこに家を建て、天幕を張り、その場所の名をスコト、すなわち「天幕」と呼んだ。18. そして彼はシリアのメソポタミアから帰った後、カナンの地にあるシケム人の町サレムへと渡り、その町の傍らに住んだ。19. さらに彼は天幕を張った畑の一部を、シケムの父ハモルの子らから百匹の子羊で買い取った。20. そしてそこに祭壇を築き、そのうえにイスラエルの最も力ある神を呼び求めた。


第三節:彼自身は先に進み出て

3. 彼自身は先に進み出て。ヘブライ語では vehu abar lipnehem、すなわち「そして彼自身は渡った」あるいは「彼らの前に進み出た」である。ここから明らかなように、ヤコブは家畜と僕の第一の群れに続いて、妻子の第二の群れの前に父また導き手として進み出て、彼らのために危険と死に身を差し出したのである。


第三節:七度身を低くした

地に顔を伏せて身を低くした──ある者たちが考えるように神に対してではなく、兄エサウに対してである。したがってヤコブが身を低くしたのは、すなわち聖なる、または神的な崇敬ではなく、人間的・社会的な敬意を兄に示したのであって、短い間隔を置きつつ、兄のもとに至るまで七度、地に身をかがめたのである。ここから学ぶべきは、権勢ある者、猛き者の傲慢と怒りは、謙遜な服従ほど効果的にこれを打ち砕くものはないということである。すなわち──

「心広き獅子にとっては、屍を地に伏させれば十分である。敵が倒れ伏したとき、戦いはその終わりを迎える。」──オウィディウス。

聖ヨハネ・クリソストモス『説教58』を参照せよ。

ソフロニオスが『霊的牧場(プラトゥム・スピリトゥアーレ)』第210章で述べるところによれば、かの聖なる司教はもう一人の司教──自分と自分の民に対して重大な侮辱を加えた者──を、次のようにして屈服させた。すなわち、「彼はその全聖職者とともにその者の足もとにひれ伏して言った、『主よ、我らをお許しください。我らはあなたの僕です』。すると、司教のかくばかりの謙遜に驚き心動かされた彼は、その者の足を抱えて言った、『あなたこそ私の主であり父です』。そして謙遜なる司教は自らの聖職者らに言った、『我らはキリストの恩寵によって勝ったのではないか。だから、あなたがたも敵を持つときには同じようにしなさい。そうすれば勝利する者となるであろう』。」同様の例はこの書の最終章にあり、もう一つはその前の章にある。それゆえ、柔らかく、優しく、謙遜な答えは怒りを打ち砕くのであり、知者が言うとおりである。

寓意的には、聖キュリロスが『グラフィラ(典雅なる注釈)』第五巻で述べる。ヤコブはキリストである。キリストはまずラバン、すなわち異邦人と和解し、次にエサウ、すなわちユダヤ人と和解する。異邦人の充満が入るとき、そのときこそすべてのイスラエルはキリストに立ち返り、救われるであろう。

七度。なぜ七度か。聖アンブロシウスは『ヤコブについて』第二巻第六章で寓意的に答える。すなわち、彼はキリストを仰ぎ見ていたからである。「キリストは、兄弟に対して七度までではなく、七の七十倍までも赦しを与えるべきことを命じられた、マタイ18。それは、エサウがこのキリストの観想によってその兄弟と出会い、受けたと思っていた侮辱を兄弟に赦し、傷つけられたにもかかわらず恵みに立ち返るためであった。なぜなら、主イエスがまさにそのために肉をとってこの地に来られ、私たちに罪の赦しを幾重にも賜ろうとされたからである。」


第八節:恵みを得るために

8. 恵みを得るために──すなわち、私はこれらを最も愛すべき最も敬うべき兄弟への贈り物として先に送り、あなたの好意を得て、あなたが私に対して好意的となり、過ぎ去ったすべてのことを忘れてくださるためである。

