コルネリウス・ア・ラピデ
目次
本章の概要
ヨセフはファラオに対して、七頭の牛と七本の麦の穂の夢を解き明かし、来たるべき七年の豊穣と七年の不作について告げる。こうして第四十節において、彼は王によってエジプト全土の上に立てられ、第四十六節において、その先見によって七年の飢饉をエジプトから遠ざけるのである。
ウルガタ本文:創世記41章1-57節
1. 二年の後、ファラオは夢を見た。彼は自分が川のほとりに立っていると思った。2. そこから七頭の牛が上って来たが、美しく、きわめて肥えており、沼地で草を食べていた。3. また他の七頭が川から出て来たが、醜く、痩せ衰えており、川のまさにその岸辺の緑の場所で草を食べていた。4. そしてそれらは、姿も体のありさまも見事であった牛を食べ尽くした。ファラオは目を覚まし、5. 再び眠りに落ちて、もう一つの夢を見た。一本の茎に七本の麦の穂が芽生え、豊かで美しかった。6. また他の多くの穂が、細く、枯病にやられて芽吹き、7. 先の麦の穂の美しさをことごとく食い尽くしていた。ファラオは眠りから目覚め、8. 朝になると、恐れおののいて、エジプトのすべての解き明かし師と賢者たちを呼び寄せた。彼らが召し出されたとき、ファラオは彼らに夢を語ったが、それを解き明かし得る者は一人もいなかった。9. そのとき、ついに献酌官長が思い出して言った、「私は自分の罪を告白いたします。10. 王はその家臣に怒りを発して、私と料理人長とを兵士の長の獄に投げ込むようお命じになりました。11. そこで私たちは一晩のうちに、それぞれ将来を予兆する夢を見ました。12. そこには同じ兵士の長の僕である、一人のヘブライ人の若者がおり、私たちは彼に夢を語り、13. 後に事実がそのとおりに起こったことを聞き取ったのです。すなわち、私はその職に復されましたが、彼は十字架に吊るされました」。14. ただちに王の命令によって、ヨセフは獄から連れ出され、髭を剃られ、衣を改めて、王の前に出された。15. 王は彼に言った、「私は夢を見たが、それを解き明かし得る者がいない。汝がまことに賢く夢を解き明かすと聞いた」。16. ヨセフは答えた、「私によるのではなく、神が幸いをもってファラオにお答えになります」。17. そこでファラオは見たことを語って言った、「私は川の岸辺に立っていると思っていた。18. すると、川から七頭の牛が上って来た。きわめて美しく肥えており、沼地の緑の草地で草を食べていた。19. 見よ、他の七頭の牛がそれに続いて上って来たが、醜く痩せ衰え、これほどのものをエジプトの地で見たことがないほどであった。20. そしてそれらが先の牛を食べ尽くし、むさぼり食った後も、21. 満腹した様子を示さなかった。同じ痩せと穢れの中にやつれていた。目覚めて、再び眠気に襲われ、22. 夢を見た。一本の茎に七本の麦の穂が芽生え、豊かで最も美しかった。23. また他の七本の穂が、細く、枯病にやられて茎から芽吹き、24. 先の穂の美しさを食い尽くしていた。私はこの夢を解き明かし師たちに語ったが、それを解き明かし得る者がいない」。25. ヨセフは答えた、「王の夢は一つです。神がなさろうとしていることを、ファラオにお示しになったのです。26. 七頭の美しい牛と七本の豊かな穂は七年の豊穣であり、夢の同じ力を含んでいます。27. それに続いて上って来た七頭の痩せた細い牛と、灼熱の風に打たれた七本の細い穂は、来たるべき七年の飢饉です。28. それらはこの順序で成就されます。29. 見よ、エジプト全土に大いなる豊穣の七年が来ます。30. その後に他の七年の不作が続き、それは前の豊穣がことごとく忘れ去られるほど大いなるものです。飢饉が地をすべて食い尽くし、31. 欠乏の大いさが豊穣の大いさを滅ぼすでしょう。32. そして汝が同じことに関して第二の夢を見たことは、確かさの徴であります。神の言葉が成就され、速やかに果たされるからです。33. ですから今、王は賢く勤勉な人を選び、エジプトの地の上に立てられるがよいでしょう。34. その人は諸地方に監督を任じ、七年の豊穣の間に収穫物の五分の一を、35. 今や来たらんとするものを、蔵に集めるようにいたしましょう。そしてすべての穀物をファラオの権威の下に貯え、町々に保管するのです。36. そしてそれを、エジプトを圧迫するであろう来たるべき七年の飢饉のために用意し、地が欠乏によって滅びないようにいたしましょう」。37. この勧めはファラオとそのすべての大臣たちに喜ばれた。38. そこで彼は彼らに言った、「神の霊に満ちたこのような人を、我々はどこに見出せようか」。39. それゆえファラオはヨセフに言った、「神がこれらすべてのことを汝に示された以上、汝よりも賢く汝のごとき者を、私は見出せようか。40. 汝は我が家を治めるであろう。汝の口の命令に、民はすべて従うであろう。ただ王座においてのみ、私は汝の上にあろう」。41. ファラオは再びヨセフに言った、「見よ、私は汝をエジプト全土の上に立てた」。42. そして彼は自分の手から指輪を取ってヨセフの手にはめ、亜麻の長衣を着せ、その首に金の鎖をかけた。43. そして彼を第二の戦車に乗せ、先触れに「すべての者はその前にひざをかがめよ」と叫ばせ、彼がエジプト全土の上に立てられたことを知らせた。44. そして王はヨセフに言った、「私はファラオである。汝の命令なしには、エジプト全土においてだれも手も足も動かすことはできない」。45. そして彼の名を変え、エジプトの言葉で彼を「世の救い主」と呼んだ。さらにオンの祭司ポティ・フェラの娘アセナトを妻として与えた。