コルネリウス・ア・ラピデ

創世記 第三十四章


目次


本章の概要

ディナはシケムによって捕らえられ、凌辱される。それゆえ第十三節において、ヤコブの子らはシケムと欺瞞の契約を結び、彼とその民が割礼を受け、しかる後にディナを娶るべきことを要求する。ここから第二十五節において、シメオンとレビは割礼の痛みに苦しんでいたシケム人を襲い、これを虐殺する。これはヤコブの第四の試練にして十字架である。


ウルガタ本文:創世記34章1-31節

1. さて、レアの娘ディナは、その地方の女たちを見るために出て行った。2. ヒビ人ハモルの子にしてその土地の君主であったシケムは、彼女を見て恋に落ち、彼女を捕らえ、共に臥し、処女を犯した。3. そして彼の魂は彼女に結ばれ、彼はその悲しみを優しい言葉で慰めた。4. 父ハモルのもとに行って言った、「この娘を妻として私に迎えてほしい」と。5. ヤコブはこれを聞いたが、息子たちは不在で群れの世話にあたっていたので、彼らが戻って来るまで沈黙を守った。6. ハモル、すなわちシケムの父がヤコブに話すために出て来たとき、7. 見よ、彼の息子たちが野から帰って来た。そして起こったことを聞いて、彼らは激しく憤った。というのは、シケムがイスラエルにおいて恥ずべきことをなし、ヤコブの娘を凌辱して、許されざる行いをなしたからである。8. そこでハモルは彼らに語った、「わが子シケムの魂はあなたがたの娘に結ばれた。どうか彼女を彼に妻として与えてほしい。9. そして我らは互いに婚姻を結ぼう。あなたがたの娘を我らに与え、我らの娘をあなたがたに取りたまえ。10. 我らとともに住め。この地はあなたがたの意のままにある。これを耕し、商い、所有せよ」と。11. シケムもまた彼女の父と兄弟たちに言った、「どうか私があなたがたの目に好意を得ますように。あなたがたが定めることは何でも私は与えよう。12. 婚資を増し、贈り物を求めよ。あなたがたが求めるものを私は喜んで与えよう。ただこの娘を妻として私に与えてほしい」と。13. ヤコブの子らは、妹の凌辱のゆえに激怒して、シケムとその父に欺きをもって答えた、14. 「我らはあなたがたの求めることをなし得ない。また我らの妹を割礼を受けていない者に与えることもできない。15. しかしながらこれにおいて我らは契約を結ぶことができる。すなわち、もしあなたがたが我らと同じようになろうとし、あなたがたのうちのすべての男が割礼を受けるならば、16. 我らは互いにあなたがたの娘と我らの娘を与え合い、あなたがたとともに住み、一つの民となろう。17. しかしもしあなたがたが割礼を受けることを望まないならば、我らは我らの娘を連れて去ろう」と。18. 彼らの申し出はハモルとその子シケムを喜ばせた。19. 若者は求められたことをただちに果たすのに遅滞しなかった。なぜなら彼はその娘を大いに愛しており、彼自身もその父の家全体において高名であったからである。20. そして町の門に入り、彼らは人々に語った、21. 「これらの者は平和的であり、我らとともに住むことを望んでいる。彼らにこの地を商わせ、耕させよ。この地は広々として住民を必要としている。我らは彼らの娘を妻に取り、我らの娘を彼らに与えよう。22. これほどの益を妨げるものはただ一つ、すなわち我らが他民族の習慣にならって我らの男たちに割礼を施すか否かだけである。23. そして彼らの財産、家畜、彼らの所有するすべては我らのものとなるであろう。ただ我らがこれに同意し、ともに住むならば、我らは一つの民となろう」と。24. そして皆が同意し、すべての男たちは割礼を受けた。25. 見よ、傷の痛みが最も激しい三日目に、ヤコブの二人の子、シメオンとレビ、ディナの兄弟が、剣を取り、大胆に町に入り、すべての男たちを殺した。26. また彼らはハモルとシケムをも同様に殺し、シケムの家から妹のディナを連れ出した。27. 彼らが出た後、ヤコブの他の子らは殺された者どもに突進し、凌辱への報復として町を略奪した。28. 彼らの羊、牛、驢馬、そして家々と野にあったすべてのものを奪い尽くし、29. その子どもたちと妻たちを捕囚として連れ去った。30. これらのことが大胆に行われた後、ヤコブはシメオンとレビに言った、「あなたがたは私を悩ませ、この地の住民であるカナン人とペリジ人の前で私を憎まれる者とした。我らは少数である。彼らは集まって私を撃ち、私とわが家は滅ぼされるであろう」と。31. 彼らは答えた、「彼らは我らの妹を遊女のごとく扱うことを許されるべきであったのか」と。