どうかそうなさらないでください──私の差し出すものを拒まないでください、の意。


第十節:ささやかな贈り物

10. ささやかな贈り物。ヘブライ語では mincha、すなわち、服従のしるしとして、また相手の卓越を証しするために、神または君主に献げられる贈り物を意味する。


第十節:あなたの顔を神の顔として見た

なぜなら私は、神の顔を見るかのごとくあなたの顔を見たのですから──すなわち、臆し不安に満ちていた私にとって、予期せぬあなたの顔の温和と優しさ、しかもかくも大いなる尊厳と卓越を伴ったそれは、神の顔、あるいはある徴によってその助けと臨在を示す天使の顔と同じほど喜ばしく畏敬に値するものであった。これは通俗に「機械仕掛けから現れる神(デウス・エクス・マキナ)」と呼ばれるものである。アブレンシスはこう述べており、聖ヨハネ・クリソストモスも『説教58』で、「人が神の顔を見るであろうほどの喜びをもって、私はあなたの顔を見た」と言う。七十人訳も実際にそのように訳している。ヘブライ語の Elohim(エロヒム)は神をも天使をも意味するからである。

この術によって、インドの賢き王タクシレスはアレクサンドロス大王を懐柔し、敵を友に変えたのであった。というのも、彼はアレクサンドロスに挨拶してこう言った──「我々の間に戦いの必要がどこにあるのでしょうか。あなたは私たちの水や必要な糧を奪いに来たのではないのですから。それらのためだけに、理性ある者たちは争わねばならぬのです。もし私が他の富において勝っているならば、喜んであなたに分かちましょう。もし劣っているならば、感謝をもってあなたからの恩恵を受けることを拒みません」。この言葉に喜んだアレクサンドロスは彼を抱いて言った、「かかる礼節をもって争いを逃れようと思っているのか。それは誤りだ。なぜなら私は、あなたが寛大さにおいて私を凌がぬよう、恩恵をもって競い合うからだ」。こうして彼は多くの贈り物を受け取り、さらに多くを与え、最後には千タラントの鋳造された銀を彼に贈った──と、プルタルコスは『アレクサンドロス伝』で述べている。

同じアレクサンドロスは、戦争で捕らえたダレイオスの妻と娘たちに対して慈悲深く寛大であった。それゆえ敗れたダレイオスは、この恩をアレクサンドロスに報いるために自らの帝国を返してくださるよう神々に願い、あるいは、ペルシア帝国を終わらせることが神々の御心であるならば、他の誰でもなくアレクサンドロスにこれを移してくださるよう願った。これも同じプルタルコスの証言するところである。

見よ、と聖ヨハネ・クリソストモスは言う、ヤコブはいかに柔らかく気高い言葉によって兄の激しい心を和らげていることか。「柔和ほど強いものはない。なぜなら、激しく燃え上がる薪の山に水を注げばこれを消すごとく、柔和をもって語られる言葉は、炉よりも激しく燃える心をも消し去る。そしてそこから二重の益が私たちに生じる。すなわち、私たちが柔和を示すことと、兄弟の怒りをやめさせて、その心を動揺から解き放つことである。火は火によって消すことはできず、怒りは怒りによって和らげることはできない。火に対して水がそうであるように、怒りに対しては柔和と穏和こそがそうなのである」。こうしてエステルもまたアハシュエロスに、第15章16節(添加部、ギリシア語本)で、「わが主よ、私はあなたを神の天使のようにお見受けしました」と言い、メフィボシェトもダビデに、「わが主、王は神の天使のようなお方です」と言ったのである。


第十節:私に好意を示してください

私に好意を示してください。私がこのことから結論するのは、もしあなたが私の祝福の品と、私があなたに差し出す謝礼を軽んじないならば、あなたが私に対して好意的で恵み深いお方であるということである。


贈り物を意味するヘブライ語「祝福」について

注:ヘブライ人は贈り物ないし献呈物を「祝福」と呼ぶ。彼らはこれを神から受け取り、これをもって他者を祝福する、すなわち自らの施与によって善を行うのである。コリントの信徒への手紙二9章5-6節で述べた事柄を参照せよ。


第十二節:共に進もう

12. 共に進もう──少なくともわがイドマヤの地方まで、ということである。


第十三節:乳を飲ませている

13. 乳を飲ませている──すなわち授乳中の、ということである。

すべて──すなわち多く、ほとんど、の意味である。誇張法である。


第十四節:セイルにいるわが主のもとへ

14. セイルにいるわが主のもとへ。ヤコブは今このようにしようと考えていたが、後に思い直した。それは、エサウが自らの臨在に刺激されて古い事柄を再び思い起こし、以前の訴えを新たにし、怒りを再燃させることを恐れたからである。とりわけ、兄がやって来る弟を歓待と食卓で迎え、酒で熱くなった場合を恐れたのである。聖アウグスティヌスは『創世記問題』第106問でこう述べている。