こうしてヨセフはエジプトの地に出て行った。46. (ファラオ王の前に立ったとき、彼は三十歳であった)。彼はエジプトの諸地方をくまなく巡った。47. そして七年の豊穣が来て、収穫物は束に束ねられ、エジプトの蔵に集められた。48. 穀物の豊かさのすべてがあらゆる町に貯えられた。49. 麦の豊かさはまことに大いなるもので、海の砂にも等しく、その多さは量を超えていた。50. 飢饉が来る前に、ヨセフには二人の息子が生まれた。彼にオンの祭司ポティ・フェラの娘アセナトが産んだのである。51. 彼は長子の名をマナセと呼んで言った、「神は私のすべての労苦と父の家を忘れさせてくださった」。52. 次の子の名をエフライムと呼んで言った、「神は私を悩みの地において増え殖やしてくださった」。53. エジプトにあった七年の豊穣が過ぎ去り、54. ヨセフが予告した七年の欠乏が来始めた。全世界に飢饉が広がったが、エジプト全土にはパンがあった。55. 民が飢えると、ファラオに食物を求めて叫んだ。彼は彼らに答えた、「ヨセフのもとに行け。彼が汝らに言うことを行え」。56. 飢饉は地全土においてますます激しくなった。ヨセフはすべての蔵を開いてエジプト人に売った。飢饉は彼らをも圧迫していたからである。57. また全地方はエジプトに来て食糧を買い、欠乏の害を和らげようとした。
第一節:ファラオの夢;ナイルと豊穣
二年の後——これは献酌官長の釈放以後のことである。というのは、彼はそれ以前にヨセフとともに一年の間獄にあったからであり、このことは第四十章第四節において私が示したとおりである。ここから明らかなように、ヨセフは三年の間獄中にあった。そしてこれは神の御旨によるものであった。すなわち、その一つは、聖者といえども免れ得ないある種の軽き過失を贖うためであった(聖アウグスティヌス『四季について』説教82による)。もう一つは、彼の忍耐と徳が鍛えられ研ぎ澄まされるためであった。さらにまた、三日の間受難と死のうちにあったキリストの予型となるためであった。
聖アウグスティヌスは同じ箇所において、驚くべきしかし注目すべきことを付け加えている。すなわち、ヨセフが二年の獄をもって罰せられたのは、彼が神よりも人により多くの信頼を寄せ、自らの釈放の望みを献酌官長に託したがゆえであり、それゆえ神はその者をして二年の間ヨセフを忘れさせた、あたかも「汝は人よりもむしろ我に助けを求めるべきことを、我は汝に示している」と言われるがごとくである、ということである。ここにおいて聖アウグスティヌスの眼は鋭く、そして神の眼はさらに鋭いのである。
ファラオは夢を見た。彼は自分が川の上に立っていると思った——ナイル川の岸辺の上に立っていると思ったのである。留意せよ。エジプトにおいては、豊穣はナイル川の氾濫から生じる(エジプトではほとんど雨が降らないからである)。ナイル川は濁って肥えており、畑を泥で覆い、あたかも肥料を与えるかのようにして、それらを肥やし豊かにするのである。したがって、ナイル川が多く、高く、遠くにまで氾濫するほど、エジプトにおける豊穣は大きくなる。ゆえにナイル川の氾濫の高さから、エジプト人はその年の豊穣がどれほどになるかを確実に予知するのである。プリニウス『博物誌』第五巻第九章を聞け。彼は言う、「エジプトは、(高くまで氾濫するナイル川の)十二キュビトにおいては飢饉を覚え、十三キュビトにおいてもなお飢えている。十四キュビトは喜びをもたらし、十五キュビトは安心を、十六キュビトは歓楽をもたらす」と。このゆえにファラオはここで、ナイル川の岸で草を食む痩せた牛を見たのである。これらはナイル川のわずかな氾濫を予兆するものであり、したがって牧草地はわずかにしかなく、しかもほぼナイル川の付近にのみ限られるであろうことを示していた。これに反してファラオは、ナイル川から離れた沼地で草を食む肥えた牛を見た。これらはエジプト全土にわたる豊穣を予兆するものであったからである。
第四節:痩せた牛が肥えた牛を食べ尽くした
そしてそれらはそれらを食べ尽くした。痩せた牛たちが肥えて飼い太った牛たちを食らったのである。その姿は見事であり、体のありさまは整っていた——すなわち、優雅な形姿と、豊かさと、肥満をもっていたということであり、ヘブライ語もそう伝えている。この徴は、七年の不作が先行する七年の豊穣のすべての穀物を食い尽くすことを意味していた。これは第三十節より明らかである。聖アンブロシウスは『ヨセフについて』第七章において、七頭の肥えた牛から七頭の痩せた牛が続くと推し量っている。すなわち、豊穣と奢侈から飢饉が生じるであろうと、巧みに推察しているのである。
「たとい」と彼は言う、「我はヨセフではないとしても、あの肥えた牛たちは単に放縦のみならず、神への敬意に対する無関心をも意味すると叫ぶであろう。というのは、不敬なる者たちについてこう言われている、『肥えた雄牛どもが我を取り囲めり』(詩編22)と。またユダヤの民についてこう書かれている、『彼は肥え太り、厚くなり、広くなり、その造り主なる神を捨てたり』(申命記32:15)と。それゆえ、かの世俗的繁栄の夢は永続し得ず、やがてこれらに厳しき飢饉が続く時が来るであろう」と。
第五節:七本の麦の穂
七本の麦の穂。留意せよ。ここでは豊穣と不作が、二つの夢によって予兆され予示されている。一つは麦の穂の夢、もう一つは牛の夢である。そしてこれは適切である。なぜなら、豊穣は主としてこの二つのうちに存するからであり、すなわち穀物と家畜のうちに存するからである。というのは、良き農耕と耕作(これを肥えた牛が表している、とヨセフスは言う)と、良き種の播種(これを美しく豊かな穂が表している)が、豊穣の完全かつ十全なる二つの原因だからである。アブレンシスもかく言う。