第一節:ディナの堕落の機縁

1. さてディナは出て行った——ディナの堕落の機縁はこの外出であった。というのも、女たちの務めは家に留まり、そこで糸を紡ぎ、織り、刺繍に専念することだからである。古代の人々はそうしていた。それゆえローマ人の婚姻において、花嫁が厳かな行列をもって父の家より花婿の家へ導かれるとき、ただちに紡錘と糸を備えた飾られた糸巻き棒が彼女に伴ったのであった。これはブリッソニウスが『結婚の儀式について』においてプルタルコスとプリニウスから教えている通りである。さらにプリニウスは『博物誌』第八巻第四十八章において、この儀礼の原因と起源を次のように記している。「マルクス・ワッロは証言している、タナキル——またカエキリアとも呼ばれた——の糸巻き棒と紡錘と糸がサンゴス神殿に保存され、彼女が作った波紋のある王衣がフォルトゥナ神殿にあり、セルウィウス・トゥッリウスがこれを着用したという。ここから、紡錘と糸を備えた飾られた糸巻き棒が花嫁たちに伴うようになった」と。ディナは糸巻き棒を怠惰に脇に置いたために、外出して自らとシケム人とを破滅させたのである。女たちが家に籠もることについては、私はテトスへの手紙2:5において論じている。

マルティアリスは、貞淑にして厳格でありながら、放浪に身を任せたラエウィナについて、正しく歌った。「彼女はある時はルクリヌスに、ある時はアヴェルヌスに身を委ね、云々。彼女は炎に落ち、夫を捨てて若者に従い、ペネロペとして出で立ちヘレネとなって帰った」と。


男から逃れることについての道徳的教訓

道徳的には、処女たちはここに学ぶべきである。彼女たちは男の目からいかに逃れるべきであるかを——見られることも、見ることも望まぬように。ソフロニオスは『霊的牧場』第百七十九章において、ある処女の物語を伝えている。彼女は求婚者を躓かせないためにこれを逃れ、荒野に退き、そこで十七年間生活した。この逃避のゆえに彼女は神より二重の恩恵を受けた。第一に、彼女はすべての人を見ることができたが、彼女自身は誰からも見られなかったこと。第二に、彼女はわずかな食糧しか荒野に携えず、絶えずこれを食したにもかかわらず、それが減らなかったことである。

同じ著者は第六十章において、ある修道女の驚くべき例を伝えている。彼女は求婚者を逃れつつ、使者を通じて彼に、なぜこれほどまでに彼女を追うのか、また彼女の何に最も心惹かれるのかと問うた。彼が彼女の目に魅せられたと答えると、彼女はただちに自らの目をえぐり取り、これを彼のもとへ送った。彼がそれで満足できるようにである。この行為に驚愕した若者は、その欲望を悔悟と痛悔に変え、誘惑を捨てて修道生活を抱擁したのである。さらに近い例を望むか。聞くがよい。

聖エギディウスは、聖フランシスコの最初の同伴者の一人であったが、兄弟たちの集会で彼らに問うた、「あなたがたは肉の誘惑に対して何をなすか」と。ルフィヌスは答えた、「私は自分を神と至福なる童貞女に委ね、懇願者として地にひれ伏す」と。しかし兄弟ユニペルは言った、「そのような思いを感じるとき、私はただちに『去れ、去れ、宿はすでに塞がっている』と言う」と。これに対して聖エギディウスは言った、「私はあなたに同意する。なぜなら逃れることが最上だからである。というのも、貞潔は澄んだ鏡であり、わずかな眼差しと息によって曇らされるからである」と。