第十七節:スコト

17. スコト。この場所は当時はまだそう呼ばれていなかったが、のちにスコトと呼ばれるようになった。それはヤコブがそこに張った天幕にちなむ名であり、のちにそこに町が築かれて同じくスコトと呼ばれた。この町はガド族の領内にあり、ヤボクとスキトポリスの近くに位置している。聖ヒエロニムスが『ヘブライ地名集』においてそう述べている。

家——すなわち天幕、あるいは小屋のことである。


第十八節:シケム人の町サレム

18. そしてシケム人の町サレムに至った。カルデア訳、カエタヌス、オレアステルは「サレム」を固有名詞ではなく普通名詞として解し、「彼は無事にかつ健やかに(これがサレムの意味である)シケムに到着した」と訳している。しかし七十人訳もわれわれのウルガタも、「サレム」を土地の固有名詞として受け取っている。というのは、サレムはかつてシケムと呼ばれ、ヨハネ4:5では誤ってシカルと呼ばれたその町だからである。ヘブライ人たちは、ヤコブがそこで足のなえから癒されたゆえに「サレム」と呼ばれたと言っている。第32章25節について述べたとおりである。


彼はその町の傍らに住んだ

彼はその町の傍らに住んだ。ヤコブはここに約九年ほど住んだと思われる。なぜなら、シメオンとレビがメソポタミアからここに来たときには約11歳であったが、のちに次章において、彼らはディナの凌辱のゆえにシケムを滅ぼしたからである。したがって彼らはその時にはすでに20歳ほどになっていた。


第十九節:ハモルの子らから

19. ハモルの子らから。ハモルはシケム人たちの首長であり、ゆえにシケム人たちは彼の子ら、すなわち彼に服する者たちと呼ばれている。というのは、まことの首長はその民の父だからである。かくのごとく、ナアマンの僕たちはその主人を「父」と呼んでいる(列王記下5:43)。しかしここでハモルはシケムの父と呼ばれており、実際、次章第2節より明らかなように、彼はシケムの本当の父であった。したがってここでは「ハモルの子ら」を文字通りに解するほうがよい。すなわちシケムの兄弟たちと理解すべきである。

シケムの父。あなたは言うであろう、「使徒言行録7:16には『シケムの子ら』とある」と。私は答える。おそらくそこでは「子ら」を「シケムの父」に置き換えるべきであり、それは本節のとおりである。聖ヒエロニムスもそのように読んだと思われる。パンマキウスへの書簡においてそう書いている。あるいは確かに、ベーダが主張するように、シケムは二人いた。一人はハモルの父、もう一人はハモルの子である。ゆえにギリシア語本文は区別なくトゥ・シュケムとしている。もっともそれは通例、子のシケムについて解されるのが常である。さらに付け加えるなら、使徒言行録7章において聖ステファノはアブラハムの名を挙げており、ゆえに彼はここでのヤコブの購入についてではなく、創世記23:36におけるアブラハムの購入について語っていると思われる。この問題については使徒言行録7章のところでさらに論じる。


百匹の子羊で

百匹の小羊。「小羊」にあたるヘブライ語はkeshitahであり、より新しい学者たちはこれを貨幣と訳している。しかし聖ヒエロニムス、カルデア訳、リラヌス、パグニヌス、ウァタブルス、オレアステル、アベン・エズラはこれを小羊と訳している。ゆえに七十人訳もまたamnon(小羊)と訳している。エウグビヌスはこれを誤ってmnan、すなわちミナ、あるいは貨幣と読んでいる。

あなたは言うであろう、「keshitahはアラビア語で貨幣を意味する、ゆえにヘブライ語でも同じ意味である」と。

私は答える。その結論を否定する。というのは、ラビたちがヘブライ語の単語の意味をアラビア語から探し出し借用するとき、彼らは誤っているからである。オレアステルが正しく指摘しているとおりである。