第六節:東風に枯らされて
枯らされて——すなわち、灼熱の風、乾かす東風によって。
第九節:献酌官は自らの罪を告白する
我が罪を告白する——すなわち、忘恩と忘却の罪である。それによって私は、私のために幸いを預言してくれた我が預言者ヨセフを獄中に放置し、彼を忘却に委ねたのである。
他の者たちは、これを二年前に王に対して犯した彼の以前の罪と解する。そのために彼は王によって獄に投げ込まれたのである。したがって、この罪の告白によって、献酌官は、いわば王におもねり、自分のような不埒な者に対する王の寛大さを称え讃美せんとしたのだ、というのである。
第十二節:ヘブライ人の若者
若者——すなわち二十八歳の青年である。ヨセフは当時その年齢であった。
第十四節:髭を剃られ衣を改めて
彼らはヨセフを獄から連れ出し、髭を剃り、衣を改めて、王の前に出した。ここに留意せよ。ヨセフが髭を剃られ、衣を改められたのは、古代人たちが獄中にある囚人に対しては、あたかも嘆き悲しみ汚れにあるかのごとく、頭髪と髭を伸ばすままにしておいたからである。プルタルコスがミロについて述べているとおりである。しかし無罪とされ釈放された者たちは、頭髪と髭を切り、衣を改めた。それは喜びと、幸いなる巡り合わせと運命の徴であった。
第十六節:私ではなく、神がお答えになる
私ではなく、神がファラオに良きお答えを与えられる。ファラオは(ユスティヌス歴史家が第三十六巻で述べているように)、ヨセフが生来の明敏さによって夢を解き明かすと推測していた。その種の事柄についてキケロはこう言う。「よく推測する者こそ、最も良き預言者と見なすべし」。ヨセフはこの見解を自らから退け、自らの占いと予知のすべてを、自分自身にも自らの才知にも帰せず、ただ神と神の啓示に帰した。それはファラオが神を認め、礼拝するためである。ゆえにカルデア訳はこう訳している。「私の知恵からではなく、主の御前より、ファラオに平安が答えられるであろう」。そしてシュンマコスはこう訳している。「私ではなく、神がファラオに良き事柄を答えられるであろう」。またウァタブルスはこう訳している。「私のほかに、夢を解き明かす者がある。すなわち神であり、神がファラオのために良き事柄を解き明かされるであろう」と。
第二十五節:二つの夢は一つである
それは一つである——意味においてである。なぜなら、穂の夢と雌牛の夢との二つの夢と象徴は、同一のことを意味しているからである。すなわち、第五節で述べたように、豊穣には二重の原因がある。それは農耕、これは雌牛と雄牛によってなされ、そして播種、これは穀物の種によってなされる。逆に、耕作と種子の欠乏は、不作の二重かつ十分な原因である。前者は痩せた雌牛によって、後者は細く痩せた穂によって示されている。
第二十六節:夢の同じ力
それらは夢の同じ力を含んでいる。「力」——すなわち意味と象徴するところであり、「七頭の肥えた雌牛は、七つの満ちた穂と同じことを意味する」と言うがごとくである。
第二十九節:七年の豊穣
七年の豊穣が来るであろう。この連続し互いに相続く七年の豊穣と不作は、星辰の力や自然の力によるのではなく、神の御業によってもたらされた。神は先の七年にはナイル川を自由に流れさせ、後の七年にはこれを押しとどめられたのである。ゆえにこれは占星術師たちによってではなく、ただ神のみによって予知され予告されうるものであった。これは第十六節より明らかである。
第三十節:飢饉が地を食い尽くす
飢饉はすべての地を食い尽くすであろう——エジプトおよびその近隣の地方を食い尽くすであろう。
第三十二節:繰り返しは確かさを示す
それは確かさのしるしである——「後の夢は前の夢を確証するものであり、両者は同じことを示している」と言うがごとくである。同時に、この夢の繰り返しは、夢によって示されているものが、次に述べるように、速やかに実現に至ることをも意味している。
第三十四〜三十五節:五分の一を蔵に貯える
収穫の五分の一等々、これを倉に集めさせよ——すなわち、王の公的な倉に集めさせ、これを個々の町々に分配して貯蔵させよ、というのである。というのは、富裕な個人たちはそれぞれ自らの穀物を貯えることができたからである。ゆえにすべての者が飢饉を感じたわけではなく、少なくとも不作の最初の年々にはそうではなかった。また飢饉の折には人々はより節制して生きるものである。ゆえに七年の豊穣の収穫の五分の一を王の倉に貯えることで、その後に続く貧しき者と民衆の公の飢饉を救うに十分であった。なぜなら、かくも大いなる豊穣においては、穀物の供給はきわめて多く、ほとんど数えきれないほどであったからである。これは第四十九節より明らかである。最後に、飢饉の間においても、ある作物は、特にナイル川の近くでは実ったが、しかし少なく、ゆえにほとんど無きに等しいと数えられた。そのゆえに第四十五章第六節にはこう言われている。「耕すことも播くこともできなかった」と。
ゆえにすべてのエジプト人は、この七年の豊穣の間、王の命によって収穫の五分の一を王に売り、七年の不作のために保存せしめるよう強いられた。あるいは、トスタトゥスが唱えるように、この七年の豊穣の間、王は穀物をエジプトより輸出して外国人に売ることを禁じたのであった。そして穀物の供給は莫大であったゆえ、ある者はその収穫の四分の一を、他の者は五分の一を売り、ヨセフが王のためにこれを買い取ったのである。