同じ修道会から、兄弟ロジャーは聖なる人であったが、いかなる女をもその顔において見ようとしなかった。自分の母でさえ、すでに老いた女でありながら、見ようとしなかった。なぜかと問われて、彼は答えた、「というのは、人が自分の力のうちにあることをなすとき、神はその側で御自分のことをなし、人を堕落から守られる。しかしもし人が危険に身をさらすならば、ことにかくも滑りやすき事柄においてそうするならば、神は彼を彼自身の力に委ねたもう。その力によって彼は長く抵抗することはできぬ」と。というのは、磁石が鉄を引き寄せるように、彼にとっての「アグネス」(すなわち愛される女)は男を引き寄せるからである。

聖ザビエルはかつて言っていた、女たちに近づくことは、貞潔もしくは評判に対して、利益よりもむしろ大いなる危険を伴うのだと。ここからして我らのイエズス会の、かの賢明にして厳格なる規則がある。すなわち、我らにとって、たとえ敬虔の理由によってであっても、病者と臨終の者を除いては女を訪問することは許されず、しかもそれは起こるすべてのことを証言しうる同伴者とともにでなければならない、というものである。

最後に、ある遊女が聖エフレムに教えたことを聞くがよい。彼は荒野より町へ赴いていた。出会いから何らかの敬虔な教訓を引き出すためであった。一人の遊女が彼に出会い、彼をじっと凝視した。エフレムがその理由を問うと、遊女は答えた、「私があなたを見るのは何の不思議がありましょう。女は男から造られたのですから。しかしあなたは、あなたの母、すなわちあなたがそこから造られた大地に目を注ぎなさい」と。民数記25章末尾においてさらに見よ。

それゆえ聖マルティヌスは賢明にも言った、「女は壁の守りのうちに身を保つべきである。その最初の徳であり最上の勝利は、見られないことだからである」と。これはスルピキウス・セウェルスが『対話』第二において伝えている通りである。


掠奪された時のディナの年齢

ディナ——ディナは捕らえられたとき、およそ十五歳であった。これは、ディナがヨセフとほとんど同じ時に生まれたことから明らかであり、それは創世記30:21および24から明らかである。ところでヨセフは、このしばらく後に売られたのであるが、十六歳であった。これは第三十七章第二節から明らかである。

また、シメオンとレビがその当時およそ二十歳であったことからも明らかである。これについては間もなく論ずるであろう。しかるに彼らはディナとヨセフよりも五歳年長であった。それゆえディナのこの掠奪とシケムの壊滅は、ヤコブがハランを去ってカナンに到着してから約九年後に起こったのであり、ヤコブの生涯の百六歳の年、すなわちラケルの死とベンヤミンの誕生の一年前であった。これについては次章第18節を見よ。


女たちを見るために

女たちを見るために——ヘブライ語ではbanot、すなわち娘たち(娘たち、若い女たち)である。つまりその地方の彼女と同年輩の処女たちのことであり、ヨセフスの言うところを信ずるなら、その時彼女たちは荘厳な祝祭のために多く集まり、盛装していたのである。これがディナの好奇心であり、彼女はこれを掠奪とかくも不名誉な凌辱によって贖ったのである。というのは、テルトゥリアヌスの言うように、「善き処女を公に晒すことは、凌辱を受けることである」からである。

同じことを、悲しいかな、我らは日々目にする。若者たちとともに散歩に出る処女たちは、ペネロペとして出で立ち、ヘレネとなって帰る。処女として出で立ち、女として、いや遊女として帰るのである。


第二節:その土地の君主

2. その土地の君主——君主ハモルの子である。


第五節:彼の魂は彼女に結ばれた

5. 彼の魂は彼女に結ばれた——彼は激しく、絶望的に彼女を愛した。というのは、愛する者の魂は、それが生命を与える場所よりも、むしろそれが愛する場所にあるからである。


第七節:イスラエルにおいて

7. イスラエルにおいて、——ディナの父たるイスラエルに対して、の意である。


第十一節:その父と兄弟たちに

11. その父(すなわちディナの父、ヤコブのこと)と兄弟たちに、——すなわちルベン、シメオン、レビ、およびディナのその他の兄弟たちに、の意である。


第十二節:婚資を増せ

12. 婚資を増せ、——あたかもかく言うがごとし。われはディナが花嫁として婚資を携え来たらんことを求めず、かえってわれ自らが汝らの望むだけ彼女に資産を与えん。しかもそれは、われが彼女を奪い去ったことによって彼女および汝らに加えた損害への償いとしてである。