あなたは第二に言うであろう、「聖ステファノは使徒言行録7:16において、この畑は百匹の小羊によってではなく、銀の代価によって買われたと述べている」と。

私は答える。「銀の代価によって」とは、すなわち正しい価格でという意味である。というのは、銀あるいは貨幣の名によって、われわれはあらゆる富を表すのであり、その富は古くは羊や家畜のうちにあったからである。ゆえにpecunia(貨幣)はpecus(家畜)あるいはpecuから派生している。それゆえに最初の青銅貨には家畜の像——すなわち羊、豚、牛——が刻まれていた。プルタルコスが『プブリコラ伝』において、またプリニウスが『博物誌』第33巻第3章において証言しているとおりである。ゆえに貨幣の名によって(ヘルモゲニアヌスが『学説彙纂(ディゲスタ)』の「言葉の意義について」の巻の法pecuniaにおいて述べているとおり)、単に硬貨、すなわち数えられる金銭のみならず、あらゆる物——固体のものも動産も、物的対象も法的権利も——が含まれる。

私は第二に答える。ピネダに従って、百匹の小羊あるいは羊によって100枚の貨幣を理解することも可能である。その貨幣が小羊あるいは羊と呼ばれるのは、先に述べたとおり、それらに羊の像が刻印されていたからである——ただし貨幣の鋳造がそれほどまでに古いならばの話である。というのは、古代の人々は刻印のない貨幣を用いていたことが確定しているからである。さらに付け加えるなら、先に述べたごとく、聖ステファノはここでのヤコブの購入についてではなく、アブラハムによる別の購入について語っている。

あなたは第三に言うであろう、「創世記48章の終わりでは、ヤコブはこの畑を自分の剣と弓によって取ったと述べられている」と。

聖ヒエロニムスは答えている。この平和な人の武器とはこの支払い、すなわち百匹の小羊の代価であった、と。そして美しいことに、ヘブライ語ではkesheth、すなわち「弓」がkeshitah、すなわち「小羊」に通じているのである。しかしこの箇所については創世記48章において論じる。


第二十節:イスラエルの最も力ある神を呼び求めた

20. そして彼はそのうえでイスラエルの最も力ある神を呼び求めた。ヘブライ語ではvayikra lo el elohe Yisraelであり、これは二通りに訳すことができ、二つのことを意味する。そしてヤコブはそのいずれをも行ったのである。第一に、「そして彼はそのうえで(カルデア訳は「犠牲を捧げた」と訳している)イスラエルの最も力ある神を呼び求めた」である。というのは、七十人訳、カルデア訳、およびわれわれのウルガタはそう訳しているからである。祭壇はもともと犠牲と祈願のために建てられるのである。第二に、「そして彼はそれ(祭壇)をイスラエルの力ある神と呼んだ」である。これこそヘブライ語のloが本来意味するところである。ここからヤコブがこの祭壇で礼拝し犠牲を捧げただけでなく、それを神に奉献し、聖別し、銘を刻んだことが明らかになる。ゆえにヤコブはこの銘を祭壇に刻んだのである。すなわちEl Elohe Yisrael、すなわち「イスラエルの最も力ある神」、あるいは「イスラエルの最も力ある神に捧ぐ」である。祭壇そのものが神であるという意味ではなく、カエタヌスが述べるとおり、その祭壇がイスラエルの力ある神に奉献され銘を刻まれたという意味である。というのは、ヤコブは神をその力ゆえにElと呼び、エサウやラバン、その他の敵たちに対して神から彼に示された摂理、統治、正しい庇護のゆえにElohimと呼んでいるからである。

ヤコブは同様の銘をベテルの祭壇にも与え刻んだ(創世記35:7)。同様にルベン族は自分たちの祭壇を「主こそ神である、我らの証し」(ヨシュア記22章、最終節)と呼んだ。同様にギデオンは自分の祭壇を「主は平安」(士師記6:24)と呼んだ。同様にまた異邦人たちは祭壇を、勝利者ユピテルに、救いのミネルヴァに、解放者アエスクラピウスに、などと奉献し銘を刻んでいた。ヤコブも同じやり方で、ここで彼の解放者、導き手、案内者である神への感謝のしるしとして祭壇を建て銘を刻んでいる。