そしてすべての穀物はファラオの権威の下に貯蔵されるべし。ここで注意せよ。穀物は脱穀されず、打たれず、その穂に付いたままであった。これは第四十七節より明らかである。またこれは第一に、この方法によって同時に家畜のための飼料、すなわち藁と籾殻とが貯蔵されうるためである。第二に、このようにしてこそ穀物そのものが、その殻と茎の内にあって、よりよく保存されうるためである。なぜなら、穀物は七年間保存しなければならず、豊穣の第一年に貯えられたものは七年の後、不作の第一年に配給し食するようにし、豊穣の第二年に貯えられたものは不作の第二年に食するようにし、第三年のものは第三年に、というふうにしなければならなかった。このようにしてこそ、穀物は七年の間、損なわれずに容易に保つことができたからである。フィロンはかく語る。
すべての穀物——すでに述べたるその五分の一の穀物であり、これのみが保存さるべきものであった。
第四十節:あなたの命令に民はすべて従う
あなたの口の命令にすべての民は従うであろう。ヘブライ語にはこうある。すべての民はあなたの口に口づけするであろう——すなわち、彼らはあなたの口の命令に口づけし、これを崇め、直ちにこれに服し、喜んでこれに従うであろう、というのである。詩編2:12においても同様である。そこでは「戒めを抱け」の代わりに、ヘブライ語は「御子に口づけせよ」とある——すなわち、メシア、神の御子を崇め、畏敬と愛と服従をもって御子を迎え入れよ、あたかも御子に口づけするがごとくに、というのである。
第二に、ウァタブルスはこう訳す。あなたの命令にすべての民は食をとるであろう、あるいは武装するであろう——「私はあなたを私の次なる者、平和と戦のときのエジプトの君として任命する。ゆえにあなたは軍の司令官となるであろう」と言うがごとくに。しかしヘブライ語のナシャクは本来「口づけする」を意味する。ゆえに前の意味こそが本来のものである。ゆえにカルデア訳はこう訳す。あなたの言葉によって、私の民はすべて治められるであろう。七十人訳は我らの翻訳者のごとく、「従うであろう」とする。
詩編記者は詩編105:21-22において付け加えている。ファラオは「彼(ヨセフ)を自らの家の主となしたり、云々。その君主たちを彼自らのごとくに教え、その長老たちに知恵を授けさせんがため」と。この箇所より、エジプト人、たとえばヘルメス・トリスメギストスのごとき者たちは、その知恵と賢慮をヨセフおよびヘブライ人より汲み取ったことが明らかである。これは出エジプト記2:1の末尾においてさらに明らかとなるであろう。
ここに、いかに知恵と徳とがヨセフを高め、貴き者となすかを見よ。まことにウルバヌス教皇は、その出自の卑しきを非難した者にこう言った。「偉人は生まれつくものにあらず、徳によって造らるるものなり」と。またマクシミリアン皇帝は、貴族に列せんがために数千金を差し出した或る富者にこう言った。「我は汝を富ますことを得れど、汝を貴族となしうるは汝自らの徳のみなり」と。
第四十二節:指輪、長衣、鎖
そして彼はその手より指輪を取った。ゆえにこの指輪は印章指輪であり、王はこれをヨセフに与えて、王の名において彼が欲するところを何であれ定め、封印できるようにした。王は印章のためにも、また婚約のためにも指輪をつける。なぜなら、彼はこの指輪によって、いわば国家を自らに婚約させるからである、とフィロンは言う。
金の鎖。フィロンは言う。鎖は象徴的に民によって王に与えられ、民は王にこう言うがごとくである。「私はこの鎖をあなたに与えます。あなたが正しく繁栄の内にあるときは飾りとして、しかしそれよりも、不義と逆境の内にあるときには、あなたを縛り抑える束縛と足枷として」と。
さらにフィロンとルペルトゥスは注目している。ここには、かの古の時代の四つの王の象徴と装飾が記されており、王はこれらをヨセフに分かち与えたのである。ヨセフについては第一に、獄中の足枷の代わりに、王より金の鎖を受けた。第二に、奴隷の束縛と鉄の指輪の代わりに、王の指輪を受けた。第三に、汚れた衣服の代わりに、麻の長衣を着せられた。第四に、地下牢の汚辱の代わりに、帝国の広き戦車を得たのである。この四つを、ルペルトゥスは寓意的に死より甦られたキリストに適用している。
神秘的に、聖アンブロシウスはその著『ヨセフについて』においてこう言う。「指にはめられた指輪は、何を意味するのであろうか。それは、彼の信仰に司教職が委ねられ、彼自らが他の者たちを封印するためであることを、我らが理解すべきことを意味する以外にはない。知恵の衣である長衣は、何を意味するのであろうか。それは、天上の賢慮の第一位がかの王によって彼に授けられたことを意味する以外にはない。金の鎖は、善き理解を表しているように思われる。戦車は、功徳の高き頂を示している」と。
ここにおいてヨセフの内に、いかに謙遜が栄光に先立つかを見よ。またキリストの箴言、「自分を低くする者は高められる」——すなわち、雲の後に太陽が来たり、暗闇の後に光が来る——がいかに真実であるかを見よ。知恵の書第十章第十三節を聞け。「彼女(知恵)は、彼(ヨセフ)が売られたときも、彼を見捨てず、かえって罪人たちより彼を解き放ち、穴(彼がその兄弟たちによって投げ込まれた井戸)にまで彼とともに下り、鎖の中にあっても彼を離れず、ついに彼に王国の笏と、彼を圧迫せし者たちに対する力を与え、彼を辱めし者たちを偽り者と証し、彼に永遠の栄光を与えたり」と。ゆえにまことにヨセフにこの紋が与えらるべきである。「忍耐する無垢こそは大いなる栄光なり」。聖フランシスコの同伴者たる聖エギディウスは見事にこう語った。「たとい主が天より石と岩とを降らせられたとても、我らが主の求めたもう者なれば、それは我らを害することなし」と。