第十三節:欺きのうちに

13. 欺きのうちに、——彼らは平和を装いつつ、シケム人たちの虐殺を企てるがゆえである。聖トマスは『神学大全』第二部の第二部・第一〇五問第三項において、戦争において計略、すなわち欺瞞を用いることは許されるかと問う。そして彼は答えて言う、正義と与えられた誓約の信義とに反してなされざる限り、それは許される、と。


第十五節:これにおいて契約を結ぶことができる

15. しかし、これにおいて我らは契約を結ぶことができる。——彼らは自らの割礼を主張していたわけではなく、シケム人たちに割礼を課し、かくしてこれを弱めんとしていたのである。


第十七節:もし割礼を受けることを望まないならば

17. しかし、もし汝らが割礼を受けることを望まないならば。——ヤコブの子らはシケム人たちが真に自分たちの宗教に属することを望んでいたのではなく、彼らを弱めて、かくしてより容易に虐殺せんがために割礼を要求したのである。


第十九節:彼は遅滞しなかった

19. 彼は遅滞しなかった——シケムの愛の熱情と激しさに注意せよ。彼はいかなる遅延にも堪え得なかったのである。


第二十一節:これらの者は平和的である

21. これらの者は平和的である。——ここから、ハモルとシケム人たちがユダヤ人の敬虔と宗教への愛からではなく、利益の望みとイスラエル人との通婚への望みから自らに割礼を施したことが明らかである。

彼らにこの地を耕させよ。——農業と牧畜の営みを通してである。


第二十三節:我らのものとなるであろう

23. 我らのものとなるであろう、——相互の婚姻と交易を通してである。


第二十五節:三日目に

25. 三日目に、傷の痛みがもっとも激しきとき。——ヨセフスは、シケム人たちが宴会と酒に耽っている間に、シメオンとレビによって騙し討ちにされたと、誤って述べている。

第二に、カルヴァンは、三日目に傷の痛みがもっとも激しきことを誤って否定する。というのは、カルヴァンが考えるようにシメオンとレビの観点と理解から言われているのではなく、モーセ自身によって、またここなる聖書自身によって、その反対が教えられているからである。すなわち、これこそその言葉なのである。

ヒポクラテスは、その著『骨折について』において同じことを教える。その理由はこうである。第一日には、傷そのものにおける裂開のみが感じられ、それはほとんど続かない。第二日には、粘液が傷の部位に流れ込むが、これは穏やかで柔和な体液である。第三日には、胆汁が同じ場所に流れ込み、これは鋭くかつ熱きゆえに痛みを引き起こす。次いで、血液が激しく流れ込むことにより、炎症、発熱等が続き、これらは二十四時間の内にほとんど鎮まることがない。かくフランチェスコ・ヴァレシウスはその『神聖なる哲学』第十三章において述べている。


シメオンとレビ

シメオンとレビは、――従者の一団を率いる頭領として行動したのであった。他の兄弟たちはこの虐殺に加わらず、事が済んだ後に略奪のために駆けつけたのであって、これは第27節より明らかである。シメオンはそのとき約21歳、レビは20歳であった。聖ヨハネ・クリソストモス、アブレンシス、カエタヌス、ペレリウスはこのように述べており、このことは第1節において述べられた事柄からも知られるところである。


ヤコブの子らは罪を犯したか

あなたはこう問うかもしれない。ヤコブのこの子らは、シケム人に対するこの虐殺を行ったことにおいて罪を犯したのであろうか、と。これを弁護する者たちがいる。彼らは、妹と自分たち自身に加えられた侮辱を、正当な戦争と策略とをもって報復したのだ、と言うのである。というのは、彼らは異邦人であり、いわば別個の共同体を有しており、民の君主であったハモルとシケムを、より高い法廷へ引き出すことはできなかったからである。それゆえ彼らは、これらの者たちに対して戦争の権利を有していたと思われる。なぜなら、戦争と武器以外のいかなる手段によっても、自らに加えられた侮辱を償わしめることはできなかったからである。そしてこの戦争において、彼らは人数が少なかったので、策略として欺きを用いたのであり、こう言うのである。「敵を相手にするとき、欺計か勇敢かを誰が問うであろうか」と。しかし私は答える。彼らは罪を犯したのである。なぜなら、第15節においてシケム人と結んだ契約に反して、彼らを攻撃し虐殺したからである。