イスラエルの神——すなわちヤコブの神である。ヤコブはイスラエルと呼ばれた。第二に、ヤコブの子孫、すなわちイスラエル人の神である。その子孫の中で、神ご自身がElすなわち最も力ある者として、またElohimすなわち審判者また復讐者として支配し、カナン人、ペリシテ人、その他の敵たちから彼らを守り、仇を報いてくださる。それはちょうど神がヤコブを守り、仇を報いてくださったとおりである。この神は父なる神、子なる神、聖霊なる神であるが、特に子なる神であって、この方はヤコブから生まれ、人となり、ゆえに「彼はヤコブの家を永遠に治める」(ルカ1:33)のである。というのは、その御名のうちの一つがEl、すなわち「力ある神」(イザヤ9:6)だからである。


道徳的教訓:なぜ神は聖徒を試練によって鍛えられるのか

道徳的には、この章から、そしてヤコブ、ヨセフ、アブラハム、イサクの生涯全体から明らかなように、神はご自分の僕たちと友たちをさまざまな苦難と迫害によって訓練されるのである。それは彼らを徳と栄誉の栄光へと進ませるためである。というのは、火が金に対し、やすりが鉄に対し、唐箕が麦に対し、灰汁が布に対し、塩が肉に対してなすこと——それを苦難は義人たちに対してなすからである。焼灼は傷のように見えるが、実際は傷の治療である。同様に、苦しみは悪のように見えるが、実際は諸悪と神の恩寵の治療である。このゆえに主はパウロに答えられた。「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中で完全に現れる」と。

ここから信徒たちは第一に、苦難が神の憎しみのしるしではなく、その愛のしるしであることを学ぶがよい。なぜなら、それらは選びと神の子たる身分のしるしだからである。ゼカリア自身もそう言っているのである(13:9)。「銀のように彼らを火で試し、金のように彼らを試す」。また黙示録3:19。「私は愛する者を叱り、懲らしめる」。また使徒はヘブライ人への手紙12:6において。「主は愛する者を懲らしめ、受け入れる子をすべて鞭打たれる」。また知恵の書3:6。「るつぼの中の金のように彼らを試し、全焼の犠牲のごとく受け入れられた」

彼らは第二に、苦難は試される者を害するのではなく、かえって浄め、完成することを学ぶがよい。ゆえにヨブ記23:10。「彼は私を試された。火を通る金のように」。またダビデは詩編17:3で言う。「あなたは私の心を試され、夜に訪れてくださった。あなたは火をもって私を吟味され、私のうちに不義は見出されなかった」。またシラ書26:6。「坩堝は陶工の器を試し、苦難の試練は義人を試す」

まことにこのゆえに福者アンティオコスは『説教78』において言っている。「蝋は、あらかじめ温められたり柔らかくされたりしなければ、容易には印章の押印を受け取らない。それと同じく人もまた、労苦と多様な虚弱さの訓練によって試されなければ、神の恩寵の印によって刻印されることを決して許さないであろう」。そしてそれを通してわれわれはより良きものを愛することを教えられる。聖アウグスティヌスは『命題集』命題186においてこう述べている。「故郷に向かう旅人が、家の代わりに宿を愛することのないように」と。

彼らは第三に、災いは忍耐を拒む者たちを滅ぼすが、それを抱きしめる者たちを守ることを学ぶがよい。なぜなら、忍耐強く耐え抜かれた苦難は天の門だからである。ゆえにキリストについてルカ24:26にこう言われている。「キリストはこれらの苦しみを受けて、栄光に入るべきではなかったか」。パウロとバルナバも使徒言行録14:21(新共同訳14:22)で言う。「多くの苦難を経て我々は神の国に入るべきである」。それに対して、この世の繁栄と幸福は地獄の門である。このゆえに神はそれを悪しき者たちに与えるが、敬虔な者たちや徳において強き者たちを、さまざまな十字架によって訓練し、諸々の災いの厳しい狭き道を通って不死の生命へと導かれるのである。というのは、彼ら自身が詩編66:10でこう言っているからである。「神よ、あなたは私たちを試され、銀が吟味されるように、火をもって私たちを吟味された」。またキリストはマタイ5:5でこう言われる。「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる」、また「義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」。こうして族長たち、こうしてマカバイたち、こうして殉教者たちや信仰のその他の英雄たちは、迫害、牢獄、打擲、拷問台、殉教、火によって訓練され、より清く、より強く、より輝ける者となって現れ、その名を天と不死に献げたのである。