また聖ヨハネ・クリソストモスは『創世記説教』第六十三においてこう言う。「見よ」と彼は言う。「いかにして囚われ人(ヨセフ)が突如としてエジプト全土の王となったかを。汝は見たるや、試みを感謝をもって堪え忍ぶことのいかに大いなる事であるかを。ゆえにパウロもローマの信徒への手紙5章にこう言う。『苦難は忍耐を生み、忍耐は練達を生み、練達は希望を生む。希望は失望に終わることなし』と。ゆえに見よ。彼は苦難を忍耐して堪え、忍耐は彼を練達せる者となし、練達せる者として彼は大いなる希望の内に行動し、希望は彼を失望させざりき」と。またさらに続けてこう言う。「ちょうど金を蓄えんと欲する商人たちが、陸と海において多くの危険を堪え忍ぶことなしには、他の如何なる方法によっても富を増すことあたわざるがごとし。なぜなら、彼らは盗賊と海賊の待ち伏せを堪え忍ぶことが必要だからである。しかるに彼らは大いなる熱意をもってすべてを引き受け、利益の期待のゆえに、彼らの堪え忍ぶ苦きことをほとんど感ぜざるなり。我らもまた同じく、ここにおいて蓄えうる富と霊的な財を思うとき、喜び歓喜し、見ゆるものではなく、見えざるものを観ずべきである」と。
第四十三節:第二の戦車;アブレク
その第二の戦車——その上に王に次ぐ者が乗る慣いであった戦車である。リポマヌス、ペレリウス、その他もかく解している。ゆえにウァタブルスはこう訳している。第二の人の戦車——すなわち、王の次なる者が乗る慣いであった戦車である。ゆえにこの戦車によって、ヨセフはファラオの第二の自我と宣せられ、また成し立てられた。それは名誉と尊厳において彼に次ぐためであった。ここに、ヨセフがいかに逆境によって砕かれなかったと同様に、いかに繁栄の内にも傲慢とならないかを見よ。まことに聖アウグスティヌスは『箴言集』命題246においてこう言う。「如何なる幸運にも堕落せざる者を、如何なる不幸も砕くことあたわず」。またその逆も然りである。
先触れが、すべての者は彼の前にひざまずくべしと叫びながら。ヘブライ語にはこうある。先触れがアブレクと叫びながら。アクイラ、『ティシュビにおけるエリアス』のエリアス、および我らの翻訳者はこれを「ひざを屈めよ」と解している。すなわち、アブレクは、語根ベレクすなわち「膝」よりのヒフィル命令形であり、アレフが「ヘー」の代わりに置かれているとする。というのは、アレフとヘーは隣接する喉音字母であり、相互に交換しうるからである。あるいはむしろ、アブレクはヘブライ語ではなくエジプト語である。というのは、エジプトの先触れはエジプト人たちに叫んでいたのであり、当然エジプト語でアブレク、すなわちすでに述べたように「ひざを屈めよ」と叫んでいたのである。聖ヒエロニムスはその『創世記に関するヘブライ問題集』において、アブレクを「優しき父」と同じものであるかのごとくに説き明かしている。というのは、ヘブライ語においてアブは父を意味し、ラフは優しきを意味するからである。カルデア訳はこれを異なる仕方で説き明かす。「彼らは叫んだ」と彼は言う。「『アブレク、これ王の父である』と。というのは、エジプト人の間ではレフは王と同じ意味だからである」とリポマヌスは言う。ゆえにタルグミストもまたこう訳している。彼らはこう叫んだ。「王の父、万歳。彼は知恵において君主であり、年において優し」と。フィロンはその書『ヨセフについて』において、一日のうちに彼が最も低きより最も高きに至るまで上げられしその突然の変化を驚嘆している。「誰が」と彼は言う。「ただ一日の内に、奴隷が主となり、囚われ人がすべての者の中で最も高名なる者となり、牢獄の副看守が副王となり、牢獄の代わりに宮殿に住まい、最も深き恥辱より名誉の最高の頂きに昇るであろうと、予期したであろうか」と。
第四十四節:私はファラオである
私はファラオである。あなたの命令なくしては、誰も手を動かしてはならない——すなわち、こう述べているのである。「私は王として、あなたに約束し誓う。私はすべての臣下をあなたに従順ならしめ、誰もあなたの命令に逆らうことを敢えてしないようにする。むしろ、あなたの許可なくしては、彼らはほとんど足や手すら動かすことを敢えてしないであろう」。これは誇張法である。
エジプトの王たちは、最初のファラオにちなんで「ファラオ」と呼ばれた。それはちょうど、アレクサンドロス大王以後の同じ王たちが、ラグスの子プトレマイオス——アレクサンドロスの後にエジプトの最初の王となった者——にちなんで「プトレマイオス」と呼ばれたのと同様である。
第四十五節:世の救い主;アセナト
彼はエジプト語で彼を世の救い主と呼んだ——彼が迫り来る飢饉の滅びから世を救ったからである。ここにおいて、ヨセフが世の救い主たるキリストの予型であることが分かる。注意すべきは、「世の救い主」にあたるヘブライ語は tsophnat paneach(ツォフナト・パアネア)であり、七十人訳ではこれが訛って Psonthomphanech(プソントムファネク)と読まれていることである。ある人々はこれをヘブライ語で「秘密を明かす者」、すなわち夢の秘密を明かす者を意味すると考える。ヨセフス、フィロン、カルデア語訳者、テオドレトス、聖ヨハネ・クリソストモス、およびラビたちがこの説を採る。しかし、長くユダヤに住んだ聖ヒエロニムスに、より多くの信頼を置くべきである。彼は、この語はヘブライ語ではなくエジプト語であると言う。なぜなら、エジプト人たるファラオが、エジプトにおいてヨセフに、エジプトの名ではなくヘブライの名を付けるはずがあろうか。それゆえ、tsophnat paneach はエジプト語で「世の救い主」を意味する。したがって、「エジプト語で」という句はヘブライ語本文にはないけれども、われらの翻訳者はこれを説明のために賢明かつ正しく付け加えたのである。