それゆえ彼らは罪を犯したのである。第一に、偽りに満ちた破滅的な嘘によってであって、これは第13節より明らかである。第二に、背信によってである。なぜなら、彼らはすでに正当な償いを受けて侮辱を赦しており、契約の、しかも通婚の誓いを与えていたからである。第三に、軽率さと不従順とによってである。なぜなら、怒りに燃える若者として、父の助言と権威なしに、かくも困難かつ危険な事を企てたからであって、父がこの計画を全く喜ばないであろうことを彼らは知っていたのである。それゆえ彼らはまた、戦争の不正によっても罪を犯した。なぜなら、彼らはこの戦争をシケム人に対して、公の権威によらず私的な権威によって行ったからである。この権威は、家の頭であり長であるヤコブに存したのであって、彼の二人の息子たちに存したのではない。第四に、冒瀆によってである。なぜなら、彼らは自らの欺きと不正な虐殺のために割礼を濫用したからである。第五に、残忍さによってである。なぜなら、彼らは三日目にあって苦痛に悩み、ほとんど死にかけている者たちを攻撃したからである。第六に、過度の復讐によってである。なぜなら、彼らはシケムのみならず、町のすべての男たちを殺し、その中には無辜の者も多くいたからである。彼らは子どもたちと女たちを捕囚として連れ去り、すべての畑と家畜を略奪し、町の城壁をも破壊した。これは創世記49章6節において十分に示されている。第七に、無謀さと不敬虔とによってである。なぜなら、彼らは父ヤコブとその家族全体を、カナン人の憎悪、虐殺、略奪にさらしたからである。聖トマス、カエタヌス、ペレリウス、そして実にヤコブ自身も創世記49章5節においてこう述べている。「シメオンとレビは兄弟。その剣は暴虐の道具。わが魂よ、彼らの謀議に連なるな。わが栄光よ、彼らの集いに加わるな。彼らは怒りにまかせて人を殺し、ほしいままに城壁をうがった。呪われよ、彼らの激しい怒り。呪われよ、彼らの荒々しい憤り」と。


ユディトのシメオン賛美の解釈

あなたはこう言うであろう。ユディト記9章2節は、シメオンとレビのこの行いと熱意とを賛美しているように見える、と。というのも、ユディトはこう述べているからである。「父シメオンの神よ、あなたは彼に剣を与え、異邦の者たちに対する防衛のため(ギリシア語で ekdikisin、すなわち復讐のため)となさいました。彼らは汚れをもって凌辱し、処女の腿を辱しめのためにあらわにしたのです。あなたは彼らの女たちを戦利品として、その娘たちを捕囚として与え、その略奪品を、あなたの熱意をもって熱心になった僕たちに分配するために与えられました」と。

私は答える。ユディトはここで、シメオンの正義を賛美しているのではなく、神の正義を賛美しているのである。すなわち、神は不浄なシケム人を殺すことを許したもうたのであって、そのためにシメオンとレビの大胆さと力とを、また彼らの罪と背信をも用いたもうたのである。というのは、神はカナン人、トルコ人、異教徒に剣を与えたもう、と言われているからである。神が彼らの力と武器とを用いて信者の罪を罰したもうときにそう言われるのである。イザヤ書10章においてもこう言われている。「アッシリアはわたしの怒りの鞭」と。アッティラもまた、自分は神の鞭であると常に語っていたのである。それゆえ神は同じように、シメオンとレビにディナの凌辱を復讐するために剣、すなわち力をお与えになったのである。しかし、そのような仕方で、そのような背信をもって行うためではなかった。なぜなら、彼らはそれを濫用したからである。というのは、ユディトが言うように、彼らは熱意からそれを行ったとしても、その熱意は正義に反していたのである。なぜなら、それは結ばれた契約に反していたからである。しかしながら神はこれらすべてを許し、君主による凌辱の処罰へと向けたもうたのである。

それゆえ神がシメオンに復讐の剣を与えたもうたと言われるのには、二つの理由がある。第一に、神は彼に勇気、力、武器を与えたもうたが、シメオンはこれらを背信によって濫用したからである。第二に、神はこの背信を許し、御自らの目的によって、これを凌辱の復讐へと向けたもうたからである。

さらに、これらの言葉によってユディトは暗に示している。民は君主をこの罪において支持し、ディナの誘拐と拘禁において彼を助け、支え、賞賛したのである。それゆえ神の正しき審きによって、すべての者がこの災いに巻き込まれたのである。