さて、これらすべての栄誉を、ヨセフが以前に受けた苦難と比べてみよ。すると、(ルペルトゥスが注するように)彼の受けた苦難のうち、際立った形で報われなかったものは一つもないことが分かる。第一に、兄弟たちの憎しみに代えて、彼は王とその家臣たちの好意を得た。第二に、追放に代えて高挙を得た。第三に、奴隷としての手の労働に代えて、黄金の指輪を受けた。第四に、姦淫の女に剥ぎ取られた外套に代えて、亜麻布の衣を着せられた。第五に、足枷に代えて黄金の鎖を帯びた。第六に、囚人たちに仕えたことに代えて、今や君侯とされる。第七に、牢獄の卑しさに代えて、王の車に座す。第八に、軽蔑されていたことに代えて、今やすべての人から跪拝をもって敬われる。第九に、奴隷の名に代えて王の名を受け、世の救い主と呼ばれる。第十に、蔑まれた姦婦と卑しい快楽に代えて、最も高貴な妻を受ける。神がこの世でご自身のしもべたちの労苦と苦難をかく報いたもうならば、来るべき世にあって何をなされるであろうか。すなわち、「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったもの、神は御自分を愛する者たちに準備された」のである。
寓意的には、父はヨセフ——すなわちキリスト——を高く挙げて仰せられた、「これはわたしの愛する子」と。亜麻布の衣は身体の栄光であり、それによって彼の無垢が覆われた。父が彼に指輪を与えられたのは、父がご自身の印章を彼の上に置かれたからである。黄金の鎖は身体の栄光ある賦与を表す。父が彼を車に乗せられたのは、万物を彼の手に委ねられたからである。その前を行く伝令者は洗礼者ヨハネであった。父は彼を全エジプト、すなわち全世界の上に置かれた。父は彼に審きと、世の救い主という名と、花嫁たる教会とをお与えになった。
彼はポティフェラの娘アセナトを妻として彼に与えた。ヘブライ人たち、ヒエロニムス、ルペルトゥス、アブレンシスは、このポティフェラがヨセフの最初の主人、同じくポティファルと呼ばれた人物と同一人であると考えている。これは第三十九章第四節で述べた通りである。しかし、より真実には、この者はかの者と別人である。なぜなら、この者は祭司であり、かの者は軍の長官であったし、この者はヘリオポリスに住み、かの者はメンフィスの王宮に住んでいたからである。聖アウグスティヌス、クリソストモス、リラヌス、リポマヌス、オレアステル、ペレリウスがこの説を採る。
ヘリオポリスの。この都はヘリオポリス、すなわち「太陽の都」と呼ばれた。太陽崇拝に由来する。ギリシア語では七十人訳によりオン、プトレマイオスによりオニオンと呼ばれる。
第四十六節:三十歳
彼は王の前に立ったとき三十歳であった。注意すべきは、聖書がこの数字を記すのは、第一に、年代記のためである。第二に、ヨセフが十四年間、すなわち十六歳から三十歳まで奴隷として仕えたことをわれらが知るためである。第三に、神がヨセフの労苦と苦難を豊かに報われたことをわれらが見るためである。彼の災厄は十四年しか続かなかったが、彼の統治と繁栄は八十年、すなわち三十歳から死んだ百十歳まで続いた。第四に、ヨセフの徳がその年齢を凌駕していたことをわれらが知るためである。若者でありながら、彼はこれほど多くのことに耐え、成し遂げたのである。聖クリソストモスはこう述べる。第五に、これが統治し教えるのにふさわしい成熟した年齢であったことをわれらが知るためである。ダビデは三十歳で王となった。エゼキエルは三十歳で預言を始めた。洗礼者ヨハネとキリストは三十歳で宣教を始められた。
年代記のために注意すべきは、ヨセフがエジプトの君侯となったのは三十歳のときである。その後に七年の豊作が続き、次いで二年の不作と飢饉が続いた。そのとき彼の兄弟たちと父が彼のもとに来た。それゆえ彼らは彼の治世の九年目に来たのである。そのとき彼の父は百三十歳であった。これは第四十七章第九節から明らかである。ヨセフ自身は当時三十九歳であった。これは前述の通り明らかである。
ここから第一に次のことが帰結する。ヨセフはヤコブの九十一歳の年に生まれた。というのも、ヨセフの生涯の三十九年をヤコブの百三十歳から引けば、九十一が得られるからである。
第二に次のことが帰結する。ヤコブはエサウから逃れて、その七十七歳の年にカナンからメソポタミアに来た。そして九十七歳の年にそこからカナンに戻った。なぜならヨセフはヤコブの九十一歳の年に生まれたが、ヨセフはヤコブがメソポタミアに来てから十四年目の年に生まれたからである。これは創世記第三十章で示した通りである。ヨセフが生まれた後、ヤコブはさらに六年間メソポタミアに留まり、ラバンの羊の群れのために仕えた。その結果、彼の到着から二十年目にカナンに戻った。創世記第三十一章である。それゆえヤコブは七十七歳の年にメソポタミアに来た。そしてそこから二十年後、すなわち九十七歳の年にカナンに戻った。
第四十九節:海の砂のごとき穀物
海の砂のごとく。これは誇張法である。
第五十一節:マナセ
マナセ——すなわち「忘れさせる者」、あるいは「忘却」である。語根 nasa(ナサ)は「忘れる」を意味する。
ここにヨセフの神に対する敬虔と感謝とに注目せよ。彼は神から自分に賜わった恵みを決して忘れることのないように、自分の子らをその永久の記念とし、常に自分の目の前に置かれるようにした。モーセもまた、同様に、追放の身にあって喜びつつ、自分の子らをゲルショム、エリエゼルと名付けたのである。出エジプト記2:22を見よ。