第三に、ここに情欲と凌辱に対する神の復讐が示されていることに注意せよ。ユディトはこれを正しく自分自身と、ホロフェルネスの首を刎ねた自らの行いとに適用しているのである。

第四に、ユディトはこう述べている。神はシケム人のすべての戦利品を、その僕たち、すなわちシメオンとレビに与えたもうた、なぜなら彼らは貞潔への熱意を抱いていたからである、と。これはその熱意が貞潔への熱意である限りにおいてであって、無差別で不正で背信およびその他の罪と混じり合っていた限りにおいてではない。同様に神は、偽りによってヘブライ人の嬰児たちを救ったエジプトの助産婦たちのために家を建てたもうた。これは偽りのゆえにではなく、嬰児たちに示された敬虔な愛情と恩恵のゆえである。というのは、一つの同じ業の中には、常に何か善きものがあって、神はそれを報いたまい、そして何か悪しきものがあって、神はそれを憎み嫌悪したもうからである。


すべての男たち

すべての男たち。――なぜなら、彼らの多くは凌辱者である君主に喝采を送り、その誘拐において彼を助けていたからである。


歴史における凌辱への報復

凌辱と誘拐は、大いなる虐殺や戦争を伴わずに成就されたことがほとんどない、ということに注意せよ。誘拐されたヘレネのゆえに起こったトロイアの滅亡はこれを証ししている。兄弟アブサロムによって行われたアムノンの殺害は、凌辱されたタマルのゆえにこれを証ししている。ベニヤミン族全体の殺戮は、穢されたレビ人の妻のゆえにこれを証ししている、士師記20章。最後に、我らのこのシケム人たちも同じことを証ししている。それゆえ聖ヨハネ・クリソストモスは、賢明にも親たちと教師たちに警告を与え、賢明な助言を授けている、説教59において。「我らはわが子らの衝動を抑えよう」と彼は言う。「そして彼らの貞潔に心を配ろう。炉の火を知りつつ、彼らが贅沢にからめ取られる前に、神の律法に従って彼らを結婚させるよう努めよう」と。そして終わり近くにこう述べている。「それゆえ私は祈る。我らの子らに手が差し伸べられんことを。それは、我らが彼らの犯した罪の罰を、エリのごとく支払わずに済むためである」と、サムエル記上4章に拠る。


第二十六節:ディナを連れ出した

26. ディナを連れ出した。――ルペルトゥスはフィロンに従ってこう記している。ディナは後に結婚してヨブの妻となった、と。ヨブについてはヨブ記1章を見よ。というのは、ヨブはディナのすぐ後に生まれたのであって、これは次章の第36節において明らかにされるからである、と。しかしこれはほとんど蓋然性を持たない。フィロンや他の古代の著作家にもそのような記述は見出されないのである。


道徳解釈:好奇心の魂としてのディナ

道徳的解釈として、フィロンは『アブラハムの移住について』においてこう述べている。ディナとは好奇心に駆られる魂である。この魂は、獣のごとき本性によって、危険なる感覚的なものへと引き寄せられる。そこから魂は凌辱され、心の純潔を失い、肉的で獣的なものとなるのである。というのは、凌辱者シケムはハモルの子、すなわち驢馬(ハモルはヘブライ語で「驢馬」を意味する)の子であるからである。しかしレビとシメオン、すなわち霊の賢明と剛毅とが彼を殺し、こうして魂にその完全性を回復させるのである。


第二十九節:彼らは妻たちを捕囚として連れ去った

29. 彼らは妻たちを捕囚として連れ去った。――ヤコブはこの虐殺を背信的で無謀なものとして否認しているので、第30節、直ちにすべての捕囚を解放し、残っている略奪品を返還することを命じたことは疑いがない。


第三十節:あなたがたは私を悩ませた

30. あなたがたは私を悩ませた。――あなたがたは私の心を恐れと苦悩とによって悩ませた。なぜなら、あなたがたは私を不安と恐怖に陥れたからである。というのは、私は大いに恐れているのだ。カナン人たちがそのシケム人たちのために復讐を求め、私とあなたがたに対して立ち上がるのではないかと。第二に、あなたがたは私の名声を悩ませた。なぜなら、あなたがたはそれをかくも悪名高い虐殺によって汚し、私をカナン人にとって憎むべき者(ヘブライ語では「臭い」)にしたからである。第三に、あなたがたは私の家族の平安を悩ませた。なぜなら、あなたがたは周囲の近隣のペリシテ人らの間で、それを死と相互の略奪の危険にさらしたからである。


背信の処罰について:歴史的例証

注意せよ。背信は、偽誓と同様に、神との交わりと人々の社会とを大いにかき乱すものである。それゆえ神も人も、これを追及し報復することが常である。そのようにしてゼデキヤは、ネブカドネツァルと結んだ契約を破ったために、彼に捕らえられ、王国を奪われ、目を潰されたのである。またサウルは、ギベオン人に与えた誓約に反して彼らを苦しめたため、全般的な飢饉と自分の民の滅亡との原因となった、サムエル記下21章。

シラクサの僭主アガトクレスは、敵たちに与えた誓いを破り、捕虜を殺した後、友人たちに笑いながら言った。「さあ、我らは食事をしたのだから、誓おう。誓いの宗教的遠慮を吐き出そう」と。しかし彼はこの背信の代価を高く支払ったのである。

ペルシアの将軍ティッサフェルネスは、恐れのためにアゲシラオスと結んだ条約を破り、彼に戦争を宣告した。アゲシラオスはこれを喜んで受け入れ、使者たちにこう告げた。自分はティッサフェルネスに大いに感謝している、なぜなら彼の偽誓によって、彼は神々と人々とを自分自身に対して敵対させ、逆に相手の側に好意的にしたからである、と。これはプルタルコスが『ラコニカ』において証ししている通りである。

アレクサンドロス大王は、行軍中に、与えた誓約に反して、自分に敵対するある種のインド人を攻撃した。そこから彼には汚点が付きまとい、短く悲しい最期が訪れたことは、すべての者が知るところである。プルタルコスが『アレクサンドロス伝』においてこれを証ししている。

カルタゴの元老院は、ハスドルバルがローマ人と結んだ条約に反してハンニバルがサグントゥムを滅ぼしたことを是認したのみならず、ローマの元老院においてそれを擁護さえしたのである。しかし、この詭弁と背信はカルタゴの滅亡によって報復されたのである。

ゴート族の王テオダトゥスは、四方から戦争によって圧迫され、ユスティニアヌス帝のもとへ使者を遣わし、平和を求め、ガリアおよびイタリアの全帝国を献上することを申し出た。しかしその後、ユスティニアヌスの将軍ムンドゥスの死によって大胆となり、自らの誓約を破り、武器を取ったのである。しかし彼は戦いにおいて倒れ、治世の第三年に自らの民によって殺されたのである。プロコピオスとブロンドゥスはこのように述べている。

ロンバルディアの王アイストゥルフは、与えた誓約に反して教皇グレゴリウス3世に対して武器を取っていたため、教皇は軍の前に運ばせる十字架の旗から平和の誓約書を吊るさせ、すべての者と共に、この背信の者に対して神に嘆願したのである。そこからアイストゥルフはピピンによって屈服させられ、ついに惨めにも滅びたのである。

ブルゴーニュ公シャルルは、大胆かつ無敵の者であったが、ロレーヌにおいて、自分が背信によって欺いた250人のスイス人を絞首刑に処し、やがて主の年1476年にグランソンにおいてさらに300人を殺した。しかしその三日後、スイス人はシャルルを攻撃して敗走させ、ついに翌年、彼らは彼を完全に打ち破り殺したのである。

それゆえワレリウス・マクシムスは第9巻第6章において正しくこう述べている。「背信は、信義が人類にもたらす益と同じだけの害を人類にもたらす。それゆえ背信は、信義が賞賛を得るのと同じだけの非難を受けるべきである」と。またタキトゥスは『年代記』第一巻においてこう述べている。「裏切り者は、それを好む者たちにとってさえ憎むべき者である」と。なぜなら彼らは行為を愛するのであって、行為者を愛するのではないからである。アウグストゥスは見事にこう述べている。プルタルコスの『アポフテグマタ(名言集)』が伝えるところによれば、「私は裏切りは愛するが、裏切り者を認めることはない」と。さらに鋭くマケドニアのフィリッポスは、ストバイオスが説教52において伝えるところによれば、自分は裏切りを愛するのであって、裏切り者たちを愛するのではない、と述べたのである。