第五十二節:エフライム
エフライム——すなわち「実を結ぶ者」「増える者」、あるいは「実」「増加」である。語根 para(パラ)に由来し、これは「彼は実を結んだ」を意味する。聖ヒエロニムスはこう述べる。
第五十四節:全世界に飢饉
全世界にわたって——すなわち、エジプトに隣接する土地と地域の大部分においてである。なぜなら、もし飢饉が絶対的に全世界にわたって生じていたならば、エジプトの貯蔵庫と作物の五分の一は、それを救うに到底足りなかったはずだからである。アブレンシスはこう述べる。
第五十六節:ヨセフとセラピス
そしてヨセフはすべての貯蔵庫を開いた。この恩恵と、ヨセフによる糧食の供給から、多くの人はヨセフがセラピスと呼ばれ、エジプト人によってセラピスの名のもとに崇拝されたのであって、セラピスはヨセフ以外の何者でもなかったと考える。なぜなら、セラピスはヨセフおよびヤコブがエジプトに下った時代と同じ頃に生きていたからである。クレメンス・アレクサンドリヌスおよび聖アウグスティヌス(『神の国』第十八巻第四章・第五章)は、ヤコブとヨセフがエジプトに到来した時代に、アルゴスの王アピスがエジプトに渡海し、そこで死に、箱に葬られて、soros Apis(ソロス・アピス)、すなわち「アピスを葬りし箱」のごとくセラピスと呼ばれたと伝えている。そしてこのアピス、あるいはセラピスは、エジプト人を飢饉から救い、彼らに種々の技芸を教えたがゆえに、エジプト人の最も偉大な神となった。それはちょうどセラピスの妻イシスが彼らに文字を教えたのと同様である。それゆえ彼らはセラピスを牡牛の姿で崇拝した。牡牛は豊穣の象徴であり前兆であって、第二節および第二十七節で見た通りである。この牡牛が生きている間、エジプト人はそれを最も丁重に養った。エジプト語ではこれをアピス、すなわち「牡牛」と呼んだ。死後、箱に収められるとセラピスと呼ばれた。この牡牛が死ぬと、エジプト人はそれに似た、白い斑点のある別の牡牛を探し求めて飼った。
それゆえ、アピスおよびセラピスと呼ばれたこの牡牛はエジプト人の神であり、エジプトから出たばかりのヘブライ人がこれを真似て、シナイにおいて金の子牛を造り拝んだのである。出エジプト記32章を見よ。このアピスおよびセラピスの物語から、彼がアルゴス人の王であったという主張を除けば——恐らくそこには「ヘブライ人の」と置き換えるべきであろう——他のすべてはヨセフと一致する。なぜなら、異邦人たちはヨセフおよび他のヘブライ人たちの歴史を驚くほど歪曲し、自分たちの寓話と虚構とに混ぜ合わせ、ねじ曲げたからである。
それゆえ、キリスト紀元三百三十七年に活躍した古代の著者ユリウス・フィルミクスは、その著『異邦の宗教の誤謬について』(これを彼はコンスタンティウス帝とコンスタンス帝に献呈し、『教父全書』第四巻第十四章に収められている)において、またルフィヌスも、そして彼らを承けてバロニウスも『バロニウス年代記』第四巻五百二十頁において、さらにピエリウスも『ヒエログリュフィカ』第三巻第二十五丁F節(これがエジプト人の伝承であると付言している)において、そして多くの他の人々も、ヨセフがエジプト人に飢饉の際穀物を供給したという大いなる恩恵のゆえに、死後彼らによってセラピスと呼ばれ、神的栄誉をもって崇拝されたという意見を抱いている。同じ理由によりヨセフはファラオから「世の救い主」と呼ばれたが、これはセラピスよりも大いなることである。それゆえ聖ヨハネ・クリソストモスは第六十七説教において、ヨセフはこれを予見し、それゆえエジプトを去るときに自分の骨を携えて行くようにヘブライ人に命じたのだと教えている。すなわち、迷信に傾きがちなエジプト人がそれを、彼らの救い主の遺物として、あるいは神の遺物として崇拝しないようにするためである。
この見解は、セラピスが鬚のない若者として、頭に籠——すなわち穀物とパンの籠——を載せて描かれることによって支持される。それゆえ彼に捧げられた牡牛もまたアピスおよびセラピスと呼ばれた。その理由は、ヨセフがファラオの見た七頭の肥えた牝牛を豊穣のしるしと解したからであり、また牛は耕し、肥やし、打ち場で麦を踏むことにより豊穣の原因となるからである。この理由により、モーセはヨセフを牛あるいは牡牛に喩えている。申命記33:17を見よ。それゆえ、ヨセフにまことにふさわしい、セラピスのかの神託が名高いのである。
「初めに神あり、次に言(ことば)あり、これらと共に霊は一つなり。この三者は共に永遠にして、すべて一に帰す」
それゆえ最後に、様々な著者がセラピスについて様々な語源を挙げているが、そのすべてがわれらのヨセフと一致する。第一に、ある人々はかなりの蓋然性をもって、セラピスを Sar(サル)、すなわち「君侯」と、Apis、すなわち「牡牛」から導き出している。すなわち「牡牛の君侯」、あるいは「牡牛らの君侯」と言うがごとくである。これはファラオとヨセフに豊穣を予示したのであり、セラピスはヘブライ語の Sar とエジプト語の Apis から合成された語である。エジプト人はヨセフにエジプトの名、あるいは少なくともヘブライ・エジプトの名を付けたように思われる。というのも、ヘブライ語の Sar(そこから Ser や Sir が派生した)は多くの民族と言語に伝わっているからである。シリア人、カルデア人、アラブ人、モスコヴィア人、タタール人、フランス人、そして明らかにエジプト人も、主または君侯を Sar または Sir と呼ぶ。それゆえヨセフはエジプト人によってアピスと呼ばれ、次いでセラピスと呼ばれた。いわば「アピス君侯」と言うがごとくである。
第二に、他の人々はセラピスを siros(シロス)と Apis から、すなわち「穀倉」と「アピス」——すなわち穀物貯蔵のアピスから導き出している。第三に、ユリウス・フィルミクスは言う。セラピスは「サラのアピス」、あるいは「アブラハムの妻サラから出でし君侯アピス」を意味する。第四に、他の人々は言う。エジプト人は訛ってヨセフをアセフと呼び、字位転換によりアペスあるいはアピスとした。ちょうどオランダ人がヤコブをヤピックと言うのと同様である。
第五に、他の人々は言う。abrech(アブレク)を逆にすればケラピスとなり、すなわちケラピスあるいはセラピスとなる。なぜなら伝令者はヨセフの前で民に Abrech、すなわち「膝を屈めよ」と告げたからである。第四十三節を見よ。第六に、他の人々は言う。セラピスは Schor appaim(ショル・アッパイム)、すなわち「牛の顔」のごとくであると言われる。なぜならこの牡牛はセラピスのヒエログリフであって、ただ牡牛の顔のみをもって描かれ彫刻されたからである。それは他ならぬ牡牛あるいは子牛の頭であった。それゆえセラピスはまたオシリスとも呼ばれ、いわば schor(ショル)、すなわち「牡牛」から出たかのごとくである。もっともエウセビオスは『福音の準備』第一巻第六章において、オシリスは太陽であり、イシスは月であると論じ、オシリスは polyophthalmos(ポリュオフタルモス)、すなわち「多くの目を持つ者」のごとくを意味すると言う。なぜなら太陽はそれ自身から多くの光線を目のごとく放ち、いたるところを見守る神の摂理の象徴であるからである。それゆえヘブライ語の語根 schor もまた「固く注意深い目で何かを見つめる」を意味する。そして牡牛はそのような固い目で見つめるため、schor と呼ばれる。しかし後代のエジプト人はこれを、世界の目としての太陽に、新しいヒエログリフによって適用したのである。というのも彼らは神について確かなものを何も持たなかったので、ある者たちは天にセラピスを求め、他の者たちは地に、ある者たちは人の形に描き、他の者たちは牡牛の形に描いたからである。こうして彼らはセラピスのために一つのヒエログリフを、オシリスのために別のヒエログリフを考案した。というのも、最初のセラピスは、ユピテル、メルクリウス、ヘルクレス、およびその他の異教徒の神々と同様に、ここにおけるわれらのヨセフのごとく、傑出した卓越の人物であったと考えるのがきわめて自然であるからである。人々はその徳、力、あるいは国家に対する功績のゆえに、彼らを神々の列に加え、神的崇拝をもって敬ったのである。
私はセラピスについてのこれらの事柄をやや詳しく論じたが、それはこれらがヨセフに関わる事柄であり、また稀少で誰にも扱われたことのない事柄だからである。この見解は『聖書の驚異について』第一巻第十五章の著者によって確証されている。曰く、「ヨセフは預言的な人として、偶像崇拝に陥りがちなエジプトの民が、いつか彼を拝みたく思うであろうことを予見していた。なぜなら彼は彼らの地上の栄華の創始者であり、また彼らを飢饉の危機から救い出した者だったからである。実際そのようになった。というのも彼らはヨセフの墓のかたわらに牛の像を立てたのであり、それは牛が農業において人に比せられるからである。同じ理由により、イスラエルの子らが荒野で偶像を造ろうとしたとき、彼らは子牛、すなわち牛以外の像を造らなかった。それはとりわけ次の理由によるものであった。エジプトにおいて牛はヨセフの墓のかたわらで崇拝されていたからである。それゆえヨセフは、自分がエジプト人の偶像崇拝の対象とならぬよう、自分の骨がエジプトから運び出されるよう命じたのである」。
それゆえオシリスはエジプト人に耕し畑を耕作する術を教えたと言われるが、それはまさに聖書がヨセフがここで牛を用いてなしたと証言していることである。プルタルコスは『イシスとオシリスについて』の中で、オシリスの本来の名はアルサペスであると断言しているが、これは明らかにヨセフという名を暗示している。さらに彼は言う、オシリスは polyophthalmos(ポリュオフタルモス)、すなわち「多くの目を持つ者」と同じである。なぜならエジプト語で os(オス)は「多くの」を意味し、Siris(シリス)は「目」を意味するからである。ヨセフは「多くの目を持つ者」、すなわち神より賜わった知恵によりすべてを知る者ではなかったか。彼はその知恵をもって最も賢明にエジプト人を治め、彼らに占星術と数学だけでなく、信仰と神の崇拝をも教えたのである。詩編105:21にある通り、「主は彼を家の主とし、そのすべての所有を治めさせ、その君侯らを彼のごとく教え、その長老たちに知恵を教えさせるためである」。それゆえ、セラピスの神殿の上に、いや実にセラピスの胸の上にも、十字架が刻まれていた。ロディギヌスが第十巻第八章で述べている通りである。そして十字架はエジプト人にとって救いと至福の生命の象徴であった。なぜならヨセフはキリストの十字架を教え、その苦難によってそれを予表したからであり、その十字架からわれらは救いと至福の生命との両方を受けるからである。そのようにローマ人の間でも、穀物供給の管理は偉大にして賢明な者のみに委ねられた。それゆえプリニウスは『パネギュリクス』においてこう述べている。「穀物供給の管理は大ポンペイウスに委ねられた。それは彼の凱旋によるカンプスからの賄賂の追放、海からの敵の撃退、そして東方と西方の平定に劣らぬ栄光を加えたのである」。